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農学部での生化学

1 ::02/03/09 00:39
大学で生化学関係の事がやりたいんですが、農学部での生化学って
どの位の研究レヴェルなんですか?
お茶を濁す程度の応用レヴェルなんでしょうか?

どなたか教えて下さい。

2 :農NAME:02/03/09 00:43
でがらしのお茶をすする程度です。

3 ::02/03/09 00:49
>>2
つまりレヴェル低いんですね?
農学部辞めようかな。

4 :農NAME:02/03/09 00:51
生化学やりたいのならそれなりの学部に進学することを激しくすすめます。
後々後悔するはめになるよ。

5 ::02/03/09 01:24
>>4
そんなにレヴェル低いんですか?

6 :農NAME:02/03/09 01:26
なんっちゅーかなー。東大京大東北大レベルならまだまともに
扱うかもしれないけど、駅弁や私立大の農学部になると
全然ちがいますよ。どこの大学希望?>>1


7 ::02/03/09 01:43
>>6
今のところ北大農学部志望。

8 :農NAME:02/03/09 01:52
北大さんならいいと思いますよ。あそこは特に家畜生化学が有名ですね。
私からいえることは私立だけはやめたほうがいいとだけいっておきます。

9 ::02/03/09 02:40
>>8
北大農学部の生化学って評価高いんですか。
初めて聞きました。
どうしようかな・・・北大農学部行って後悔しないかな?

私立を受けるつもりは毛頭ないです。
金と時間がないんで。

10 :かおりん祭り ◆IidAAeuI :02/03/09 10:39
\(^▽^)/新スレおめでとうございま−す♪


11 :農NAME:02/03/09 14:36
なんの生化学をやりたいの?動物、植物、微生物?
食い物の生化学をやりたいなら農学部、家政学部のがいいにきまってる。
人間が対象なら医学部だし、工業利用なら工学部だろ。
研究レベルの問題じゃないよ。

12 :農NAME:02/03/09 14:41
11さんの言うとおり生化学いうても広いからねー
自分の好奇心や新規性を重んじる大学では
本に書いてある内容の研究はもう入る頃にはやってないんじゃ


13 ::02/03/09 15:01
>>11
レスどーも。

生化学って色々あるんですね。
知りませんでした。
そうですね。
その3つの中では微生物か植物をやりたいですね。


14 ::02/03/09 15:05
ちなみに気になったんですが理学部化学科の生物化学研究室では動物も
植物も微生物も人体もやるんですか?

どなたかご存じの方、教えて下さい。

15 :農NAME:02/03/09 20:53
研究室の教授次第だよ。


16 ::02/03/09 20:56
>>15
教授次第ですか。
では教授次第では上に挙げた分野を全部やる所もあるんですね?
北大理学部はどうなんだろう?

17 :11:02/03/09 22:55
研究は普通、オリジナルな仮説をたてて、それを
証明するという手順でおこなう。
したがって自分の仮説を証明するのに都合の良い
材料をえらぶ。これが基本さ。
何でも良ければ、予算や研究蓄積などから、
線虫とかシロイヌナズナ、大腸菌等をつかう。

要は、研究者が何に対してどんな仮説をもっているかだよ。
光合成の研究を人間でしないのはなぜかわかるだろ。(笑)
イネでなければ証明できない仮説ならイネをつかう。

18 :農NAME:02/06/15 18:02
維持あげ

19 :農NAME:02/06/15 18:34
一般に農学部って医学薬学理学に比べて研究レベル低いでしょ?
特に理由がなければ他の学部にしといたら?

20 :農NAME:02/12/19 15:48
>19
そんなことはないでしょう!

21 :農NAME:02/12/20 00:43
最近は、よっぽどじゃない限り、どこでも生化学が出来るよ。

22 :農NAME:02/12/20 01:24
弥生三号館の地下は古くてキタナイですが、
あんなところで酵素の研究が本当にできるのですか?

23 :農NAME:02/12/20 08:56
ヴォート生化学とか、レイニンジャー生化学とか有名な教科書色々あるけど、そういった教科書をしっかり読んで、基本をしっかりさせるように。
教科書分厚いから読むの大変だけど。
生化学に強いと就職にも有利。

24 :山崎渉:03/01/11 17:26
(^^)

25 : ◆N2kckKEl.I :03/04/12 02:19
a

26 : ◆2gFyvZS3Xw :03/04/12 02:20
aa

27 : ◆ng/QNxH9sw :03/04/12 02:20
aaaaaaa

28 : ◆h97CRfGlsw :03/04/12 02:21
AAA

29 : ◆.RfUDLkr/s :03/04/12 02:21
AAAAAAAA

30 :農NAME:03/04/17 02:33
これもあれもそれもどれも愛

31 :山崎渉:03/04/17 08:49
(^^)

32 :山崎渉:03/04/20 04:29
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)

33 :農NAME:03/05/16 23:03
>>23生化学に強いと就職にも有利。
って研究職?だったら院にいかないとだめ?

34 :山崎渉:03/05/21 21:58
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

35 :農NAME:03/05/26 21:57
がんがれ
 

36 :山崎渉:03/05/28 14:33
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

37 :山崎 渉:03/07/15 13:02

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

38 :なまえをいれてください:03/07/23 13:48
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。

39 :なまえをいれてください:03/07/23 15:51
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。

40 :ぼるじょあ ◆yBEncckFOU :03/08/02 03:13
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ

41 :山崎 渉:03/08/15 18:41
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

42 :農NAME:03/09/11 18:15
北大の農学部なら行って後悔はしないだろう。
あそこは農学部の最高峰だと俺は思うぞ。
あとは東工大あたりもいいんじゃないか?
いずれにせよ、上の方にも出てたが、絶対に理系で私立に逝ってはいけない。


43 :農NAME:03/09/11 19:46
酪農ならな
生化学で北大なら薬学部
農学なら東大と京大以外は、、、以下略

44 :農NAME:04/01/23 03:08
age

45 :農NAME:04/02/07 03:07
age

46 :sage:04/07/07 16:42
waraは私立農学部の手先なり。
生化学研の究室では、冬厨夏葬の研究とかしてて
培養機の臭いが臭過ぎる。

私立農学ってそんなに評価低いんですか…
漏れやばいかな。生化学以外ならいいとこもあるのだろうか?

47 :農NAME:04/07/14 23:06
age

48 :harituke ford:04/07/22 05:36
「トヨタで死んだり、ケガしたりする話は良く聞くけどそれでラインが止まった
という話はきかんな」
「一人、二人死んでも生産上がったほうが儲かるからな」
「班長、組長には、手がないのが多いな」
「両手の指を落としてしまって、顔も洗えんという人もおった。水が漏ってしまうでな」
「プレスですべって、アゴひっかけただ。そんで顔がペロッとなくなったのが
いたよ。型は血でいっぱいだったとよ」
「昼休みに、鍛造機を掃除しててよ、あとでスウィッチ入れたら、腕や指が出て来た
のもあるよ。一人行方不明になってしまって」
「期間工で湯の中に落ちたのがいたぞ。こんなに膨れて、もうパンパンだったよ
可哀想にな」
昼休み時間、班長からディファレンシャルの工場で左手親指をつぶす事故が発生
したとの報告。


49 :農NAME:05/03/11 03:37:48
あげ

50 :農NAME:2005/05/19(木) 17:46:13
今高3です
農学部の生化学に物理Uと数学VC必要ですか?

51 :某機関の研究員:2005/06/05(日) 02:24:12
>50
直接は必要ないけど、農学部であっても生化学系の仕事に興味があるのであったら、
少なくとも熱力学と量子化学に関する基本的な知識とセンス、それに微積(微分方程式含め)
に関する基本的な素養は持っていたほうがよい。

欲を言えば、統計や多変量解析等について代数(実は統計や多変量解析の基礎は代数)
の基礎的な素養が必要だと思う。

大学に入ってから追いつくのは難しいので、高校のうちにきちんと基礎を身に付けて
おくと、あとあと3年生以降や大学院以降で効いてくると思う。

こと農学部で生化学やるときには表層的な知識に流れてしまいがちだが、生化学に
おける化学反応(生物はすべて化学反応で成り立っている)は究極的には熱力学的、
あるいは量子化学的な過程により成り立っていて、そういうバックボーンで理解できる
人間とそうでない人間では天地ほど違ってくるとおもうぞ。

そんなわけで、面倒だと思うけどしっかり勉強してください。

52 : ◆ztLhBmxRuk :2006/04/27(木) 16:03:32
test

53 : ◆lDhr9Yglz6 :2006/04/27(木) 16:04:09
test

54 : ◆eqsl4ie3Ns :2006/04/27(木) 16:04:52
test

55 : ◆y5iXTgaGNk :2006/04/27(木) 16:05:22
test

56 : ◆FH7drkBmfM :2006/04/27(木) 16:06:44
test

57 :農NAME:2006/05/04(木) 00:16:20
農学部で生化学なんて絶対無理

58 :農NAME:2006/05/04(木) 00:16:58
農学部で生化学なんて絶対無理

59 :農NAME:2006/05/04(木) 00:24:34
農学部で生化学なんて絶対無理
理学部にいけ まじで

60 :農NAME:2006/05/07(日) 00:23:52
seisei!

61 :農NAME:2006/06/26(月) 23:41:29
植物生化学って就職
どうなんでしょうか?

62 :農NAME:2006/06/27(火) 08:13:21
修士でて就職だったら農がよいかと。
理学で就職する人あまりいないな。就活もしづらい雰囲気らしいし、彼らは人生どうするんだろうか。


63 :農NAME:2006/07/09(日) 12:40:37
日本・インドネシア関係小史
1942年(昭和17年)
1月 日本軍蘭印作戦、タラカン島より開始
3月 ジャワ島上陸。日本軍バタビアに侵攻。日本軍政施行。蘭印降伏
12月 バタビアからジャカルタに呼称変更
1943年
3月 プートラ(ジャワ民衆総力結集運動)発足
5月 兵補制度発足
9月 スカルノ、ハッタ日本軍政政監部総務部参与になる
10月 郷土防衛義勇分(ペタ)誕生
1944年
1月 ボンテアナク事件発生
3月 隣組制度発足
10月 独立養正塾設立
1945年(昭和20年)
2月 東ジャワ、ブリタル防衛義勇軍決起
4月 海軍地域でインドネシア・ラヤ(インドネシア国歌)とメラ・プティ(国旗)を許可
6月 スカルノ「建国五原則」構想を発表
8月 日本、ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏。スカルノ、ジャカルタで独立宣言をする。
4年にわたるオランダとの独立戦争が始まる。郷土防衛義勇軍解散式実施
10月 インドネシア人民治安軍(独立軍)編成。日本軍各地で治安維持にあたる。日本軍と独立軍
との間で武器の争奪がある。この頃、日本兵、軍属等に離脱するもの多数。


64 :農NAME:2006/07/09(日) 12:42:41
日本軍政下の時代に、インドネシアで日本人たちが行った一連の非人
間的な残虐行為については、残念ながらあまり知られていない。戦争を
体験した年輩のインドネシア人たちは、日本人を心の底で恨んでいない
のだろうか。現地に滞在しているビジネスマンやエンジニアにこの質問
を投げかけると、「日本はオランダからの独立を助けてあげたんだか
ら、むしろ感謝していますよ」という応えが返ってくる。
 あまりにも事実を知らなさすぎるのではないだろうか。

 たとえば、こういう話...。バリ島には、日本人観光客が決して訪
れることのない場所がある。メングウィという村にあるパナルンガン寺
院だ。ここには、戦時中に日本軍兵士が女を略奪したり強姦した場面を
描いたレリーフが残っているという。
 1942年、日本軍はバリ島に侵攻。2350隻のボートでサヌールに上陸し
た。日本兵たちは車で村々を走り、美しい女性を見つけると強姦した
り、強奪して現地妻にした。

 多くのバリやジャワの男たちは、現地人が「ロームシャ」と呼ぶ強制
労働にかり出された。「ロームシャ」という日本語はインドネシアでは
辞典にも登場するインドネシア語となり、中学校の教科書にも使われ、
誰もが知っている。
 ロームシャたちはスマトラ島、ビルマ、マレー、ニューギニア戦線へ
と送られ、軍用施設の建設などに従事させられた。その数は、十数万と
も三十万ともいわれている。その多くが作業現場でこき使われ、病に倒
れて死んでいった。


65 :農NAME:2006/07/09(日) 12:43:54
 たとえば、こういう話...。軍事上の戦略的な工事で秘密が漏れな
いように、作業終了後にロームシャたちが殺されたと言われている。
ジョグジャの要塞建設にあたった者たちが、こうして生き埋めにされた
という証言もある。
 また、当時シンガポールに滞在していた英国人生物学者コーナーは、
シンガポールで鉄道施設のためにジャワから送られてきた女性について
書いている。「人夫が女であり、若くてきれいだと、カタンの近くの兵
営に送られ、兵隊たちの慰みものになった。通行人は、彼女らがジャワ
語で『助けて』と悲鳴をあげるのを耳にし、胸をしめつけられた。」

 われわれと同じ日本人による残虐な行為が、インドネシアで行われて
いたのだ。そして、恐らく中国でもどこででも...。
 マレー半島では、もっとひどい華人たちの惨事の記録がある。日本兵
たちは、村々できれいな女性を見ると次々に強姦した。ネグリセンビラ
ン州のイロンイロン村では、老人、妊婦、赤ん坊を含めた約千五百人が
身分証明書の検査という名目で集められ、銃剣で刺し殺された。村はほ
とんど全滅した。隠れて死を免れた華人たちは、日本人を「東洋の鬼」
と呼んだ。
「鬼」は、けっして架空の存在ではない。現に、戦時中の日本には、た
しかに多くの鬼がいたのだ。

 熱帯の地でやりたい放題ができた日本男児たちにとって、ジャワ島や
バリ島はまさに「楽園」だったのだろうが、いまその行為のツケが回っ
てきている。日本軍の従軍慰安婦の問題もその一つだ。
 インドネシアでは、中部ジャワを中心とした地域から日本軍に性暴力
を受けた被害者が四百人も名乗り出てきた。そのうちの二百五十人が従
軍慰安婦として働かされたという。残りは強姦被害者などだ。中には初
潮前の十三歳の少女だった女性もいた。彼女は「モモエ」という日本名
で呼ばれ、将校、軍属、兵士の客を取らされたという。
http://ime.st/www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/AA/JB/JavaBali002.html


66 :農NAME:2006/07/09(日) 12:44:40
インドネシア
日本軍が焼却、侵略の証拠
空白埋める調査続く

 インドネシアの植民地支配の歴史のなかで、最後にやってきた旧日本軍は一九四五年、連合軍への無条件降伏とともに、
インドネシアから撤退しました。日本軍はこの三年余りの支配の時期に、多くの住民を軍に徴兵したり、いまでもインドネシア語
のなかに残っている「ロームシャ」(労務者)として、数百万人もの住民に鉄道建設などのきびしい労働を強制し、過酷な労働条件
で多くの死者を出しました。インドネシア政府は、四百万人以上が日本軍国主義支配の犠牲になったと見積もっています。

戦争体験者の声を2万本のテープに
 しかし、日本軍による支配の実態と、それが住民の生活にもたらしたものの全ぼうは明らかになっていません。日本軍は
撤退の前にほとんどすべての公式文書を焼却していったからです。これがインドネシア近代史研究の大きな障害になっています。

 首都ジャカルタ南部にあるインドネシア国立公文書館では、歴史の空白に挑もうと、八三年から戦争体験者約九百人に
インタビューし、テープ二万本におよぶ記録をとってきました。

 同公文書館のチャニアゴ主任によれば、体験談に共通しているのは、日本軍による支配は一九四二年から四五年までの
短い期間であったにもかかわらず、百年以上つづいていたオランダ支配以上に強烈な印象、とりわけ強い恐怖をもたらしたことです。

 多くの人々は、「ケンペイタイ」(憲兵隊)への恐怖を赤裸々に語っています。日本人の前を通過するときは九〇度以上の
角度で最敬礼し、怠った場合は「コッチヘコイ」「バケロー」(ばか野郎)と怒鳴られ、暴行を受けるなど、インドネシア人の習慣からは
理解不能な規則をつくっていきました。
http://ime.st/www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/4551/ciner02.htm


67 :農NAME:2006/07/09(日) 12:45:54
――脱却派は「日清・日露戦争は肯定するが、大東亜戦争は問題
があった」としています。

 「日清・日露戦争を『独立と自衛』のためと言うが、台湾や朝鮮
半島を植民地にしたことを肯定できるはずがない。また大東亜戦争
に留保をつけているが、『アジア諸国の独立を助けた』と平然と言
っている。インドネシアでは約400万人の労務者を強制労働に従
事させ、泰緬鉄道建設にも駆り出した。多数の労務者が死んだ上に、
彼らの帰還の手続きをせず、放り出したまま日本軍は帰ってきてい
るのに正当化できるわけがない」
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Cinema/4551/ciner02.htm


68 :農NAME:2006/07/09(日) 12:46:24
In Reply to: Re: インドネシア人の反日感情 posted by もみてあきんど on June 18日 (1998年) 07時49分12秒:


首を切られたそうです。それで、そのおっさんはそう言っているのでした。でもおっさんの
年が50なので、自分で見たわけでないでしょと聞いたら、両親から何度も聞かされたと
言っていました。日本はSudah bayar banyak. Indonesia Hotelも日本の戦後賠償で立ったぞ
と言っておきましたが、残虐行為というのは、賠償を支払っても、いつまでも後に残るもの
なのだと、思いました。
最近、BukittinggiのRoban Jepangは日本軍の残虐行為の一つという説明がされていたのが、
本当は大嘘であったことが明らかになりました。Bikittinggiは戦争中も最も住民との交流が
うまくいっていた地域だったそうです。私がBukittinggiに行ったのは、まだ、残虐行為が
あったというのを本当だと思っていた頃で、雇った運転手のおっさんが、子供の頃、日本人の
軍人が楽しく遊んでくれたと言うのを聞いて、不思議な気がしましたが、それが本当であった
そうです。

http://yorozu.indosite.org/bbs_log/bbs_log01/old16/messages/1282.htm


69 :農NAME:2006/07/09(日) 12:47:20
これに付いては、前にも申しましたが、五味川順平著、「人間の条件」を
ご覧になってください。広く読まれた小説ですが、その時期はあなたが
生まれる前だったかも知れません。単なるフィクションとは思えない
旧日本軍の赤裸々な姿が描かれております。部隊長の指揮で真夜中の
部落を襲い、女を奪い、反抗する者を殺し、或いは捕虜として捕らえ
満州の軍需工場に送るんです。大西洋を渡った奴隷船さながらに何人か
死んでしまうほど貨車にぎゅうぎゅうに詰め込んでね。この本が出された
のは戦後ですが、私は戦時中からそれに類する話を一度ならず聞いて
いました。問題は隊長の指揮のもとに民間人を襲うということで、
やった方は遊山気分なんでしょうが、やられた方はたまったもんじゃあ
なかったでしょう。まあしかし、あの3月9日の空襲で、一町内会
全滅もあったという東京市民虐殺に比べればどうってことも無いのかも
知れません。

http://yorozu.indosite.org/bbs_log/bbs_log03/main/7158.html


70 :農NAME:2006/07/09(日) 12:48:07
インドネシア、慰安婦の歴史を教科書に採用
http://yorozu.indosite.org/bbs_log/bbs_log03/main/6097.html


71 :農NAME:2006/07/10(月) 22:39:12
★6/26〜7/28まで、1ヶ月以上も太平洋ハワイ沖で、派手に華々しく行われてい
る『環太平洋合同演習(リムパック2006)』では、日本も多勢で参加し、★日
本のミサイル発射訓練も頻繁に行われている模様です。→こちらのマスコミ報道
や記事は『極・小・扱・い』です。

★ウィキペディアで『環太平洋合同演習』を検索すると、今回もその華々しさが
北朝鮮ミサイルの比でないことが分ります。

★ リムパックは1971年から、2年に一度ずっと続けて行われてきており、日本
は、憲法9条を持ちながら、1980年から参加し始め今回で14回目の参加です。
参加国は、≪米・英・オーストラリア・カナダ・チリ・ペルー・韓国・日本の8
カ国≫


北朝鮮も負けずに、自国の傍の海(日本海ではないでしょう)に向けて、ミサイ
ル発射訓練をしたわけではないでしょうか。


72 :農NAME:2006/07/10(月) 22:41:33
先日、中国人の僕は初めて靖国神社に行きました。ある著名な先生の勉強会の一
員として数十名の塾生達と一緒に行きました。
実は、僕は以前から靖国神社に行きたかったのです。いろいろなところでよく意
見を求められているのに見たことがないため、意見が言えなかったからです。僕
は自分の目で確かめないで聞いた話を信じるのは嫌な質です。
僕は亡くなった人の霊を大切にする日本の文化が好きです。実は僕の出身地の山
東省も似た風習があるからです。日本の神社も好きです。渋い色と落ち着いた雰
囲気は、とても東洋的で死者の霊を慰める場所としてとても良いと思います。
しかし、靖国神社の「遊就館」を見学してびっくりしました。軍艦マーチが流れ
る中、戦車、大砲、潜水艦などの武器と共に各戦争の背景、経過を詳細に解説し
ています。戦時ニュースも流しています。戦士の勇敢さを讃える、おびただしい
量の証拠品と写真を展示しています。神風特攻隊と人間魚雷の解説は、特に力が
入っています。


73 :農NAME:2006/07/23(日) 21:39:18
朝鮮学校やその生徒たちへの卑劣な攻撃は植民地を支配した国の負の遺産を
 示す、まことに恥ずべきことです。繰り返される小泉首相の靖国神社参拝が
 中国や韓国との関係を極度に悪化させていますが、このようなありようは、
 日本が過去の侵略戦争と植民地支配の後始末をつけていないことから生まれ
 ています。戦争責任に時効はなく、戦後補償はきちんとなされねばなりませ
 ん。

 私たちは東アジアと世界の平和に重い責任を負っています。「武力で平和は
 創れない」と確信する私たちは、日本政府に対し、非武装・不戦を国際的に
 宣言した日本国憲法第9条の実現を要求し続けます。みなさん、ともに平和
 創造の道を切り開きましょう。  



74 :農NAME:2006/07/23(日) 23:29:51
私たちの郷土にも、護国神社があって、戦死した人々がまつられています。

私たちは、天皇陛下の御恵みのほどをありがたく思うふともに、ここにまつられてゐる人々の忠義にならって君のため国のため
につくさなければなりません。
【戦前の初等科修身教科書 四 】より

小泉の靖国参拝問題は単なる永久戦犯の合祀問題だけではないですね。靖国神社は戦前の徴兵制度の機関だったわけです。
そして小泉が必死に靖国参拝をしているのは戦前の侵略戦争時の約束を守ろうとしているということですね。小泉政権は
大日本帝国の系譜を継承しようとしているわけですね。


75 :農NAME:2006/07/24(月) 19:54:51
>ご存知かもしれませんが、A級・B級・C級というのは、罪の重さではなく
>犯した犯罪のグループですので、「超A級」という言い方は誤解を招くかと
>思います。おっしゃりたいことはよくわかります。

そうです、そうです、私も最近どっかで同じことを指摘したことがあります、が

しかし実は最近までは私の認識も「罪の重さ的」に捕らえていました(^^;
ですから学者の先生方は「こんなことはわざわざ書かなくても判っていることだ
ろう」とパスしないで書いたほうが良いと思います(^^;(^^;
私がこれをきちんと認識できたのは前田朗さんの「戦争犯罪論」を読む機会に恵
まれたからです。

でも、「罪の重さ的」な認識は日本では結構普及していると思います。マスコミ
がその辺を避けて報道していると思います。しかもこの認識は全く根拠のないこ
とではないと言うことです。GHQの高官が日本の新聞でそのように説明したこと
があるそうです。しかしこのGHQ高官の見解は誤りであることははっきりしてま
す。問題はそう認識している日本人が少なからずいると言うことです。

「A級戦犯の分祀」が実現したら靖国参拝OKと言う雰囲気が醸造されはしないかと言うことです。
私が参拝に反対するのはA級戦犯が合祀されているからではないです。靖国と言う考え方、国家神道と言う考え方、
「国家のための殉教者」と言う考え方そのものに反対しているのです。無宗教追悼施設にしてもこの考え方が
排斥されていない限りネオ靖国の新設に過ぎないと考えてます。

B級もC級も重要な戦争犯罪です。実際A級で死刑判決を受けたものはB級犯罪も犯しているから
死刑なのです。しかも唯一日本でC級(人道に対する罪)で裁かれた花岡事件はついに教科書から
姿を消しました。あまりマスコミのインチキ論点に引きづられて議論することも危険だと思います。

76 :農NAME:2006/07/24(月) 22:19:32
仮に慰安所があったとしても、需要と供給のバランスがとれてなくて慰安婦の恩恵に与れた日本兵は、
極一部の例外的存在ということになるでしょう。
 娼婦のいない国など皆無に等しいと思います。では、強姦は無いのか?
 「ニューヨークは路上に娼婦が溢れていますので強姦事件はありません。」「日本にもソープランドがありますので
強姦事件はありません。」と言うのが、現実離れしていることは誰にでも判るでしょう。
 「売春」と「強姦」は別次元の問題であり、強姦を否定するためにパーキンソン病の老人が考えついた法螺話か、
聞き取りをした人の嘘でしょう

77 :農NAME:2006/07/25(火) 21:38:52
1)ABC級は、極東国際軍事法廷条例第5条のイロハのどれに当たるかによる
ものです。つまり、Charter of International Military Tribunal for the Far
East, Article 5. Jurisdiction Over Persons and Offences (a)(b)(c)のどれ
に当たるかです。Article 5 (a)が平和に対する罪です。当時の日本政府やマス
コミが使っていた日本語にあてはめれば、「イ級戦犯」になります。「超A級戦
犯」は「超イ級戦犯」という無意味な言葉になってしまいます。

2)ただ、一般的にはABCを等級順に考える傾向が強くなってきたように思い
ます。もとは誤りであっても、いまはかなり共有されているかもしれません。

3)しかし、罪や刑罰の重さという点では、国際刑事裁判実務では、むしろC級
の人道に対する罪のほうが重いと理解されている印象があります。東京裁判でも
「平和に対する罪の共同謀議」だけで死刑となった例はほとんどなく、残虐行為
への関与があってはじめて死刑になっていたように思います。等級順に考えるな
らば、CBAの順になってもおかしくありません。現在ではジェノサイドが加
わってますので、単純に比較はできませんが。

国際刑法のテキスト類を見ても、量刑に関する議論は少ないので、以前、ニュル
ンベルク・東京・旧ユーゴ・ルワンダ法廷判決の量刑を比較してみたことがあり
ますが、事例が違いすぎ、時代も異なる(死刑廃止条約以前と以後)ため、十分
な比較にはなりませんでした。


78 :農NAME:2006/07/25(火) 21:41:16
この催しは、今日の沖縄情勢において、
琉球独立論がどのように語られるべきかを模索するものです。
私たちは、ヤマトンチュとして、琉球独立闘争を支援しています。
私たちは、日本共産主義運動による「祖国」復帰闘争が
許しがたい誤謬、犯罪であったと見做しています。
それは、沖縄人民党=日本共産党の日本民族併合運動であり、
ウチナーンチュを日本帝国に隷従せしめる妄念でした。
なぜ、沖縄県祖国復帰協議会は、ウチナーグチを弾圧し、
日の丸を掲げ、琉球をふたたびヤマトの支配下へ導いたのでしょうか。
それは、共産党の「占領軍=解放軍」規定と「二段階革命」論と
機を一にしています。今日の沖縄の反戦反基地闘争は、
この「祖国復帰」という妄念と訣別すべきなのです。
そのことを総括しない限り、ウチナーンチュは永遠にヤマトの
奴隷であり続けるでしょう。

私たちは、ウチナーンチュが真の自己決定権を取り戻すべきと考えます。
そのために、今何が問われているのか。
私たちは、沖縄の自立・独立派と連帯し、今こそ日本帝国内部に
「沖縄解放」の起爆剤を撃ち込むべきと考えます。
ヤマトの永続的ウチナー植民地支配反対!
琉球弧の日本からの独立を!



79 :農NAME:2006/07/25(火) 21:44:51
私自身、昨年、店を閉め、町議でもなくなり、夫も失業者になり、低所得者にな
りました。
国民健康保険料も、役場から減免手続きの案内が来たので、手続きをし、少し減
らせて貰えました。

収入は減り、借金が増えた生活ですが、私個人はなにも変わっていないのです。

私に、暗くうら哀しい音楽は不要だし、似合いません。
私の精神は以前にも増して、元気に活発に活動しています。

1日、1食か2食で平気だし、文字通り、スモール、スロー、シンプルの生活を
地で行っています。

「健康で文化的な必要最低限度の生活を営む権利」を憲法第25条で保障されて
いるので、
国は守ってくれないと困るわけですが、、

番組内容の中村哲さんのメッセージを読んだら、ふと、そんなことを思ったもの
ですから、書き添えてみました。


80 :農NAME:2006/07/25(火) 22:53:43
支那だかチョンだか知らんが、何こんなところで必死になってるんだ?

81 :農NAME:2006/07/26(水) 22:54:54
日本軍が軍規などと縁のない「ならず者集団」である。残忍な手口による殺人、女とみれば強姦のうえ殺害する「鬼畜」以下の
存在である。

82 :農NAME:2006/07/27(木) 20:34:05
日本軍にはチョンもいたからな・・・

83 :農NAME:2006/07/30(日) 22:07:55
日 本政府の戦争政策と差別政策を 批判する

  「朝鮮人を殺す」「朝鮮帰 れ!」「地獄に落ちろ」・・・

 朝鮮民主主 義人民共和国によるミサイル実験以後、日本各地の在日朝鮮 人に
対する暴行、暴言、脅迫事件が続発しています。日本政府とマスコミは異常な大
騒ぎを演じ、経済制裁のみならず、 国連憲章第7章による武力行使まで叫び始
めました。どさくさまぎれに「先制攻 撃」論まで飛び出しました。日本政府は
制裁騒動で朝鮮人差別を煽り、自らもマ ンギョンボン号入港禁止などの措置を
採り、差別政策を推進しています。

 世界の40数カ国がミサイルを 保有し、毎年100回もの打ち上げが行われ
ています。自衛隊の護衛艦もミサイルを発射しています。しかし、どこも非難な
どされていません。すべてのミサイル打ち上げを非難するべきではないでしょう
か。


84 :農NAME:2006/07/31(月) 22:31:37
★韓国カルト、日本で2千人 若者勧誘、教祖が性的暴行

・首都圏や関西で、大学生ら20代の若者が、韓国人男性=海外逃亡中=の教祖に絶対服従を
 誓う新興宗教集団(カルト)に引き込まれ、マンションの一室で共同生活を送ったり、信者同士の
 合同結婚式に参加させられたりしていることがわかった。集団には、約2000人が登録されて
 いるとみられ、少しずつ勢力を拡大している。教祖の女性信者に対する性的暴行も常態化しており、
 これまでに100人を超す学生らが被害に遭ったとされる。脱会支援を進める日本基督教団や
 弁護士らには、「子どもを取り返したい」という親らの相談が200件以上、寄せられている。

 この集団は、キリスト教の聖書を独自に解釈する教義を掲げ、韓国で80年ごろ設立された。
 当初は「モーニングスター(MS)」、現在は「摂理」と呼ばれている。教祖の鄭明析(チョン・
 ミョンソク)氏(61)は、女性信者への性的暴行が韓国で社会問題化した99年、国外に脱出。
 ソウル地検などから強姦容疑で指名手配され、国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配
 されたが、逃亡を続けている。


85 :農NAME:2006/08/01(火) 18:37:09
一方、ナヌムの家の歴史館は、この匿名性を拒否するところから始まった。日本軍性奴隷制という犯罪を
封じてきた、加害国日本による、事実の徹底的隠蔽、被害国社会による黙殺、軍が兵士の性欲処理に
対処するには、当然と言わんばかりの国際社会の暗黙の了解という三重の封印が、金学順(キム・ハクスン)
さんの名乗り出で、一挙に破られた。

被害者の出現によって、私達ははじめて、しかも、一瞬にして、この事実を犯罪と認識したのだった。
ハルモニ達は、語ることで歴史を叙述し始め、この歴史館の基礎をつくり、語り続けることで歴史館
の展示をなおも書き替える。

展示中で語られる存在でありながら、どこへでも語りに出かける。犠牲者が見えないといわれる性犯罪の
匿名性を拒否した人たちは、もはや記念館の匿名性の中に収まっていない。

ナヌムの家歴史館とは、そのような歴史の案内人を数多く擁した稀有な被害の記念館だ。

ハルモに自身が歴史の書き手であるこの被害の記念館は、加害国日本に、自らの手で加害を記録し、
記憶することを激しく迫ってやまない。


86 :農NAME:2006/08/01(火) 21:07:35
・女性信者らに性的暴行を繰り返していたカルト集団「摂理」の鄭明析教祖(61)=強姦容疑
 などで国際手配=が、今春まで、中国東北部の鞍山近郊に潜伏していたことが、脱会者らの
 証言でわかった。農村地帯の大邸宅に住み、厳重な警戒を敷く中、韓国や日本から呼び
 寄せた女性信者らと一緒に生活していた。

 関係者によると、鞍山の潜伏先でも、鄭教祖の性的暴行は連日のように繰り返された。
 鄭教祖は女性信者の中でも、日本人への関心は高かったとされる。側近に送らせたリスト
 などから、特定の日本人女性を選び出し、相次いで呼び寄せていた。

 教祖の追跡を進めている韓国の脱会者団体「エクソダス」は、香港から逃げ出した後は、
 中国本土の数都市を経て鞍山に移ったとみている。「(鞍山を引き払った現在も)中国内に
 とどまっている可能性が高い」とみる。

 今年3月末、鞍山に呼び出された韓国人女性(27)によると、潜伏先は鞍山の市街地から
 車で30分程度の山すそだった。邸内では多数の日本人女性を見かけた。
 女性は韓国を出る際、「中国行き」については、幹部から固く口止めされていた。
 鞍山に到着して5日後、全員が相次いで教祖に呼ばれ、服を脱ぐよう強要された。女性は
 数時間にわたって乱暴され、教祖に「これからもここで暮らしなさい」と命令されたという。
 女性は、ショックを受けて脱出を決意。ほかの女性信者1人と、教祖らが外出した間に
 逃げ出した。車で数時間の瀋陽の空港で中国の警察当局に保護され、4月8日に韓国に
 帰った。その後、教祖を強姦致傷容疑で告訴した。

 女性は「友だちと思った人にだまされて入信し、人生を破壊された。私のような被害者を
 もうこれ以上、出してほしくない。日本は、教祖が好きな国で特別な場所。日本人女性は
 狙われており、気をつけてほしい」と話す。

87 :農NAME:2006/08/02(水) 21:19:02
28日に閉幕した第13回ASEAN(東南アジア諸国連合)地域フォーラム(ARF)でもっとも関心を集めた人物は
北朝鮮の白南淳(ペク・ナムスン)外相(77)だった。ミサイル発射問題により国際社会の制裁に直面している
北朝鮮の外相の一挙一動に注目が集まった。

しかし白外相の姿はあまりにもみずぼらしいものだった。関心を寄せるのは取材陣だけで、参加諸国の
外交官らからは無視されていた。 この白外相の姿が、北朝鮮の現在の孤立状況を象徴していたとの話が出ている。

27日午後、クアラルンプール国際空港にゴルフ場で使われる電動カートに乗った白外相が現れた。
腎臓病で健康状態が悪く、歩けないという。 取材陣は白外相が国連安保理の決議案採択などについて
公式に反論することを予想していたが、そうした状況さえ望めない状態だった。
(途中略)
その後の公式協議で白外相は中国の李肇星外交部長の席に座った。白外相がたびたび話しかけようとしたが、
李部長はこれを無視し、ほとんど対話にならなかったという。
翌日の28日、ARF会議場。3時間30分続いた午前の会議が終わり、参加25カ国の外相が互いに握手を交わし
ながら、次々に出てきた。 しかし白外相は一人だった。握手を求める外相は1人もいなかった。すぐ隣の席に
座っていた中国の李部長はこの日も白外相と特に話を交わさないまま先に席を立った。李部長は休憩時間に
「中朝関係が良くないようだが」という記者の質問を否定せず、「そのように言うこともできる」と答えた。

白外相は参加国の外相らと共に記念写真を撮った時も、かたい表情で正面を凝視し、挨拶を交わすことはなかった。
消息筋によると、この日の会議でほとんどの参加国が北朝鮮ミサイル発射に対する憂慮を表明した。
(途中略)
ある消息筋は「白外相は、国連決議が採択されて以降の国際情勢の変化に衝撃を受けたようだ」と話した。

朝鮮日報 http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/29/20060729000021.html


88 :農NAME:2006/08/03(木) 19:19:04
日本兵加害者の淡々とした語りによって明らかになる「事実」は、どんな小説や二次資料よりも重い。
軽い気持ちで導入部分から読み始めたわたしは、やがてパソコン画面に目がフリーズしている
自分を発見した。あくまでも淡々としたペースで続く長い記録であるが、どうしても途中で読むのを
やめることができなかった。ひとりでも多くの人に読んで欲しいー戦争というものを「加害者の立場で」追体験するために。



89 :農NAME:2006/08/03(木) 20:07:00
■「摂理の教義は統一協会の丸パクリ」苫米地氏分析…NewsX

 韓国のカルト教団「摂理」の鄭明析(チョン・ミンソク)教祖(61)=強姦(ごうかん)容疑で
韓国が国際指名手配、逃亡中=が、複数の日本人女性にも性的暴行を働いていたことが
明らかになり、社会問題化している。なぜ、有名大の美しい女性たちが次々と鄭教祖の毒牙
にかかったのか?脳機能学者・苫米地英人氏(46)は「シャーマン文化を尊重する韓国には、
相手をコントロールする能力にたけている人が多い」と指摘した。

 韓国人教祖によって、複数の日本人女性が陵辱されていたことが明らかになった「摂理」
事件。その洗脳のメカニズムについて、元オウム真理教(現アーレフ)幹部の女性信者の
洗脳を解いたことで一躍、名をはせた苫米地氏に聞くと、「実は、私のもとに脱洗脳の相談に
来る人の中には、韓国のシャーマン系カルトの被害者が数多くいるんです」―。驚くべき言葉
が返ってきた。

 シャーマンとは、神霊、死霊などと直接的に交わる能力をもって治療、予言、悪魔払いなど
をする呪術(じゅじゅつ)、宗教的職能者のことを言う。苫米地氏によると、韓国はもともと、
シャーマニズムが宗教の中心。韓国のキリスト教会も本来は否定すべきものである
シャーマニズムを否定せず、教会内で許容。そのためシャーマニズムが広く浸透しているという。

 さらに「韓国人にはすり込み能力(インプリンティング)など、相手をコントロールする能力に
たけた人が多い」と続ける苫米地氏。「鄭教祖の古巣である世界基督教統一神霊協会(統一教会)
など、教祖をメシア(救世主)とする、本来のキリスト教とはかけ離れたシャーマン系カルトの教団
が数多く存在する」と韓国のキリスト教系教団の特異性を指摘した。苫米地氏は「摂理の教義は
統一教会の丸パクリ」とも言う。


90 :農NAME:2006/08/04(金) 00:40:31
小学生四人のうち一人は情緒と行動に問題があることが明らかになった。

厚生省は釜山・江原などを除く全国12の市・道の94の小学校生徒7700人(男子
3969人、女子3731人)を対象に「2006年上期児童精神健康選別検査」を実施
した結果、全児童の25.8%が情緒と行動に問題を抱えていると3日明らかにした。

情緒問題は不安症とうつ病、強迫症などを言い、行動問題は反抗や乱暴な行動などを意味
する。情緒問題と行動問題を単独で別々に持っている小学生はそれぞれ20.1%と
11.6%だった。

特に全生徒のなかで33.1%は精神的な問題が身体的症状として現われ、腹痛や頭痛を
訴える精神身体化障害を持っていることが調査で分かった。これには無意識的に特定筋肉
の動きを繰り返す‘チック(Tic)’現象も含まれる。

また20.3%は読み書き、算数など主要学業領域で難しさを訴える学習問題を持ってい
るほか、インターネット中毒の可能性が高い児童も全体の26.2%を占めた。

今回の調査で問題があることが明らかになった児童に対しては、精神科専門医の診断を経
て障害の有無が最終的に決定される。漢陽(ハニャン)医大児童精神科アン・ドンヒョン
教授は「行動障害児童の場合、落ち着きのない子供だと思ってほうっておく場合が多い」
「こういう場合、回復が難しい段階に進むこともあるので、早期発見と治療が一番重要
だ」と言った。

ソース:国民日報(韓国語)小学生 26% 情緒・行動に問題… 20% 不安・鬱病
http://www.kmib.co.kr/html/kmview/2006/0803/092027029411131300.html

91 :農NAME:2006/08/04(金) 20:34:32
過去8年半の間、金大中(キム・デジュン)−盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の反米親北朝鮮政策の結果に対し、米国人のうち
韓国を米国の友邦国だと思う人は34%にすぎなかった一方、近くの友邦でもなく、また全く友好的ではなく敵対国と思う
人々は60%に達した。

この結果は世論調査専門機関であるハリスインタラクティブが7月5日から11日まで米国人成人1020人を相手に実施
した電話アンケート調査で明らかになった。
アンケートは「米国の近い友邦、友邦だが近くはない、非友好的ないしは敵対国と思う」という3項目のうち1つを選ぶ方法
で実施された。

イギリス、カナダ、オーストラリア、日本、イスラエル、イタリア、韓国など7カ国に対するアンケート調査で、米国の近い友
邦として74%の支持を受けたイギリスが1位、2位はカナダで64%、3位はオーストラリアで61%、4位は日本で50%、
5位はイスラエルで47%、イタリアと韓国は6位タイで34%だった。
イタリアと韓国が違う点はイタリアを敵国と思う比率が2%にすぎないのに韓国は18%が米国の敵国だと思っている点だ。
事実上、米国の友邦に対する調査で韓国は最低の数字が表れたのだ。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=78581&servcode=400§code=400


92 :農NAME:2006/08/05(土) 00:10:44
アジアの人々は、中国における南京大虐殺のように、市民の虐殺や強姦が繰り返されるとおそれたという。アジアの人々の
記憶の中の「日本人」は、凶暴・好色・憎悪・侵略者であったのだ。

93 :農NAME:2006/08/05(土) 00:18:04
http://tamachan.jugem.jp/?eid=8
朝鮮半島からは約200万ほど日本に連れてきています。強制連行以前から日本に来ていた人たちもいますから全部では
ないのですが一応200万とめいうたれているのです。台湾では死んだのが三万人ほどいます。戦闘のまきぞえ。中国は
約1000万ほどしんだと言われています。結果としてしんだ人も数に相当含まれていると思います。少なくとも日本軍が
入ってこなければ死なないで済んだ人が多かったと思います。ベトナムは200万ほど。ミャンマーで15万。
フィリピンで111万。フィリピンは激戦地になりましたから、アメリカ軍なんて砲弾うちまくりました。日本軍は村
に立てこもって最後は日本軍と村の中でやりあって、現地の人にとっては良い迷惑。連合軍の捕虜は15万人、
27%ほどが死にました。ドイツの場合の捕虜で死んだ人のわりあいは4%ほどですからいかに高い数字かわかります。


94 :農NAME:2006/08/05(土) 00:20:27
http://www8.plala.or.jp/shinpeishi/Essays/RekishiwoWasureta.htm
歴史を忘れたカナリア  
   
    −なぜ日本人は戦争を教えたくないか
 

日本人が愛唱する童謡に「歌を忘れたカナリア」というのがある。カラオケで懐メロを愛する日本人は、決して歌を
忘れることはない。日本人が忘れるのは「歴史」である。

愛国心と戦意高揚のための日本の古い歌が日本国内で歌われるぶんには問題はないが、韓国、中国、東南アジアの
酒場で、無神経にも歌われる場合がある。虐殺、暴行、強姦、略奪のあった場所で、平然と日本軍歌を歌う日本人を、
現地の人々はどう見るだろうか。歌う人が、いかに善意のビジネスマンであっても、歴史を知らないということは、
「彼の恥」である。もし彼が歴史を教えられてないとしたら、それは「国の恥」である。


95 :農NAME:2006/08/05(土) 00:24:09
  1937年の「南京虐殺」は軍慰安所を考えるときのターニングポイント。海外では、この「南京虐殺」の用語より「南京強姦」
のほうがよく使われている。それほど日本軍の規律もこの時は地に落ち、強姦も日常茶飯事。
当時、南京に留まったアメリカ人宣教師ジェームズ・マカラムは、「私はこんなひどい蛮行を見たことも
聞いたこともない。強姦、強姦、強姦の連続だ。一晩にどう少なく見積もっても1000件はあるだろうし、
日中も数多く行われている。抵抗したりすれば、・・・銃剣で刺されるか銃でうたれるかだ。
そんなケースが毎日数百とある」と日記に記しました(田中利幸「知られざる戦争犯罪」大月書店、1993)。


96 :農NAME:2006/08/05(土) 00:28:46
3.「大検証」

 次に占領後の華僑粛清の問題について少しお話したいと思います。この問題については、こう言うとシンガポールの方に
怒られるかもしれませんが、残念ながらきちんとした研究はなされていません。あまりに分からないことが多すぎるのですが、
いくつか重要な資料がイギリスに残っています。たまたまそれを見る機会がありましたので、それを基にお話したいと思います。
2月15日にイギリス軍が降伏します。その時、日本軍は戦闘部隊を市内に入れませんでした。南京での経験があったから
だろうと思いますが、戦闘部隊をそのまま市内に入れますと、略奪・強姦などさまざまな悪事をしでかすので、
第25軍は戦闘部隊を市内に入れなかったわけです。憲兵隊だけ入れて、治安の維持をさせました。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper36.htm

97 :農NAME:2006/08/05(土) 00:29:06
必死だなw

98 :農NAME:2006/08/05(土) 02:15:21
火病っちゃったみたいだね

99 :農NAME:2006/08/05(土) 20:53:09
■火病の国と上手に付き合う法
第1話、第2話、第3話、第4話からつづく・・・

日韓関係、特に人々の感情がこじれてしまっている。

   なぜ?

私は、「火病」という観点から、解き明かしてきた。もう一度、要約してみよう。

連綿とつづく韓国の抑圧の歴史が人々の鬱を生み、女性は耐えて消極的火病、
男性は爆発させて積極的火病という相反するが実は同根の精神的現象として見せてきた。

この点で注意すべきことは、抑圧システムが時代時代によって異なることである。
李朝時代での抑圧システムとは違って、現代は反日教育、とりわけ反日歴史教育というかたちで
新たな鬱を韓国人の内部で作り続けているのだ。

従って、こうしたシステムを韓国が自ら是正してくれないと、
本質的な意味で日韓問題のこじれをなくすることはできない、と思う。

   過度の依存はやめるべきであるのである(大隈重信侯の口調で)

日本の国旗を燃やして何が生まれた?
韓国老人たちが、日本の修学旅行生を土下座させ、こんこんと諭して何の効果があったのか?
歴史的事実を無視して竹島を占領して韓国領土になったのか?
文字を教えたのは我々だとえらそうに言って尊敬されたのか?
天皇を「日王」と呼び下に見て何が変わったのか?
歴史的事実を無視した教科書で国民を教育して何がよくなったか?

http://blog.nikkansports.com/general/yoshida/2006/06/post_73.html


100 :農NAME:2006/08/05(土) 23:20:25
日本の憲法9条改正・軍事化の背景にはこれを是非とも推進しなければならぬ日米両国の"産軍複合体"と呼ばれる軍需関係の巨大な勢力
の存在が明らかにされつつある。それと結託する防衛官僚と,その尖兵をつとめる官庁諸機関の暗躍が
示唆されて初めて納得できた次第だ。

101 :農NAME:2006/08/06(日) 17:35:25
従軍慰安婦を否定したい輩が多いことに驚きます。。修正主義者の妄念は尽きることがないのですね
しかし、日頃日本日本という連中が日本語を大事にしなくていいんでしょうかね。

ただ、確かに従軍慰安婦という表現はあまり適切ではありませんね。それこそ本来の意味の「従軍」のように自主的に
付いていきいつでも離脱可能といったニュアンスが入り込みかねず、脱げだせない慰安所における日夜輪姦され虐待される
という筆舌に尽くしがたい実態についても軽くしてしまう印象があります。

やはりここは本来クラマスワミ報告でも言うように、「軍事的性奴隷制」と呼ぶか、「日本軍性奴隷」、「軍隊性奴隷」の方がより
妥当でしょうね。「日本軍性奴隷問題」なんですよ。

102 :農NAME:2006/08/06(日) 20:19:08
参考資料 : 99年5月256号ハンギョレ21
韓国軍は残酷な大量虐殺を行ったため、南ベトナム民族解放戦線(NLF)さえ、
できるだけ直接的な交戦は避けようとした程だったと伝えられる.
前線もなく、敵が誰なのかもわからないベトナム戦でベトコンの根拠地を
捜索, 破壊するという作戦上の名分が老若男女を区別しない虐殺行為を正当化させた.
筆者が持っている記録は、その内容が非常におぞましく、詳細に明らかにするもので、
負担がなくはなかったが, その一部をここに紹介する。

このような捜索掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して,
韓国軍等の地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、
家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した.
生存者の韓国軍に関する証言で共通な点は, 無差別機関銃乱射, 大量殺戮,
妊産婦, 女性に対する強姦殺害, 家屋への放火などだ. 生存者の証言を土台に
韓国軍の良民虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通した類型が現れる。

-住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、
 あるいはいくつのグループにまとめて、機関銃を乱射して抹殺する。
-住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす。
-子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む。
-女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
-住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる。
韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた。
老人たちの口にはタバコが咥えられていた場合が多かった。
恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ。

http://www.altasia.org/hangyore/hangyore99256.htm

103 :農NAME:2006/08/06(日) 20:23:49
韓国人はベトナム人に感謝しなさい。そして鏡を見なさい。そして自らの民族性を恥じなさい。

今週早々、ビンジン州の村で韓国の歩兵ユニットによって遂行された申し立てられた
大虐殺に関するレポートが中央ベトナム沿岸地域で出されました。 レポートはソウル
のHankyere新聞で働いているKu Su-jeongさんによって作られました。 ベトナム共産
党政府が1966年2月に6週間の間にBinh Khe地区で韓国の軍によって大虐殺された
とされている1,004人の犠牲者の記念碑を建設したビンジンで村を訪問していたとき、
彼女は話を聞きました、現在タイSon地区と呼ばれている場所のことである。 地方公
共団体は、1日で死んだ380人の村人を含みますと彼女に言いました。

彼女の記事は1999年5月に発表されましたが、大韓民国は予想どおり、反応していま
せん。 ウェブサイト(<www.hani.co.kr>)で韓国語の彼女の記事を見つけることができました。

今週、地方自治体の3人の職員が、電話取材で1966年2月26日に韓国人が村の380人の
農民がGo Daiと呼ばれる場所で殺された領域で捜し出して撲滅している操作を行ったと
ロイターに言いました。 職員は、多くの共産党員ゲリラが死者にいたのを認めました。
他の海外ニュース代理店と同様にロイターが詳しい情報のために領域を訪問するのが
許可されませんでした。

ロイターがハノイNguyen Manh Cam外務大臣にコメントを求めたとき、Camは、彼が
苦痛な出来事を再喚起したがっていないと言いました、そして、人類と平和の精神で、彼の
政権は過去に過ぎ去ったものです。 ロイターの通信員が、彼が大虐
殺に関する公式報告を見ることができるかどうか尋ねたとき、ハノイが言ったのは、確かに
記録されていますが、ハノイ外務省の職員は彼に対して許可を否定しました

http://www.vietquoc.com/jan15-00.htm

104 :農NAME:2006/08/06(日) 20:28:32
「韓国人はこれらの大虐殺に関して知らなければなりません。」 「彼らは私たちに恥をかけました、
そして、私たちには、謝る義務があります。」と、Kuは言いました。 韓国軍兵士はベトナム一般人
の中で恐ろしい評判でした。

「彼ら(韓国人の軍)は、丘に起きていている人々を群がらせて、彼らを撃って、手榴弾を投げまし
た。」と、彼は言いました。 「いくつかの場合、彼らは死ぬまで老人をタイアップしました。」 また
、何らかのベトコンが殺されたと言い足して、「彼らは、木に子供をばらばらにして、自分達の(
手足)を投げました。」と、彼は言いました。 職員は、韓国人の軍がいくつかのボディーを既存
の長さ150-200m(500-650フィート)の堀に投げたと言いました。 生存者は後で死者の残りの
大部分を埋めました。 Go Daiで死んだ人々の名前は6週間の殺している現代の他の知られて
いる犠牲者と共に墓石に彫られました、と職員は言いました。 数は合計で1,004になりました。

「女性を、子供を、老人を」

「彼ら(韓国人の軍)は、人々を群がらせて、彼らを撃って、手榴弾を投げました。」と、彼は言
いました。 「また、彼らは死ぬまで老人を縛り上げて放置しました。」 「彼らは、木に子供をば
らばらにして、その(手足)を投げました。」と、彼は言いました。 職員は、韓国人軍がいくつかの
体を150-200mの堀に投げこんだと言いました。 生存者は後で死者の残りの大部分を埋めました。
Go Daiで死んだ人々の名前は6週間の殺している現代の他の知られている犠牲者と共に墓石に
彫られました、と職員は言いました。 数は合計で1,004になりました。

http://perso.wanadoo.fr/patrick.guenin/cantho/vnnews/korea.htm


105 :農NAME:2006/08/06(日) 23:53:09
帝国主義戦争遂行のための宗教イデオロギー供給源たる靖国にすれば、大日本帝国の戦争指導者の靖国合祀は
必然なのだが、それは同時に大日本帝国の旧指導者層内部の対立もあぶりだしてしまった。

さらには現在の日本国の指導者層内部の対立までも。どうも靖国神社の宮司たちは、ファシストとしての自覚に
欠けているようである。

「国家のために戦って死ね」というイデオロギーを供給することが、靖国の使命だ。そのためには、
「大日本帝国と日本国の差異を、ないことにする」、「いまそこにある国家・国民内部の対立や矛盾を、ないことにする」
といった印象操作の必要があるのであって、この目的からすれば小泉一派のやってきたことは明らかにマイナス
なのだが、いまさらどうしようもない。



106 :農NAME:2006/08/07(月) 00:19:58
「殺されたのは 女 や 子 供 ば か り だ。共産主義者なんかであるわけがない」と、チャウは言う。
「韓国人は 人 間 じ ゃ な い。目の前に現れたら、首を切り落としてやる」
 ベトナムで虐殺行為を犯したのは、韓国軍だけではない。アンリン郡から海岸沿いに北
へ向かえば、六十八年に米軍部隊が五百人以上の村人を虐殺したクアンガイ省ソンミ村
がある。
 それでも戦争体験をもつフーイェン省の村人の間では、米兵の評判は必ずしも悪くない。
地方公務員のファム・トゥ・サン(四十七)は六十六年のテト(旧正月)のとき、米兵と一緒に
遊んだりチューインガムやキャンディーをもらったことを今も覚えている。
 だが米軍はこの年、フーイェンから引き揚げ、代わって韓国軍がやって来た。

それから「六十七年のテトを迎えるまで、韓国軍は殺戮を続けていた」と、サンは語る。
「韓国兵に会ったら、死に出会ったも同然だった」と、今は地元の退役軍人会の会長を務
めているチャムも言う。
 アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけ女性にとって恐怖の的だった。韓国兵は
残 忍 な や り 方 で 女 性 を レ イ プ してから、殺すケースが多かったからだ。
 こうした残虐行為が明るみに出てきたことに、ベトナム政府は神経をとがらせている。
 虐殺があったこと自体は、政府首脳も承知している。だがベトナム当局は、虐殺事件の
報告書が国内で発表されることは望んでいない。友好関係にある韓国政府はもちろん、
ベトナムに莫大な投資を行っている大宇や現代、三星といった韓国財閥の不興を買うこ
とを心配しているからだ。

107 :農NAME:2006/08/07(月) 18:33:31
高松市民による戦争体験記
侵略戦争と解放戦争に参加して   橘信義

                     高松市平和を願う市民団体協議会 編 より抜粋

  私は徳島県の田舎町に生まれ昭和29年末ベトナムより引揚後、間もなく昭和34年
より高松に移り、高松を永住の地として働く傍ら、医療生協や革新的な方々と親交を頂き
79歳の今日に至っております。
 私の戦争体験は、日本軍の侵略戦争時代と敗戦後、ベトナムでの仏侵略軍との解放戦争と
二つの体験をしてまいりました。日本の天皇制軍国主義勢力が引き起こした悲惨な15年の太
平洋戦争はアジア全土の人たちに二千万人と言われる犠牲と計り知れない苦しみ、そして自国民
にも三百十数万人の多大な犠牲と各都市を焼土と化し、結果として得るものは何もなかったのです。
http://www.warp.or.jp/~judypapa/invtstay.html


108 :農NAME:2006/08/07(月) 21:51:21
▼闇に葬られた韓国軍ベトナム殺戮の真実
当時、韓国軍にあえば誰であろうと必ず殺された・・・
・命乞いする村民を井戸に突き落とし笑いながら手榴弾を投下
・子供をナタや斧で斬首
・ベトナム女性を見れば必ずレイプし殺す(頭を踏んづけ下腹部を潰す)
・僧侶を機関銃で虐殺
・妊婦を殺し、その子供をひきずり出し、踏み潰し投げ捨てる。
これらのように残虐極まるやり方で「4万人以上」も殺戮し続けた。
韓国はベトナム政府に謝罪も賠償もせず、韓国の教科書にも一行のみしか記述されていない。

ベトナム政府においては、ベトナム経済が韓国財閥に牛耳られているため 明らかに出来ないでいる。

当時のベトナムの老僧「韓国人は許せない。目の前にいたら首を切り落としてやりたい」
ttp://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/k-textbook/vietnamwar.html

109 :農NAME:2006/08/07(月) 22:25:51
【資料1】1941年12月20日大本営政府連絡会議決定の「南方占領地行政実施要領」

   第 ―  方  針  占領地ニ対シテハ差シ当リ軍政ヲ実施シ、治安ノ恢復、重要国防資源ノ急 速獲得及作戦軍ノ
自活確保ニ資ス占領地域ノ最終的帰属竝ニ将来ニ対スル処理ニ関シテハ別ニ之ヲ定ムルモノトス

   第 二  要  領  七、国防資源取得ト占領軍ノ現地自活ノ為民生ニ及ボサザルヲ得ザル重圧 ハ之ヲ忍バシメ、
宣撫上ノ要求ハ右目的ニ反セザル程度ニ止ムルモノトス 八、現住土民ニ対シテハ皇軍ニ対スル信倚観念ヲ助長
セシムル如ク指導シ、其ノ独立運動ノ如キハ過早ニ誘発セシムルコトヲ避クルモノトス

【資料】1941年12月26日決定の「占領地軍政実施ニ関スル陸海軍中央協定」

  陸軍ノ主担任区域 香港、比島、英領馬来、「スマトラ」、「ジャワ」、英領「ボルネオ」、「ビルマ」
  海軍ノ主担任区域 蘭領「ボルネオ」、「セレベス」、「モルッカ」群島、小「スンダ」列島、「ニューギニア」、「ビスマルク」諸島、「ガム」島

【資料】1941年12月12日閣議決定の「南方経済対策要綱」

  甲地域  軍政を実施する占領地(比島、英領馬来、英領ボルネオ、蘭印)  乙地域  現地政権と共同する地域(仏印、タイ)
南方資源を中央の物動計画に織りこむことを主とする

【資料4】1943年5月31日御前会議決定の「大東亞政略指導大綱」

 六、ソノ他ノ占領地域ニ対スル方策ヲ左ノ通リ定ム。但シ(ロ)(ハ)以外ハ当分発表セス。
  (イ) 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給地トシテ極力コレカ
開発並ヒニ民心把握ニ努ム。
  (ロ) 前号各地域ニオイテハ原住民ノ民度ニ応シ努メテ政治ニ参与セシム。
  (ハ) 「ニューギニア」等(イ)以外ノ地域ノ処理ニ関シテハ前二号ニ準シ追テ定ム。
  (ニ) 前記各地ニオイテハ当分軍政ヲ継続ス。


110 :農NAME:2006/08/07(月) 22:26:27
図書館で借りている「帰らなかった日本兵」長浜弘著 朝日新聞社のp30,31にこういう記述があります。
 オランダはスカルノをはじめとする民族運動家の多くに弾圧を加え、流刑に処した。スカルノは1942年にフローレス島に流刑され、
当時オランダ留学から帰ったハッタ(初代副大統領)もバンダ島に流刑されている。
 これらの高まる民族運動の中で、日本軍の侵攻はまさに救世主のように受け取られた。(略)。「アジアの光・アジアの
保護者・アジアの指導者」と宣伝してインドネシアに侵攻した日本は、大東亜共栄圏にインドネシアを組み入れようとした。
これに対し民族運動の指導者スカルノ、ハッタ等は日本軍に協力を惜しまなかった。
 しかし、日本軍がインドネシアの独立を本気で認めようとしたかどうかは前述のとおりである。日本軍のインドネシア政策は
良いことばかりばかりではなかった。元副大統領のアダム・マリクは「オランダの植民地支配は尊大で冷酷」、日本軍の
インドネシア支配を「戦慄すべき策略」といい、次のように述べている。
「いったい何千人の罪のない人たちが憲兵隊の暴虐によって、不条理に死んでいかなければならなかったのだろうか。
何千人の人たちがビルマの鉄道建設で死んでいったのだろうか。日本軍はボルネオ島バンジェルマシンにおいて全ての知識人
を突如として虐殺した。また日本人の口汚く野卑な暴言を聞いた時に、我々はいかに恐れおののいたろうか。しかし、
我々は屈辱に耐え忍ばなければならなかった。」
 たしかに日本軍のインドネシア支配にはすさまじいものがあった。コレラの人的被害は後に戦後賠償の算定基準に
もなっている。そして、独立戦争に参加した残留元日本兵にとって、このことが時として身に危険をおよぼす結果にもなった。
日本軍に父や兄を殺され、恨んでいた人達もたくさんいたのである。
以上引用終了


111 :農NAME:2006/08/07(月) 22:29:01
ちなみにその前述というのは本書のp24,25に書かれています。
 元副大統領の故アダム・マリクは回想録の中で、郷土防衛義勇軍の役割を次のように述べている。
「日本人によるインドネシア青年への軍事訓練は、青年たちを野心的でダイナミックで闘争的にした。
郷土防衛義勇軍の創設は、後のインドネシア独自の国民軍の中枢として非情に有意義なものであった。さらに我々の
指導者たちは、インドネシア社会の闘争性を急速に強めることに成功した。いたる所で行われた軍事訓練は人民にとって
蜂起のための準備になった」
 しかし、、インドネシア民族に共生同死をスローガンにして日本軍へ協力させた日本軍政の本音は、どうだったのだろうか。
1941年(昭和16年)11月の大本営・政府連絡会議によって決定された「南方占領地行政実施要綱」には、「独立運動ヲ過早ニ
誘発セシメヌヲ努メ、インドネシア将来ノ帰属ニツイテ暗示スルガ如キ言行ハ厳ニイマシメルコト」と書かれている。これを
見る限り日本軍は独立について、積極的ではない。むしろ、インドネシア民族に対する結社・集会・政治に関する言論の
禁止など、本音は独立容認とはほど遠いものであった。
 けれども兵補や郷土防衛義勇軍の教育にあたった残留元日本兵の話を聞くと「我々は独立の約束をした」と異口同音に答える。
引用終了。
日本政府の本音は昭和18年に出された「大東亞戦略指導要綱」とあわせても独立要求とは程遠く、むしろ恒久的支配を
狙ったいたかのようですが、兵補や義勇軍(ペタ)を指導する日本軍の末端レベルでは違っていたかもしれませんね。余談です。




112 :農NAME:2006/08/07(月) 22:31:42
過去反省し謝罪・保障を

東南アジアにも連行、虐殺

 日本軍国主義者は1968年、「明治維新」によって政権を握るや海外侵略に乗り出し、日本近代史の約百年間は侵略戦争史で綴られた。

 1894〜95年の日清戦争と、1904〜5年の日露戦争を通じて清国とロシアを武力で抑え、勢いを得た日本軍国主義者は
1905年、朝鮮を軍事的に占領、1931年に「9・18事変」をねつ造して満州を占領し、1941年に太平洋戦争を挑発した。

 日本帝国主義はマレーシア、シンガポール、フィリピンなど東南アジア諸国と太平洋一帯の島々を次々と奇襲、占領していった。

 太平洋の島々や南方に強制連行された朝鮮人の数を、「アジアの声」第2集(84ページ)は100万〜150万人と明らかにしている。

 日本侵略軍は中国大陸を皮切りに、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、フィリピン、太平洋上の諸島と
日本軍隊が占領した各地の戦場に、強制連行した朝鮮人青年男女を軍隊労務者や「従軍慰安婦」として連れて行き、集団的に虐殺した。

 資料によると、マーシャル諸島のマキン島で2800人、タラワ島で1600人、クァジャーレ湾で6000人、クサイで7000人、
マユエラフで800人、硫黄島で1900人、マリアナ諸島のサイパンで1200人、トラック島で4000人、クリル列島で5000人、
沖縄の慶良間島で1500人、ウルップ島で2500人、ニューギニアで2063人など、約4万人の朝鮮人青年男女が非業の死を遂げた。

強制連行された「従軍慰安婦」は、肉体的負担に耐えきれず死亡するか、日本軍によって個別的、集団的に惨殺された。

 この断片的な資料だけでも、日本帝国主義が拉致、連行した朝鮮人に対する意図的な虐殺がどの程度に至っていたかを実証している。
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj1998/sinboj98-7/sinboj980703/sinboj98070370.htm


113 :農NAME:2006/08/07(月) 22:34:26
第二次世界大戦による主要各国死者数
(「二十世紀全記録」講談社刊より)
ソ連        軍人  一千百万人   民間人  七百万人
中国        軍人  百三十一万人  民間人  一千万人以上(正確な数は不明)
ポーランド     軍人  十二万三千人  民間人  五百六十七万五千人
ユーゴスラビア   軍人  三十万五千人  民間人  百二十万人
フランス      軍人  二十一万三千人 民間人  三十五万人
イギリス      軍人  三十七万三千人 民間人  九万三千人
ドイツ       軍人  三百五十万人  民間人  七十八万人
イタリア      軍人  二十四万二千人 民間人  十五万三千人
朝鮮        軍人  二十万人
ベトナム      軍人  二百万人以上
インドネシア    二百万人
フィリピン     百五万人

アメリカ      軍人  二十九万二千人 民間人  六千人

日本        軍人  二百三十万人  民間人  八十万人
(昭和十二年七月七日以降の数。厚生労働省調べ)
http://www7a.biglobe.ne.jp/~onikkoza/tokyo.htm


114 :農NAME:2006/08/07(月) 22:35:55
碑のデザインは 満月を両の手でほんわり包んだようで、「謝罪」というよりは「許し」を感じさせる。その碑のように、
わたしが出会ったサマールの人びとはみんなやさしかったが、クリスから彼のおばあさんが日本兵に妊娠中のお腹を
斬られたと聞いて、わたしは絶句した。
 じつはわたしがサマールを訪れたのは、謝罪とも友好とも無縁な個人的理由による。昨年亡くなった夫が何度かサマールを
訪ね、とても気に入っていた。首都カルバヨグの大学で日本語教師を、という話があったときには大喜びで、単身赴任すると
いう。けっきょくそれはダメになったが、あきらめきれない様子だった。何が彼を惹きつけたのだろう? 矢も楯もたまらず
それを知りたくなった。ビリヤスさんやクリスなど彼がお世話になった人にお礼も言いたいしーー。
 わたしは東南アジアオタクを自認しているが、フィリピンははじめてだった。セブ、カオハガン、ボホールと
アイランド・ホッピングをして2月末にサマールに入ったが、まず感じたのはインドネシアに比べて男がよく働く、
カンボジアに比べて子どもが子どもとして大切にされているということだった。インドネシアでは、女は農作業や
市場でかいがいしく働いているのに、男は木陰でごろごろという印象が強い。カンボジアでは、子どもの物売り
につきまとわれて閉口する。親たちにとって、子どもは観光客から現金を引き出すための道具という感さえある。
http://kyoto-samar.hp.infoseek.co.jp/newpag6.htm


115 :農NAME:2006/08/07(月) 22:39:41
AML 1159] 問われているのは私達(日本市民)でないのか
河内謙策と申します。(このメールを重複して受け取られた方は、失礼をお許しくだ
さい。)
今朝、昨日の中国の「反日」デモについての新聞記事を読んで“やっぱり”と思い、
少しがっくりしました。
私が見たのは、朝日、読売、毎日、産経、日経の5紙です。その中で、朝日、読売、
産経が、「反日デモ」についての社説(主張)を掲げていましたが、「上海まで、の
衝撃」(朝日)、「中国は自らリスクを高めている」(読売)、「反日デモ暴徒化 
なぜ暴挙を制止しないか」(産経)と、すべて反暴力行為キャンペーンで、それだけ
に的を絞り、中国の民衆が本当に何を望んでいるか、については一顧だにしていませ
ん。あの朝日までがそうなのです。毎日、日経は、社説をかかげていませんが、論調
は同じです。いつから日本は言論統制の国になったのですか、と皮肉を言いたくなり
ます。
私の見方は、既にこのMLで書いてきたとおりです。上記のマスコミは、問われている
のは中国政府や中国民衆であるという見方ですが、私は、中国民衆の暴力行為や中国
政府の警備の無責任さは批判されるべきと思いますが、それより圧倒的に大きな問題
は、中国民衆が常任理事国入りや教科書問題等をつうじて批判している日本の政府
と、これを許している日本の市民にあると思うのです。この簡単な真理に日本のマス
コミが背を向け、日本の市民が他人事のように反日デモを見ているならば、中国の民
衆は再び怒りを強め、民衆同士の分断と対立は強まり、問題の解決は長期化し、困難
になるでしょう。
私は、2001年9月11日には、アメリカ・ボストンにいました。あの事件のあと、アメ
リカの民衆の良心的部分は“なぜ、アメリカはこんなに嫌われるのか”と自問自答し
ました。私たちも、“なぜ中国や韓国の民衆は、日本の常任理事国入りに反対するの
か、なぜ日本の教科書に抗議するのか、なぜ日本は従軍慰安婦の問題でこのように批
判されるのか、なぜ中国や韓国の民衆に日本は嫌われるのか”自問自答すべき時が来
ているように思います。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-April/001138.html


116 :農NAME:2006/08/07(月) 22:42:57
『蒋介石秘録』12 
日中全面戦争 第一章 全面戦争に突入 その12 南京大虐殺の悲劇 P69−70

全世界を震え上がらせた蛮行
 日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、
長江(揚子江)岸に整列させ、これに機銃掃射を浴びせてみな殺しにした。
 虐殺の対象は軍隊だけでなく、一般の婦女子にも及んだ。金陵女子大学内に
設置された国際難民委員会の婦女収容所にいた七千余人の婦人が大型トラックで
運び出され、暴行のあと、殺害された。
 日本軍将校二人が、百人斬り、百五十人斬りを競い合ったというニュースが、
日本の新聞に大きく報道された。
 虐殺の手段もますます残酷になった。下半身を地中に埋め、軍用犬に
襲いかからせる‘犬食の刑’、鉄カギで舌を貫いて全身をつるしあげる
‘鯉釣り’、鉄製のベッドに縛りつけ、ベッドごと炭火の中に放りこむ
‘豚焼き’―など、考えられる限りの残忍な殺人方法が実行された。
こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は2カ月に及んだ。
犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。

『蒋介石秘録』12 日中全面戦争 著者サンケイ新聞社 発行所サンケイ出版 

昭和51年6月11日〜7月31日まで2年間に渡り『産経新聞に連載された分』を収録

「正論」昭和56年12月号
蒋経国(中華民国総統、蒋介石の長男)と鹿内信隆(サンケイ新聞社長)との対談
鹿内
私はそういうことの一助にもと思いまして、サンケイ新聞で「蒋介石秘録」という
ものを二年半にわたって連載したのです。その蒋介石秘録の単行本は全十五冊に
なったのですが、これを日本の若い人々、将来の人たちのために、中華民国の
ご恩を忘れないように残しておきたいと考え、秘録を中心にして、箱根に中正堂を
つくりました。いま閣下がいわれたように、日本の若い人にそのことを残したい
と思ってやったことなんです。


117 :農NAME:2006/08/07(月) 22:45:17
[時代閉塞の現状を奈何にせむ
     秋に入りてことに斯く思ふかな(石川啄木)] 
 いつか厳寒の季節を迎えても20度を超えるような晩秋の気配が漂っている年の瀬に、今啄木の心情がピッタリと重なる
ような昨今の気配です。大逆事件↓日韓併合を経て遂にはアジア・太平洋戦争に至った戦前期日本で、
啄木の震えるようなアンテナは敏感に時代の危機を映しだしていました。あれから60有余年を経て時代感覚はもう一度
学習したはずの「政府の失敗」の途を踏み出しているかのようです。わずか1世代前の日本は、1941年12月8日に
アジア太平洋戦争に突入し、アジア人・2000万人を殺害し(最低推定)、自国民310万人を犠牲にしました。この数字の裏に
ある一人一人の取り返せ得ぬ人生の豊かさを想像すると気が遠くなるようです。私は戦時3歳にして母を失いました。
父は中国戦線に従軍し母の死を復員して初めて知りました。この膨大な犠牲の事実は消え去ることなき記憶として
通常の神経系は刻み込んでその後の世代に伝えるでしょうが、なぜまた同じような途を歩みはじめるかのような振る舞いが
跋扈し始めているのでしょうか。被害の痛みは長い記憶に残り加害の痛みは相当の努力なしには持ちこたえていくことが
難しいからでしょうか。日本の行為によってもたらされたアジア・太平洋諸国の死者数の推定は以下の通りです。各国政府公表数字から。
 日本  310万人
 中国 1000万人ー2000万人
 朝鮮   20万人以上
 ベトナム 200万人餓死
 インドネシア 200万人ー400万人
 フィリピン 100万人
 シンガポール 6万人
 マレーシア 7千人ー10万人
 ビルマ 5万人
 インド 350万人
 オーストラリア 23365人
 ニュージーランド 11625人
 バターン死の行進 7万5千人
 泰緬鉄道建設 16万2千人死亡
 香港英軍捕虜 1500人死亡
 中国人強制連行 7000人死亡
 朝鮮人強制連行 40万人
 朝鮮人従軍慰安婦拉致数 7万人ー10万人
http://ime.st/www008.upp.so-net.ne.jp/arakuni/essay/essay06.htm

118 :農NAME:2006/08/07(月) 22:53:20
http://www.commonsonline.co.jp/sasi.HTM
読者からの感想
 平易な文章で読みやすい。ポイントがつかめて、その次の興味がつぎつぎと思い浮かんでつきない。表紙もすぐに
インドネシアだと思いつくほどよく出来ていると思う。駐在員時代が思い出されます。(55歳・男・会社員)


◎書評
 表題の「サシ」とは、東インドネシアの島と海と森に暮らす人々の生活習慣で、「休ませる」とか「禁漁」という意味に
使われている。定められた区域を禁漁することによって、自分たちの住む地域の資源を守り、そして育てるための生活の知恵である。
 たとえばある島では、海の産物だけでなく、川、森、村にそれぞれのサシがあり、掟も存在する。この習慣があることによって、
豊かな自然環境が守られてきた。
 二十数年にわたり、東南アジアの人々の暮らしとエビ、ナマコ、そして日本のODA(政府開発援助)を調査、研究してきた著者が
出合ったのが、このサシだった。
 しかし、この習慣も近年、インドネシア政府や先進国の「開発」によって急速に壊されつつある。
 「開発」と「近代化」の波は、人々に豊かな自然の恵みを与え続けたマングローブ林の伐採にもつながっていく。マングローブ
から日本人の使用する「南洋備長炭」が作られ、跡地には日本人が食べるエビが養殖されている。
 そしてこの地域には、かつて日本軍による集団虐殺があった島も存在する。
 「サシ」「エビの養殖」「マングローブ」「日本軍」と、一見何の関係もなさそうなこれらは、実はどれも私たちの今の暮らしと
深く結びついている、と著者は書く。
 無数に点在する島々を小舟でまわり、村から村を自分自身の足で歩き、人々の声に丁寧に耳をかたむけ、自身の疑問
をひとつひとつ解き明かしていく過程は、読み手にも納得させてくれる手法だ。
 自然と向き合い共存して暮らしている人々と、その生活を意識することなく破壊する側にまわっている私たち日本人への
警告の書でもある。(『神奈川新聞』98年3月31日)


119 :農NAME:2006/08/07(月) 22:57:17
まず、30年戦争の講和条約として、1648年にウェストファリア条約が締結され、オランダは独立を承認されました。
それからオランダはポルトガル領を奪取し、アジアの植民地化を始めました。
 その中でインドネシアも植民地化されましたが、その支配はとても過酷なものでした。
 例えばインドネシアの320に分かれた部族語を放置し、民族を分断して支配しました。その支配も、
オランダ自らは支配の前面には出ず、混血児やキリスト教に改宗した現地人、華僑を使い間接的に支配しました。
尚、華僑は世界史上、アジア人でありながら常に白人の側につき、利益を得ていました。
 また、連合東インド会社(VOC)が設立されると、支配はいっそう厳しいものとなりました。
 ヨーロッパ向けのタバコの栽培が強制され、元来の田畑はタバコ畑になり、土地は痩せ、たちまち飢饉がおきました。
その飢饉ではドゥマック地方では33万人中12万人が死に、グロボガン地方では8万9500人中8万500人が死ぬというありさまでした。
 こうした支配が大東亜戦争で日本軍が9日間でオランダ軍を破るまで300年以上続いたのです。
 しかも、オランダはこれを隠し続け、後にオランダのリベラル派がやっとこれを公表することができました。
 確かに、日本の軍政も、強制的であったり急進的である面もありました。
 しかし、こうしたマイナスな面を差し引いたとしても、日本のたかだか数年の支配はオランダの支配より過酷だったとは思いません。
 他の皆様も指摘されていますが、もし本当に日本の支配がオランダのそれよりも過酷だったとしたら、
それを証明する客観的な資料をお願いいたします。

ムルデカ
17805
2001/03/16 東宝第1試写室

インドネシア独立戦争に加わった旧日本軍兵士たち。
作り手の独りよがりが目立つひどい映画。by K. Hattori
http://www.eiga-kawaraban.com/01/01031603.html


120 :農NAME:2006/08/07(月) 23:00:18
 マレー人は一人も死んでない、か。例の泰面鉄道建設にマレー人も駆り出されてるんだけどなぁ。何人亡くなったか
資料をもってないので詳しくは知らないのだけど。それに、中国系の抗日ゲリラだけでなく、何万人にものぼる多数の
華僑、マレー系華人を「抗日的」との理由で虐殺してるんだけどねぇ。それとも華僑はマレー人じゃないのか?
しかも例によってマレー半島でも強姦が相次いだようで、これは当時の日本の貴族院でも戦地強姦罪の
審議の中で採りあげられている。
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/antigo83.html

12・8太平洋戦争開始64年 戦後60年
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-12-08/2005120803_01_2.html
■侵略語る苦しさと願い

 「『敵憎し』でね。女性でも子どもでもやる(撃つ)」「こっち(日本軍)も殺されてる。『やれ、
やったれ』という心理状態に自然となる」

 日本軍が捕虜や非戦闘員の虐殺を繰り返した中国戦線。取材した元兵士に当時の心理状態について聞くと、
多くがそう答えました。「戦場では、それが当たり前やった」。とても言いにくそうに…。

 日本が築く「大東亜共栄圏」。日本は他国より優れていて、さからう中国人や朝鮮人は殺して当然――。
それが元兵士たちに押しつけられた価値観でした。

 戦後、その価値観は百八十度転換し、「殺さない国」になることを内外に宣言する日本国憲法が制定されました。
価値観は変わっても元兵士の記憶は消えません。「侵略」の記憶を語ることの苦しさ。「戦場の実相を語ってください」
と頼むことは、時に「あなた方の悪行を告白してください」と要求することでもありました。

 その要求にこたえようと口を開いた元兵士。戦争の実相を伝えたい。二度と同じ思いをさせたくない――。
強い願いが伝わってきました。(安川崇)


121 :農NAME:2006/08/07(月) 23:02:22
映画ムルデカを見て
http://www.melma.com/backnumber_13129_2037473/
映画ムルデカ
http://www.melma.com/backnumber_13129_2037460/

タイ辺境日記  Vol.9 <メーホーソンその1>

メーホーソンというところをご存じだろうか。日本のテレビでもずいぶん紹介されたようであるが鉄輪を入れて首を長くした
少数民族がいるところである。チェンマイから飛行機で20分、バスで8時間というミャンマーとの国境に位置する
メーホーソンはもともと目立った産業もない山あいの静かな町だった。戦時中は日本軍の進駐もあったが日本軍と
住民との関係は非常に良好で日本軍を批判する年寄りはいないとのことである(知事談)さてタイ人にも知られていなかった
このメーホーソンに20年ほど前ミャンマー側から国境を超えて難民が流入した。ミャンマー側軍隊とタイ軍との衝突の続く
中翻弄された彼らは国連難民高等弁務官の肩入れでとりあえずメーホーソン近くの谷間に居留することが認められた。
難民を巡っては3つの勢力が存在する、1つはタイ国軍、そしてミャンマー政府軍とミャンマー反政府軍である。
これまでも国境を巡ってはミャンマー政府軍が反政府軍(ゲリラ)を国境に追いつめて国境を越えたところでタイ国軍が
これを追い返すという構図が幾度となく繰り返されている。ミャンマーとの国境はほとんどが険しい山岳地帯であり陸路
で行き来できるところとしてはメーサイ、メーソートそしてメーホーソンであるがメーホーソンは公には閉ざされている。
http://thailand.web.infoseek.co.jp/henkyo1/henkyo/hgn/

122 :農NAME:2006/08/07(月) 23:09:49
韓国疾患「火病」って何だ?
日本の歴史教科書、靖国参拝、竹島問題などを
槍玉に挙げる韓国人は、激怒ポジションをとっている。

激怒はわかるが、彼らの実際に表す激怒なりきりぶりを見るとき、
それをまったく異常であると見る日本人は多い。
日本人だけでなく、他のアジア人でさえ、思わず腰が引けてしまうほどだ。

   「韓国の反日デモなどを見ていて、あれだけはやめてほしい、
   と思うのは、日本の国旗を燃やすこと。見ていて恥ずかしいですよ。
   戦争をする覚悟があってのことでないなら、逆に、日本が好きで
   甘えているとしか思えない」
    (関川夏央・諸君!2006年4月号72ページ)

抗議運動の中で、日章旗(日の丸)を焼くことが、
韓国の一般市民(右翼を含む)のひとつの定番メニューになっている。

そもそも日章旗を焼くことは、日本への侮辱行為である。
にもかかわらずそれを続ける神経って何なのだ?

人対人の関係に置き換えればよく理解できるだろう。
腹立ちまぎれに、他人の私の写真を燃やしておいて、
その後、自分の親戚一族を引き連れて、
堂堂と私の家にやってくる人を、
厚かましくない人、ずうずうしくない人と呼べる人はいるか。

社会性から見て、こうした韓国人は、
もはや社会性のまったく持ち合わせない野蛮な人間であると、
はっきり言っておいた方がよいだろう。


123 :農NAME:2006/08/07(月) 23:10:43
さらに、最近では、激怒・興奮したおばさんが、腹立ち紛れに、
およそ女性がするとは思えない、小指を切って、自身の身体を傷つけたり、
おじさんが、自分の服に火をつけて、
熱がってのたうちまわるまで、抗議運動のメニューに入っている。

路上で仰向けにひっくり返り、泡を吹きダダをこねる
巨大な赤ん坊おじさんさえ目撃されている。

これでは、ソトの人間に対する、冷静かつ理性的な交流が
ほとんどできない人たちであるとみなされても仕方がない。

小泉首相が、G7の首脳に、
韓国も仲間入りさせては、と提案したことがあったが、
各国の首脳たちは即座に「ジョークかい?」と答えたそうだ。
韓国人の韓国外での評判の悪さは、もはや常識である。

   なぜあんなに興奮するのか。
   なぜあんなに激怒して自分を、
   コントロールできないのか

率直に考えて、私には不可解であった。
この疑問を解くことはできるのか。

で、最近注目されているのが、

   韓国人の中に精神的疾患「火病」を有する人が多く、
   それが行動として表れているのである

という、病気説であるが、ここから解明できないだろうか。
解明しないと、ちょっとまずい。

124 :農NAME:2006/08/07(月) 23:11:22
映画ロウムシャ
http://www.fsinet.or.jp/~oak-wood/rohmusha/rohmusha.html
1973年のことである。インドネシアで9600万ルピア(当時約6000万円)をかけて制作された映画が、
封切直前にストップがかかった。題名はROHMUSHA、日本語の労務者のことである。朝日新聞(1973.6.28)が
伝えたのは、上映中止を命じたのはインドネシア情報省映画局である。日本との友好関係をそこなう恐れがある
というのがその理由だ。しかし、いったん検閲をとおった映画が上映を禁止されるのは、きわめて異例のことです。
関係者は日本大使館から圧力がかかったのではないかといいます。もちろん日本大使館がそれを公式に
認めたのではありませんが、クレームをつけたのは事実のようだ。
と上智大学の村井吉敬教授もいっている

映画のストーリーは、第2次世界大戦中、日本軍に米を強制徴発された村人たちが飢えに苦しんでいる。
勇敢な青年ロタは村人を救うために日本軍の米蔵を襲撃しようとするが失敗し、ロウムシャとして強制収容所に
送られる。タピオカとうすい粥だけが与えられるだけで、ムチに追われて働かされる。ロタに好意をよせる収容所長の
現地妻ナリが、ロタのために武器を持ち出したのが見つかり、死刑を言い渡される。これを知ったロウムシャたちの
怒りが爆発する・・・。

 朝日新聞の記者は、映画の説明のあとで次のように書いている。日貨排斥が起きたタイなどに比べ、インドネシア
の対日感情は悪くはないというのが大方の見方のようだ。しかし、そう単純には割り切れないことをこのケース
は示している。インドネシアの社会にもなりふりかまわぬ日本の経済進出にたいする反発と不安が
うっ積している。それが過去の記憶と結びついたとき、タイのような反日運動に発展しないという保証はどこにもない。

 ロウムシャということばは、すでにインドネシア語になっている。辞書をひくと、日本占領時代に重労働を
強いられた人々、とある。動詞としても使われるが、受動態としてしかない。インドネシア人たちはいう。
すき好んで働いたわけではないから、と。この話しには尾ひれまでついていて、日本の商社が賠償に
似た金を出したともいう、と。この朝日の記者の予言は、半年後に的中した。

125 :農NAME:2006/08/07(月) 23:12:18
なぜなら、私たちは、知らないうちに、
韓国人との付き合いを拒絶できない状況に置かれてしまっているからだ。
コミュニケーションを打ち砕く彼らの態度をきちんと理解しておかないと、
私たちの国益をそこなうことにもつながる。

在英のときに、私の大学にも韓国人の学者や学生がいた。
友人のイギリス人講師は彼らとは付き合いたくないと言っていた。

   「マサユキ、あいつらは、ウルサイ、ウルサイ、ウルサイんだ!
   もう一日、文句ばっか言っている! うんざりだ。
   だから、できるだけ近づかないようにしているんだ」

これに対して私は、

   「イギリスはいいよなあ。離れているからさ〜。
   なんたって日本は近いのよ。対馬へだてて、
   へたすりゃ、泳いで来るんだ」

と答えた。

確かに、あのような激怒の態度を露骨に見せる相手と
付き合っていくのは、精も根も尽き果てる。
しかし、やはり韓国は地勢的にも明白に近いのだ。

だとしたら、相手の心理、行動を知らねば、
近くて遠いお友達になれない。

さて、韓国特有の精神疾患といわれる「火病」である。

http://blog.nikkansports.com/general/yoshida/2006/06/post_69.html

126 :農NAME:2006/08/07(月) 23:14:43
世界にさまざまな「文化結合症候群」があるが、

   火病(ファビョン Hwa-byung)

と呼ばれる精神疾患も、そのうちの一つで、
朝鮮文化圏に発症しやすいと言われている。

DSM-IV(the Diagnostic and Statistical Manual, Fourth Edition)にも
リストアップされている疾患だ。

1997年アメリカ精神分析協会で、火病関連のシンポジウムを開いた
クリストファ・チュング博士は、

   「怒りを抑えることを日常的に続けることにより、
   強いストレスを感じ、それがやがて身体的障害を起こすまでに
   至る疾患である」

と定義するけど、
文化の縛りを受けたシンドロームであるかどうかは、
まだ定説はないそうだ。

「火病」という用語は、中国の明時代の医師・張介賓が使ったもので、
朝鮮には李朝時代に伝わったとされる。

火病の「火」は、陰陽五行思想の五行のひとつのエレメント・
木火土金水(もくかどごんすい)に由来し、
身体の中で、「火」のエレメントが過剰になると、
この五つのバランスが崩れ、身体異常が起きるというわけだ。

かなり納得できる説明といえる。

127 :農NAME:2006/08/08(火) 18:44:37
為政者というものは、ときとして詭弁を弄し、おのれの矛盾を人々の目から覆い隠す。

「麻薬」、「武器」、「賭博」などは、為政者が詭弁を弄して利用し続けている「裏経済」の主役である。世界平和を叫ぶ
一方で「武器」を生産・輸出し、乱用の危険を喧伝する一方で「麻薬」を戦略物資として利用し、公序良俗を説く
一方で「賭博」を開帳し財源としている。

為政者の狡猾な歴史は枚挙に暇がない。例えば「麻薬」。英国による中国での阿片戦争。日本軍による
アジア阿片戦略。そして、インドシナ紛争、アフガン内戦、南米各地の紛争などでは、アメリカが「麻薬」を謀略に利用している。

いまタイ・ビルマ国境で起きている軍事衝突には、この「裏経済」の利権争いの側面が大きい。ニュースでは、
反政府グループの民主化闘争あるいは被抑圧民族による民族自決権をめぐっての戦い、ビルマ軍政とタイ軍の反目、
そして麻薬組織壊滅のための軍事行動と説明される国境の軍事衝突に、この「裏経済」の視点は欠かせない。
そしてそこでは、為政者による様々な「詭弁」が罷り通っている。
http://newsasia.hp.infoseek.co.jp/video-story-drug-war-web.htm
チェントゥンの出口で検問所。運転手は車を降りて、事務所にコピーを提出しに行く。通りがかったトラックに乗った
インド系の商人の男は、顔見知りらしい係官と挨拶して手数料を渡していた。道路は未舗装だが、ローラーで固めた
4車線は充分とれる幅で、車が少ないから時速60キロ以上出せる。タイ国境への旧道は山頂の英国時代の拠点
ロイモイを経由していたが、新道は谷間の登り下りが少ないルートを通る。

運転手が、このルートを日本軍がやってきたと、祖母から聞いたと言い出した。日本軍がタイ軍と一緒に来て、
今の市場のあたりと病院を砲撃したと聞かされたと言う。それ以上の詳しい話は、知らないとのこと。

いずれにせよ、今日は手持ちの現金が無くなったのでタイに向かうが、次回は陸路で楽にアクセスできるとわかった。
数年前に訪れた人の話では、旧道しかなく雨季は通れない劣悪な道で、5〜6時間かかるとの情報だった。
http://ime.st/www.mekong.ne.jp/ippanreport/morihiroyuki/8.htm



128 :農NAME:2006/08/08(火) 18:45:45
・2・3面/
  特集:チェンマイに来た旧日本軍を語る!
  ◎お爺ちゃん・お婆ちゃんが語る
    チェンマイに来た旧日本軍
  ◎第二次世界大戦時のムーンサーン寺
http://www.chaocnx.jp/archives/29887002.html
ミャンマーは日本の1.8倍の面積があり、人口4,300万あまりの多民族国家です。インドシナ半島で仏教を国教とする
独立王国でしたが、19世紀に3度に亘る英国との戦いの結果、1886年にその植民地になりました。しかし1948年
に完全に独立を果たしました。

日本に対しては日露戦争の勝利以来非常に好意的で、現在でも日本、特に戦前の日本に学ぶところが
多いとの考えがあるようです。

今時大戦では終戦まで日本軍は同国内で英連邦軍と交戦し、住民に多大の迷惑をかけました。抗日の
動きもありましたが、無常感が浸透しているためか、日本が敗れても決して手のひらを返すようなことはなく、
熱病で死にかけた敗残日本兵を保護して看病したり、捕虜収容所でこっそり食物を施してくれた人達が多かったようです。
助けられた元日本兵と助けたビルマの村長の娘が伊豆で偶然再会し、現在その娘が元日本兵の助力で伊豆で
民宿をやっているというケースもあります。

同国で暮らしてきた人の感想では、ミャンマーの人は穏和、従順な心を持っていて、外国人に対して乱暴な言葉
や失礼な行動はとらず、相手をたて自らを控えめに振る舞うそうです。日本人の謙虚の心に似ていると言います。
日本人から失われつつある相手への奉仕、人情の厚さを感じさせる人達だといいます。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/miyairi/tayori2-02.html



129 :農NAME:2006/08/08(火) 18:46:46
激高老人のページ
─ ムカついたりキレたりしているのは若者だけではない! 社会の圧力は均等に働いている。かく言う拙者もまた ─

作田啓一INDEX
http://homepage3.nifty.com/BC/CI9.htm
真の愛国者

> ++ 麻生炭鉱と強制労働
> 麻生太賀吉の経営した麻生炭鉱(麻生鉱業?麻生セメント)は戦前、
> 最も悪名高い酷使で知られる九州最大の徴用労働者炭鉱であった。
> 1932年には朝鮮人労働者の争議がおきている。
> (林えいだい『清算されない昭和』岩波書店 ISBN 4000098365)
> 関連するドキュメンタリー映画に『もうひとつの日本の近代・現代史6 九州麻生炭鉱の朝鮮人労働者』(青丘文化ホール)がある。


麻生炭鉱跡〜夏(序章)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/5323/asou1.html

日本政府の大罪 遺骨は語る〈4〉 福岡・日向墓地
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/i??-2005/05/0505j0531-00001.htm



130 :農NAME:2006/08/08(火) 18:47:57
老女は自分の体験を話しつづけた。
「多くの女性がアブカイ(バタアン半島内の町)で日本兵にレイプされたりしたんだよ。だから私たちは顔に
炭を塗ってあたかもマラリアであるかのように装った。日本兵に連れて行かれないためにね。
 またある時期、私は家族とともに山の中に隠れたこともあったよ。そのおかげで収容所には入らないで済んだの。
でも家族で山中からアブカイの町に降りていったときに、町で父が日本兵に捕まった。それでそのまま行方不明に
なってしまった。その後私たちは他のフィリピン人から、父が殺されたということを聞いたの。
それが私の覚えている戦争体験だよ」

そう彼女は語り、最後にこう付け加えた。

「……でも日本兵がみんなそんな風に悪かったというわけではない。レイプなどをした日本兵は上官に罰を
与えられていたようだ。悪いことをしていたのは一部の日本兵だけだと思っているよ」

 確かに「死の行進」というのも、アメリカ軍の宣伝が功を奏してかなり誇張して伝わったという可能性が高いし、
日本軍の中に優しい人が多かったというのは、他の戦争体験者たちも口にしていたことなのだ。

 戦争を知らずに戦後を生きるぼくとしては、何が本当なのかについて簡単に判断をできる立場にはない。日本軍
が残虐だったかどうかということも、決して一括りにして結論を出せるようなことではないだろう。同じ場所にいた
体験者の言葉にしても、直接接触した日本兵の違いで、戦争に対する印象が全く違ったりもしているようなのだ。
http://www.fluidlab.naoe.t.u-tokyo.ac.jp/heritage/ykondo/daily/daily48.html


131 :農NAME:2006/08/08(火) 18:49:07
〈内容と成果〉
 (略)。五月二十日は記者会見と実務者会議、歓迎レセプション、二十一日は
開会式と全体会、二十二日は午前に分科会(@日本軍「慰安婦」、A遺骨・調査〈軍人・軍属〉、B強制連行・強制労働、
C教科書問題)、午後に全体会議と閉会式、夜は送別晩餐会があり、最終日の二十三日に南北交流会がありました。 
在韓被爆者の郭貴勲さんも「韓国人原爆被害者の惨状と援護法裁判の勝利」と題して、発表をしました。
国際連帯協議会の模様はは韓国のメディアが大きく報道しました。 国際連帯協議会の議論の内容は、出された
「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会ソウル大会声明文」に表明されています。
 「一九○四年朝鮮侵略のための日露戦争、一九○五年乙巳保護条約の強制と朝鮮侵略、一九三七年中国侵略、
一九四一年アジア太平洋戦争へと続いた日本のアジア侵略は、アジアの民衆に大きな傷を与えた。日露戦争から
一○○年が経った今日までも、日本は自らの侵略行為を反省するどころか、むしろ美化しており、国家としての
謝罪や賠償を回避している。
 日本が侵略行為に対する反省を拒否している間に、青春を奪われ生涯を苦痛の中で生きてきた被害者たちは、
いまや高齢となり死を目前にしている。不幸な事に、被害者たちが亡くなるのを望んでいるかのような
日本政府の期待が実現しつつある。(略)いま、国際連帯協議会は、被害者たちが生存しているうちに、
早急に過去の清算を実現するべく、再びソウルに集まった。本日、国際連帯会議は、敗戦から六○年が
経過するまで日本帝国主義の侵略行為に対する過去の清算を果たさずにいる日本政府の誤った態度と立場を明らかにし、
日本政府に謝罪と賠償をさせるための具体的な実践について議論した。(略)」
 以下、声明文では、具体的な今後の取り組みを第一から第七まで挙げています。第一は、国際司法裁判所などの
国際機関を通じた活動など、第二は、強制連行の被害調査を進展させること、第三は、海外の被害者の遺骨調査、
収拾など、第四は、日本の右傾化に対する反対活動、第五は、歴史を歪曲する日本の極右勢力との闘争、
第六は、日朝国交正常化における日本側の過去への反省と謝罪の明白な表明への闘いなどです。
http://www.campus.ne.jp/~jcpd/kaihou/No_39/039_07.html

132 :農NAME:2006/08/08(火) 18:50:28
順調に伸びていた ゴム農園も 1929年の世界恐慌で打撃をうけます。
また、後に 日本軍侵攻によっても 打撃を 受けました。
第25軍率いる山下奉文司令官が 1,941年、マレー半島に上陸。
イギリスの 東洋艦隊・極東空軍を 撃破して、
ついに、マラヤは 1,945年9月12日まで日本軍政下に 置かれます。
ちなみに、降伏文書調印が 行われたのが、ゴムと 縁のある?
『フォード自動車工場』で、シンガポールのブキティマです。
山下・パーシバル両司令官よって 例のエピソード
「イエスか ノーか」と迫った お話です。
1,941年12月8日の 真珠湾攻撃後、
わずか 2ヶ月足らずで北ボルネオも日本軍に 占領されます。
(1,945年10月まで)日本軍は 『大東亜共栄圏構想』を 推進する結果、
マレーには 混乱と 無秩序が やってきました。
さらに、ゴム生産と スズ鉱業は開店休業状態になってしまいました。
ゴムの木は 切り倒され、でんぷんを 採取する為に、
タピオカが 植えられました。
北ボルネオでも ゴムの輸出が ストップし、
ゴムの輸出でタイから 米を 買う事も叶わなくなりました。
しかし、日本の敗戦後、再び イギリスは 捲土重来とばかりに
ゴムに 力をいれます。
北ボルネオでは 1,947年に1万5,000トン
輸出できるまで 復活しました。
http://www.aichi-iic.or.jp/co/mitokugomu/gomu05.htm




133 :農NAME:2006/08/08(火) 18:51:40
わたしの同世代にはいまも、あれは「侵略ではなく解放戦争だった」という思想がつよい。旧制中学卒業など学歴がある人に
戦争賛美がめだちます。昭和15(1940)年ころ徴兵され、1941年に太平洋戦争がはじまったときは安全なところに派遣され、
すぐに帰ってきた連中は、侵略戦争とみとめようとしない。
  また敗戦後10年くらいは、村の集まりなどで酒が入ると略奪、強姦、慰安婦などが自慢話として語られていた。ところが、
その後ぴたっと、そういう自慢話は出なくなった。戦争犯罪を裏づけるような話はしない、というふうになったのではないかとおもいます。
  六十年安保の前後から、その反勲で、国辱的な歴史を封じようとなったのか。虐殺などの事実を封じて、
戦争犯罪的なことを口にしない、戦争に行ったこと、そこで体験したことを口にしなくなった。証言をした人は、
責められて全部言わざるをえなくなった。
  日本軍の加害がひどかったシンガボールなどでは「原爆をおとされてあたりまえ」などと言われるが、
被害と加害は、その両方を言わなければいかんとおもいます。
http://www.geocities.jp/haguma27/hiromi/sensoutaiken1/page02top.htm



134 :農NAME:2006/08/08(火) 18:55:13
戦争責任の問題をみるなら、戦中は「上官の命令は、ことの如何をとわず天皇の命令と思って従え」とひっばってきた。
だから敗戦のとき天皇が真っ先に責任をとるだろうとおもった。それがいつのまにか後景におしやられ、
戦犯処理にすりかわってしまい軍部だけに責任をおわせることになった。これがいちばんの禍根だとおもう。
  戦後処理では軍人、軍属だけが補償され、空襲の被害者や、とりわけ原爆破害者に何の補償もない。
もっと深刻なのは、中国、朝鮮、東南アジアの住民の被害です。十五、六歳の女の子をこき使い、
使い棄てにした、十万はくだらない数の従軍慰安婦に補償らしい補償をせず、村山内閣のとき謝罪はしたが
補償自体は国民の募金でとなった。こういうたいへんな問題をを残したまま、一方ではアメリカが言うがままの
政治をするということが続いている。聞いただけでも3000人の中国人が実験材料にされた七三一部隊の資料も、
全部アメリカに渡ったまま、石井中将も無罪放免になった。中国にはたいへんな数の毒ガス兵器が
埋められたまま、いまも犠牲者をだしている、こういうことに口では申し訳ないというだけで、なんら補償をしようとしない。
http://www.geocities.jp/haguma27/hiromi/sensoutaiken1/page02top.htm

135 :農NAME:2006/08/08(火) 18:56:59
吉見義明氏の『従軍慰安婦』(岩波新書 一九九五年)によると、一九二〇年代末期中国国民政府は公娼制度の廃止に
取り組んでいたので、日本も体面上協力し、貸座敷は廃止したが、料理店酌婦制度という抜け道を作っていた。
モラルの面でも日本はすでに負けていたのだ。一九三二年海軍が第一次上海事変を起こすが、将兵用に数カ所の
慰安所を創設している。陸軍も兵士の強姦事件が起こったので、海軍にならって創設している。「兵が女捜しに方々を
うろつき、いかがわしき話を聞くこと多し」と岡部直三郎上海派遣軍高級参謀の日記にあるという。慰安所の設置は
上海派遣軍参謀副長岡村寧次に指示によるが、岡村らはシベリア出兵の際の日本兵の強姦事件の多発、性病の
流行を念頭に置いていたのではないかと推定されている。強姦した女性を日本兵は証拠隠滅のため殺害するのである。
どうやら日本兵の常軌を逸した暴行と性病の流行を防止することが狙いであったようだ。

一九三三年には満州でも設置されている。慰安婦は軍隊とともに移動した集団で、「娘子軍」と
呼ばれていた。この段階ではまだ日本人女性のみである。

慰安所の大量設置は、一九三七年の南京大虐殺が契機となっている。この時期から中国人女性が
強制的にかり集められはじめた。こうして日本軍が占領した地域に慰安所を設けるのが普通になった
のである。もちろんこれは業者の任意行為ではなく、軍の命令によるもので、軍そのものが設置に深く
かかわっている資料が多数発見されている。
http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/minaosu20.htm


136 :農NAME:2006/08/08(火) 18:58:27
http://homepage3.nifty.com/fujikawa/007O.html
 ところが、《(金達寿の『朴達の裁判』という本には)びっくりした。あの本には、韓国で警察につかまって、
簡単に転向の宣言をして、それで出てきたらまた活動をやってということを、何度でもくりかえす朝鮮人が出てくる。
ああいうタイプは、日本の知識人にはないものだったんだ。(中略)つまり、彼は『転向』三巻に対する一種の批判として、
あれを書いているんだよ。別の転向のかたちがあり得る、転向が小刻みになることによって、大きなサイクルでみると
非転向になっていくという、別のサイクルがあるということだね。体を固くして、純粋さを貫けばいいってものじゃないということだ。》

 徴兵され、ジャカルタの海軍武官府の軍属として勤務。「敵が読むのと同じ新聞」すなわち正確な情報を書くよう
命じられる。一方で慰安所の開設に奔走。《兵士の行く慰安所、下士官の行く慰安所、士官の行く慰安所、
それからもっと上の将官クラスの慰安所。》士官クラブの設営にたずさわる。ハーフ・キャストというオランダ人
と現地人の混血女性の娼婦もいたが、大半は地元のしろうと女性。慰安婦にアゴで使われる。《とにかく
「人を殺す仕事よりはましだ」と思ってやっていました。》このテーマでは「女性に対する視線が冷たい」と、
上野の追及が厳しい。それに対し、渡米後1951年まで13年間女性との交渉を断っていた、
《禁欲ってのはねえ、女性に対する態度を冷たくさせるんです。》と弁解。


137 :農NAME:2006/08/08(火) 18:59:55
3)川田文子
慰安所の本格的拡大は、南京での強姦E人の多発とその対策が直接の引き金になったものであり、
慰安所問題の解明には中国における女性に対する性暴力の実態を知ることが不可欠であるとの観点から、
被害の側から見た性暴力の特徴を論じた。性暴力には、
(1)家族が殺され家が焼かれるという中での強姦、
(2)拘束して継続的に輪姦する形(自然発生的な慰安所)、
(3)軍の上層の命令による慰安所、
(4)将校や古参兵が独占して囲う形、
(5)両親、身寄りを無くし体を売る他に生きていく術がなくなる場合
などほとんどあらゆる形態があった。これらのすべてが日本軍の侵略によって発生した性暴力、犯罪であり、
対象となった女性は被害者である。慰安婦には日本人は2円、朝鮮人1.5円、中国人1円というふうに階層があり、
これは軍隊社会の階級差別とも対応していた(朝鮮人は下級兵には回ってこない)。これらの特徴は、
インドネシアなど植民地他や占領地においても共通し、必ず現地の女性が現地妻や性奴隷にされており、
戦後日本軍協力者として迫害されるなどの被害が多発した。歴史改竄派は何故逃げなかったかというが、
武力による恐怖を植え付ける、両親家族を殺すぞという威嚇、ベトナム、シンガポール等の遠隔地に
連行するといった事情が逃げることを不可能にしていた。このように、交戦地、占領地、植民地を問わず
日本軍はあらゆる種類の性暴力を振るったが、ごく一部が明らかにされただけで全体像の解明は遅れている。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/symp98.html



138 :農NAME:2006/08/08(火) 19:03:41
http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal14/react787.html
もはや黙っているべきではない
なぜ私は、「憂慮する朝鮮人・アピール」への賛同を呼びかけるのか
         徐京植(ソ・キョンシク)・作家
 最初に聞くに耐えない言棄を書き写すことから、この文章を始めなければならない。まったく胸のわるくなるような
言葉だが、私たちには耳新しいものではない。それどころか、これと同じようなひそひそ話や床屋談義は、今まても、
学校、職場、地域 …日本社会のあらゆる場所で隠かれてきたし、いやでも私たちの耳に入ってきていた。しかし、
今回のものは、もはやひそひそ話ではないのだ。
 慰安婦のことなら私はこの欄に一、二度書いている。戦後五十年のうち、四十なん年だまっていてにわかに騒ぎだしたのは
首相や大臣が侵略云々と謝罪したのがきっかけで、謝罪するなら補償せよと言いだしたのである。/これよりさき
『どうしてそんなに謝るの』と私は聞いてみたが頷かないものはない。教科書問題は一言で尽きる。日本の悪日を
書いた教科書を日本の中学生に与えるわけにばいかぬと一蹴すればいいのである。今ごろ騒ぎだしたのは『金ほしさ』の
ためだといえばこれも誰もうなずく。
 引用したのは山本夏彦が『週間新潮』(96年12月19日号)に書いたコラムの一節である。同じ頁に「新しい歴史教科書を
つくる会」の発足記者会見(12月2日)の模様を伝える写真が大きく載っている。山本夏彦は発起人席の右端に座っている。
その隣は「自由主義史研究会」の藤岡信勝、中央は西尾幹二、見慣れぬ人物二人を置いて左端は漫画家の小林よしのり、
である。もと「慰安婦」(本来なら日本軍「性奴隷」と呼ぶべきである)だったと名乗り出ている女性の数は規在、
韓国で二八四人、朝鮮民主主義人民共和国で約二六○人、在日朝鮮人の一人、ほかに中国、フィリピン、
マレーシア、インドネシアなどを併せて、合計二万三千人近くにのぼるという(「戦後補償実現市民基金」による〉。




139 :農NAME:2006/08/08(火) 19:06:12
背景情報

「慰安婦」という用語は、フィリピン、タイ、ベトナム、マレーシア、中国、韓国、朝鮮民主主義人民共和国、
日本、インドネシア、オランダ、その他の日本が占領した国や地域の出身者で、第二次世界大戦の戦前戦中に
日本軍により性奴隷を強いられていた若い女性たちを婉曲的に指す言葉である。

日本の当局が、戦争遂行にあたって基地としたあらゆる場所に「慰安所」が設置され、そこで人権侵害が行なわれた。
女性たちは、誘拐されたりだまされたりしてこうした場所に連れてこられることもあったし、貧窮した両親に売られてきた女性もいた。

制度化された強かんというものがどういうものかについての幅広い認識があるにもかかわらず、第二次世界大戦後、
日本の戦争犯罪を裁くために設置された極東軍事裁判では「慰安婦」問題は無視された。わずかに、インドネシアで
おこなわれたオランダ軍事裁判において、オランダ人女性に対する性奴隷行為についてのみ起訴がなされた。
インドネシア人女性に対しておこなわれた同じような犯罪行為は裁かれなかった。

屈辱を味わされた「慰安婦」生き残りの被害者は、数十年にわたり沈黙してきたが、この制度への関与を
日本政府が否定し続けていることに対し、1990年初めに、声を挙げるようになった。被害者女性は
心に深い傷を負い、大半は結婚をせず、繰り返し強かんされて身体的に傷つき、あるいは
性感染症に罹患したために子どもを持つことが出来なかった。

http://www.bluemooninc.biz/~aij/modules/news/article.php?storyid=68
アムネスティ

140 :農NAME:2006/08/08(火) 19:07:35
彼はなぜ死刑に処せられたのか?」疑問を持った著者は、遺族の住む台湾、裁判が行なわれたシンガポールと
イギリス本国、それに現地の島を訪ねる真相究明の旅に出た。そしてこの書が著わされた。

 日本軍による虐殺事件は、島民をスパイとして摘発することからはじまった。容疑はロケットの打ち上げとランプ
を使って上空のイギリス軍機に信号を送っていたというのであった。しかし、ロケットを見たものは誰もいなかったし、
ランプの明かりが上空
4000メートルから見えるとも思えなかった。それでも、次々と自白によりスパイは摘発され、尋問中の死者3名、
自殺者1名を出し、81名の銃殺刑が行われた。

 日本軍の被告たちは、手順を踏んだ裁判の結果だったと主張したが、拷問はなかったのか、拷問は命令で
行なわれたのか、責任はだれが負うべきか、そもそも「スパイ事件」はあったのかが、シンガポールBC級戦犯裁判で問われた。

 尋問する役目を担わされていた台湾人安田は、島民にスパイであることを自白させるために、一貫して拷問を働いた
とされた。そうであるにしても、たかが一介の通訳、死刑になったわずか5人の軍人と同格の処罰とは重すぎは
しないだろうか
http://www.fukushi-hiroba.com/art/book/wakata/20020315.html


141 :農NAME:2006/08/08(火) 19:09:46
北マルクハルマヘラ圏
スパイスアイランドでテルナテ、テイドレの小島がチェンケがあるだけで外界と交渉を持てたのに、
隣接するハルマヘラ(ジャイロロ)はスラウエシを真似たKの字の大きい島(18000平方`)なのにいまだに沈黙している。
テルナテ王は今はうらぶれてジャカルタに住んでいるが、島のガラマラ火山が噴火する時は夢枕にたつそうだし、安置された
王冠マコタの飾り毛は伸びるから毎年整える必要がある。ことほど左様に此処はスパイスシップが来てもマッカーサーの反抗
の拠点となって日本軍との最初の激戦地モロタイ島(多くの残骸が放置されている)、つい最近の宗教抗争での大量殺戮があっても
基本的には面妖な噺が闊歩する別世界なのだ。
島の東側の奥深い湾岸カオには常世の国への入り口があって、トベオに至る村々は異界との接点を司るモロ族で知られている。
沖のTuputupuにはこびとの精霊が現れるのを物好きなフランス人が住み込みで待っている。
戦時中6万人もの日本軍が駐屯しリトルトキョーと呼ばれた。ガレラに滑走路を建設した(現在地方空港)時、あまりの重労働
で犠牲が多く村長は山の民Wangoniraに助けを求めた。 黒魔術は効を奏し一夜で一個小隊が忽然と消えてしまい売春婦と
子供だけが残った。沖の沈船と赤錆びた高射砲と塹壕は何の役にもたっていないが、司令部があった村は今だにカタナとか
クスリと呼ばれて混血児達は成人して地域社会に貢献している。
キリスト布教が激しく対岸のWasileの大きなジャワ移住村やToguti山間先住民にまで及ぶが、ワンゴニラはTukuruと同じ先住民は
まだ60家族ほどがいるといい、村人には見える'反対側の世界'は宣教師達には見えない。
白く乾いた道で車が急停車する。けげんに思うと運転手は「あんたはガイジンだから見えないだろうけど、行列が横切っているから」
と事もなげに言うのだ。

タニンバル
旧日本軍の残虐行為があった島だとゆう。
オランダ・アンボン人守備隊長Julis Taijaは上陸する百人の日本軍を迎撃して殲滅させた。
本隊(千人)が上陸するや徹底的な掃討戦を展開して報復、多くの'スパイ'の首を切り 女を徴用し、滑走路や道路や学校を建設し、
生徒は木の銃を自作し手縫いの軍服を縫った。
http://www.geocities.jp/ps7tihr/rink19.htm


142 :農NAME:2006/08/08(火) 22:42:37
彼女は次のような話をしました。

「最近の日本の動きに怖いものを感じる。アジアの人にとっても命綱となっている
平和憲法さえも変えられようとしている。『愛国心』は自分にとって、イコール『日の丸・君が代』につながる。
それが強制されてきている。
戦後、天皇が戦争責任を免れ、A級戦犯だった岸(信介)もその後首相になり、
1960年には日米安保を改訂した。小泉もそうだし今度首相になるかもしれない
安部(晋三)だって、そのような流れの中の人だ。彼らが言う『愛国心』は戦前のそれと変わらないものだ。
日本は戦後真の民主主義国家として歩んできたか。アメリカの属国ではないか。
沖縄問題、イラクへの派兵、米軍再編問題での費用負担などを見ればよく分かる。
世界で唯一原爆を使われた国は日本だ。しかもアメリカは必要も無いのに使用した。
実験したかったのだ。その証拠に、アメリカは戦後被爆者たちを実験材料にして、
その効果を検証していった。
それなのに、今の日本政府の動きを見ると、アジアと敵対し、米軍と自衛隊が一緒になって
アジアに戦争を仕掛けてくるのではないかと思う。
関東大震災の時には、民間人が多数の朝鮮人を殴り殺すようなことをやった。
しかも、行政が捕まえた朝鮮人たちを払い下げて。いままた、北朝鮮のミサイルで恐怖が煽られている。
朝鮮人に嫌がらせが起きている。あちこちでひどいことが起きている。
警察に言っても守ってくれない事態もすでに起きている。
日本にいる朝鮮人たちは怖いものを感じている。
靖国問題も中国や韓国からの批判を逆に排外的にとらえ、『愛国心』に利用しようとしている。
『愛国心』については、アジアの人々の視点からとらえ直すべきです。どれだけ、
今の日本はゆがんで醜いものになっているか。是非考えてみてください。」



143 :火病の生化学:2006/08/08(火) 23:14:11
このスレには火病患者がいるようなので、火病について生化学的に語ってみよう。
ここは「農学部の生化学」スレだからな。

まずは火病と韓国の歴史についての解説


■韓国人ヌン自己中ニダ!

精神科医ら(韓国系および中国系アメリカ人、韓国人)の説明によって、
韓国人に多くみられるという「文化結合症候群」の「火病」は、李朝時代から延々と続く、
韓国人の極度の精神的ストレスが心身症を起こす精神疾患の一つであることは分かった。
このストレス蓄積だが、時代によって異なることに注意したい。

李朝の時代、国民は支配階級から奴隷あつかいされた。
これは日本とはまったく関係なく、自国の責任。
李朝支配階級さえ、中国に隷属していたので、ストレスは積もっていただろう。
武人統治ではなく、文人統治だから、しょうがない。

▼逃れられないストレス
日朝併合の時代は、朝鮮民族は二級市民扱いをされた。
地政学的に要(かなめ)になった半島だから、ロシアと中国をにらみ、政治レベルでは、
日本は正当化できる。
この辺り、今の政治的認識や価値観(たとえば人権)などを持ち出して、
歴史を修正してもしょうがない。


   歴史的事実には、謙虚にありたい

144 :火病の生化学:2006/08/08(火) 23:16:02
>>143の続き

終戦、敗戦、解放・・・呼び方は、歴史認識をする人の観点で変わる。
パルチザン的愛国ゲリラは散発的な抗日をしていたかも知れないが、北朝鮮がいうほどの
働きも効果もなかったと、私は理解している。
金王朝の手柄話といった神話を作るのは勝手だが、史実をゆがめたり、メイクアップしたり、
このあたりの神話と現実の間で歴史認識にうとい韓国人も多く、自分の力で日本を放逐
できなかった、解放を自らの手で成し遂げられなかったという、非力感が、今に至るも
残っているのだろう。
それが精神的にずっとストレスとなってきている。

また、客観的に歴史を見ると、

   日本の朝鮮への植民地政策が韓国に利益を残した

という理解は、絶対に正しい、と思う。
しかし、支配された側から見ると、

   胸糞が悪いし、絶対に認めたくない

韓国人のこの心根を理解すると、付き合いのアプローチがわかってくると思う。で・・・
戦後の反共軍事政権では、東西冷戦の狭間で、基本的人権などを無視され、
国家の利益を優先された。

潜在的に、韓国人の旧支配階層と国民の間にさえ根強い不信感があり、たがいの心を桎梏
(足かせ手かせ)させてきた。
韓国にしてみれば、無理やり自分の国を一枚岩にしないといけなかったわけだ。
つまり、縛られた国家ゆえに矛盾や大変なひずみが生まれ、これによる国民的ストレスは、
膨大に蓄積されてきたのではないか。


145 :火病の生化学:2006/08/08(火) 23:18:07
>>144の続き

▼言ったもの勝ち・やったもの勝ち
「漢江の奇跡」と呼ばれた韓国の経済的発展も、韓国人にとって、
新たなストレス製造機だと言えよう。

階級闘争をベースにした、過激な労使紛争だけではない。
あまり韓国人は言いたがらないし、認めたがらないが、日本からの有形無形の援助があった。
また日本が市場として、かなり長い目、あるいは好意的な姿勢を示したからだ。

学問の世界はどうか?
たとえば、日韓の歴史を欧米人相手に英語で論文を書くとする。
一次資料は別として、韓国人が書いた参考文献はほとんど使われていない。

   無視されている

その理由は、事実にイデオロギーの装飾をされているか、事実をゆがめて解釈しているか、
「書くべきことをあえて書かない」ということである。
文化的テーマを書く場合も、韓国を論じるときには、韓国人学者の資料は使うのに用心
しなければならない。
韓国映画の権威という学者がイギリスにいるが、彼女の本は、資料としては価値が低いし、
興味もいだかせない。

理由は二点ある。
韓国の映画の歴史に、日本が与えた記述がないこと。
映画制作における、パクリの実態がなんら記述されていないこと。
学者でさえ、歴史や事実に謙虚な姿勢を示さないのだから、一般の韓国人は推して知るべしである。

今、韓国もネット社会だが、これもまた彼らをして、欲求不満を鬱積される過程にいることになる。
どういうことかと言うと、反日教育によって、事実よりもイデオロギーで武装された歴史認識が、
厳しい事実提示の前に、崩れることになるからだ。

146 :火病の生化学:2006/08/08(火) 23:21:04
>>145の続き

細かく見ていくと、韓国人がルール違反的なことをひそかに行い、なし崩し的に既成事実化
していることに気づく。
韓国人の言動を見ると、

   言ってしまったら勝ち
   やってしまったらこっちのもん
   言いさえしたら、事実でなくても、事実に

しかし、日韓の交流が増えると、韓国が劣勢になるのは明らかだ。
そうなると、韓国側は議論にならなくしたり、逃げたり、とぼけたり、だましたりするようになる。
こういう行動では、通常の神経をもっていたら、自己嫌悪や劣等感に陥り、鬱々とした気持が
溜まるのは明らかだろう。

▼ここまで嫌われちゃっているのね、日本って

この記事(http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=75837&servcode=200§code=200)
によると、韓国人が好きな国家のトップは、米国だそうだ。 ※
好感度は50%を越えている。北朝鮮は、家族力で、30%。日本は6.8%。

   日本円も嫌いなのかな〜

結局、拉致し、偽札を世界にばらまくあの国の方が、日本よりもはるかに好きな国なのである。
社会がまともな基準で基本的に動いているのが、世界の有り方であるならば、
それに反することをしている人が、そのまともな基準に触れる社会になって行けば、当然のように、
極度なストレスを感じるのは当り前だ。

こんな風に簡単に、李朝時代から延々とつづく韓国人のストレスの歴史を見てくると、
近年ますます彼らが、精神的ストレスをため、それにがんじがらめになっているといえよう。

※転載者注:このデータは古い。今や米国も嫌われている。逆に言えば、韓国も米国にかなり嫌われているのだ!

147 :火病の生化学:2006/08/08(火) 23:24:54
>>146の続き

私の仮説はこうだ。
韓国では、反日教育を続けてきたことで、その教育の内容(つまり歴史認識)や教育の影響が、
冷静な世界の目にさらされ、国民は自己矛盾を感じ、「消費型火病」「積極的火病」を発病させる
ことになったのではないか。

平たく言うと、

   韓国人は、今までごまかした分、
   自分の中で、生きていく、語っていくことを
   うまく消化できないでいる

だから、道路の上に大の字になって、駄々っ子のように叫び、指を切り落とし、
体を炎で焼こうとするのである。

   まさに、自分の感情をコントロールできない、
   自己中的ふるまいだ

こうしたフラストレーションをためた人が多い韓国人と私たち日本人はどのように付き合えばよいのだろうか?
四つのアプローチがあると思う。

http://blog.nikkansports.com/general/yoshida/2006/06/post_72.html


さて、「四つのアプローチ」を転載する前に、まずは火病とはどういう症状を示すのか、
実際に火病患者の行動を観察してみよう!
     ↓

148 :農NAME:2006/08/09(水) 19:24:51
神社は天皇を賛美する施設です!
神社は日本全国に8000社あるといわれている。
神社の目的は天応に対する忠誠心を体現する場所であり、日本中いたるところに存在している。
神社に参拝することはかつては日本人としての勤めであり、義務でもあった。
日本の暦にはあらかじめ神社に参拝する日が決められている。
1月1日元旦には神社に初詣するしきたりが日本では根強く残っている。
これは新年始めに天皇に忠誠心を示すために暦に組み込まれたものである。
日本の子供行事である七五三も子供のころより天皇に対する忠誠心を植えつけるために考え出された行事である。
このように神社は日本の生活習慣の中に深く溶け込んでおり、天皇の永遠なる君臨を目的に暦と神社が一体と
なって日本人の精神文化に組み込まれたものである。
日本に神社が存在する限り天皇家は安泰であり、永遠に日本の神として君臨し続けるであろう。




149 :農NAME:2006/08/09(水) 19:30:08
日本はかつて、悪いことをしたから原爆落とされた。
日本はとても悪い国でした
植民地支配と侵略戦争によりアジアの多くの人々の命を奪いました。
こんな悪い国に罰として米国は原子爆弾を落としたのです。
悪いことをするとバチがあたりますよ
日本人には2面性があります。
表面の顔は善人です。
しかし裏の顔は極悪人です。
日本人はある日突然悪者に変身します。
そして残酷極まりない行為で多くの無垢の民衆をを虐殺しました。老若男女問わずに
さらに日本人は悪いことをしても反省することはありません。
反省しないから進歩がないのです。
ですからいつまで経っても近隣諸国から許されません。
悪いことをしたら謝罪しなさい。
そして相手を傷つけたら賠償しなさい。
この人間としての基本的なモラルが欠如してる国が日本だ!!!

150 :火病の生化学:2006/08/09(水) 23:39:26
>>147の続き

あれ?火病くん、今日は元気ないみたいですね。
どうしちゃったんですか?
燃料投下が足りなかったかな?

何れにせよ、火病くんの言うことは支離滅裂、
>>143-147の解説の通り、日本に対する強烈なコンプレックスでストレスがたまり、
自分の感情をコントロールできず暴走状態になっている様が窺えます。

まさに火病の症状ですね。

さて、今回は火病の原因について、少し生化学的な考察をしてみたいと思います。
スレタイに少し近づいた議論をしてみましょう。

火病の原因として、韓国人の生活に欠かせない、あの物質が大きく関わっている
のではないか?という説を紹介します。

151 :火病の生化学:2006/08/09(水) 23:46:54
>>150の続き

何故「火病」は朝鮮民族だけに起こるのか?
>>143-147でも、朝鮮民族の歴史に起因するストレスを原因とする説を
紹介しましたが、これは定説のようで、以下のHPにも述べられています。

http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/genjyo06.htm

また、このHPでは、もうひとつの原因として、キムチなどで朝鮮民族が
大量に摂取している唐辛子に含まれる「カプサイシン」を取り上げています。

以下転載

また、韓国人の生活にもその要因がある。
唐辛子が朝鮮に持ち込まれたのは、戦国時代の日本経由など様々な説があるが、
まず今から400〜500年ほど前と考えて良いだろう。
ご存じの通り唐辛子は辛味成分「カプサイシン」を有している。
最近になってこの「カプサイシン」がどのように脳に影響を及ぼしているかが解明されて
いる。
カプサイシンの受容体のVR1が、カプサイシンの代わりに43℃以上の熱や酸性度の
上昇でも活性化されて熱さや痛みの刺激を脳に伝える働きをしていることがわかった
とのである。
つまり「カプサイシン」も多量に取ると、脳に対して痛み=ストレスを伝える役目がある
ことが分かったのである。
韓国人の唐辛子摂取量は日本人とは比較にならず、一人当たりの摂取量もアジアで
はタイなどに次いで上位である。

もちろん、唐辛子だけではなく、それまでの民族としての精神的疾患など複合要因が
重なることによって、「火病」という精神病は朝鮮民族だけに限定される病気として蔓延
したのである。


152 :火病の生化学:2006/08/09(水) 23:53:37
>>151の続き

少しは生化学のスレらしくなってきましたねw

韓国人が大量かつ慢性的に摂取しているカプサイシンにより、
脳にストレスがたまっているのでは?という説でした。
ひょっとしたら、脳細胞の破壊が促進され、韓国人の脳は萎縮
しているのかもしれませんね。

さて、先のHPでは、さらに生物学的な考察をしています。

以下転載


【「火病」を患う韓国人】

「火病」の症状だけ見ると、極めて攻撃的心理を誘発していると我々日本人は考える。
しかしながら、私は一面的面で判断するのではなく、「火病」の別の側面も考慮する必要があるのではないかと考える。
韓国人が「火病」を発症し、上にあるような症状を起こすのは一種の「生物的防御」ではないかと考えるのだ。
例えば、人間を含めて動物の赤ちゃんが可愛らしい姿をしている理由をご存じだろうか?
大まかに三頭身から四頭身の間で、頭が身体に比例して大きい容姿は全ての動物の母性本能に訴えかける要素があるそうだ。
要するに、赤ちゃんは自分を守ることが出来ない代わりに「可愛い姿」を見せることで相手の敵愾心をそらすのだという。
話が少しずれたが、韓国人達の「火病」もこの「生物的防御」の一種ではないだろうか?そういうことである。
喚き散らし、理性を失い、絶叫の果てに気絶する韓国人。
それは攻撃的心理もあるが、自分を守ろうとする防護壁として精神錯乱状態を誘発している。
重度の「火病」を患った韓国人を我々日本人が見れば、まず攻撃をしようとは思わないだろう。
恐怖もあるが、可哀想だという気持ちも我々日本人にはわき起こるのである。
それこそが、「火病」の防御的心理の結果ではないだろうか。
また、この「火病」の症状は非常に幼児の癇癪と似ている部分がある。
これは韓国人の精神的状態が成熟していないためであるが、重要なキーポイントとなる。

我々日本人は精神的に成熟されない韓国人を相手にするとき、「火病」を起こす韓国人は幼児と同様の心理状態であることを念頭に置いて接するべきなのである。

153 :火病の生化学:2006/08/10(木) 00:00:30
>>152の続き

「幼児の癇癪」と同様の「生物的防御」だという説を紹介しました。

このスレの火病くんを見ても、まさに「幼児の癇癪」ですからねw
精神的状態が成熟していないことが、よくわかりますね。

彼のコピペを見ると、確かに怒りや恐怖よりも「可哀想」という気持ちがわき起こりますね。


それでは次回は、火病の原因について、さらに生化学的見地からの考察を
してみたいと思います。

それまでは火病くんの症状観察をどうぞ↓


154 :農NAME:2006/08/10(木) 22:23:22
インドネシア元従軍慰安婦の証言をきく
大谷猛夫

 昨年12月8日を中心に東京周辺の3会場でインドネシアの元従軍慰安婦の証言を聞く集会がとりくまれました。
日本の軍隊がインドネシアでも女性の人権をじゅうりんし、紛れもない侵略したという事実を直接の体験者から
うかがうというとりくみでした。(略)
 日本の若者がシンガポールに観光に行き、日本軍の犠牲者の慰霊碑の前を素通りし、50年以上前にここで何があったか
を知らないでいる、ということが伝えられています。日本の戦後の教育の問題だと思います。日本は侵略戦争を反省し、
この事実を次の世代に伝えてこそ平和な国際社会に生きていく権利があります。
 日本の政府は侵略戦争であったということもはっきり認めないし、個人的な被害にあった人たちにその償いをすることを
も拒んでいます。子供たちの教科書には、アジアへの侵略の事実はちょっぴりしか書かれていません。日本・朝鮮に
関わっては少し事実が書かれるようになってきてはいます(もちろん不十分です。しかし、東南アジアについてはほとんど
教科書からは抹殺されているといってもいいくらいです。これでは子供たちは学校では学習しないし、知らなくても当然と
いうことです。知らないのは「伝えない大人が悪い」(インドネシアの元従軍慰安婦の方の発言)ということです。
 そこで、私たちは93年にはフィリピンの元従軍慰安婦を、94年にはマレーシアの戦争犠牲者の家族の方を招いて証言を
聞く集会を首都圏でとりくんできました。それぞれのとりくみは独立していて、毎年あらためて実行委員会を組織しています。
95年はインドネシアに焦点をあてようということで、日本軍のインドネシアでの蛮行を学習してきました。日本軍の兵隊の
補佐をするということで雇われた「ヘイホ」の問題、日本軍に徴用され、ジャングルの中で働かされた「ロームシャ」の
問題、そして「従軍慰安婦」の問題などあります。これらの問題に共通しているのは日本軍の銃でおどしての
徴用と戦後の放置の問題です。未払い賃金や謝罪の問題が全く手つかずになっています。「ヘイホ」「ロームシャ」
「ジューグンイアンフ」はそのままインドネシア語になっています。
http://www.ashir.net/siis/koron/shohgen.html

155 :農NAME:2006/08/10(木) 22:25:18
いつの間にか、住んでいる連中に知り合いも多くなってしまった。シーカットに乗っている客引きのガイドたち。
シュノーケリングの時、ビーチをまわるのにチャーターするバンカーの船長。オープンバーで司会進行している陽気な
エンターテイナー。唯一おいしいものを食わしてくれるレストランのオーナーであるスイス人。
 いつも山刀をさげている山岳民族のじいちゃんも、その1人だった。子供の頃、日本軍に家族を殺された。僕に戦争の
話をしてくれる数少ないフィリピン人だ。でも、日本人への恨みは、露ほども感じられない。国家と個人が違うことに
気づいているのだろう。
 戦争責任というのは、国家のせいにしたり、他人のせいにするものではない。まして、時代環境のせいにするものでもない。
1人1人が反省するものである。戦争に行った世代は、ほとんどの者が「当時は、ああするしかしょうがなかったのだ」と
自分の責任を回避している。この体質は、そのまま現在まで引き継がれているようだ。住専や薬害エイズ問題を見れば明かだろう。
関係者は他人のせいにするばかりで、自分を犠牲者だといいはって平気である。歴史の教訓は、まったくいかされていない。
戦後50年の時、若い世代のために戦争とは何かをふりかえる記事を書いた雑誌があった。日本の侵略行為を批判しながらも、
フィリピンでは反撃に出た合衆国軍が無差別爆撃を行って、多くの民間人が犠牲になった事実をあげた。合衆国だって
悪いくせに、勝てば官軍なのだと。こういう記事を読むと、僕は日本のマスコミは最低だと実感せざるおえない。
合衆国がやったことは、合衆国が反省するればよい。ほとんど高校で煙草を吸っているところを見つかったら、
何とかちゃんも吸ってましたよと仲間をタレ込んで、それで自分の罪が軽くなると思い込んでいるような姿勢は、
もっとも恥べき行為である。これこそまさに責任回避なのだ、ということがわかっていない。
 山刀のじいちゃんとも、もし僕が戦争の事実を「そんなの知るかよ」といった態度をとったら、友達になれなかっただろう。
http://homepage2.nifty.com/asipara/mindro.htm


156 :農NAME:2006/08/10(木) 22:27:16
http://yorozu.indosite.org/bbs/messages21/8073.html
Periplus Edition, Kal Muller著 Malukuによると、アンボンには海軍がいて、戦争末期には食料の調達が不足し、
当然日本軍の食料を優先したために、アンボンの住民が何万人か餓死したことがかかれています。恨まれるとすれば
その結果かもしれません。
また、私はハルマヘラ島で50のオッサンにJepang harus bayarと言われたことがあります。それは、Kaoに
海軍基地があり、インドネシア人を殺したこともあったようです。おっさんは父から何度も聞かされたと言っていました。
私も、Jepang sudah bayar banyakとは言っておきましたが。またKaoでも、海軍のためにインドネシア人が何人か飢え死にしたそうです。
カリマンタンのPontianakのMandorでは、何千人か何万人かの虐殺があったことは事実で、何年か前に当時の渡辺大使も
現地を訪れたときに献花しています。Pontianakでは、現地の役人のお兄さんに、戦後は知識階級がみんな殺されたために、
よその島からきた、人間がPontianakの行政を行っていた。最近になって、わしみたいな人間が育ってきたから、
行政もPontianakの人間でできるようになったと、教えられました。といっても、全然うらみを言っているわけではないと
本人も言っていました。インドネシア人も日本人と一緒ですぐに忘れてしまうようで。
パダンでは年輩の運転手のおっさんが日本軍の軍人が楽しく遊んでくれたと懐かしそうでした。
一般的に、みんな戦後の世代だし、日本とアメリカはインドネシア人にとっては、あこがれの先進国人で、今まで、それほど、
不快な思いは、したことがありません。


157 :農NAME:2006/08/10(木) 22:28:14
産経新聞元ジャカルタ支局長 加藤 裕 先生においでいただきました。

(略)

インドネシアに限らず経済・国家形成的に途上の国というのはやはりいろいろと問題をはらんでいるようです。
インドネシアの教科書も、日本軍についての間違った記述が多いそうで、裏付けのない「虐殺事件」が掲載されたり
もしているそうです。例えばブキティンギンの「日本の穴」。(教科書にはありませんが)これは日本軍が司令部を置いていた
当時つくった防空壕なんですが、ここで三千人ものローム者が殺された、という看板が立てられていました。ところが
実際そんなことはなくて、現地が「観光の客寄せ」に設置していたものなんだそうで。
これは、加藤氏らがインドネシア側に検証を提案し、後に撤去されました。アジアにはこういった「日本軍跡地」
「幽霊出没地帯」という「名所」があちこちにあるんだとか。(日本にも空襲で死んだ人が出る場所とかあるなあ)しかし
それらは日本に残る資料・生き証人にあたって検証すれば殆どが根拠がないんですね。
ところが、日本からアジア各地を回る学者というのは、優しいというか素直というか馬鹿というか、現地にあるものを
無検証に信じてしまう。実際に日本で聞き取り調査も学者たちはするんですが、現地を信じて当の生き証人の証言は
無視されてしまう。これでは真実は見えません。「あの連中は、オレたちの死ぬのを待っているのだろう。 死ねば手放しで
ウソッパチを書き出すに違いない」
こう考え、発言する従軍経験者の多いことは悲劇です。こういった捏造をしていらぬ反日感情を他国にばらまく
張本人が日本人。弁護士・高木氏(従軍慰安婦問題)、倉沢愛子教授(インドネシアでの旧日本軍の犯罪の「権威」)、
後藤乾一教授(やはりアジアでの旧日本軍の犯罪糾弾学者)。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/9729/event2.htm

158 :農NAME:2006/08/10(木) 22:29:26
朝鮮半島における植民地支配下の創始改名については、

 宮田節子他『創始改名』明石書店

などを参照のこと。
植民地支配の下での朝鮮民族が、なぜ日本人名をなのったのか、
それが現代の在日朝鮮人たちの通名使用にどのように繋がってくるのか
よく学習すること。

「過去に目を閉ざす者は、未来に対しても盲目になる」。
一度、日本の朝鮮半島の植民地支配の実態について、各種文献を精読することを勧めたい。



台湾独立派による植民地主義的言説の生産とその構造

――ポスト植民地主義の中の植民地主義――
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/member/norihu/taiwangensetsu.htm

159 :農NAME:2006/08/10(木) 22:32:49
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Movements/yasukuni051007.htm
大阪高裁の判決は、以上のような大きな意義を持った判決でした。このような判決が出るにあたっては、
なんといっても台湾原住民の原告らの果たした役割は大きかったというべきです。
 判決文の中でも、台湾と靖国神社の関係が詳細に述べられています。


 靖國神社は、日清戦争の戦没者1万3619名及び台湾討伐における戦没者1130名を合祀した。また、台湾に
おいて戦没した北白川宮能久親王は後に台北に設置された台湾神社に祀られ、現在では被控訴人靖國神社に祀られている。(p.73-74)

 日本は明治28年5月、台湾に総督府を置いて軍政を開始し、以後台湾住民、特に山岳地帯に住むタイヤル族等の
先住民族(原住民とも呼ばれる。以下「原住民」という。)の支配に力を入れ、原住民を統治するための政策(理蕃政策)として、
一方では慰撫する政策をとりつつ、武力による包囲討伐を継続して行なったため、処刑もしくは殺害された原住民を含む
台湾住民は多数にのぼった。(p.74)

 台湾原住民の原告の方々が、裁判所の前で持っていた写真のパネルは、まさにこうした植民地政策に抵抗したために
処刑された人の姿でした。
 そして、台湾住民「討伐」の中で戦死した日本軍人、警察官が靖国神社に祀られるのとあわせて、「高砂義勇隊」として
戦争に駆り出されて戦死した台湾原住民もまた靖国神社に祀られました。台湾から軍人・軍属として20万7183人が
徴兵・徴用され、そのうち3万0304人が死亡し、2万8000名余が今もなお靖国神社の祭神として祀られています。そして、
合祀を取りやめてほしいという遺族の訴えに靖国神社は全く耳を傾けようとしません。こうした靖国神社への
首相の参拝はどういう意味を持つのでしょうか。筆頭原告の高金素梅(チワス・アリ)さんの主張が、判決文の中で
次のように記載されています。




160 :農NAME:2006/08/10(木) 22:34:19
台湾原住民族抵抗と「二代滅族」の歴史

私は誰?

高金素梅(チワスアリ)は祖母の顔に彫られた美しい「入れ墨」を見ながら育った。

なぜ母親が死ぬ間際、自分の遺灰を故郷の梅園部落に葬ってほしいと私に託したのか?

偶然、友人の家である一枚の写真に出会った。台湾を侵略した日本兵が、タイヤル族の抗日勇士の頭を切り落とす
その写真を見たとき、彼女は全身に鳥肌が立ち、熱い涙が流れた。この時、初めて自分が何者かを悟った。私はタイヤル族のチワスアリ。

チワスアリ (高金素梅);台湾初めての女性原住民族立法院委員(国会議員)・大阪台湾靖国訴訟原告団長 

 1885年に日本軍は台湾を侵略し、台湾に対する植民統治を始めた。

 1896年に台湾総督府は「蕃地=無主地=国有地」の法令(日令26号)を布告して、台湾の原住民族が数千年来生活を維持
してきた領域(土地)を強制的に没収しました。台湾の原住民からみれば、先祖から伝わった領土を異族に無理矢理に奪われたのです。

 1910年から日本軍は、武力を集中して大規模に原住民族を攻撃し始めました。日本軍の攻め込んだ至るところで、
原住民の戦士が皆殺しにされ、財産を全部奪われ、部落を全部焼き払われました。そして、幸いに災難から生き残った
婦女や子供達も山林に追い込まれ、滅亡への道を歩まされたのです。

 1910年6月21日に日本総督の佐久間が、日本軍が苦戦に陥っている消息を聞いて、台湾総督府宛に電報を出したが、
その電文に「小泉少将を宜蘭方面の軍隊指揮官に命じる。若し糧食欠乏の報告があれば、蕃人の肉で飢えをしのげ」
という命令を出しています。これを見てもわかるように、日本軍がいかに残虐な手段をとって台湾原住民を殺害したかが、はっきりします。
http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/siten20.html


161 :農NAME:2006/08/10(木) 23:05:05
http://www.kitakyu-u.ac.jp/economy/mm/mm24.htm
 戦前の日本の軍隊が兵士や将校の性のはけ口として慰安婦をともなっていたこと、多くの場合食料など物資は現地調達が
方針であり、そのために、侵攻する先々で食料の略奪を行い、抵抗する農民を殺していったこと、略奪対象は女性にまで及び、
強姦が日常茶飯事であったこと、などは研究者なら常識になっています。日本軍による蛮行の中で、とりわけ残虐であったのは
南京で起きた虐殺事件でした。日本軍兵士の証言を次に挙げておきましょう。「行く先々でな、豚や鶏を徴発して、その肉を飯ごうに
詰めておった。食料なんかは来んかったさかい、みんな現地調達しよった。行軍中は全部現地調達ですわ。(強姦は)
そこら中でやっとった。つきものじゃ。そこら中で女担いどるのや、女を強姦しとるのを見たで。婆さんも見境なしじゃ。強姦して殺すんじゃ。
もう無茶苦茶じゃ。
 陥落して二日ばかりたったころじゃ。下関あたりに徴発に出たときじゃ。民家のあるとこに米や食べ物を徴発したんじゃ。
そんな時に女も徴発するんじゃ。家の長持ちの蓋を開けると中に若い嫁さんが隠れとったんじゃ。纏足で
速く逃げられんで、そいつを捕まえて、その場で服を脱がして強姦したんじゃ。ズボン一つでパンツみたいな物は
穿いておらんで、すぐにできた。やった後、「やめたれ」て言うたんやけどな、銃で胸を撃って殺した。暗黙のうちの了解やな。
後で憲兵隊が来て、ばれると罪になるから殺したんじゃ。それを知っとるさかい、やった後、殺すんじゃ。」「当時は支那語を
三つほど覚えていたらいいんです。一つはクーニャン(娘)、二つめはテンホ(きれい)、三つめはカンカン(見せろ)で
一番手っ取り早い支那語で支那人の女に「クーニャンテンホカンカンディ」といって銃剣つきだしたら終わりです。
女を好きにできましたな。」
(略)
(松岡環『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねてー元兵士102人の証言』社会評論社)

162 :火病の生化学:2006/08/10(木) 23:08:17
>>153の続き

火病くん、元気を取り戻したようですねw
きっと昨日は大好きなキムチを食べなかったのかな?

>>151で、朝鮮人が恒常的に摂取しているカプサイシンを火病の原因物質とする説を
紹介しましたが、今回はこのカプサイシンが脳に与える影響をもう少し詳しく見ていこう
と思います。

さあ、生化学の時間ですw
火病くんもこのスレにいるからには、少しは生化学の勉強をしなさい。

163 :火病の生化学:2006/08/10(木) 23:16:05
>>162の続き

キムチでエンドルフィン?!

http://www.koinja.com/bbs/view.php?id=fooddb&no=32
キムチの効能 2 - 熟成・栄養価値・坑癌效果・辛さ
     (中略)
外国人には苦痛の辛い味を韓国人はどうして好むのでしょうか。韓国人は一般的に甘すぎたり
油っこい食べ物を嫌う傾向があるため、甘い物や脂っこい物を食べた場合消化が悪いと感じます。
辛くてぴりぴりする辛い味の物を食べた時はさっぱりとした感じを受けます。従って、消化に悪い
油っこい物を食べた時にはさっぱりしたキムチを求めるのであります。
   (中略)
科学的な根拠があることでもあります。実際に唐辛子に入っている成分の一つであるカプサイシン
(capsicine)は代謝作用を活発にし
   (中略)
キムチが抗癌效果を持っているということはもう明かされた事実であります。
キムチの主材料として利用されている白菜などの野菜は大膓癌を予防し、キムチの材料として
欠かせられないニンニクは胃癌を予防します。
   (中略)
唐辛子の辛い成分であるカプサイシンはエンドルフィンを含めたホルモン類似物質の分泌を促進し、
肺の表面に付着しているニコチンをとり除く働きをします。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835396&tid=2pib9q2h5dfbaq0q0w2qa1a1kdcit&sid=1835396&mid=1025



164 :火病の生化学:2006/08/10(木) 23:31:11
>>163の続き

先の転載で注目すべきはこの部分です。

>唐辛子の辛い成分であるカプサイシンはエンドルフィンを含めたホルモン類似物質の分泌を促進し

さて、火病くんに問題です。
エンドルフィンとは何でしょう?

火病くん以外の農学部の学生なら、当然わかりますよね?
ウジウジと自分が生まれてもいない過去のことばかりに拘るより、もっとほかのことに目を向けなさい。
これではいつまでも火病は直りませんよ。

火病くんの脳内で何が起きているのか、農学部の皆さんにはもうお分かりですね。
キムチをはじめとする唐辛子入り食品を大量に摂取している火病くんの血液中には、常に一定濃度以上の
カプサイシンが含まれています。このカプサイシンが脳−血液関門を突破し、脳内に入ると、オピオイドペプチド
つまり脳内麻薬物質の一つであるエンドルフィンの分泌が促進され、火病くんの脳内はエンドルフィンでいっぱいに
なります。

つまり、火病くんは脳内麻薬でラリってるのです。

この無意味なコピペの大量投下は、まさに脳内麻薬で逝かれた脳味噌のなせる業ですね。


では、次回の生化学の時間まで、脳内麻薬中毒患者の観察をお楽しみください↓

165 :農NAME:2006/08/11(金) 23:46:24
 この9月、小泉純一郎が自民党総裁を辞める。任期満了だそうだ。彼が就任
してから5年と半年くらい、碌な事がなかった。純一郎は、「国民保護」とは名
ばかりの、民衆の管理・統制の為の有事法案を成立させた。カネの為に嘘八百を
並べ立てた上に、平気で人殺しを扇動する米大統領たちの尻馬に乗ってイラクに
自衛隊を送り込んだ。社会保険料は段階的に値上げされてしまい、厚生年金と共
済年金の加入者は、医療費を3割も負担しなきゃならなくなった。碌に医者にも
かかれやしない。反戦ビラを撒いたら捕まって、反戦落書きしたら捕まって。と
うとうアメリカの世界戦略のために沖縄・辺野古の海は売り渡されようとしてい
る。ほかにも数え上げたらきりが無い。そして気付いたら、自己責任、自己管理
の大合唱だ。出来ない奴は負け組だ。テレビでは健康の自己管理を謳う大手薬局
チェーン店のコマーシャルで「あなたに出来ない訳がない」と猿がわめく。出来
ない人だっているんだよ!


166 :農NAME:2006/08/11(金) 23:47:34
 純一郎には野望があった。8月15日のヤスクニ「参拝」だ。このくにが戦争で
敗けた日に、「国のために」戦争で死んだ人たちを、好むと好まざるとに関わら
ず一緒くたに「偉いですね」と褒め称え、神と崇める場所で「戦争をしてはなら
ない」と祈るそうだ。反戦結構、大いに結構。ただし死んだ人は死んだ人。死ん
だ人たちと、関わりあった個人々々はいるだろう。悼んで偲ぶこともあるだろ
う。そういうことはそれぞれで、思い思いの場所でやればよろしい。ただしヤス
クニ以外の場所で。なにも「一国の宰相」が、役人だのマスコミだのをぞろぞろ
引き連れて「国のために亡くなった」人たちを神と崇める場所に行くことはな
い。全く迷惑な話だ!
 首相になった2001年、純一郎は8月15日に「参拝」しようとして失敗した。迷
惑がる人がいっぱいいたせいだ。それでも毎年々々、手を替え品を替え日を替え
て「参拝」を続けている。そして今年、いよいよ任期満了だ。「出来ない」もの
達を足げにし、このかんの戦争の片棒を担いできた純一郎が、最期の一花を咲か
せようと、野望を達成しようと狙ってきている。許せるか?許せない。私たちは
いい加減コケにされてきた。許せる訳がない!その意思表示の場として、8月12
日、私たちは集会を持つことにした。みんな、集まろう!そして声を挙げよう!
「小泉の靖国参拝を許すな!」

167 :農NAME:2006/08/12(土) 18:51:18
から独立当時の日本軍の介入に関しての意見を聞いた。彼ははじめに正周先生に対して「歴史の証人の話を信じる(笑)」
とした上で次のように語った。
 「3年だったから占領であり、それ以上長かったら植民地化だった。当時全てのアジアの解放を謳って日本は入ってきた
から人々は感激して迎えた。そして日本は「軍事教育」と「独立訓練」を施した。日本は訓練を含めて過酷な「刺激」を
与えた。しかしインドネシアとしては陸軍の圧制より海軍の協力の方がありがたかった。
 インドネシアはアジア独立国東京会議に呼ばれなかった。バンコク会議でやっと呼ばれた。
 戦後オランダと連合軍が入ってきた。それに対してインドネシアは激しく抵抗したから独立できた。これに関して、
結局軍事訓練を施してくれた日本のおかげです。その後も戦後賠償で協力してもらった。援助、協力を受けたものとしてお礼を言います。」

 正周先生は、「実際に会っているインドネシア人は日本となんらかの関係を持っているし、利益を引き出そうとしている。
だからこちらがわざと間違ったことを言っても年長だからかわからないがそのまま従う。彼はその中でも
こちらの都合の悪いことでもちゃんと意見を言える人だ。」と評した。まだ40ぐらいだが
将来を担う人物になるのだろうか。
http://2.suk2.tok2.com/user/yajimakeisuke/?c=015


168 :農NAME:2006/08/12(土) 18:52:17
3. 原住民の生活
 わたくしはこん度の台湾旅行までは、原住民は「高砂族」という一民族だけ
だと思っていた。ここにきて、9つの原住民あわせて40万人(台湾全人口の
2%)もの人たちがいることを知った。9民族といっても、いくつかの支族も
あるらしく、この数はもっと多くなる。ほとんどが、中央山脈、海岸山脈の山
地に住んでいたのを、日本の植民地時代に無理におろし、日本同化策を強行し
たのである。
● 海端郷で暮らすブヌン族長老江石桂さん(82歳)は、流暢な日本語で以
下のようなことを語る。平地に下りてきたのは少年時代であった。財産をもっ
て下りてこいと。財産といっても粟とトウモロコシしかない。下りるとマラリ
ヤなどの病気にやられるから、いやだった。この辺で作付けせよといわれ、仕
方なく住み着いた。20年前までは焼き畑もやっていた。粟−陸稲と1年おき
につくる。今も陸稲、粟、ト−モロコシをつくっているが、金にならないので、
妻と二人で自給程度のもので、農業はやめたも同然である。山林もかなりもっ
ているが、売っても金にならない。子どもは三人いて、長女は地元で結婚して
いる。二人は町に出て就職している。家の中ではブヌン語を話す。日本語もで
きる。若い頃台東の農学校に通い日本式の農業を学んだ(原住民だけ30人)。
1975年日本に行った。今にしてみれば、山から下りてきてよかったと思う。
http://www.asahi-net.or.jp/~ud4k-ymd/icarus316.html


169 :農NAME:2006/08/12(土) 18:52:59
3. 原住民の生活
 わたくしはこん度の台湾旅行までは、原住民は「高砂族」という一民族だけ
だと思っていた。ここにきて、9つの原住民あわせて40万人(台湾全人口の
2%)もの人たちがいることを知った。9民族といっても、いくつかの支族も
あるらしく、この数はもっと多くなる。ほとんどが、中央山脈、海岸山脈の山
地に住んでいたのを、日本の植民地時代に無理におろし、日本同化策を強行し
たのである。
● 海端郷で暮らすブヌン族長老江石桂さん(82歳)は、流暢な日本語で以
下のようなことを語る。平地に下りてきたのは少年時代であった。財産をもっ
て下りてこいと。財産といっても粟とトウモロコシしかない。下りるとマラリ
ヤなどの病気にやられるから、いやだった。この辺で作付けせよといわれ、仕
方なく住み着いた。20年前までは焼き畑もやっていた。粟−陸稲と1年おき
につくる。今も陸稲、粟、ト−モロコシをつくっているが、金にならないので、
妻と二人で自給程度のもので、農業はやめたも同然である。山林もかなりもっ
ているが、売っても金にならない。子どもは三人いて、長女は地元で結婚して
いる。二人は町に出て就職している。家の中ではブヌン語を話す。日本語もで
きる。若い頃台東の農学校に通い日本式の農業を学んだ(原住民だけ30人)。
1975年日本に行った。今にしてみれば、山から下りてきてよかったと思う。
http://www.asahi-net.or.jp/~ud4k-ymd/icarus316.html


170 :農NAME:2006/08/12(土) 18:54:37
01 日本の「近代化」は中国の資金援助に依るものだ 台湾日本総合研究所所長 許 介 鱗 2004.06.22
http://www.japanresearch.org.tw/japan/history-01.htm
05 台湾高砂義勇隊は「日本人」だったのか 台湾 国立政治大学教授 傅 h貽
http://www.japanresearch.org.tw/japan/history-05.htm

06 日露戦争と台灣総督府の原住民政策 台湾 国立政治大学教授 傅 h貽
http://www.japanresearch.org.tw/japan/history-06.htm

09 戦争犯罪の歴史事実は隠せないものだ 祖靈之邦
2005.07.14

霧社事件のマヘボ戦場跡地で見つかった一発の砲弾薬莢から…
http://www.japanresearch.org.tw/japan/history-09.htm
07 行動をもって祖先の霊魂を解放しよう 祖靈之邦
2005.07.07

原住民は日本人ではないし、高砂義勇兵の犠牲者は日本の神になってはならない 
http://www.japanresearch.org.tw/japan/history-07.htm


171 :農NAME:2006/08/12(土) 18:55:53
http://ajrp.awm.gov.au/ajrp/remember.nsf/pages/NT00005102?openDocument
その中でもとりわけ中国系の捕虜たちは、日本軍が他の国々において中国人達を虐殺したという事もあって、
恐怖に怯えていた。何名かはラバウル陥落直後に処刑されたが、大規模な虐殺は起こらなかった。その代わり、
彼らはラバウルの外にある指定区域において居住する事を命じられた。男達は労務者として、その島に送られて来た
中国人戦争捕虜らと共に働く事を強要された。数え切れない程の女性や少女たちは強姦され、最悪の場合、長期に
わたって『慰安婦』として奉仕する事を強いられた。もし日本人、朝鮮人及び中国人の『慰安婦』を日本軍が送り込み
始めていなければ、状況はこれよりさらにひどいものになっていたかも知れない。
 多くの村人達は断固として親オーストラリア派であったが、新しい体制下において生き延びる事を確実なものにするため、
もしくは(時に)ライバルの部族に対する『仕返し』のため、いくつかの村は親日派に寝返った。日本軍の幸運であったのは、
オーストラリア側の行政手法について助言できる、戦前に同地に居住していた日本人が少なくとも一名、
攻撃部隊と共に到着したという事であった。日本軍はルルライ(Lululais)とトゥルトゥル(Tul Tuls)(村長達)に
委譲するというシステムを採用したが、服従を拒んだ何名かの者たちは過酷に罰せられ、時に殺害された。


172 :農NAME:2006/08/12(土) 18:56:36
http://ajrp.awm.gov.au/ajrp/remember.nsf/pages/NT00005182?openDocument
1943年、オーストラリア人とニューギニア人の将兵から成る連合軍情報局(AIB)斥候隊は、情報収集と島に
おけるオーストラリアの存在感の回復、及び撃墜された航空兵の救出任務のため、ニューブリテン島に派遣された。
現地民らは往々にして、これら斥候隊を支援した廉で報復を受けた。例えば1943年の終わりごろ、
日本軍は、AIBの斥候隊が支援を受けていたナカナイ地区(Nakanai area)での支配力を回復しようと努め、
そのために村の関係者数人を拷問して処刑し、他の事例では住民は殺害されるか殴打され、
または強姦された。オーストラリア軍は友好的な住民をゲリラとして訓練し、1944年2月から3月にかけて、
ゲリラたちはわずか二名の戦死を出す間に、二百八十六名もの日本兵を殺害した。ゲリラたちが、
日本軍に協力したラバウルの近くの村人に対する報復をしようとした事で、部族間の抗争もまた勃発した。

反戦・平和アクション
http://peaceact.jca.apc.org/


173 :農NAME:2006/08/12(土) 18:57:19
たとえば、ある日本人がアメリカのフィリピン併合を非難すると仮定しよう。
さてこのばあい、これが併合一般をにくむからなされたことであって、
自分でフィリピンを併合しようという願望からなされたものではないということを、
多くの人々が信じるかどうか? 
この日本人の併合反対「闘争」は、彼が日本による朝鮮の併合に反対して立ち上がり、
日本からの朝鮮の分離の自由を要求するばあいにのみ、誠実で政治的に公明なものと考えることができる、
ということをみとめるべきではなかろうか?
レーニン「帝国主義論」副島種典訳より

もちろんこの箇所は、日本人に呼びかけたのではない。
自国の帝国主義に正面から立ち向かわない欧州の社会主義者を非難するための例示。

その通り。
日本の大陸侵攻も
中国のチベット侵略も
アメリカのフィリピン政策も

帝国主義的な侵略行為であることは間違いない。
嘘吐きはここでやれ、大東亜だ唯物論だ自由主義だと
自分達の論理を掲げ正当化しようとする


174 :農NAME:2006/08/12(土) 18:58:10
「遊兵」という存在
「日本の近代」を念頭に大岡昇平の「レイテ戦記」を読み始めている。ニューギニア戦線20万人に対して、
フィリピンでは45万人が犠牲になっているというのだ。執筆時期が早いので、その後刊行されたいくつかの兵士の
手記と読み合わせて見るとおぼろげながら日本軍崩壊の様子が解ってくる。
一通り読んで印象的だったのは「遊兵」という存在であった。戦前の日本を通じて、指導層の姿については様々に
言われることがあるのだが、それに対する一般大衆の対抗手段が何であったかがここに伺える。レイテ島には9万
近い人員が投入され、その殆どが生還しなかった。従って最終的な崩壊の姿は断片的なものしか残されていないのだが、
そこで戦闘記録の背景として浮かび上がってくるのが「遊兵」である。レイテ島の日本軍は圧倒的な戦力の
差によって壊滅させられるのだが、その「玉砕」攻撃の前夜、組織的な死に赴く正規軍の陣地から、近くの
ジャングルのあちこちに「遊兵」が食べ物を炊事する煙の立ち登のが見渡せたというのだ。

遊兵は補給から切り離され、戦闘能力を失ってジャングルに取り残された人々、さまざまな理由によって
指揮系統から脱落した人々、あるいは自ら進んで日本軍に見切りを付けた人々であった。「玉砕」と称して
組織的な死に赴く職業軍人からすればとうてい許し難い光景なのであるが、玉砕部隊とてすでに
戦術的、戦略的に有意義な軍事行動の期間は過ぎてしまい、半ば自暴自棄の怨恨に
駆られての突撃である。「戦地では兵隊さんが命懸けで戦っているのに、」と禁酒法を作ってしまう
国と違い、指揮系統の上に行くほど酒の匂いが強かったようだ。食料の給与も実際に兵士の口に
届いたのは帳簿上の計算の「1/10だったはず、」と大岡は記している。そしてその帳簿上でも
戦線維持が不可能になると「自給自戦」という言葉が作り出され、食料は略奪によることが軍
によって正式に決められた。
http://www.geocities.com/deho1999/dh98/leyte.html

175 :農NAME:2006/08/13(日) 21:17:52
フィリピンの元「慰安婦」の女性、レメディアス・フェリアスさんが、戦争前後の体験を描いた著書「もうひとつのレイテ戦〜日本軍に
とらえられた少女の絵日記」(竹見智恵子監修、澤田公伸日本語訳、ジーン・ファロン英訳、ブカンブコン発行、1999年)の
中からスケッチ11枚を使って、彼女の人生に触れる。
(1) 参加者を5グループに分ける。グループ内で自己紹介する。
(2) フィリピン・レイテ島で、14才の時に日本軍に連れ去られ、強制的に「慰安婦」にさせられたレメディアス・フェリアスさんを紹介。
(3) 家を焼かれ、新しい家をたてる。村に日本兵がやってきた。
(4) レメディアスさんが描いたスケッチ10枚を各グループ2枚ずつ配布。
(5) ストーリーの順に、スケッチを皆に見せながら、つくったキャプションを発表。1枚ごとに、本当のキャプションを読み上げる。


レメディアス・フェリアスさんのストーリー(要約)

1. 家族の豊かで幸せな暮らし。
2. 戦争が始まり、日本軍の爆撃から逃げまどう。
3. 家を焼かれ、新しい家をたてる。村に日本兵がやってきた。
4. ゲリラ掃討が始まる。父も日本兵と闘う。
5. 日本兵につかまり、強姦される。
6. 血だらけのまま、駐屯地に連れていかれる。
7. 「慰安所」に入れられる。
8. 掃除、洗濯、強姦の日々。
9. フィリピン兵に助けられ、米軍の病院に収容される。
10. 村に戻る。父に「恥ずかしいこと」と言われる。
http://www.dear.or.jp/world/war/index_ex01.html


176 :農NAME:2006/08/13(日) 21:18:49
このお二人の話を伺って、いかに私たちの先祖たちがフィリピンの方たちに辛い思いをさせたかを目の当たりにし、
本当に心が痛んだ。人の人生を狂わせてしまう戦争、(もちろんそれは日本の戦った兵士の方たちにもいえることだけれど)
それは彼らの子ども時代、青春時代を曇らせてしまった消すことのできない事実だ。

でもジャーナリストのDさんが最後に尋ねた質問の答えで私は少しだけほっとした。
「では、今の日本人やアメリカ人もあなた達は嫌いですか?」

お二人とも
「まさか!とんでもない!あれは昔のこと。彼らは反省したし今の私たちの生活を支えてくれている
大切な人たちだ」
「現在の彼らは友好的で私たちは彼らが大好きだ」
と。
周りにいた若い世代の人たちも
「そうだよ、日本人はとっても良くしてくれるよ、みんな大好きだよ」
と、私たちに非難の目を向けるどころかとても素敵な笑顔で優しいまなざしで私たちを見つめてくれていた。
http://cecilia.exblog.jp/2192604
ホッとする話もありました。ネグロスのドゥマゲティあたりでは日本兵を根絶やしにするために米軍は
無差別に爆撃を行ったそうです。(何だかイラクの米軍みたいですね)当然、近隣のフィリピン人にも大勢負傷者が発生し、
その際残存していた日本軍の軍医はフィリピン人も分け隔てなく治療を行ったそうです。そこで終戦後も
この地域では玉砕していった日本兵の遺品を集めて「戦争記念館(という看板が確か付けてあった)」に
今でも保管しています。有難いことに地元の行政府の予算で管理してくれているそうです。記念館は山の中の
僻地に在りますが、管理人が丁寧に話を聞かせてくれます。
戦地での迷惑のかけ具合はそれぞれ異なり、一言では言えないようですね。それにしてもマクタンの高齢の女性の話、
貴重な話ですね。


177 :農NAME:2006/08/13(日) 21:19:56
http://blog.mag2.com/m/log/0000037317/75480017
ティモール島はフローレス島と比べると、はるかに道はよく、交通量も多
い。アディーさんという40過ぎの人が運転するトラックで国境まで乗せて
もらった。カタコトの日本語を話せる人だった。オイサ村という村近くの平
原を走っていると、アディーさんは太平洋戦争中のここでの戦闘を話してく
れた。

「日本軍の兵士たちは次々と、この平原にパラシュートで降下した。だけど
アメリカ軍とオーストラリア軍が待ち伏せしていてね。日本兵は次々に撃ち
殺された。ほとんど全員が死んだよ」と、アディーさんはいかにも無念だと
いわんばかりの口調だった。

 インドネシアでは、いろいろな人たちから太平洋戦争当時の話を聞いた。
だが不思議なことに、インドネシアの人たちは日本のことをあまり悪くはい
わなかった。最初はぼくが日本人なので、あまり悪くはいえないからだろう
と思っていた。ところがそうでもないようだった。「大東亜共栄圏」の建設
を旗印に日本が欧米諸国と戦ったことが、インドネシアの人たちに勇気を与
え、インドネシアの独立の大きな助けになったと多くの人が同じようなこと
をいった。それまでのオランダの統治時代がひどすぎたということか。

http://www.h3.dion.ne.jp/~tadagen1/aaa.htm
1942年・・おじいちゃんが10歳の時、日本軍はこの島を3年間にわたり占領、日本語の教育が強制されその時に
習った歌などを教えてくれました。お孫さんの小学生もこのときはお店を手伝っていて、おじいちゃんとお客さんの会話
をうれしそうに見守っていました。アセアニアリゾートななめ前のお店です。
ランカウイに旅行の際はぜひぜひおよりください。

178 :農NAME:2006/08/13(日) 21:20:55
■麻生外相のような、植民地支配を、はじしらずに合理化する論理が破綻していることは、いうまでもない。
蛇足かもしれないが、カンちがいさせられたままのギャラリーがいるかもしれないので、てみじかに。
■@宗主国は、支配の貫徹・徹底のために植民地を近代化する。近代化しないかぎり、資源・半製品・食糧・労働力を
搾取できないし、工業製品や情報ソフトをうりつけられないからだ。■Aしたがって、その近代化の過程で
恩恵をこうむる層、買弁的な層は当然でる。かりに、そのなかから、ガンディーのような民族解放闘争の
活動家がうまれるにしても、あくまで副産物=「想定外の結果」にすぎない。■Bと同時に、
こういった「近代化」過程に、善なる評価をくわえ、よかれとおもって現地人民を教化しようとする善意の
植民者/官僚層も、あらわれる。■Cもちろん、Bの亜種、というか、「想定外」の変種として、植民地支配に
批判的な宗主国エリートも例外的にうまれる。

http://www.belltown.co.jp/town/backnumber/0009/0009usuki/main.html
 インドネシアの人民から見れば、日本軍の侵攻は、当初は長年のオランダ 圧政からの解放でありました。
公用語もなく、オランダから収奪され続ける だけの歴史に終止符が打たれ、アジア人によるアジア人の同胞の
解放が 為される……と、つかの間の喜びがあったようです。
 しかし、日本とインドネシアの関係にも、やがて陰が落ちてきます。
 勝ち続けている間は、日本も「大東亜共栄圏」の文言を実行する能力
を持っておりました。しかし、戦局の悪化と共に、蜜月も終わりを告げます。
「戦争協力」として日本がインドネシアにかけた負担は、結局はオランダによる 植民地時代に勝るとも劣らぬ
酷いものになって行ったのでした。
 「あいつらは、思っていたほどの天使じゃない!オランダ人のみならず、 日本人も我らの国から追い出せ!」
 あるインドネシア人は、そう叫んで民族活動家としての道を歩み始めたと 言うことです。


179 :農NAME:2006/08/13(日) 21:21:40
親善交流のため、八月二十七日訪れたオランダ・アムステルフェーン市にある、第二次世界大戦中、日本占領下
のインドネシアで犠牲となった人々を慰霊した「インディ・モニュメント(インド記念碑)」。高校生平和大使の一人、
能木絵美(大村高二年)はその碑が発するメッセージに、強い衝撃を受けた。

 多くの日本人が在住し、昨年の日蘭交流四百周年を記念して市内に「出島通り」と名付けた道路を建設するなど
親日的な同市。M・H・カンプハウス市長や市民らは、平和大使一行を歓迎、市長自ら同記念碑に案内した。

記念碑は高さ約二メートルの円筒を、中心で縦に二つに割ったような形。左側の円筒内面に、人々の姿の
浮き彫りと鏡がある。右側には多くの立像が突き出ている。互いに向き合うように作られ、左側は過去を、
右側は現在を表す。同市長は「この記念碑は過去を直視することの大切さを表現している」と説明した。

 同大戦中、オランダ領だった現在のインドネシアを日本軍が占領、軍人やオランダ人住民らを抑留した。
また長崎などの捕虜収容所にはオランダ人兵士が収容され、被爆した捕虜もいた。両国間にはそうした「暗い過去」が
厳然と横たわっていることを能木はあらためて感じ取った。
http://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2001/kikaku/houkoku/04.html

180 :農NAME:2006/08/13(日) 21:22:13
【1.兵補を知っていますか】
兵補とは何か
兵補の遺骨まで持ち帰ってしまった日本兵
元兵補中央協議会の日本政府に対する要求は
(1)正式な文書による解雇と、解雇時の二階級特進を
(2)元日本兵と同等な扱いを
(3)給与の三分の一の天引き貯金の返還を
軍政終了時の日本政府の責任
日本政府への新しい解決策の提案
【2.兵補の役割と実態は】
日本のインドネシア占領
日本占領時代のジャワ島の役割は
日本兵の大量戦死を防ぐために考えだされた兵補制度
身分は軍属、任務は軍人
軍人勅論や戦陣訓を暗唱させられた
一個中隊七二〇八のうち六六五人が兵補
出されなかった解雇通知
http://www.mmjp.or.jp/jst/index/jst21733.htm


181 :農NAME:2006/08/13(日) 21:22:54
習資料,くにたち・第九条の会
アブドゥルガニ氏の談話(1995.7.28,赤旗)
-------パグウォッシュ会議に招待されたインドネシア独立時の外相で、バンドン会議の事務局長、副首相、国連大使などを
歴任したエスラン・アブドゥルガニ氏(82)==スカルノ、スハルト両大統領顧問==は1995年7月28日、広島市の国際会議場で
本誌のインタビューに応じ、日本による占領下でインドネシア国民が苦しんだ体験からも太平洋戦争が侵略戦争だったことは
明確だとのべ、先の戦争を解放戦争だなどとする見解を強く批判しました。また、日本の軍国主義化に強い警戒感を示し、
日本が非軍事の道を歩んでこそ、両国が協力できるとのべました。インタビューの大要は次の通りです。-------
太平洋戦争(第二次世界大戦)は、すでに植民地を持っていた英、仏、米などにたいして、日、独、伊がはじめた戦争です。
植民地化、占領、略奪のための戦争でした。あれが解放のためだったなどというのは、軍のプロパガンダに過ぎません。
私たちみずからが民族運動を作り上げていたから、はっきりいえます。
日本は、東南アジアでオランダ、英、米の軍隊を破り、インドネシアを占領しました。占領時代、私たちは苦しみました。
「ケンペイタイ」(憲兵隊)を持つ軍事体制は、非常に抑圧的だったからです。
彼らは、コメをよこせ、「ロームシャ」(労務者)を出せといい、無理やり供出させました。「ロームシャ」は、何千人も
ビルマに、また何千人もがモロタイ島、ブーゲンビル島、西イリアンに送られ、そこで亡くなりました。
しかし、私たちは日本が将来かならず敗北すると知っていました。米英の工業力と日本の工業力を比べれば分かります。
日本が敗北すれば、オランダが戻ってくる。だからインドネシア人は、日本人から要求されるものを出す一方で、
彼らから取れるものをとることにしました。
オランダ統治下ですでに私たちは、行政機構を運営する能力を得ていました。日本軍からは軍事訓練を受けました。
だから日本が敗北し太平洋戦争が終わったとき、私たちは用意ができていました。
http://members.jcom.home.ne.jp/tsudoi/syokuminti.htm


182 :農NAME:2006/08/13(日) 21:24:20
大臣クラスがてこ入れに
 今回の特徴は参加各国から観光関係の大臣クラスがやってきたこと。これは「美味しい」日本マーケットの
需要回復に本気になっている証拠だ。とくに観光産業が収入の多くを占めている国々は必死になって
プロモーションを展開した。これまで日本人に人気の香港、グアム、ハワイ、バリなどはかなりの危機感を
抱いているようだ。さらに新しいデスティネーションが日本マーケットに次々と参入してくることもあり、「ウカウカ
していられない」(バリ島関係者)という。インドネシアからは副大臣を筆頭に40人の観光ミッションが旅行博に
合わせて来日、横浜、大阪、福岡で記者会見や文化パフォーマンスを繰り広げた。また、北マルク州知事も個別に
記者会見を開き、バリとはひと味違うデスティネーションとしてアピールした。
 北マルク州は1999年にマルク州が南と北に分割したときに生まれた。スラウェシの右側にある島々で構成されている。
インドネシアではまだ新しい州で、自然の宝庫で知られる。第二次世界大戦中は日本軍が駐留していたこともあり、
地元の人たちは日本には馴染みがある。州知事のDrs. H. Thaib. Armaiyn氏はその魅力を熱心に語る。北マルク州
へ行くにはジャカルタからマナドへ飛び、機材を乗り換えてテルナテへ向かう。スパイスで世界的に有名だが、
今後は観光素材を活かして収入につなげていく方針を立てている。
 同知事は、インフラ整備が待たれること、バリ島からのフライトを新設することなどこれからの課題もいくつか
あることを認識していると述べ、日本マーケット開拓のために、日本語ガイドの充実などに力を入れていること
を明らかにした。またホテル関係もリゾートとしてのステイタスを確保するために高級ホテルの進出を狙っているという。
http://ws.31rsm.ne.jp/~free21/03mod11/03mod11tokushu2.html

183 :農NAME:2006/08/15(火) 18:17:54
東京平和運動センターは、4年前から日本軍による住民虐殺などの戦争犯罪を現地で実証するためと歴史の
認識を正しく理解するために平和ツアーを取り組んできました。タイにおいての捕虜、シンガポールにおいての住民、
南京市民、大石虎石溝鉱山労働者、撫順市平頂山住民虐殺などの実態を現地で視察し、なんと残酷な言葉も
でないほどの大きなショックを受けました。
 そして小説「悪魔の飽食」でその実態が世に出され世界の人々を恐怖に陥れたハルピン市の関東軍第731細菌部隊跡
を訪問したときには人には言えない緊張感を覚えたものでした。
http://www.jca.apc.org/~tkopeace/mg9-1.html


184 :農NAME:2006/08/15(火) 22:17:50
日本という国はまぎれもない正規軍でさえも、完全にダマして手段化し、非情にきりすて、戦後補償も
徹底的に「ごつごう主義」で無視・拒絶できるような、卑劣な「国体」である。被爆者や旧植民地出身者たちなど、
戦争犠牲者・協力者に、非情な仕打ちをとおして、恥じないのは、むしろ当然だったといえる。
沖縄戦でのハレンチとならんで、日本軍上層部の、徹底的な無節操・状況主義が理解できる。

185 :農NAME:2006/08/15(火) 22:21:29
「親独、反米」路線を歩んだ白鳥敏夫駐イタリア大使も、松岡とともに三国同盟を主導した人物だ。

 松岡と白鳥の罪は「戦争を起こした罪」ではなく、「世の中の流れを読み間違えた罪」だ。

 彼らは世界で最も強い国がどこの国か知らなかったか、あるいは知っていながらも沈黙した。そして
「国を誤った方向に導いた罪」を犯すことになった。世の中が移り変わるのに気付かなかったために、
世界で最も強い国と銃口を突きつけ合う陣営に日本を加えさせたのだ。

 侵略だろうが、防衛だろうが、ひとたび戦争が起きれば軍人は「進撃」を叫ぶよりほかない。そして軍人を
勝てる側に導くのが外交官の役割だ。だからこそ昭和天皇にとっては、数多くの戦争狂よりも国を誤った
方向に導いたこの二人の外交官に対する恨みの方が強かったのかもしれない。

 日独防共協定を結んだ広田弘毅、戦争末期にソ連との交渉を進めて失敗した東郷茂徳も同じ罪を
犯した「A級戦犯」外交官だ。

 われわれは帝国主義時代の日本を道徳的な物差しで評価している。邪悪な国だったから崩壊したという論理だ。

 だが当時日本は、米国と同じ側に立つか、あるいは少なくとも米国との対立を避けられる機会が
何度もあった。日本が策を凝らして機会を逃さなかったなら、その後の東アジアの歴史は大きく変わっていたことだろう。

 だが結局、日本の軍部は中国での戦果に酔い、外交官は自ら構築した枠組みに執着し、世界で最も
強い国との戦争に突入する「自滅の道」を歩んだ。

 日本では「昭和天皇発言メモ」の公開以来、戦争責任論が活発化している。「正義」を問うのではない。
「誰が汚い戦争を始めたのか」ではなく、「誰が強大な米国との戦争に国を導いたのか」を
問うものだ。そしてその責任者こそ靖国神社に合祀された14人の「A級戦犯」だ。

186 :農NAME:2006/08/15(火) 22:37:38
 靖国神社ほど醜悪な施設はない。それは靖国神社が、死人に口なしとばかり
に、公的な死を賛美し強制する仕組みだからだ。

 死や死者と向き合うことは、個々の人間にとってまったく不条理で秘密で私的
な経験である。靖国神社は、そのような経験を死者を「英霊」として祀りあげ、
それにお手軽な意味を与えることで公共の行為へと変質させる。人が抱える畏れや
癒しがたい渇きや慟哭を、国家暴力の生産/再生産のために簒奪するの
である。そのとき、公的な死と死者の賛美は、生きる者に公務に連なる生と死を
迫り命ずるものとなる。これは生きることに資格や条件を持ちこみ、不当に貶め
ようとするものだ。

 それだけではない。人殺しを命じたこと、民族的抹殺を企てたこと、大規模な強姦や虐殺に
参加すること許容したこと、人類史上稀に見る人体実験を実行したこと、これらを不問に付す
引き換えに、飢死を、救助無く密林に置き去りにすることを、天皇の身代わりに処刑されることを、
これらの一切を問わぬことを靖国は要求する。誰が命じ、誰がそれを割り切ったのかを問わずに、
ひとかたまりの死を賛美しようと靖国は主張する。

 私たちはこの醜悪さに耐えることができない。その悪徳をまき散らす追悼の空間と時間を許すことができないし、
「心の問題」などとうそぶいて靖国に参拝しようとする小泉純一郎の「敬意と感謝の誠」を許さない。8月15日の靖国神社
には、追悼を自らの政治的、経済的な欲望のために利用しようとする政治家、右翼団体や利権遺族が押しかけてくる。
私たちは自由な個人として靖国とすべての利用主義者に抗議する。

187 :農NAME:2006/08/16(水) 11:03:57
三光作戦
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1794/sankou.htm
田村泰次郎著「裸女のいる隊列」
老百姓、━日本軍にとって、この言葉は、何の人格的な意味もなかった。彼らは野良犬や虫けらと、
少しも違う存在ではなかった。長い戦争の期間を通して、日本軍に殺された住民の数は、恐らく日本軍と
闘って死んだ中国軍の兵隊の数よりも多いのではないだろうかとさえ、私には思われる。すくなくとも、
中国の奥地では、戦場で見る敵兵の死体よりも、農民の数の方が、私達の眼に多く映るのが、
普通だったのだ。ある時期においては、ときのは、公然と、住民を皆殺しにしろという命令が出たこともある。
ジンメツ作戦というのがそれだった。「おい、今度の作戦は、ジンメツだとよ。」 作戦開始のときになると、
兵隊達はそんな噂をしあった。作戦内の部落という部落を焼き払って、生あるものは、犬の子一匹も
生かしておかないというのが、建前だった。日本軍全体が、血に狂った鬼の軍隊となった。 住民達に
対する日本軍の身の毛のよだつような所業は、私の7年間に渡る戦場生活で幾場面も見ているが、
全戦争期間、全戦域にわたって、それがどの位の場面になるかは、想像を絶したものがある。

桑原著「華北戦記」
北シナ方面軍司令部は、きか各兵団の将校に対し。昭和18年4月8日をもって、
「焼くな、犯すな、殺すな」と命令したことになっている。しかし私はこのことについて、昭和47年
(1972年)にこれを読むまで知らなかった。兵隊は知らなくても中隊長クラスは知っていただろうと思うが、
柏崎中隊長の住民殺害はその後も散発的に続いたのである。 第一中隊ばかりでなく北シナ派遣軍の
前線部隊は、どの部隊もこのような命令などどこ吹く風で、ますます峻烈「焼き、奪い、殺す」作戦を
展開していた。中国側でいう三光作戦である。三光作戦とは、中国語の「焼光(焼き尽くす)」
「略光(奪いつくす)」「殺光(殺しつくす)」からとった名で、日本軍の軍事資料ではジンメツ作戦と
呼んでいる。

188 :農NAME:2006/08/16(水) 19:52:51
南スラウェシの従軍慰安婦は1万人
 日本軍が駐留していた1942-1945年当時、インドネシア人従軍慰安婦の数は、Makassar, Malino,
Enrekang, Bantaeng, Jeneponto その他各地で少なくとも1万人であったと南スラウェシ地方連絡フォーラムの
Mansur Liwang氏は述べた。アジア太平洋地域全体で20万人だったとすれば妥当な数字であると。 
(TVRI Makassar, Fajar Online 2003-4-30)
http://www5d.biglobe.ne.jp/~makassar/mks/watching1.html

(5) 『Budak Nafsu』: シューマン・ジャヤ(Sjuman Djaya監督)日本軍の性の奴隷となったファテイマ。ある
日一人の日本人将校と出会い、彼の捨て身の計らいで脱走に成功。しかし次いで抗オランダ独立戦争に巻き込まれ、
今度はオランダ兵たちに辱めを受ける。時は流れ、独立を達成したインドネシア共和国。しかし、彼女の晩年に待ち受けていた運命とは。
http://www.harapan.co.jp/Indonesia/GBi/GBI_event_old.htm

小泉内閣の支持率が一桁台になるまで
http://ime.st/brilliant.air-nifty.com/nikki/



189 :農NAME:2006/08/16(水) 19:53:39
確か比律濱駐留日本軍の美談を集めた

『フィリピンの日本兵』って本が、
十数年前に出て話題になったことがあったな。
確かに日本兵の中には乱暴者もいたが、
軍規が厳粛で将校には立派な人もいたとかいう…。

http://www.edu.nagasaki-u.ac.jp/depart/culture/peace_study/dainijisekaitaisen.html
父親の戦時中の事を聞くと、オランダによる365年間の植民地支配よりも、日本による植民地支配のほうが過酷であったそうです。
(インドネシア、32歳)
祖父母と両親から聞いている。侵略によって多くの親戚や友人を失った。それはとても恐ろしく、悲劇的なことであった。(インドネシア、32歳)
(戦争を体験した人々から)日本軍から石鹸水を飲まされた。(フィリピン、28歳)
(軍人であったおじいさんから)食糧難や殺人が多くあった。(マレーシア、26歳)
父親と家族から聞きました。(インドネシア、35歳)
おばから聞きました。(モンゴル、35歳)
祖父から。(バングラデシュ、35歳)
父から食糧難(イモ)、日本語の強制、君が代の斉唱、日本軍が自転車で侵入してきた。(マレーシア、27歳)
自分の父親から。(中国、32歳)
日本人がマレーシアの国民をひどい目にあわせました。国民の生活は怖さや苦しみしかありませんでした。(マレーシア、27歳)
祖父母、両親、日本人(昔中国に侵入した人、日本人の看護婦)から。大変恐ろしい話でした。(中国、32歳)


190 :農NAME:2006/08/16(水) 21:18:51
公務として一国の首相が、終戦記念日という全国民的に不戦の誓いを新たにすべき特別の日に、
過去の間違った戦争をいまだに正当化し、戦争神社としての振る舞いを隠そうとしない一
特定神社に参拝することは、憲法の20条にうたわれている「政教分離」の原則に違反するのではないでしょうか。
違反しないとされるのであれば、その根拠を伺いたく思います。


191 :農NAME:2006/08/16(水) 23:35:02
http://blogs.dion.ne.jp/maocafe/archives/3950901.html
たかじんを見たついでに10chをつけてると、
終戦記念番組「桜と蛍と富士」〜日本兵が目にした祖国〜
というのをやってた。
見るつもりなかったんやけど、せっかくやからかけてた。
すごいね。
日本兵は悪くなかったんやと。
ミャンマー(ビルマ)の人が、
「日本兵はいい事をしなかったが、悪い事もしなかった。」
ニューギニアの人は、
「日本人は友達だった。」
と言う。
でも一番寒気したのが、ニューギニアの人が君が代歌うの。
日本兵は食料に困り、地元の人と仲良くなって食料を分けてもらってたと言う。
取り上げたり、殺したりじゃない。
すごい友好的な方法。
まぁ正味向こうにしたら迷惑やろうけど。
そんな現地の人はやさしいし、日本兵もえらい。
助け合いの心。
人間は本来こうでないと、と改めて思うね。
俺も変わらんとなぁ。。。笑”



192 :農NAME:2006/08/17(木) 09:08:31
サクサクには独特の匂いがあり、マラリア患者など体が衰弱した人には食べにくいという欠点もあったものの、以後、
終戦、そしてムッシュ島の収容所に入るまで、サクサクは多くの日本兵の命の綱となりました。
それと同時に、食べ方にも工夫がなされ、お好み焼き風に焼いてみたり、さらには「うどん」にしてみるなど、
色々バリエーションが出てきます。しかし、多くの将兵は、「ジャングル春菊」やら雑草、きのこ、虫、その他あらゆるものを入れて葛湯か
雑炊のようにして命を繋いだといいます。
また、山南地区の現地人は当初、日本軍と友好的な関係をもち、オーストラリア軍との板ばさみになりながらも、
最後まで日本軍を助けた村々が多数ありました。しかし、敗れたりとはいえ、なお数万を擁する日本軍の存在は、
住民の大きな負担でもあったのです。
それを一番知っているのは、ニューギニア生き残りの勇士達といえましょう。だから多くの生き残りのかたがたは、
今もニューギニアへの感謝の気持ちを持ち、それを行動でしめそうとする人も多くいらっしゃいます。
ともあれ、「サクサク」のおかげで、そしてニューギニアの人々のおかげで、1万名弱にのぼる我々の父祖が助かったことを、
忘れてはならないでしょう。
なお、現在サクサクは、小児アレルギに良い食品として注目され始めているようで、サクサクを加工した食品が、
日本でも販売されています。もし、入手してみたいという方は、下記のHPを御覧になるとよいでしょう。

辻安全食品 http://www.tsuji-a.com/tuji/

また、当事の山南地区における「現地自活」と、サクサク供出の様子については満川元行
『戦記 塩 東部ニューギニア戦線・ある隊付軍医の回想』戦誌刊行会、昭和59年を参照。この本は非常に優れた、
素晴らしいドキュメントです。
http://www.gokoku.gr.jp/cooking/howto-sakusaku.html

193 :農NAME:2006/08/17(木) 09:12:32
http://www.air-niugini.co.jp/senseki/mag.html
 アレキシスハーヘン北方沖合に望見されるのは、標高1800メートルの火山島カルカル島である。
戦中カルカル島には、警備の小部隊と宣撫農耕を指導し兼務指揮するために軍司令部の経理部員、前田主計大尉が派遣されていた。
 島民に対する同大尉の宣撫工作が非常に良かったので、現地島民達からはビッグキャプテン(大酋長)カルカル王と
たたえられ畏敬されていた。
 外洋大型カヌーを連ねて果物野菜を満載し補給して貰ったことは、生鮮野菜払底で難渋していた給養係や将兵の給養食餌に、
待望久しい干天の慈雨の思いで感謝頻であった。


194 :農NAME:2006/08/17(木) 09:19:31
http://homepage3.nifty.com/suzuki-katsuya/newpage316.htm
先日 テレビ番組”世界ウルルン滞在記”を見ていたら、パプアニューギニアの
ニューブリテン島に日本の軍歌童謡を上手に歌い伝えるオジイサン(73歳)が出ていた。
このオジイサン 島の長老とみえて子供たちや村人に「海ゆかば」・「ラバウル小唄」・
「うさぎとかめ」等その他、私が題名を忘れてしまった歌を合唱させ指揮しているのである。
なかでも圧巻は、南洋 海の彼方に沈む大きな太陽・夕やけに向かって
”ギンギンギラギラ 夕日が沈む・・・”の大合唱は感動ものであった。

このオジイサン第二次大戦時14〜15歳、島には多くの日本兵がやって来て軍歌や童謡、
日本語を教えてくれたと言う。組織的に日本教育を受けた訳ではなく日本兵の走り使い?
をしていたのであろう、 不平・不満もあったであろうが語らず、楽しかったと言う。
忘れられないのは「ウソはつかない」「約束は守ること」を教えてもらったことだと言う。
すべてそのまま受入れるのは疑問があるにせよ、いい兵隊さんに合えてよかったと思う。
当然のことだが、日本軍も組織には問題があったが個々の兵隊さんには優しい人たちが
たくさんいたことは事実で嬉しく救われる気分だ。


ボルネオ・フィリピン・インドネシアの島々では上記に似た話は昭和35年くらいまであった。
私も何度か見知らぬ現地人から軍歌や童謡を聞かされ感動し、また面食らう事もあった。
その中でも忘れられない歌がある、マレーシア マラッカ海峡に近いペナン島での話
(昭和32年頃・1957年)

町の露天商を冷やかしていたら、40〜50歳の果物売りのおばさんが手招きしている、
マンゴ、パパイヤの前にしゃがみ込むと、「ニッポン人か?」と確認して 商売そっちのけで
「元気デスカ」 「アリガトゴザイマス」と日本語単語を並べまくり、そして
微笑みながら 突然歌い出した。


195 :農NAME:2006/08/17(木) 09:22:13
http://www8.plala.or.jp/shinpeishi/ShinpeiToday/Glee100.htm
莫大な数の兵士たちが上陸したガダルカナル、
ニューギニア、レイテなど現実の島々には、ひどい殺戮と、戦友を殺して肉を食いあう飢えが待って
いた。兵士たちは国策の被害者では済まなかった。現地の人々にとっては加害者でもあった。


196 :農NAME:2006/08/17(木) 11:34:52
●おじいさんと広島

 みなさん、こんにちは。私はクアラ・セランゴールから来たジュリア・イスマイルです。今、クアラルンプール
のパン・パシフィック・ホテルのけやきと言うレストランで働いています。1990年4月から1991年の2月まで
日本の広島女学院高校に1年間留学しました。

 日本に行く1週間前に、私はおじいさんとおばあさんのところへ行きました。

 「おじいさん」
 「なんだ」
 「私は外国へ留学しますよ」
 「そりゃ、いいね。で、どこの国だね」
 「日本です」
 「それはいけない。だめだ。日本は悪い国だ。マレーシア人は戦争の時、日本人にひどい目にあわされた。日本軍は
北の方から突然せめてきた。みんな林の中に隠れて生活した。特に可愛い女の子のいる家は、絶対に見つからないように
逃げ回った。それでも彼らは見つけ出して悪いことをした」
 「私の妹はお腹に赤ちゃんがいたから、見つかって殺されないように林の中に隠れていた。すぐそばを日本の兵隊の
靴音がして、とても怖かったが、息を殺して隠れていた。私の友達は勇敢だったから、ひとりで刀を持って飛び出して、
銃で撃たれて死んだんだ」
http://homepage3.nifty.com/kiara/mikiko/010808.htm



197 :農NAME:2006/08/17(木) 12:45:17
*インドネシアについてだけど。
秦せんせの妄言を「こ臭い派」は信じたのか、あらら。

インドネシアでは、朝鮮半島や台湾と言った植民地よりさらに荒っぽい強制連行や強姦が頻発した。
それで、「慰安婦被害者と、レイプ被害者」が数万人申し出たそうだ。

しかし、秦郁彦は、ここでもインチキを言って、顰蹙を買っている
しかも調査したのは、「インドネシア兵補協会」ですよ、ああ恥ずかしい。↓


3)秦氏は、名乗り出ている元慰安婦の数について、

秦| とくにインドネシアでは日弁連の某人権派弁護士が出かけて働きかけた
秦| ものの、三千、六千、一万六千人とうなぎ登りにふえすぎて、さすがに
秦| 当惑していると聞く。何しろ日本軍の兵力が一万人前後なのに、それを
秦| 上まわる慰安婦はありえず、大多数は便乗組と思われる。

などと書いていますが、厚生省援護局昭和39年作成、防衛研修所戦史室
昭和42年7月複製の『大東亜戦争における地域別兵員及び死没者概数』
によれば、

****同地域における「昭和20.8.15現存兵員数」は28万1300人で
す[5]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=NW&action=m&board=1143582&tid=fn5febg5tbba6a1a6bdbe730v0bix6afc0a9oa29ta4obbvbcb&sid=1143582&mid=4032

198 :農NAME:2006/08/17(木) 12:48:51
慰安婦の被害者の証言がハッキリしないのは当然

高木・・朝鮮人の慰安婦に日本軍が注目したのは民族差別の問題もありますが、
彼女達を戦地に連れて行っても、
***現地の言葉も地理もわからないから逃げられないし、軍の秘密も知られようがないと言う点があったのです。

戦地に連れて行ってそこで酷使するわけですから
***年度や連隊名といった具体的なことがわからないのは当然なんです。

ただ、中には親切にしてくれた人の名前や、たまたま地名を覚えている人もいる。
これは人それぞれです。

山崎・・私は総理府の売春対策審議会の委員を8年間務めましたが、会長は故本田宗一郎さんでした。
本田さんに「なぜ会長を引き受けられましたの?」とたずねましたら「だってアジアへ仕事へ出かけたときに、日本の男がだよ、女の肩を抱いたりして、ホテルの従業員や他の国の泊り客の目など一切お構いなし。

だから、何とかしなくてはと思って・・」
とお答えになった。
つまり、日本の男の性的価値観と言うものは、キーセン観光、買春ツアーの例を引くまでもなく、戦中も戦後も一貫して変わってない。
・・・・
ああ、これは最近も中国で集団買春があった。
この会社は3月から中国にわたって「ホステス集め依頼」してたそうな。
この会社はそのうち倒産するんじゃないかなあ。

199 :農NAME:2006/08/17(木) 15:50:26
 1949(昭和24)年10月5日午前9時。仙台市の宮城刑務所で、当日の
死刑執行を言い渡された男がいる。名前は小平義雄。1905(明治38)年、
栃木県日光の生まれで、この年45歳。彼は小学校を卒業した後、工員見習
いや店員などの仕事を経て、19歳で横須賀海兵団に入隊。海軍陸戦隊の
一員として、中国大陸を転戦した。
 1929(昭和4)年5月、25歳の時海軍三等兵曹で除隊。勲八等旭日章
を受賞している。小平の軍隊時代は、関東大震災後の満州事変前夜という、
混乱した時期にあたっている。やがて1931(昭和)年9月18日、柳条溝
での満鉄爆破をきっかけにして、日本軍は中国東北部の満州を占領。さらに
泥沼の日中戦争へと突き進んでゆく事になる。
 中国大陸に駐屯した日本兵は、現地の村人から「東洋鬼(トンヤンキー)」と
蔑称されていた。小平は、海軍陸戦隊時代の事を次のように証言している。
「強姦のちょっとすごいことをやりました・・強盗・強姦は、日本軍隊には
つきものですよ。中国人の家庭に押し入り、剣で突き刺したり、妊娠して
いる女を、銃剣で突き刺したりしました。私も5〜6人やっています。(供述調書) 」

 戦争は、生命の危機と直面する場である。人間の生存本能は、性本能と
直結している。しかし軍隊では、原則として「性」は抑圧された状態にある。
生命の危機と性の抑圧というストレスは、堤防の裂け目が決壊するように、
変態性欲として顕れる事が多いと言う。
http://www.h5.dion.ne.jp/~kame33/kame18.htm



200 :農NAME:2006/08/17(木) 16:13:39
しかし・・・・軍人に対して「放火すんな!」「強姦すんな!」「民間人を殺すな!捕虜も勝手に殺すな!
ゲリラらしき者もむやみに殺すな!」と、こんな当たり前のことを戒告しなければならないとは実に嘆かわしい限りだったでしょう。
まるで自動車免許更新のときに「運転するときは免許証を持ちなさい、赤信号では止まりなさい」と講釈たれるが如きです。
このような戒告が行なわれたこと自体、「殺つくし、焼きつくし、奪いつくし、犯しつくす」状態であったことを如実に示していると言えます。


201 :農NAME:2006/08/17(木) 23:20:25
・・・天皇の放送から3週間立っても英国郡が戻ってくる気配はなかった。
不自然な状況だった。3年半前に起きたこととは様子が違う。その時は英国が
降伏し、日本はまだシンガポールに実質的な支配体制を確立していなかった。
英国と違い、日本軍は戦闘で敗北しておらず士気を失ったわけではない。兵士たちは
落ち込み、混乱してはいたけれども、まだ権力を握っており我々を抑えつける力を
有していた。シンガポールの人々が日本軍敗北の喜びを隠しきれずに祝いの声をあげると、
通りかかった日本兵が押し入ってきて浮かれ騒いでいる人を平手打ちした。日本軍は英国から
喚問され、これまでの悪行の罰を受けることを憂慮していた。銃声が日本軍宿舎から聞こえたとの
話が伝わった。日本軍の降伏を受け入れることができず、腹切りを選んだ兵士たちで、
剣によるか銃によるかいずれにしても日本流だった。それでもシンガポールの人々は
運がよかった。私の知る限り、日本兵は市民を殺さなかったし、野蛮な事件も起きなかったのである。
日本軍は英国が引き継ぐまで市民には手を出さなかった。軍機は保たれたのである。

リー・クアンユー回顧録 p53

202 :農NAME:2006/08/18(金) 01:13:27
 占領当初の衝撃と騒ぎが収まると、私は日々の生活はほとんどいつものように続けなければならないことを悟った。
人々は食べていかなければならなかったし、医薬品から歯ブラシ、歯磨き、着物、靴、ペン、インク、紙など
いろいろなものが必要だった。ひげ剃りさえも貴重品となって入手が難しくなり、一度使ったかみそりを何度も何度もガラスの上で
研ぎ直して使うことになった。たばこは日本のバナナ札よりも価値が高かった。存在価値がなくなったり、収益がなくなった
職業もある。たとえば英国法で訓練された弁護士は需要がほとんどなくなった。商業活動がほとんど停止し、犯罪はほとんど
軍法によったからである。会計業務も必要がないので閉店休業状態となった。一方、医者や歯医者は病気や歯痛が
あるので欠かせず、医薬品や麻酔薬が不足しているにもかかわらず繁盛していた。

リー・クアンユー回顧録 p54

203 :農NAME:2006/08/18(金) 10:47:31
 例外もあった。台湾である。それ以前に中国、ポルトガル、オランダに支配されており
日本への憎しみあなかった。日本がシンガポールやマラヤに引き続き存在していたとしたら、
50年以内には台湾で成功したのと同じように忠実な支持者たちを得ることができたかもしれない。
マレー人は民族として若く、まとまりがなく、文化も柔軟すぎて日本への抵抗もできなかったのである。
英国の136部隊に訓練されてマラヤのジャングルで抗日戦争に加わったマレー人もいた。しかし大半は
英国が日本を撃退して再び守護者になったのと同じように日本が新たな守護者になることを望んでいた。
 日本軍の侵略に立ちはだかる勇気と決意を持っていたのは、マラヤ共産党(MCP)やそれより数は
少なかったが中国国民党の抗日抵抗運動に加わった華人である。両グループとも
マラヤの愛国精神ではなく華人としての民族意識に燃えており、戦後、英国に対しても戦時中の日本
に対して見せたのと同じように頭痛のタネとなった。

りークアンユー回顧録 p57

204 :農NAME:2006/08/18(金) 16:57:01
フィリピン 日本
日本政府の謝罪と賠償を求める、フィリピンの元・日本軍「慰安婦」
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=243
1944年11月23日早朝、ルソン島マニラ北方にあるパンパンガ州マパニケ村を、日本軍が襲撃しました。
「抗日ゲリラ掃討作戦」として行なわれたこの攻撃で、マパニケ村全体が焼かれ、村の男たちは日本兵により拷問され
虐殺されました。そして、村の女性や少女たちは、「赤い家(バハイ・ナ・プラ)」と呼ばれる建物に連行され、そこで日本兵に
より集団で強かんされたのです。

ローラ・タルシラさんは、日本軍に強かんされた被害者の一人です。彼女を含め、マパニケ村では、数十人の
被害女性が今も存命であり、日本政府の謝罪と賠償を求めて闘っています。

第二次世界大戦の戦前戦中を通じて、20万にのぼる女性が日本軍によって性奴隷とされたと指摘されています
(いわゆる日本軍「慰安婦」)。元「慰安婦」の多くは年老いています。正義や、適切な公式謝罪、あるいは日本政府から
の直接補償を得られないまま、亡くなった女性たちは数知れません。

元「慰安婦」たちになされた謝罪は適切とは言えず、あいまいなもので、被害者にとっては受け入れられないものです。また、
アジア女性基金は、賠償に関する国際基準を満たしておらず、被害者にとっては、彼女たちを金でだまらせる手段
だと受け止められています。

「私は正義が欲しい。お金よりも、公式な謝罪が欲しいのです。日本政府は、過去に起こしたあの残虐行為を
認めなければなりません。そして、二度と女性に対する虐待に関わらないと約束して欲しいのです。
私は、この世の全てのお金をもらっても、自分の尊厳と引き換えにするつもりはありません。」――
フィリピン人・元「慰安婦」、ローラ・アモニータ

205 :農NAME:2006/08/18(金) 19:04:34
日本のイラクの自衛隊派遣を許すのは、「アルコール依存症患者にお酒入りの
チョコレートを与えるようなもの」だ。
日本人には完璧を求める習性があり、生け花であれ、日本刀作りであれ、そして
戦争であれ、何事でも極限まで行ってしまう。

206 :農NAME:2006/08/18(金) 21:30:54
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper37.htm
 南京の記念館入口に掲げられてある「前言」には,「一挙に世の中に大きな衝撃を与えたこの歴史的事件は,
中国を侵略した日本軍の無数の暴行の中で最も集中した,最も突出した一例である」と書かれている。その南京大虐殺
の内容は次のようにまとめられている。

  殺害されたわれらの罪なき同胞の総数は30万人以上に達した.そのうち,集められて殺され,死体が焼かれてあとが
わからなくなったもの19万人以上,ぱらばらに殺され,死体を慈善団体によって埋葬されたもの15万人以上である。

 日本軍はほしいままに婦女を強姦し,輪姦し,多くの婦女が強姦されたあとで殺害された。日本軍はいたるところに放火し,
全市の家屋の約三分の一は焼け,全市の半分がほとんと灰尽に帰した。さらに日本軍はほしいままに略奪し,いたるところ
10室に9室は空になった。個人の住宅,商店は論ぜず,倉庫の財産,金銀財貨,文化財や骨董品,難民の食糧や 病院
の布団,民間の家畜にいたるまで奪われないものはほとんどひとつもなかった。たとえ外国人の財産といえども略奪から免れがたかった。

  中国を侵略した南粛の日本軍がおこなった大虐殺暴行は,その規模の大きさ,被害人数の多さ,持続時間の長さ,
殺人手段の残酷さにおいて,人類文明史上,ほとんど例のないものである(3)。記念館の庭にあった碑の中から、
上新河地区遇 同胞紀念碑の碑文を紹介しておこう。

 一九三七年十二月,中国を侵略した日本軍が南京を占領した後,わが大量の武装解除された兵士と上新河一帯に群集していた
難民あわせて二万八千七百三十余人が,この地においてことごとく日本軍 によって殺害された。日本軍の
虐殺手段はきわめて残酷で,縛って水に溺れさせたり,薪を積んで生きたまま焼いたり,銃や刀を使ったり,
用いないものはなかった。婦女に対しては児童にいたるまで,すべてまず強姦をしてから殺害した。その悲惨さは
この世に絶する,ほとんど例のないものであった。遺体は積まれて山となり,血は流れて河となった。

207 :農NAME:2006/08/19(土) 07:57:02
強姦大好き日本軍
ttp://www32.ocn.ne.jp/~modernh/books04.htm
 日本軍が慰安所を中国各地に作りはじめたのは一九三七年の冬からでした。
しかしそれから三年近くたった四〇年九月に陸軍省が作成した文書によると(「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」)
依然として日本兵による「強姦」「強姦致死傷」が多いと指摘されています。

 アジア太平洋戦争が始まってから、東南アジアでも各地に慰安所を設置しましたが、
開戦から九ヶ月たった四二年八月になっても「南方の犯罪六一〇件。強姦罪多し。シナよりの転用部隊に多し。
慰安設備不十分」(陸軍省の会議での法務局長の報告)と報告されるような状態で、四三年二月にも「強姦逃亡等増加せる」ありさまでした。

 戦争末期、米軍の沖縄攻撃に備えて日本軍が次々に増強されました。日本軍は当初から慰安所を設置していきましたが、
日本軍の資料によると「本島に於ても強姦罪多くなりあり」「性的非行の発生に鑑み…」というように地元女性への強姦などが相次ぎ、
軍上層はくりかえし兵士たちに注意を発せざるをえませんでした(「石兵団会報」)。

208 :農NAME:2006/08/19(土) 14:10:36
《日本侵略軍(の南京への)入城後、武装を解かず住宅や商店に乱入し、女性を捜し出して捕まえ、9歳以上45歳以下の
女性はことごとく輪姦された。水西門外の某未亡人には娘が3人−長女18歳、次女13歳、三女9歳がいた。しかし3人とも
輪姦され、次女はその場で殺され、長女も意識不明である。某日獣兵が民家に乱入し少女一人を見つけた。無理矢理に
衣服を脱がせ、その父母に両足を持たせたうえ、かわるがわる強姦した。続いて父にも服をぬいで娘を強姦するよう命令した。
しかし応じなかったため、獣兵は銃剣で父親の腕を突き刺し、父母は同時に命を落とした。 一般の少女は身体が未発育で
日本兵の獣欲を満足させることができないため、まず陰部を手で引き裂いてから輪姦した。 成人女性は輪姦後、
多くが銃剣で下腹部を突き刺されて殺された。また、ある婦人は妊娠数か月であったが、獣兵による輪姦後に出血が
止まず命を落とした。また獣兵は各所広場で常に好き放題に強姦していた。ある日、某国領事は獣兵3人が1人の
女性を輪姦しているのを目撃するや、すぐその場に行き穏やかに忠告した。しかし獣兵は頬をたたき銃で脅かしたので、
領事は止むを得ず我慢して立ち去った。》(『南京事件資料集 2 中国関係資料集』より。下線とカッコ内は引用者)

http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz303.html


209 :農NAME:2006/08/19(土) 14:45:31
日本人はなぜみな色情狂なのか理解に苦しむ。奴らは、女性を見ると、まるでケダモノが異性を見つけたときのように、
性欲をむき出しにして襲いかかろうとする。相手がどんな年寄りでも子供でも美人でも醜くてもお構いなしで、
群れを成して襲いかかり、獣欲を発散させる。言うことを聞かないものは、下部から銃剣で一突きにして殺すのだ!

(中略)道端で男を見つけると、捜査が終った後、ある動作を行なった。何かおわかりだろうか。

そう、ズボンの上から一なでして男装している女がいないか確かめるのである」(郭岐「陥都血涙録」――資料集AP-189)


210 :農NAME:2006/08/19(土) 14:52:54
「日中戦争南京大残虐事件資料集A英文資料編」に収録されている安全区委員会からの抗議も、強姦・略奪・殺人の
オンパレードで頭痛を催しますが、この資料もそれに匹敵すると言えます。

日本軍の南京への進軍とは、強姦・略奪・及び通り魔的殺人を繰り広げながら辿った道なのです。



211 :農NAME:2006/08/20(日) 12:46:46
F■「南京大虐殺」をふくめて、戦争中の大虐殺は、証拠が目撃証言しかなかったり、書類が関係者によってやきはらわれたりして、
人数や加害者の特定が実に困難だ。■それをもってホロコーストなどと同様、「死人にくちなし」と「推定無罪」を最大限に
悪用する関係者、および、そういう連中の賛同者=右派が、かならずでる。■もちろん、パンフレットにもでてくる劉面煥さんなど、
冷静な証言者=暴行傷害事件被害者の存在はおおきいんだが、「ウソついているにきまっている」という右派は、
絶対にみみをふさぐ。
■この際、即物的な考古学しか、連中をダマらせる手段はなさそうだ。■「大量埋葬地論」「大量埋葬地論(続)」
〔「第2考古学宣言」〕とかね。■もちろん、奥村さんたちや『三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を
建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会』のような地道な運動(証拠資料とききとり)は絶対必要だし、
その成果をポチ裁判所にもみとめさせるような、政治情勢を市民がつくる必要があるんだが、右派たちや国家の
抵抗を完全にツブすためには、物証がグウのねもでない究極の証拠のはず。
http://blog.drecom.jp/tactac/archive/989

212 :農NAME:2006/08/20(日) 17:37:19
http://www1.quolia.com/jcphata/sub9_menu3.htm
戦前・戦中の日本には徴兵制度があった。
 20歳になった青年男子たちは兵役につかなければならなかった。軍隊は「殺人集団」である。そこでは人間性を
圧殺するための様々な訓練があった。とくに日本軍の場合は、「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)に象徴される、
兵隊を人間としてみない思想があった。
 天皇を頂点とする日本軍の精神主義は戦争中に極致にたっした。敗色が濃くなるほどその傾向は強まった。
日本軍は神兵だから補給がなくともたたかえる、とインパールのジャングルに兵隊を補給なしで送り込んで、なおかつ進
撃しか命令をくださなかった牟田口司令官にその典型をみるが、当時の日本軍の指導者たちは大なり小なりこの考え方に
犯されていた。その結果、多くの兵隊は、補給なしの戦線におくりこまれ、死んでいった。日本軍の場合、その過半数が
餓死・病死であった(青木書店「餓死した英霊たち」藤原彰)。
 同時に侵略軍であった日本軍の兵隊たちは、加害者でもあった。補給を軽視する日本軍にとって「糧を敵に求む」は、
「奪いつくし、殺しつくし、焼きつくす」三光政策となってあわられた。兵隊たちによって数多くの戦記が残されている。
そのなかには原住民たちと親しくなったとか、よくしてあげたとかの記述があるが、それは侵略者としての本質を
見失うと自己弁護につながる。たとえば補給をたたれた南洋の前線では「自活」をよぎなくされた。これとて
「三光政策ではないからいいではないか」とはならない。その畑は、土地は原住民たちのものであり、
それを奪ってのものだ

213 :農NAME:2006/08/20(日) 18:05:06
ところで、サラワク州の州都クチンから原住民の住むロングハウスを見るためにタクシーを
チャーターした時のことである。その中国人ドライバーは、私が日本人であることを知るや否や「見よ東海の空明けて・・・・」
と運転しながら大声で歌いだした。聞けば占領時に仕えていた日本軍の人から教わったという。
彼の場合は、大の日本びいきであったが、この年代の人からいまだにこうしたことを聞くたびに、過去の
日本軍の忌まわしい行為が脳裏をよぎるのである。
http://www7.plala.or.jp/gomaster/sub11-4.html


214 :農NAME:2006/08/20(日) 23:04:33
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当る」っていうが、外れた鉄砲ももどっかに当ってんだよ!


215 :農NAME:2006/08/21(月) 19:05:28
8月15日、内閣総理大臣小泉純一郎は、日本の侵略戦争を自衛だったと主張している靖国神社を参拝した。
この行為はアジア・太平洋戦争に於ける全ての犠牲者に対する激しい冒涜であり、日本国民とアジア諸国に対する
挑戦状だと言える。2001年の自民党総裁選での公約を5年を経て履行したことになるが、要するに日本国民は
このような公約を掲げていた男を、5年間の間、首相の座にいることを許していたのである。恥を知るべきであろう

216 :農NAME:2006/08/21(月) 19:07:47
南京大虐殺も旅順虐殺事件もともに日本軍の愚劣さが発露された事件。

217 :農NAME:2006/08/22(火) 23:44:49
糾弾会に対し、言論の自由を否定するとか、思想の押し付けと思われる方がいるかも知れませんが、
差別発言は言論の自由を逸脱しており、差別を肯定する思想は日本国憲法を否定し、
人権社会を否定し、人間の尊厳を否定する思想です。
 決して何人たりとも、人権や人間の尊厳を否定する自由は有しません。


218 :農NAME:2006/08/27(日) 23:39:32
「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして
言語に絶するものあり」 (阿南惟幾元陸軍大臣 S12.12.22陸軍省局長会報におけるメモ)

(上海派遣軍を視察してきた江藤源九郎予備役少将からの報告を聞いて)
「同君は自ら日露戦争の苦き実験あり、今回も主なる責任者の談を交えて研究せり。従って同君
の意見は相当に権威あるものと云はざるべからず。之によれば一言にして云はば軍紀風紀頽廃し、
これを建て直さざれば真面目の戦闘に耐えずということに帰着せり。強盗、強姦、掠奪、聞くに
忍びざるものありたり」 (真崎甚三郎元陸軍教育総監 『真崎甚三郎日記』S13.1.28)

「南京への進入にあたって松井大将が隷下に与えた訓示は、ある部分、ある層以下には、浸透し
なかったらしい。外国系の報道の中にはかなりの誇張や中傷の事実は認められたし、特に中国軍
の特質などから、避け得なかった事情もあったようであるが、いずれにせよ、後日戦犯裁判に大き
く取り扱われ、松井大将の絞首刑の重大理由をなしたような事実が現われた」
 (河辺虎四郎元陸軍参謀次長 『市ヶ谷台より市ヶ谷台へ』)

「しかし、駐支大使として南京に赴任(一九四二、一)して南京事件の実相を知るに及んで、我軍隊
の素質、日本民族の堕落に憤りを発せざるを得なかった」 (重光葵元副総理 『続 重光葵手記』)

「電信専門の(外務省)官補時代に最もショックを受けたのは、南京事件(後述)であった。敗走する
中国軍を追って南京を占領(昭和十二年十二月十三日)した日本軍が、筆舌を絶する乱暴を働いた
事実である。あまりに乱暴狼藉がひどいので、石射猪太郎東亜局長が陸軍軍務局長に軍紀の是正
を求め、広田外相も陸軍大臣に強く注意して自制を求めた。軍は参謀本部二部長・本間少将を現地
に送って、ようやく事態は沈静に向かった」 (法眼晋作元外務政務次官 『外交の真髄を求めて』)


219 :農NAME:2006/08/27(日) 23:41:39
 三光作戦は、日本軍の対ゲリラ用の、農村そのものを焼き払ったり、ゲリラに
内通している疑いのある民衆を無差別に連行し拷問、殺害、あと農村から食料を
略奪するという、焦土作戦の様な軍事行動の事を差すので。

 なんか、日本側では「燼滅作戦」とかいう呼称が使われていたそうだけど、
あまり一般的には知られていないかな。

 いずれ、中国共産党八路軍に対する日本軍のカウンターゲリラ作戦が「三光
作戦」。
 ちなみに、こういう対ゲリラ戦のやり方はソ連に侵攻したドイツ軍もやってるし、
ベトナム、イラクでの米軍も似た様な戦法をやってる。
 今米軍がイラクでやってる戦法と三光作戦は非常に良く似ている。

 ただ、日本軍は補給に難のある軍隊で、食料は現地調達が基本だったから、中国
農村で略奪・徴発行為やりまくりで、これがともかく日本軍の悪名を高めてしまった
原因。まあ、蒋介石軍も農民から略奪やってたので、双方とも嫌われてたんだけど。

 ちなみに、「現地調達」は南方方面やフィリピンでもやらかしているので、それで
住民感情が極度に悪化してしまった。
 最初は、日本軍はむしろ「植民地を解放しに来た軍」と歓迎されたんだけど、アッ
サリ憎しみの対象になってしまう。

 「大東亜共栄圏」と言うスローガン自体は悪くない部分もあったんだけど、要するに
〈植民地)統治のやり方が、非常に日本軍はまずかった、と。

220 :農NAME:2006/08/27(日) 23:43:04
 いや、焦土作戦を実行したのは日本軍の方でしょ。
 「三光作戦」の目標は八路軍の農村ゲリラだったのだから。地元農民が主体
だから、自分の村を焦土にする事は無い。むしろ軍事拠点にする。

 この戦法は、そっくりベトナム共産軍に受け継がれた訳で。で、米軍も焦土
作戦「枯葉剤作戦」を行っている。中国の日本軍と、ベトナムの米軍は実に
良く似た立場で戦争をしている。

 あと、軍事常識からすると、戦争での略奪行為や焦土作戦は別にめずらしく
なく、ごこ当たり前の事なので。
 ちなみに、略奪とレイプについてはソ連軍が一番酷く、共産党自身がそれを
煽ったから、ドイツ人はとんでもない目にあわされている。

 いずれ、「日本軍が残虐行為をする筈が無い」というのはセンチメンタルな
感情論に過ぎない。
 「軍隊は規律正しくモラルがあり、略奪行為なぞ絶対にしない」という事な
んてある筈が無い訳で。日本軍だけじゃなくて、どこの軍隊もそう。

 また、日本陸軍は、部隊内で体罰とリンチが横行する、恐怖が支配する集団
だった。これはさすがに産経でも覆せないでしょ。

 そういう恐怖で押し付けられた兵隊が、戦場で集団狂気に狂ったらどうなるか。
 そこは、現代人にはとても想像出来ない訳で。

221 :農NAME:2006/09/03(日) 00:50:05
日本軍は上海を攻撃して占領して以後、中国の抗戦意志を「徹底的にくじき」、中国を屈服させるために、南京の占領を決定した。
11月25日、中支那方面軍事司令官の松井石根の指揮の下で、日本の上海派遣軍と杭州湾に上陸した第十軍(柳川平助中将)は、
三つのル−トに分かれて南京に向かって侵犯した。当時、中国の首都であった南京には約10余万人の守備軍がいた。
事変前の南京の人口は約100余万で、日本軍が接近するに従って一部が西に避難したものもあった。12月8日蕪湖が陥落し、
南京は三方面から包囲されている状態に陥った。揚子江方面では、12月12日の午後、日本艦隊が烏龍江の揚子江封鎖線
を突破し、13日には下関の江岸に到達した。こうして十数万の中国守備軍は、ただ数千人があわただしく渡江、撤退し、
その残りは全て日本軍に捕らえられ殺害された。数十万の身に寸鉄を帯びない南京市民も、日本侵略者の血塗られた刀の
下に倒れていったのである。

12月13日、南京が陥落し、中国守備軍は完全に抵抗を停止し、あるいは南京城外の揚子江沿いの一帯に撤退し、
あるいは武器と軍服を捨て国際委員会の組織した難民区に避難した。日本軍が南京に入城した後、殺害、放火、強姦、
略奪など地獄さながらの残虐行為がおこなわれた。当時、南京の金陵大学に留まっていた教授のベイツ博士は語っている。
「強奪、残虐な拷問、虐殺、強姦、放火など、想像がつく罪悪行為なら何でも、日本軍の入城当初から、
何をはばかることもなく勝手しほうだいに行われた、 ……近代で、この日本軍の残虐行為をしのぐようなものを
探し出すことはできない」と。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/lin2.html


222 :農NAME:2006/09/03(日) 00:59:41
 日本軍の中国全土への進出は、結局、都市と線路の支配(点と線の支配)でしかなかった。補給線の伸びきった日本軍は、
広大な中国を支配することはできなかった。
そして、この点と線を取り囲んだ広大な面…農村地帯を基盤として抗日ゲリラが活躍した。中国共産党八路軍や新四軍の兵士達
である。これに手を焼いた日本軍がとった作戦が「三光作戦」である。満州侵略時に行った「平頂山事件」を中国全土で実施した
のである。ゲリラの潜む村々を焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くしたのである。

 これはゲリラ対策だけではなかった。補給のおぼつかない日本軍兵士にとっては、奪うことは、自らの食糧の補給でもあった。
日本軍首脳はこれを見逃すのではなく、むしろ促進した。この結果、中国民衆の被害は未曾有のものとなり、
戦後も被害総額も死亡者数も定かではないほど、甚大なものとなった。死亡者数5000万人とする研究者も
いるが、あながち過大な数とは言えないのである。三光作戦だけでない。前記した、「731部隊」の人体実験に
よる死者。そして、そこで研究された細菌兵器、毒ガス兵器が実際に日中戦争で使用され、多くの犠牲者を出した。
中国民衆はこれらの兵器の実験材料とされたのである。

 中国戦線で日本軍が実施した犯罪行為はこれだけではない。中国に派遣された日本軍兵士の性の捌け口として、
多くの中国人女性や朝鮮人女性が強制的に連行され、兵士の相手をさせられたのである。「従軍慰安婦」
と呼ばれるこれらの女性には、日本から娼婦も連れて行かれたが、多くは、働き口があるとだまされるか、
拉致されて連れてこられた人々であった。「日本軍性奴隷」と最近では呼ばれることが多くなった
これらの女性は、一日に多いときは100人もの日本兵の相手をさせられ、
性病のかかり、病死した者が大半であった。
http://ws.31rsm.ne.jp/~toolware/history/history42.html

223 :農NAME:2006/09/03(日) 01:14:40
 戦後六十年がたち、戦争体験者も多くが亡くなっている。しかし個人の記憶は次の世代へと語り継がれる。
国境を越えた地道な交流が大切なのだが、逆に最近は歴史教科書問題や靖国神社参拝など、日本の政府や政治家の
国家主義的な動きによってイメージがさらに悪化するという不幸な巡り合わせに陥っている。

 今、私たちに求められているのは、すべてを引っくるめて過去を見詰め直すことだろう。認めるのに苦痛を伴う事実もある。
それを直視する態度は決して「自虐」ではない。むしろ歴史を作る産みの苦しみといえる。

 戦争問題も、そろそろ「許し」の段階にさしかかっていいころだ。だが、「許し」には「裁き」が必要となる。「許し」は「裁き」に
よってのみ得られるものだから。ただし、「裁き」は報復のためではない。加害者が反省して立ち直り、被害者が
それを受け入れるための、次に進む必要不可欠なステップだ。

 そんな時期に、オランダの記者が日本に来たことには、意義がある。個人の話を聞くことで、日本人は単純な
「ロボット」ではないこと、あの戦争でも多くの日本人が親や恋人のことを思いながら死んでいったことなどが伝えられるだろう。

 オランダは日本にとって近代化の恩人。王室があり、もともと日本人が親しみを持てる国でもある。だが、
政府同士の関係ではお互いの顔が見えない。その点、個人の出会いが持つ力は大きい。個人レベルの
地道な対話や交流を、政府が阻害してはならない。


224 :農NAME:2006/09/03(日) 12:25:02
http://home.att.ne.jp/blue/atelier/Tamon-san/Houjouki-tarawa.html
ともに、アメリカと戦った人たちではあるが、日本と韓国とでは、太平洋戦争の受け止め方がまるで違う。日本人は太平洋戦争に、
一部の理を認めるが、
韓国人は、徹頭徹尾、日本からの被害者としての認識である。だから、タラワ島の日本人慰霊塔は、アメリカと戦った日本人の
ための慰霊塔であるが、韓国の慰霊塔は日本人に殺された韓国人のための慰霊塔なのである。

当時の記憶は今のタラワ島住民にも残っている。住民の中にタラワ島の戦いについて、日本を悪く言う人はいない。これは、日本軍
の住民に対する対応が良かったからとも言われている。先ほどの慰霊塔は、実はこれら住民によって保持管理されているのである。

私のタラワ島での仕事が半ばすぎたころである。不思議な話を住民から聞いた。タラワ島には今でも日本兵の幽霊が出ると言うの
である。幽霊は決まって「水をくれ、水をくれ」と繰り返して哀願するという。このような声を聞いたときは、決まって冷蔵庫や
棚の水が無くなっているというのである。

どこまで本当の話か分からないが、アメリカの爆撃に対して、炎天下でのトーチカの中は、蒸し風呂状態であったと思われる。
水を切らした日本兵が水を求めつつ、死んでいったということは容易に想像できる。

タラワ島での経済援助の仕事は、私にとって2つ目の仕事であった。タラワ島での調査は3回行われ、それぞれ1ヶ月
滞在したが、ラジオもテレビも新聞もない生活にただ「帰りたい。」という気持ちでいっぱいであった。

おそらく、4,700人の日本兵も、「早く日本に帰りたい。」という気持ちではなかったかと思われる。帰りたくても帰れなかった
4,700人の兵士の気持ちを考えたとき、私の心臓が「ドキン」と一度大きく脈打ったのを、今でも覚えている。

225 :農NAME:2006/09/06(水) 23:13:54
シーガル氏の知識欲も旺盛で、新製品のカタログを収集するのも趣味のひとつだ。英語、蘭語に堪能だから日本語も
年代的に理解出来るはずだが笑って首を横に振るだけだったが、分厚い眼鏡を掛けてソニーの説明書を夜遅くまで
読んでいるその姿は絵を眺めていたのではない。
或る日、ひょんな事から友人にシガール氏と一緒に住んでいると話したら、
「まさか」との答えが返ってきた。
シガール氏はオッター機の操縦が趣味だった。無線の知識もあった。オランダからの独立を願って民族運動に参加して
故郷を捨て、マカッサルからジョクジャに移った。
メダンにいた時、夫人と知合ったと言った。
夫人の両親が親蘭分子として日本軍に逮捕された。それがもとで結婚したとゆう。両親がどうなったかは薄々解るが
知らない。その後オランダのスパイ容疑で本人が日本軍と、独立軍からも嫌疑をかけられたそうで、どちらの側でも兵隊
のやる拷問は同じだから、日本人と同じ屋根には住まないだろうと言うのだ。
兵隊の尋問では口はあまり使わない。目的を達するにはもっといい方法がある。日本軍はその手の専門だ。
現在の温厚なシガール氏には想像出来ない強烈な意志の時代があったのだが、シーガル氏も相変わらず
ウオークマンに驚嘆し、ズームレンズに強い興味を示す日常に変わりはなかった。
その友人は、彼は優秀で日本語の読み書きも堪能だったがもう歳だからと付け加えたが、後にも先にも俺は彼の
日本語を一度たりとも聞いた事がなかった。その事はある事実を裏付けるが、俺はどうしてもそれを聞く勇気がなく、黙っていた。
http://www.tokada.net/mangaku/mg9.html


226 :農NAME:2006/09/07(木) 21:31:26
日清、日露戦争で日本は勝利していない

  明治27年の日清戦争、明治37年の日露戦争に日本は勝利して、残るは米国だけとなって太平洋戦争に突入したと、
とぼけたことを近代史では習う。これは間違いである。せいぜい飛車や角が前進したために、相手が金と銀を1回だけ
引いただけに過ぎなかったのだ。なぜなら、戦勝国の日本が、では清の戦争責任者を処刑して、日本軍が
清国を支配できたのだろうか。日露戦争でも、樺太と大連の関東州を占領できただけのこと。ただ進駐した日本軍が
勢力を伸ばすことに成功して、中国とロシアの侵略を始めたという事実だけに過ぎない。こんなものは戦勝でも何でもない。
相手はまた飛車、角、金、銀の駒組みを整えて、また反撃を始めるだけのことになる。日本軍は大きな勘違いをしていたのだ。


関東軍の毒ガス作戦

 何も地下鉄サリン事件だけが毒ガス事件ではない。世界最初の毒ガス兵器を製造していたのは日本軍になる。
明治37年の日露戦争で、翌年ポーツマス条約が結ばれる。樺太と大連(関東州)を手に入れた。さらに昭和6年の
満州事変で満州国も手に入れる。そこで関東軍は明らかに毒ガス兵器の製造を始めた。その証拠は今でも中国に
関東軍が隠していた毒ガス兵器の残骸が発見されて、そのガスで被害がいくらでも起こっているのだ。そればかりではなく、
ケシの栽培も行われ、麻薬の密造も現在でも行われているが、それは関東軍が残したものを利用してのことになる。
侵略したよその土地で、日本軍はとんでもないこともしていたのだ。
http://www.ops.dti.ne.jp/~sptaka/newpage5.htm



227 :農NAME:2006/09/13(水) 22:49:52
飢餓の島 メレヨン島の悲劇


 今メレヨン島の名を知っている人は数少ないであろう。東カロリン諸島に属する小さな珊瑚礁の島である。
位置は極めて大雑把に言えばパラオ諸島とマリアナ諸島の間にあるといえよう。

太平洋戦争中、数え切れないほど悲惨、地獄が演出された。この島もそのひとつである。戦後日本人はこの島の
特異な地獄の意味を知って大きな衝撃を受けた。

 太平洋戦争中メレヨン島は戦略的に大きな意味はなく、華々しい戦闘もなかった。
この島の名が有名になったのは、戦後復員第一号「高砂丸」で帰国した生還者が明らかにした地獄の実態からであった。
7,000の兵士のうち生還者は1,624人。他はほとんどが餓死したのであった。敵が上陸しなかったので地上戦闘は起こらなかった。
空襲はあったが、それで死んだのは100人くらいのものだった。

日本軍のゆくところ常に飢えはついて回った。ガダルカナル島が大量の餓死者を出した最初の島だった。ニューギニアでは11万、
フィリッピンでは40万が餓死している。
メレヨンだけではない。しかし戦後判明したのは日本軍隊のもつ、恐るべき非人間性と不合理性である。メレヨンでは将校の生還率は
兵士のそれに比べてはるかに高い。
http://www.hpmix.com/home/hhhnaka/C7_4.htm



228 :農NAME:2006/09/13(水) 22:50:52
01921/01921 PFG00017 半月城 「従軍慰安婦」6、真相解明
(10) 96/06/12 21:23 01874へのコメント

   強制従軍慰安婦の数は8万人ないし20万人と言われています。しかし
その総数は今でもよくわかっていません。それは当事者の口の重いこともあっ
て被害者、加害者ともに名のり出る人が少ないことが影響しています。
   被害者の側で、自分は元強制従軍慰安婦であると名のり出た人の数を、
NHKのテレビ番組ETV(95年)で紹介していました。その数は次の通り
です。

韓国      164人     北朝鮮  260人
    中国       11人     台湾    32人
    フィリッピン  162人
    マレーシア     8人
    インドネシア 6508人

   この表でインドネシアが多いのが目を引きます。これは日本で「女性の
ためのアジア平和国民基金」が設立された後、インドネシア兵補協会の呼びか
けに応じて名のり出た人が多く、それまでの420人から一挙に6508人に
増えました。さらに、96年3月現在では20、704人にもなっています。
一方、中国の数が非常に少ないのも注目されます。これは中国政府が元
慰安婦の発言を抑えているためと思われます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm011.html

229 :農NAME:2006/09/13(水) 22:51:49
http://www.bekkoame.ne.jp/~yamadan/mondai/rmal9/react546.html
グアムでも従軍慰安婦 国連人権委で近く報告−−朝鮮人連行調査団が確認
96.4.3 毎日新聞東京本紙夕刊 
米国領・グアムで地元女性が従軍慰安婦として売春を強制されていた事実を朝鮮人強制連行真相調査団(日本側
団長・鈴木二郎都立大名誉教授)が確認し、当地で行われている国連人権委員会で非政府組織(NGO)として近く報告する。
これまで朝鮮、オランダなどの慰安婦が大きな問題になっていたが、米国領内での慰安婦問題が国際社会で
取り上げられるのは初めて。調査団は昨年から米国領内に存在したとされる慰安婦の実態調査を行っていたが、
米国立公文書館のマイクロフィルムや日本政府の法務省に残されていた裁判資料から、日本軍にグアム島が
占領された3カ月後1942年2月、グアムの日本人会幹部が地元女性2人を強制的に慰安婦にし性的虐待を
強いていたとする裁判資料を発見した。法務省の資料では「現地の女性を慰安婦として日本軍にあっせんしていた」と
記述されており、この日本人会幹部は、戦後、グアム戦争裁判で売春強制罪などに問われ15年間の強制労働の
判決を受けていた。資料は同委員会のクマラスワミ特別報告官(スリランカ)も入手、「旧日本軍の行為は
人道に対する罪であり、元従軍慰安婦に対する国家補償と加害者の処罰が必要だ」として2月に公表した
特別報告書の基礎にもなっている。 同調査団は「グアムのケースは戦争犯罪として法的に処罰されており、
従軍慰安婦問題の法的責任を日本政府が明確にしないのはおかしい」としている。


230 :農NAME:2006/09/13(水) 22:53:01
 楊明雄さんの闘争では、彼は北海道に行っていて参加していない。カズが具体的に何を考えていたかは分からないが、
朝倉と思想的に一致していたわけだから、日帝に対する憎しみは持っていたに違いない。例えば、日本軍を定義
してみろといわれたら、東北の農民軍とかってみんないうと思う。でも、ポナペ決死隊知らないとか、朝鮮人日本兵、
高砂義勇隊というのは誰も知らない。つまり帝国主義軍隊というのは尖兵に現地軍をあてるわけで、イギリス
におけるグルカ兵とかフランスにおけるセネガル兵、ロシアにおけるラット兵と、全部一番ひどい戦場は自分たちの
植民地地域から兵隊を出しているわけ。その中で日帝が一番ひどい。終わったら、全部チャラにしているんだから。
 カズに関して、ぼくが非常に高く評価しているのは、「自殺」だよね。これはこっちの気持ちに残る。そこまであいつは
覚悟していたんだなという感じがする。テロリズムの問題というのは、一九六四、五年に一つ、文学的に埴谷雄高さん
とか高橋和己さんなんかによって提起されていた。そのころぼくは、セルゲイ・ネチャーエフというロシアの
アナキストが非常に好きだったから、そこから影響も受けた。それから六〇年代の末、演劇を中心にカミュ
の「正義の人々」という戯曲がかなり問題になっていた。テロリズムというのは、日常的に内ゲバもあったし、
活動家は考えなければいけないテーマだった。やっつけなくてもいい奴をやったり、味方同士殺しあわなければならない
状態というのがあって、カズはその点を一番考えていたんだろう、と思う。
http://share.dip.jp/hannichi/sien/no191/hiraoka3.html


231 :農NAME:2006/09/13(水) 22:53:31
阿部頌二 (しょうじ)
大正8年(1919)〜昭和20年(1945)

 第二次世界大戦終戦後、インドネシアで虐殺事件が起き、多数の日本人が殺された。その時、
一日本人が獄舎の中で白壁に自らの血で、
 「インドネシア独立に栄光あれ」と書いて死んで行った。
 この憎しみを越えた行為に感動したスカルノ大統領は、
六万四千人の軍人軍属を無事日本へ送り届けた。

 身を殺して仁を成した日本人・・・この人が、湯の浜亀屋生まれの阿部頌二である。

 太平洋戦争で占領下にあったジャワ島に渡り、軍から届く宣撫工作費を現地人が必要を痛感していた諸建設費に廻し、
現地人の独立心の啓倍に勤めていた。この行為も報われることなく獄舎の人になっていたのである。

「インドネシア独立万歳の血書して、玉と砕けし日本男の子(やまとおのこ)よ」
村羊の詩碑が亀屋に残る。
http://ch.kitaguni.tv/u/117/0000097303.html


232 :農NAME:2006/09/13(水) 22:54:12
インドネシアのババル島で旧日本軍、住民400人を虐殺

 朝日新聞 1986年(昭和61年)11月23日 朝刊 第1面より 

  太平洋戦争末期の昭和19年11月、南海の小島、ババル島(現インドネシア領)を占領していた旧日本軍第5師団の部隊が、
住民400人以上を虐殺した事件があったことが、戦史研究家が入手した同師団参謀部作成の極秘書類で明らかになった。
書類では戦争犯罪人の追及を恐れてか、「虐殺」を「原住民の反乱」と言いくるめようと、師団長あての報告書の内容を2回に
わたって変更していく過程が克明に記録されている。戦史研究家はこの書類をもとに、25日発売の雑誌「歴史と人物」
61年冬号(中央公論刊)で、戦後40年以上隠され続けてきた住民虐殺事件を告発しているが、関係者は、
朝日新聞社の取材に対して、「報告書を改ざんすることで、戦犯として訴追されることを免れた」と認めた。
【現在では東チモール領と思われる:HP作成者】

 書類を入手したのは、戦後、自宅を「兵士庶民の戦争資料館」として開放し、庶民の戦争史を追い続けている武富登巳男さん(68)=
福岡県嘉穂郡穂波町。昨年夏、福岡市内の百貨店で、個人の戦争展を開いた際、趣旨に賛同した知人を通じて手に入れた、という。

 書類は陸軍規格用便せんを使い、手書きと謄写版刷りの3通の報告書など計34枚をとじ込んだもの。表紙には墨で
「『ババル』島事件関係書類綴 参謀部」、右肩に赤鉛筆で「閲覧ヲ禁ス」とあった。
 ババル島はニューギニアとチモール島のほぼ中間にある小島で、オーストラリアに隣接する当時の最前線。書類の
最初にある昭和21年1月17日付の報告書(歩兵第42連隊第12中隊長名で小堀金城第5師団長あて)によると、一連の事件は、
19年10月27日、同島のエムプラワス村にたばこを買いつけに行った海軍嘱託が、口論のすえ村長を殴り、怒った村長に現地人の
密偵とともに殺されたのがきっかけだった。
http://homepage3.nifty.com/sensou-siryou/sub6.htm


233 :農NAME:2006/09/13(水) 22:55:02
日本がインドネシアを独立させたかのような言い方をする方がいます。これこそデタラメの極地なのです。

確かに、オランダの植民地統治はひどいものでした。だから、太平洋戦争が始まって、日本軍がジャワ島に上陸すると、
多くのインドネシア人が日本軍に協力しました。兵力では圧倒的に優勢だったオランダ軍があっさり日本軍に敗れ去ったのは、
インドネシア人の抵抗と日本軍への協力によります。

が、
日本軍は、このインドネシア人の期待を、ものの見事に裏切った。
インドネシア人は独立を望んでいました。スカルノらの独立運動の指導者たちが日本軍に協力したのも、独立を獲得するためです。
ところが、日本がインドネシアを占領したのは、決してインドネシア解放のためではなく、その反対。有り体に言って
インドネシアの石油が欲しかったからです。
1943年5月31日の御前会議で決定された「大東亜政略指導大綱」は、マレー・スマトラ・ジャワ・ボルネオ・セレベス(つまり
インドネシアの大部分とマレーシア・シンガポール)は帝国領土とすると定めています。
つまり、インドネシアを独立させる気は、日本軍には全くなかったのです。それを反映して、戦時中日本が占領地の
傀儡政権を集めて行った「大東亜会議」に、インドネシアの代表は、呼ばれもしませんでした。

http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_reply?reply=18040


234 :農NAME:2006/09/13(水) 22:55:44
3 太平洋戦争と南方戦線

精一がこうしてニューギニア戦線で死線をかいくぐっているとき、父常男は子供達の身を案じながら昭和19年(1944)
10月24日に水戸で没した。享年66歳であった。精一は南方戦線で滅多に父親の夢を見ることはなかったが、
唯一度夢に父親が出てきて「お前の命はわしが守ってやる」と言って消えていったことがあった。この正確な
日時は忘れていたが、精一は引き揚げ後、ちょうどこの夢を見た時期に父が死去したことを知り、
感慨を覚えた。残された母ゆうは水戸市梅香の屋敷の半分に建てられた長屋の賃貸収入で梅香の家を
守っていたが、翌昭和20年(1945)7月の水戸大空襲で家屋敷をすっかり焼失し、つてを頼って東茨城郡
岩船村に疎開をすることとなっていた。
(略)
こうした困難の中においても精一は得意の語学を活かして原住民との親交を深め、充分とは言えないながらも
分隊の食糧を確保することができた。 精一は原住民からは「キャプテン、キャプテン」と呼ばれて慕われ、
遥か後の平成11年には、酋長の孫から「亡くなった爺さんがよく話を聞かせてくれたキャプテンに
是非彼が大切にしていた人形を渡したい」 と人伝に高さ30cmばかりの木彫りの人形(写真)を贈られている。
http://www.katogi.com/history/seiichi03.htm


235 :農NAME:2006/09/14(木) 23:23:37
http://www008.upp.so-net.ne.jp/bio/indonesia.html
インドネシア人の人柄

みんな人柄はいいです。親日的だからなのか,もともといい人なのかわかりません。たぶん,どちらも当てはまるのではないかと
思います。親切な人が多いです。

 スンバワ島で,街をぶらぶら歩いていると,寄って行けといわれコーヒーやお菓子をごちそうになったこともありました。
バリ島では,これはないと思いますが,観光客の珍しい地域だと,こういうこともよくあります。いろいろ親切にしてくれて,
雨がふって雨宿りしていたときも,家の中にいれてくれて,ケーキを食べさせてくれたり,日本では考えられないこともしばしばです。

 インドネシアは,世界大戦中,日本軍が駐留していたところでもあるので,年輩の人で多少日本語の分かる人がいました。
といっても,「気を付け」「回れ右」などの軍隊用語だけでした。占領下に置かれていても,日本人に対しては
好意的でした。なぜかはよく分かりません。私には,ほんとに親切にしてくれました。この人とは,街で道を聞いただけなのに,
家に来いと言われて,ついていって,お茶を出してくれました。その上,私が日本人だから,旧日本軍の軍人が
その男性に贈ったが本などを見せてくれました。今でも,旧日本軍の軍人と交流があるようで,何年か前に旧日本軍の軍人
が遊びに来てくれたと言っていました。



236 :農NAME:2006/09/15(金) 22:57:46
残りの1%は、「安倍氏の発想の根っこにあるのは、あの戦争を侵略戦争と言いたくないという歴史観だろう」という点です。
これを「安倍氏の発想の根っこにあるのは、あの戦争を侵略戦争と言いたくないという歴史観だ」としてくれていれば100点をあげましたね。(笑)

しかし本当に安倍晋三って奴は国賊であるだけでなく国辱ですね。日本が犯した先の戦争を侵略と認めなかったり、
「日本が犯した先の戦争を侵略と認めない靖国神社」を参拝しておきながら参拝したと認めなかったり、誰もが知っている
「軍国主義分子と広範な日本人民とを区別してきた」中国に対して文書がないから認められないと発言したり・・・、
政治家としてあるまじき行いであり正気の沙汰ではありません。こんな奴が本当に総理大臣になるの?こんな奴を
本当に総理大臣にしてもいいの?こんな奴が圧倒的に支持されている自民党って何?こんな奴を圧倒的に支持している
自民党員って何?
http://blog.nojijizm.jp/archives/50754363.html


237 :農NAME:2006/09/17(日) 00:38:02
言及することさえ「阿呆らしい/恥ずかしい」という意味に於いては、まさに字面通りの「最右翼」であろう。
憐れな道化。もはや記憶力も言語/思考能力も衰え、過去の「幻想」にすがり付くことでしか余命を生きられぬレイシスト。この真性の馬鹿には、もはや何もかも手遅れだ。

ボランティア精神に溢れる「美しい」安倍晋三よ、
イシハラが死ぬまでオマエが介護してやれ。




238 :農NAME:2006/09/17(日) 18:32:30
大日本帝国の加害の歴史の否定を許さないという思いを持ってはいます。
南京事件をはじめとする過去の日本軍の蛮行を否定する人や証言者の日本軍の被害者たちをを侮辱する人
が存在するのは大変嘆かわしく思う。
先の大戦からすでに60年以上経過しているが、日本は未だに戦後補償をして
いないし、今も苦しんでいる人々がいるということを認識し
なければいけないと感じます。
 日本軍の蛮行は紛れもなく史実だし、戦争から60年以上たった今、具体的な戦後
補償を考えることが重要なのに、事件があったなかったという議論をしている
場合ではないと思う。でもこれが今の日本の現状だし、この現状を変えるため
には日本の加害の歴史を伝えていく必要があると強く感じた。
 今の歴史教育では被害の歴史ばかりに目を向けられているが、加害の歴史を
知ること、そしてそれを伝えていくことの大切さを感じた。




239 :農NAME:2006/09/22(金) 22:00:42
http://www.doblog.com/weblog/myblog/73025/24#24
。「A級戦犯を含めた先の大戦の評価は歴史家に委ねたい」などとほざいた口の下から「A級戦犯が
犯罪人かといえばそうではない」などというとんでもない「評価」を下しているのである。15年戦争は
日本が起こした侵略戦争だったという、世界中の常識であり、小泉首相も日本政府の公式見解でさえ
認めている歴史観を真っ向から否定しているのである。これでは、安倍が首相になった暁には、
国際関係において安倍が唯一頼りとしている日米関係さえ破綻しかねないだろう。

そしてこの男が政権についたとき、最大の課題としているのが、憲法と教育基本法の改悪である。集団的
自衛権を認めてアメリカが世界中で行う戦争に第一の子分として付き従い、子供たちには「愛国心」という名
の盲目的服従心を植え付け、国家が行う戦争に喜んで参加するようなロボット人間を大量生産するという
野望を抱いているのである。

240 :農NAME:2006/09/23(土) 11:59:19
 エルテルが村の老人から聞いた話では、戦時中、そのハベマ湖に日本兵がやってきたというのだ。それは僕
にとって飛び上がって驚くほどの内容だった。何故なら、この湖はこのニューギニアに展開した日本軍にとって
特別の思いが秘められていたことを知っていたからだ。
「鰐部隊とパプア人マンドル」という、徳野明さんという戦時曹長だった方が書いた戦記がある。戦争当時、この
イリアンジャヤの北岸には特命を帯びた特殊機関がいくつかあって、鰐部隊とはそのなかでマンベラモ川流域に
駐留した部隊の名称だった。この部隊が別名「ハッへマ探検隊」と呼ばれていた。ハッへマとは
ハベマ湖のことで、彼らの任務は、マンベラモ流域からこの湖に達し、偵察活動を行うことにあった。
日本軍の上層部がこの湖を目指した理由は、そこが高冷な気候で、新政府の拠点を置くのにふさわしい
場所だと認識していたためである。結局のところ、鰐部隊はマンベラモ川が二股に分かれる場所までしか
到達できなかったが、終戦後、行方の知れない部隊があって、その彼らがいまもこのイリアンジャヤの
どこかで生き残っていると噂されたことがあったらしい。
http://www.geocities.jp/tassyexploration/nikki/wamena_nikki_200510.htm


241 :農NAME:2006/09/23(土) 12:17:58
■2003/07/30 (水) 独立記念日と大使館の思い出

結婚した年のインドネシア独立記念日はジャカルタで過ごしました。予々戦争で勝利を勝ちっとった国の
終戦記念日を見てみたいと思ってました。「今頃日本では戦争を悔やむ番組がガンガン放送されてるんだろうなー」
と思いながらワクワクしてジャカルタの状況を見つめました。思った程ではありませんが、独立を祝う催しや
テレビ番組をやってました。

日本が負けた〜〜(泣)

わしは玉音放送を聴いてうなだれる日本人のマネなんかをしてました。エスの家族は日本軍に酷い目に
合されなかったようで、気を使ってくれてるのか、義父さんは「日本軍のお陰でインドネシア軍は戦争の
仕方をマスターし、無事オランダから独立できたんだよ」と言ってくれました。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=326698&log=200307


242 :農NAME:2006/09/25(月) 22:47:50
 食事をしながら,僕らは先生から昔,日本兵はボルネオで華僑の人に随分とひどいことをしたという話
を聞きました。日本とボルネオ,特にSDKとの間には,昔から常に何らかの関係があったようです。かつて,
北ボルネオの首都であったこの町は,日本から「からゆきさん」と呼ばれる日本の女性達が,娼婦としてやって
来ていました。その後,第2次世界大戦の時には日本に占領されて,町は徹底的に破壊されました。その時に,
華僑の人達は日本軍によって大量に虐殺されました。そして,昭和40年代ころから現在に至るまでは,SDKは
南洋材の積み出し港として,日本との取引の重要な位置にあるのです。こういったことを考えると,こうして
ビールを飲んでいるこの街が,何かとても日本に近いというか,日本と繋がっているような不思議な気持ちになりました。
そして,日本軍に虐殺された華僑の人達のことを思うと,僕ら日本人はこの街の人達から,どのように思われていて,
どのような行動をとればよいのかと,とても複雑な気持ちになりました。こんなことを考えていると,
僕は何だかとてもどんよりとした,重たい気持ちになっていました。僕らは,この街で何をすればいいのだろうか。
僕には,この街の人々を救うことはできないし,日本には日本の生活があって,日本の社会を変えることだってできません。
そんなこと言ったら,僕だって救って貰いたいくらいです。
http://www3.ocn.ne.jp/~yamo/abb01.html



243 :農NAME:2006/09/25(月) 22:49:48
2ヶ月ほど前、ranauという町に一人で行ってきた。目的は私はサバ州に住んでいながら
サバ州に関してはコタキナバル以外行った事がなかったということと
太平洋戦争中サバ州は日本軍の領地下にあったことも含め、サンダカンからこのラナウまでの道は
Dead Road。。死の道と呼ばれいたこと、正確な数字は忘れたが、確か2400人とかの捕虜をサンダカンから
このラナウまで歩かせ生き残ったのはたったの4人だったという。
日本兵はここサバを占拠し、沢山の残酷なこともしてきた反面、現地の人に稲作を教えたり
色々と心の交流を深めた兵士も沢山いたりする。
現に、コタキナバルで「4歳のとき日本兵に死にそうになったところを助けてもらった」中国人の知人
は毎週のように日曜日に会っているが、日本人への感謝は死ぬまで忘れないと言っている。

このラナウに行ったもう一つの理由は(これが一番大きい)
あるマラリアと赤痢にかかった重症の日本人兵士がサバの現地の人に助けてもらった手記を
たまたまインターネットで見たことがきっかけ。
その手記をお気に入りにとっておかなかったことを後悔してる。
あれから何度も探すが見つからない。それはそれはなかなかいい話だった。
見つかり次第、ここで紹介します。
http://www.geocities.jp/dialogue2004jp/diary24.html

244 :農NAME:2006/09/26(火) 23:13:50

「20世紀最大の人身売買」 米下院、慰安婦決議案を採択
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/15/20060915000045.html
慰安婦決議案に尽力した米下院エバンズ議員
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/15/20060915000046.html


245 :農NAME:2006/09/26(火) 23:18:55
米下院「日本は元従軍慰安婦に謝罪・賠償すべき」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=79879&servcode=200§code=200

246 :農NAME:2006/10/02(月) 23:33:41
一つは、靖国神社の歴史観、つまり日清・日露戦争から始まって中国侵略、太平洋戦争、この戦争のすべてが、
“アジア解放、自存自衛の正義の戦いだった”というこの歴史観を、是とするのか非とするのか。私は、
安倍さんと一年前にテレビの討論番組で論戦したことがあります。彼は「歴史が判断するだろう」としか
言わないわけです。言わないではすまされない問題だと思います。

 二つ目は、「村山談話」の問題です。一九九五年、戦後五十年に出された談話です。過去の戦争について、
「国策を誤り」、「植民地支配と侵略」をしたことへの反省を述べているわけです。(安倍首相は)
これを引き継ぐと言わないのです。非常に重大な問題です。

 三点目に、一九九三年に出された「従軍慰安婦」問題の河野官房長官談話です。安倍さんは「根拠が崩れた」といって、
「修正」を求めてきた経過があります。三点で歴史認識が問われてきます。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-10-02/2006100204_03_0.html



247 :農NAME:2006/10/07(土) 00:29:21
 安倍氏が総裁候補や首相になってからは、村山、河野談話は「政府としては、引き
継ぐ」「自分の内閣では、政府の見解は変えない」と言うようになったが、「歴史の
認識や評価は歴史家の判断に委ねるべきものだ」と強調して、自分の歴史観を語らない
ままであった。そこで、安倍氏本人がこれらの談話の内容に肯定し、納得しているのか
を問題視する声が少なくなかったのでのである。

 国民の中には「国のTOPである首相は、あの戦争の性質や責任、反省をきちんと
認める人であって欲しい」と思う人も少なくない。そうでないと、また戦争を起こす
ような方向に向かう政治を行なうかも知れないし、国として歴史や平和主義の教育の
仕方を変えようとしたり、国家主義的な教育、施策を行なおうとするおそれもある
からだ。
 また、中国、韓国をはじめとするアジア外交への影響も大きいし、首相として東京
裁判の正当性や日本の侵略政策を否定するような発言をすれば、欧米からも批判され
る可能性が高い。
http://mewrun7.exblog.jp/4272256

248 :農NAME:2006/10/07(土) 00:31:21
官邸か側近に、極右グループとは違うマキャベリストがいるのだろう。マキャベリが簡単に
言ってしまえば「神を信じるなんて馬鹿なことをしてはいけないが、決して大衆の前で『神を信じない』と言明するような、
もっと馬鹿なことをしてはならない」と言ったように、総理として、国会で歴史認識について本音を言うようなことをしては
「教育基本法改正と集団的自衛権についての憲法解釈変更はじまり、第9条など日本国憲法廃絶に至る中心課題が
実現できない」と諭し、安倍氏も受け入れたのだろう。

もともと新宿高校の新左翼だった塩崎官房長官か、党本部に利害関係のあるIT業者ばかり連れてきているという
世耕補佐官か。マキャベリを「しっかりと」読んでそうなのは中川幹事長だが。馬鹿な右翼が相手なら戦いやすかったが、
ずる賢い権謀術数家たちとの長い戦いが始まったようだ。
http://morita-keiichiro.cocolog-nifty.com/hatsugen/2006/10/post_cbc5.html



249 :農NAME:2006/10/08(日) 00:13:34

村山政権は、 敗戦50周年を来年に控え、 去る8月31日、 戦後処理問題に関する談話を発表しました。 これは、
「戦後補償はサンフランシスコ条約に基づき政府間で解決済み。個人への補償はありえない」 としてきた、
歴代の政府には見られなかった、 戦後補償に関する幾つかの新たな提案でした。 中でも注目されるのが、
元 「従軍慰安婦」 に対する 「民間募金による見舞金」 案です。

そこには、 「名目は見舞金だが、 実質的な償い」 としたい現政権の苦しさが見てとれます。しかし、 このような
一時的見舞金構想が、 裁判を起こしてまで、 日本政府に謝罪と補償を求めている元 「従軍慰安婦」 たちの真意とは、
ほど遠いものであることも、 また、 事実なのです。

国としての責任を回避したまま−例えば、 被害者からの具体的な被害状況や、 それに対する訴えを聞くこともなく、
また、 独自の現地調査を行った上での補償案作り・提示もしないうちに−、 一時的 「見舞金」 を
支払うことによって決着をつけようとする、 日本政府の姿勢は、 経済大国である日本の男たちが、
今日、 アジアの女性たちをお金で買うことと、 まさに同じであると言わざるを得ません。

これは、 被害を受けた女性たちに対する、 侮辱の上塗りに他ならないのです。 彼女たちが真に望んでいるのは、
憐れん憫びんや同情ではありません。 彼女たちが真に望んでいること、 それは、 日本国家からの正式な謝罪
であり、 その具体的な証しとしての補償、 戦争によって失われた、 人間としての尊厳や生きる権利を
正当なものとして回復し、 残された時間を安心して生きられるための補償、 つまり、 個人補償なのです−
この点において、 アメリカやカナダは、 「戦後補償はサンフランシスコ条約に基づき政府間で解決済み」 である
にもかかわらず、 強制収容した人々への個人補償をしています。 また、 ドイツも、 元軍人・軍属のみを
対象に限定しない、 個人補償をしています−。

私たちは、 キリスト者として、 「償いとは何であるのか」 を、 自らに問い直す必要があります。 もし、
このような政府案に安易に同調するならば、 教会として、 再び、 過ちを犯すことにもなりかねないのです。
それゆえ、 私たちは政府案による 「民間募金」 への協力は致しません。

250 :農NAME:2006/10/08(日) 14:27:35
★核実験より危険な政権 ご都合主義の「政経分離論」
http://meim.exblog.jp/5816916

251 :農NAME:2006/10/08(日) 15:45:36
そうして言葉にも文化にもある程度慣れ、留学生活も残り一月となった頃、私は友達の故郷、イリアンジャヤ島へ付いていくことにしました。
ゼミの先生の心配をよそに、片道1週間をかけ、船でいくつかの島を経由しながら目的地Fakfakへ。イリアンジャヤと言って
ピンときますか?ジャワ島からは遠く東に離れていて、身体的特徴や、普段話す言葉、宗教への信仰度、生活水準なども
ジャワ島とは違います。ここでは、友達に案内してもらい、森と川を上って向かった先で、第2次世界大戦中に日本軍に
教育されていた、元インドネシア人兵士のおじいさんに出会う事ができました。そして、このおじいさんから日本軍の残した
軍隊用語や暴言、海軍の歌などを聞かせてもらえました。おじいさんは58年ぶりに日本人を見たそうです。
私をみて昔を偲び、日本人がまた訪れた事に感謝をされましたが、私は複雑な思いでした。この他にも、イリアンジャヤへ
行くまでの船の中では、いろんな人々に出会いました。故郷に戻る人、金を掘りに行く若者、派遣された軍人さんなど
様々で、自分がそこにいることを不思議に感じました。まさに、「一期一会」なのです。このイリアンジャヤへの旅では
非常に貴重な経験をし、自分が少したくましくなったのではないかと思います。
http://www.nanzan-u.ac.jp/cie/taiken/tai_01.html

252 :農NAME:2006/10/08(日) 16:03:10
事例(2) 日本軍占領期(5)

 1942年1月から1945年8月までアンボンは日本軍占領下にあったが、この期間日本にとっての戦況の悪化にともない、
次第に地域外との連絡が途絶え、食糧不足が深刻化した(6)。この時ブトン人が、地域内の島々の高地での野菜栽培によって
経済的に重要な地位を得たといわれている(7)。
http://www.h6.dion.ne.jp/~kawan/report/kawano.mht



253 :農NAME:2006/10/08(日) 23:57:06
八紘一宇の大理想・大東亜共栄圏。つまり「天皇の治める神の国日本は、ほかのどの国よりも優れている。
野蛮なアジアの国は日本の領土とし、天皇が治め、教育をしなければならない」。「世界に冠たる日本」を夢見た
軍部は「日の丸」の旗のもと軍国教育をしながら、朝鮮や、中国、そして東南アジアに侵略の矛を進めていきました。
そして、日本軍の行った残虐行為は、あのヒトラーのナチスドイツ軍をも上回るものでした。七三一部隊により
生物化学兵器の開発とそのための生体実験、そして各地での大量虐殺など、どれを見ても正視できない残虐さです。
国内では、大久野島で大量の毒ガスが生産され、中国で実際に使用されました。また、多くの外国の人たちが労働力や
慰安婦として強制連行された事実もこれまでの歴史教育の中では常に覆い隠されてきました。

しかし、加害性を含めた日本のあやまちの歴史を正しく認識することなしに、私たちが同じあやまちを避けることは
極めて可能性が少ない事です。「さるべき業縁のもよおさばいかなるふるまいもすべき」とおっしゃられた親鸞聖人
のお言葉をかみしめつつ、日本の加害の歴史を、私の可能性と受け取り、掘り起こして伝えていきたいと思います。
http://www.aki.or.jp/peace/peace_exhibition/30.html

254 :農NAME:2006/10/09(月) 00:26:50
[2]安倍氏が目指す『美しい国』とは−−グロテスクな反動的・反人民的国家

(1) 安倍氏は「美しい国」「戦後レジームからの脱却」など耳ざわりのいい言葉で、人々の関心を
引きつけようとしている。しかし安倍氏がそのような言葉でごまかそうとする国はどんな国なのか。
−−それはまず、戦争放棄、基本的人権、国民主権の3原則で成り立つ日本国憲法を廃棄する改憲国家である。
−−日本の過去の侵略戦争を賛美し、日本軍性奴隷などの数々の戦争犯罪を覆い隠し、戦争責任問題をきれいさっぱり
反故にする「開き直り国家」である。
−−アメリカが強引に推し進めているイラク、アフガンなどの侵略戦争を支持し、より一層の日米同盟の強化と基地再編、
戦争加担、自衛隊の海外派兵を目指す「戦争ができる国家」である。
−−朝鮮民主主義人民共和国などに対して強硬外交一本槍で突き進もうとする「力の外交の国家」である。
−−生活保護を切り捨て、不安定雇用を拡大、弱者や低所得者に矛盾を集中し、悔しかったら努力しろと「再チャレ」精神
を強要する格差国家・人民収奪国家である。
−−国家のために命を投げ出すことをいとわない若者や、国策のためには自らの犠牲も甘受する国民を作り出すため
の教育改革を行う洗脳国家である。
 結論を先に言えば、「美しい国」とはそのような醜悪極まりない反人民的・反動的な軍国主義国家、
「危険な国」のことなのである。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/japn060919.htm



255 :農NAME:2006/10/09(月) 00:36:13
(4) 安倍氏は、これら右翼的な会の有力なメンバーとして1990年代の後半から、つくる会教科書
の採択運動を積極的に押し進め、高校や中学校の教科書から「従軍慰安婦」の記述を抹消させたという、
右翼勢力の中では輝かしい経歴を持っている。
 特に、2004年5月には当時自民党幹事長でっあった安倍氏は、「教育基本法改正促進決議・意見書」
なるものを各地方議会で採択するよう自民党地方組織に通達した。これは、「全国キャラバン隊」を組んで
6月の地方議会に圧力をかけた右翼団体日本会議の行動と事実上一体となった活動であった。
NHK番組改竄事件では、中川昭一議員とともに、NHKに圧力をかけ、「従軍慰安婦」問題と天皇の戦争犯罪を
裁く女性国際戦犯法定の番組をねじ曲げ、特に最重要の場面であった「昭和天皇有罪判決」部分を
削除したことが明らかになっている。
※女性国際戦犯法廷番組、改ざん強制問題(1) (署名事務局)
※女性国際戦犯法廷番組、改ざん強制問題(2) (署名事務局)

 歴史をねじ曲げ、侵略戦争の恥部を教科書から抹消し、天皇の戦争責任を否定し、「天皇は歴史上ずうっと
『象徴』だった」、1977年以来靖国裁判で「参拝自体は合憲とされている」(『美しい国へ』)などとウソ八百を
並べ倒した。安倍氏は、歴代政府が受け入れてきた「東京裁判」や日本の植民地支配と侵略を不十分ながらも
詫びた「村山談話」を公然と否定する。そして否定しながら、正面から自分の考えを出さずに「あの戦争の評価は
歴史家にゆだねられるべきだ」などと、責任逃れをする。このような人間に教育を語る資格があるのだろうか。
 それにも関わらず、安倍氏はライブドア事件、長崎の同級生刺殺事件などことあるごとに、何の脈絡も根拠もなく
「教育基本法が問題」と発言するなどし、教育基本法への敵意をあらわにしてきたのである。
※安倍官房長官:ライブドア事件は「教育が悪いからだ」(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060217-00000006-mai-pol
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/japn060919.htm


256 :農NAME:2006/10/10(火) 23:19:04
アメリカは金正日が昭和天皇・東条英機と同じになることを望んでいる。

 ブッシュ・安倍・救う会などの集団が北朝鮮を経済制裁で追い込み、核実験声
明ま
でに追い込んだ。
北朝鮮はちょうど日本が過去のアメリカの経済制裁によって、勝てないとわかっ
てい
た日米開戦に踏み切った状態に似ている。
 北朝鮮が暴発することをアメリカは望んでいる。これまでのアメリカの手口で

る。
被害に遭うのは北朝鮮の国民は勿論、韓国と中国と日本の国民である。
 救う会などの拉致被害者家族を利用している右翼は初めから武力攻撃を望んで
いる。もし北朝鮮が窮鼠猫を噛むで旧日本帝国主義者と同じように暴発すれば、
拉致
被害者などはとっくに吹っ飛び、数十万を超える被害者がでる。
そのことを拉致被害者家族はどう考えているのであろうか。
彼らは北朝鮮との国交正常化をなぜか口にしない。
「世界は白人と男支配」アメリカ帝国主義者はアジア人どうしが戦うことを望ん
でい
る。
MDなどを日本に売り込み、儲ければ良い。韓国・日本・中国の国民がお互い戦
い、
殺しあうのはアメリカ政府の望むところである。

257 :農NAME:2006/10/10(火) 23:20:15
@北朝鮮の核実験を戦争の道具にしてはならない

北朝鮮政府は、本日9日、地下核実験を成功させたと発表しました。
北朝鮮の核実験強行に日米の戦争推進勢力はわきたっています。
戦争推進の歴史認識で追いつめられていた安倍改憲政権は
この事件に喜びをかみしめています。

北朝鮮を核武装に走らせているのは、日米の米軍再編であり、
北朝鮮に向けられている米軍の核兵器の存在であることは明らかです。

しかし日米の軍事圧力に対して、核兵器で対抗しようとすることは、
核で世界を支配しようとするアメリカ帝国主義と同じ野蛮であり、
平和を願う世界の民衆の存在と闘いを裏切るものです。
北朝鮮政府は、日米の戦争から自国を守るためには、核兵器ではなく、労働者民衆への
平和の呼びかけこそが今もっとも必要なことだと思います。
北朝鮮政府は、核武装路線をただちに撤回すべきです。

他方で、今何よりも危険な問題は、北朝鮮を攻撃しようとしている日米政府とその御用マスコミが、
北朝鮮の核実験を利用して、いよいよ北朝鮮に対する戦争体制の構築、米軍再編と日本の憲法改悪を
推し進めようとするということです。

彼らの最大の矛盾は、8月30日のアメリカの核実験には
http://groups.yahoo.co.jp/group/peacemag/message/292
まったく反対しないくせに、北朝鮮の核実験だけは許さないとしている矛盾です。
北朝鮮の核実験に反対するのなら、すべての国の核実験に反対するべきなのです。
アメリカは良くて北朝鮮だけはダメだということは、アメリカの核攻撃を容認するものです。

北朝鮮の核実験に対する私たちの回答は、北朝鮮を攻撃するための軍備拡大、憲法改悪ではなく、
すべての核兵器の撤廃、米軍再編や憲法改悪の阻止でなくてはなりません。
これは戦争をやりたがっている日米政府の道具にしてはなりません。世界が非難する北朝鮮が持とうとしている兵器を
すでに米軍はもち、使ってきたのですから。

258 :農NAME:2006/10/14(土) 17:55:44
私は戦争に反対している日本人です。
日本政府が北朝鮮の核実験を利用して、戦争のための制裁を始めていることを許
すことは出来ません。
いま日本社会は、戦争推進の安倍政権と御用報道によって、戦争扇動の世論が作
り上げられています。
日本政府が制裁の先頭に立っていることを申し訳なく思っています。
日本の多くの人は平和を望んでいます。
制裁が何をもたらすのか伝えられていません。
中国政府が北朝鮮への制裁決議に、拒否権を行使することを心からお願いいたし
ます。


259 :農NAME:2006/10/15(日) 23:21:57
メディアが煽る北朝鮮脅威論と経済制裁の功罪   
http://www3.ocn.ne.jp/~yy-dprk/mediaga.htm

260 :農NAME:2006/10/16(月) 22:40:54
重複ごめんなさい
根深い侵略主義を引きずる日本に核兵器を持たせては危険きわまりない!

パンフレット新発売  安倍政権=地上に現れた「地下政府」?  
             ―戦争と平和・人間の根本問題を考えるー
http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/061010panfu.html

おかげさまで、現時点で47名から300部を超えるご注文をいただいた状況です。
ありがとうございます。北朝鮮のミサイル発射・核実験を契機に、日本
核兵器武装論が、中曽根元首相・石原都知事・中川昭一政調会長らの権
力者層から公然と提起され、アメリカでもこれを推進する論調が出始め、加
えて国内のあるインターネット世論調査では3分の1がこれを支持するなど
一般国民の口からもごく自然に出てくる状況となっています(末尾に列挙しま
した)。

これは、「唯一の被爆国」・核兵器廃絶への逆行というだけでなく、根深い
3世代にわたって国民精神を総動員した侵略国家であり、今もそれを引
きずっている日本に核兵器を持たせたら、危険きわまりないことになるとい
う、このパンフの中での海外派兵・戦争や憲法大改造への反対の論理と共
通している課題でもあります。だからこそ、また、戦時・日常を問わず一切の
人殺しを否定する我が憲法の先見性・優位性がひときわ光るのです。この
観点からも、このパンフレットをお読みいただけると幸いです。


261 :農NAME:2006/10/19(木) 23:14:33
人類の歴史上、慰安婦を引きつれ戦争した国、性欲の解消のため組織的に女性じゅうりんを行った国は日本以外にない。
人類の残酷な歴史の中でも、女性を戦場に連行し娼婦役を強要した国は地球上で日本しかない。強姦が犯罪なら、
日本は集団強姦を制度化したまれな国である。私は、従軍慰安婦というのは日本がわが国の女性の全てを集団で強姦したようなものだと思う。
おそらく日本はその血の代償をこれからずっと払い続けなければならないだろう。
従軍慰安婦問題を論じる日本人は全員、金の話をした。そして強制ではなかった、証拠がない、などといった。
しかし元従軍慰安婦のハルモニの「金じゃあなくて一七の私の青春を返してほしい」という絶叫、「あなたたち日本人は自分の娘、
妹を金で従軍慰安婦にさせられるのか」という血のにじむ問いには、何も答えられないでいる。
 朝鮮を植民地化し朝鮮女性を日本兵のはけ口にもてあそんだ歴然たる事実をあくまで否定してかかろうとする日本人を
見て、私は「永久に大人になれない日本人、道徳と真実の育たぬこの日本の島国的土壌」にかえって感謝し、
ホッとする。そして、いくばくかの金をもらえれば自分の娘や妹でも軍人の性的奴隷として簡単に差し出したであろう
彼らを見ていて、韓国人の私の意識の深層から正体のわからぬ限りない力、エネルギーが
わいてくるのを感じる。

262 :農NAME:2006/10/23(月) 23:24:48
日本人の残酷さは変わっていない!
http://www.geocities.jp/tolstoyjapan/dad/zankokunihonjin.html

263 :農NAME:2006/10/28(土) 22:40:05
「今、私たちが住む日本という国は『戦争ができる国』へと大きく舵を回し始めたよ
うに思います。一人ひとりの命の尊厳や平等、人権が規制された戦前、戦中の姿に戻
ろうとしていると感じるのは、私一人ではないはずです。戦争は悲しみしか生み出さ
ないことを、そして、その悲しみを受けていくのは何の罪もない一般市民であること
を、過去の大戦より学んだ私たちであるはずです。私たちの子どもや孫が、国の為に
死ぬことを喜び、それを賛美するような時代に戻ってはならないのです。」キリスト教の
教会で仏法から語っていただきます。



264 :農NAME:2006/10/28(土) 22:49:42
ちなみに1991年の参議院予算委員会にて、個人の請求権そのものを消滅させたわけではない、という答弁があります。

国会会議録検索システムより。
http://ime.st/kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_logout.cgi?SESSION=4953
[003/006] 121 - 参 - 予算委員会 - 3号
平成03年08月27日
○政府委員(柳井俊二君) ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から
若干補足させていただきますと、先生御承知のとおり、いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は
最終かつ完全に解決したわけでございます。
 その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決した
ということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。
したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。
日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。

@

265 :農NAME:2006/10/28(土) 22:50:20
志水速雄氏の論を借りて、帝国主義の簡明な解釈を。
昔は戦勝者は戦敗者から身代金や賠償金をとるのが当然であった。それ以上に領土とその上に住む
領民も新しい支配者のものとした。これを帝国主義という。19世紀末から20世紀初頭までに
その最盛期があったと志水氏はいう。しかし、第一次大戦後、敗戦国ドイツから苛酷なまでに
連合国が賠償金をとったことから、ヒトラーとナチス・ドイツの出現を許したという反省が世界に生まれた。
第二次大戦では、無賠償がとなえられ、また固有の領土は併合の対象にしないという原則が叫ばれはじめる。
帝国主義的な要求は、かえってつぎの戦争を準備するということに、世界の各国は気づいていたのである。
 なのに第二次世界大戦でスターリンだけが、その原則を認めようとしなかった。それが日本軍将兵の
シベリア抑留の問題にからんでくる。創造的な革命を指導し開拓したスターリンは、
その反面で過激な帝国主義者だったといえる。国内では全体主義機構を築き上げ、
容赦なく反対派を弾圧し、国民をきびしく圧迫した。そして対外的には自国の領土拡大を
ひたすら追求した。その意味では、ヒトラーと著しく相似している。しかも、対日参戦に対するスターリンの
野望は、一朝一夕のものではなかったことを、歴史は示している。


266 :農NAME:2006/10/28(土) 22:51:05
インドネシアでも「償い事業」拒否
 インドネシアでも、「基金」の活動は受け入れられず、「それにかわって高齢者社会福祉推進事業への援助、具体的には
既存の老人ホームの付属施設を整備する事業を十年間で五十カ所に『基金』の資金を提供して」(二〇〇〇年事業報告)
進めています。すでに十一カ所が完成し、今回その中の一つ、ジャカルタにある老人ホームを訪ねました。

 広大な福祉施設「ブディ・ダルマ」の敷地の一角、カラフルな長屋風の建物で、きれいな服装で迎えてくれた老婦人たちと
懇談し彼女たちが青春時代=日本占領時代に覚えた古い日本の歌謡曲や軍歌をうたったりしました。しかしそこには
元従軍慰安婦は居ません。スハルト政権時代から「元従軍慰安婦」の認定を一切行っていないからです。

 インドネシア政府はなぜ従軍慰安婦を認定してこなかったのでしょうか。以下は私たちが社会省から入手した文書です。

 「従軍慰安婦問題は、インドネシア国民にとってその歴史の中で忘れることのできない暗黒面であり…」「このような暴力の
犠牲者である女性達の肉体・精神両面におけるいやされざる苦しみがいかばかりのものであるか…それを
感じる事においてインドネシア政府も同様である」「それでもなおインドネシア政府は、感情的な行動や政策に陥る事がないよう
自制し…このような女性達が最愛の家族、子ども、孫達を前にして自らの尊厳を失うことがないように最善の努力をする」
(九六年十一月「インドネシアにおける慰安婦問題に関する社会大臣の説明」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-03-13/19_0402.html


267 :農NAME:2006/10/28(土) 22:51:54
今日は、7時前に起きてデンパサールの空港へ。駐インドネシア・ポルトガル大使のアナ・ゴメスさんに出会って、
お互いに再会を喜びました。彼女は、この3年ほどインドネシアにいて、最も困難な時代の外交を見事に取り仕切りました。
その他、駐日オーストラリア大使、いずれも駐インドネシアのハンガリー大使、バングラデシュ大使などと出会いました。
インドネシアから東ティモールに行くのに、外国へ行く手続きをするのも、考えてみれば、大きな変化です。

9時40分のMZ8480便で、東ティモールのディリ・コモロ空港へ。4回目の訪問ですが、こんなに平和な東ティモールは、
今回が初めてです。12時過ぎに到着。タラップを降りると、赤じゅうたんが敷かれ、国連事務総長特別代表のデ・メロさん、
暫定外相のラモス・ホルタさん、ベロ司教などが一行を出迎えてくれました。こんな時代が来るとは、夢のようです。

ホテルは、インペリアル・ゲストハウスというのですが、「海の家」スタイルは、住民投票の時泊まったホテルとそれほど変わりません。
それでも天井があるのは、大進歩でしょうか。

15時から、大戦中にここを占領していた日本軍によって性的被害を受けたみなさんの話を聞かせていただきました。
みなさん、お年寄りばかりで、ことばは現地のテトゥン語など。間にインドネシア語を挟み、2回通訳しながら話すので、
なかなか大変です。
http://www.eda-jp.com/katudo/2002/5/17.html


268 :農NAME:2006/10/28(土) 22:52:39
http://ime.st/www.han.org/oldboard/hanboard3/msg/2794.html

「日本国による強制」の根拠。

 『麻薬保持でっち上げ事件』に関して
 警察官だったか刑事だったか正確な呼称は知りませんのでここで
は「警察官」という表現を使用します。
 過日、警察官による『麻薬保持でっち上げ事件』が発覚しました。
 発覚したから良かったようなものの、発覚しなかったら大変なこ
とです。 発覚していない麻薬保持事件も多数あるであろう、と考
えるのが素直でしょう。
 これを一警察官による犯罪、と片づけることはできません。
 被害者からすれば明らかに「警察という組織(=国家)によるでっ
ち上げ」です。
 勿論、公安委員会は「でっち上げ」を指示していません。 しか
し、「でっち上げ」をせざるを得なくなる環境(ノルマ)を作って
いたのです。 極論に近いですがこれは「国家によるでっち上げ」
です。 第三者である我々は「国家によるでっち上げ」とまでは感
じないかもしれませんが、被害者が「国家によるでっち上げ」と主
張しても当然だと思います。

 この文の
「公安委員会」を「日本軍」
「警察官」を「現地の権力のある人間」(例:当時の朝鮮の役人)
「でっち上げ」を「強制、又は、強制連行」
に置き換えて下さい。

269 :農NAME:2006/10/28(土) 22:55:00
Christopher  Thorne クリストファー・ソーン Britain イギリス 1934〜1992
太平洋戦争とは何だったのか --------- 市川洋一訳  草思社  1989
---- 本文からの引用 ---
---- シャフリルは次のように述べている。

植民地行政にあたっている経験豊かな年配のインドネシア人官吏は、自分たちの上に座った日本の政治音痴たちに対しては、
ただ軽蔑の念を覚えるだけだった。いきおい、社会のすべての階層は過去を違った目で見るようになってきた。このような野蛮人に
今までの植民地権力のかわりができるのだとしたら、 そのような権力がなぜ必要だったのか? かわりにどうして
政治を自分たちの手に握らなかったのか? 日本人の下で、人々は以前よりもいっそう
激しい屈辱に耐えなければならなかった・・・・しかしインドネシア人民の民族的自覚は、新しい、今までかって見なかった
強力な運動に発展していった。

(スタン・シャフリルはインドネシア独立後の首相となり3度組閣、その後スカルノに追われた。民族主義運動に対し
オランダ領東インド政府によりハッタと共に6年間流刑に処せられていたが日本軍によって釈放される。
日本軍占領時代に再び地下にもぐり対日抵抗運動に入る。シャフリルはオランダのライデン大学に、ハッタは
ロッテルダム経済専科に学び共にオランダ国籍をもちオランダ語を母国語とした。「西欧の植民地喪失と日本」より)
http://www.bekkoame.ne.jp/~notuki/books.html


270 :農NAME:2006/10/28(土) 22:56:30
マレンゲ島内で比較的広大な農地を所有する一家の協力を得ることにしました. 日本軍による占領時代の昔話から
推定すると、その一家の長は優に70歳を超えています. 「当時は、軍の幹部から可愛がってもらった」と懐かしがる家長. 
殺害された仲間もいたそうだが、現在までの日本からインドネシアへの多面的な協力はマレンゲ島民にも広く理解されており、
対日感情は悪くありません. その家長は、オランダ語と日本語の挨拶を記憶している現役の農夫であり、漁師. 
「畑は、一代で開拓した」と誇らしげに話してくれました. 
 その日の夕方、ゲストハウスで準備してもらった夕食分の弁当を持って、その家長に案内されて島西部のサツマイモ畑に
向いました. 集落から山道を歩くこと約1時間. そこは、島の西部で最も標高が高く、島の南西に位置するいくつかの島々
が一望できる場所. 畑と言っても、森林を伐採してココヤシを植え付けてまだ数年しか経過していないため、土地は強烈な
日差しに晒されて表土も薄く、平地はテニスコートほどの広さもない...... 筆者の畑のイメージとは著しく異なるものでした.
http://www.ea.ejnet.ne.jp/~babirusa/newsletter3.html
インドネシア

271 :農NAME:2006/10/28(土) 23:31:28
元日本軍「慰安婦」スハナさん(インドネシア出身)の証言

「 一九四三年、私は一六歳でした。私が家の道端にいた時、突然「ダイニッポン」(日本軍)のジープがやってきました。
ジープには軍人が六人ぐらい乗っていたと思います。その男たちは私に「一緒に来るか?」と訪ねました。私は「いやだ」と
答えました。すると彼らは私に「ジープに乗れ」と命令しました。私が再び「いやだ」と拒否しますと、頬をぶたれました。
私の両親は市場で店を出していたので、「それなら、お父さんとお母さんに行くと言わなければ」と私は言いました。
しかしもちろん両親に会いに行くことを許してはもらえませんでした。彼らは私の長かった髪を、まるで馬のたてがみを
引っ張るようにして私を引きずりました。私が必死に抵抗したので、結局彼らは私を抱え上げてジープのなかへ押し込みました。
 そのあと私は、もともとオランダ軍の将校用住宅だったグドゥン・ドゥラパンという建物へ連れて行かれました。日本兵は
私に「働け」と命令しました。私は「いやだ、学校に行きたい。私の両親も私がここへ連れてこられたことを知らないから、
絶対に働くのはいやだ」と言いました。
 しかし、その建物に入れられた後、別の部屋に連れて行かれました。そこには若い女性がたくさん、三十人くらい
入れられていて驚きました。私は「家に帰りたい」と泣き続けていたら軍人に殴られました。すると、女性たちの一人
がそばに来て、「泣くのはやめなさい。私たちはどうせ「囚われの身」なのだから」と私に言いました。
http://ime.st/www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/DATA02.html


272 :農NAME:2006/10/28(土) 23:34:56
平成の妖怪・中曽根康弘を読む      

鎌 田   慧
http://www1.jca.apc.org/iken30/News2/N87/KamataSatoshi.htm
従軍慰安婦

アメリカとソ連と大本営が密約で、日本兵の苦役をもって「戦後賠償」させることを決めていた)

残照人生(インドネシア、スラウェシ マナド)
http://www.kibicity.ne.jp/~mz3000/livedoor/040610.pdf

背の高い方の老人は日本の歌をよく覚えていて、軍歌や「ウミユカバ」「キミガヨ」の歌がポンポン飛び出した。
また恐らく日本軍から聞いたのであろう号令のような言葉もいくつも覚えていて、その記憶力には驚かされた。
もう一人の、小柄で少しビッコをひいている方の老人は、親族に日本人がいるらしく、日本にも2度行ったことがあり、
「おはよう」、「こんにちは」などの簡単な日本語を知っていた。

昔日本に占領されていたなどというとインドネシア人は日本に悪いイメージを持っているのではないかと心配になるが、
インドネシアでは「オランダより良かった、独立を助けてくれた」ということで日本には好印象を持ってくれている人が多いようだ。
この二人の老人も戦争中の話なのに昔の楽しい思い出話をしているかのように、笑いながら元気良く話を聞かせてくれた。
http://diary8.cgiboy.com/0/sophiark/index.cgi?y=2005&m=12




273 :農NAME:2006/10/28(土) 23:35:26
恵美は地元だけあって、旨い支那料理屋を知っていた。その店で、彼は両手の指を耳の側に挙げて、剰軽に蟹の鋏の真似をしながら、
片言のネシャ語で、「蟹の爪、蟹の爪」と注文する。店の支那人も心得たものだ。待って居る内に、確かに蟹の爪を姿のまま揚げた
料理が出てきたが、爪の殻が被って居ない。肉はとても柔らかく、こんなに旨いものがあるかと思う位だ。どういう料理か知らないが、
恐らく脱皮直後の蟹を掴まえて殻を剥いたのでは無いかと思う。もう一皮、あれを食べて見たいものだ。
スラバヤの町では、軍服を着たネシャ人の青年たちが、日本陸軍の軍人の指揮の下、木銃を肩に、隊伍を整え、軍歌を歌いながら
堂々と行進するのを見掛けた。これは、兵補と言って、ネシャ人に軍事教練を施して、民族自立の精神を植付け、戦争目的に
協力させる事を目的とした。日本の敗戦と共に、軍事教育で独立に目覚めたこれらの青年たちが、旧植民地体勢の復活を
目論んだオランダ、英国軍に対して武力蜂起し、遂に独立を勝ち取った事は有名で、日本占領時代に残した数少ない
善政の一つと言われる。
スラバヤは時間も少なくて、余り見物出来なかったが、港の設備などはシンガポールに比べれば貧弱で、町の建物も官庁街、
植物園や、白人用のホテル等はともかく、商業地区は見劣りした。緑は多いが、スラバヤの中を流れる川(カリマス川)は、
ろくな堤防もなく、岸には草が生え、流れは土色で、道路も舗装のないものが多く、町中埃っぽかった。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-tenkindairyokou-abe1.html
インドネシア


274 :農NAME:2006/10/28(土) 23:36:41
日本占領下インドネシアにおける慰安婦―オランダ公文書館調査報告―
http://www.awf.or.jp/program/pdf/p107_141.pdf
抗日義勇軍の生き残り幹部の話
「戦争の記憶は消えない。なぜなら、山下のやったこと、虐殺を忘れるわけにはいかないからだ。市民をやったんだ。
兵隊を、でないんだ。しかも中国人を、中国人だけをやったんだ。インド人やマレー人にはしなかった。中国人のなかでも、
若い連中ばかりをだ。全部で5万人になるだろう。年とった世代は、このことを絶対忘れない。これを知らない若い世代が、
ふえてはきたが、過去のことといってはおれない。」

「シンガポールに日本製品があふれている。クルマ、テレビ、ラジオ……全て日本製品だが、5年前まで、私は絶対、
日本品を買わなかった。が、あるきっかけで、態度を変えた。私に大学生の娘がいた。5年前、日本の大学生のグループが
シンガポール大学を訪れ、私の娘が日本の女子学生を家に連れてきたことがあった。私は非常におこった。
日本軍が戦時中に何をしたか知っているか。手元にあった南京虐殺の写真をみせてやった。同じことがシンガポールでも
あったのだ、と。彼女は泣き出した。申し訳ない、と。その時私は、日本の若い世代は、許していいと思った。
そこで少し、心を変えた。今はトヨタの車も持ってるよ。」

「いま、日本とシンガポールの関係はいい。あの戦争はすでに歴史の出来事になった。とはいっても、
虐殺を忘れるわけにはいかない、絶対に。」
http://www.nara-wu.ac.jp/fuchuko/trip/95singapore/BF_SINGA.html/BF_SINGA23.html

インドネシアにおける大日本帝国・日本軍加害情報募集
http://yorozu.indosite.org/keijiban/main/44666.html
バリ島における大日本帝国・日本軍加害情報
http://yorozu.indosite.org/keijiban/bali/8782.html




275 :農NAME:2006/10/28(土) 23:38:08
吉田敏浩・著 「北ビルマ、いのちの根をたずねて」 めこん・刊

96年に「森の回廊」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者の
ビルマ辺境レポート第三弾です。
タイ国境からビルマ北部カチン州フーコンまで、カチン民族解放軍に従軍
した記録です。といっても戦闘場面はあまり登場しないのですが。
著者の体験により辿り着いたのは、「自然の中での人間の生と死のつながり」
で、周辺の少数民族の死と生にまつわるエピソードを紹介しています。
国家・政治そして国境線によって分割された少数民族の苦悩、
中国の文化大革命やビルマ軍事政府の弾圧などで虐げられながら、
自然と共生する生活や風習を丹念に描いています。

144ページより抜粋
「カチン語で第二次大戦のことを『ジャパン・マジャン』(日本戦争)と呼ぶ。
 日本軍が来て巻き起こした戦争だから、そう名づけられた。鉄道や飛行場の
 建設に酷使されたり、連合軍のスパイだと疑われて憲兵隊に拷問されたり、
 農作物や家畜を奪われたり、といった日本軍による災いを住民がこうむって、
 死傷者も出た話は各地で耳にした・・・」


276 :農NAME:2006/10/28(土) 23:39:23
 キャンプ内には、疲れきった表情の人もいたが、バレーボールを楽しむ10代の若者もいた。1時間程キャンプ内を
見て、ケイツーさんのテントに戻った。その時には、エリポーさんという、60歳位の女性がいた。彼女は旧日本軍
のビルマ占領時代に日本軍の少佐から「あやこさん」と呼ばれて可愛がられていて、自分の日本名は「あやこさん」
だと言った。そこで「さん」は英語のミスターやミズと同じで名前ではないので、あなたの名前は、「あやこ」であると
教えたが、理解してもらえたかどうかはあやしかった。カレン語で男性の名前の前につける「ソウ」や女性の名前の前に
つける「ノウ」は英語のミスターやミズのような感じだが、それらよりも自然に名前の一部となっている。そういった
ニュアンスで「さん」をとらえているようである。その後、ケイツーさんからインスタントコーヒーをご馳走になり、
ケイツーさんのノートに住所と名前を書き、NGOのスタッフ、セインミャと共にキャンプを後にした。
http://www2.ocn.ne.jp/~jade/notes/tonyang.html
 あれから60年。ビルマ(現ミャンマー)には、祖父が描いた絵手紙のままの風景、心暖かな人々の
営みがあった。「ひょっとしたら祖父も、こんな暖かさに触れて心を動かされたのだろうか…」まみさんは思う。
しかし当時、戦争は、そんな心優しいビルマの人々をも巻きこみながら悪化の一途をたどっていた。祖父の絵手紙や
手紙の文面を頼りに旅を続けるうち、様々な厳しい現実を知る。
当時小学生だったチッセさんからは、日本の『皇民化教育』の本を見せてもらった。そして「日本のいう『ビルマの独立』が
名目だけのものだったと知るようになり、また闘うようになった。」と聞く。
日本軍の通訳を務めていたウー・ティーさんからは、「女性も子どもも、たくさんのビルマ人が爆撃で死んだ。日本兵も
敗走していく時は悲惨だった。食べる物も着る物も薬も何もない…」と、惨状を極めた戦場の様子を聞いた。
 また、残留日本兵を父に持つキン・トゥさんからは、「日本軍に協力したビルマ人がうらぎり者としてビルマ人から殺された 。
ビルマ人同士が憎しみあった。その思いは戦後もしばらく続いた」と聞いた。初めて知る、絵手紙の奥にあった現実…。
http://www.ctv.co.jp/chu/lady/2005/0421/

277 :農NAME:2006/11/03(金) 23:07:44
一般に戦場といえば、男たちだけの場所であるかのように語られるが、考えてみれば、 戦争に行った先の土地が
男だけの社会であるはずはない。 ただ、みんな見なかったことにしているだけなのだ。

40年経って、同じ場所を今度は同じ日本人の、戦争が終わってから生まれた女性が訪ねる。 これは、その記録だ。

映像は、地図の上の距離や、時間の隔たりを易々と越える。 こことよその境界もなく、過去も現在も同時に存在する。
そうしたところに、こうしたドキュメンタリーの価値はあると思う。

今でも日本軍は英雄と信じきっている、日本の童謡を歌えることを自慢するニューギニアの男性。
現地の女なんて、汚いから誰も相手になんかするはずはないという日本人の男性。

同じ女性の同にも、従軍看護婦は、従軍慰安婦を蔑視し、 慰安婦の中にも民族による差別がある、
なんてことは、女性でなければ、 気づきにくかったかも知れない、と小さなショック。 そして、ニューキニアの
女の人たちの証言。 淡々と静かに話す人たちをひたすら見つめるカメラ。 それが映像の力というものだ。
http://freett.com/cinemajournal/bn/12/senjo.html



278 :農NAME:2006/11/04(土) 00:34:42
■それにしても、受験に必要のない世界史や日本史が主に未履修だったというのは笑わせる。
どうりでごく簡単な歴史認識すらない国民が増えているはずだ。
つれあいのタクロー氏によれば、この未履修問題、受験校でははるか昔から行われていたそうだから、あきれてしまう。 


279 :農NAME:2006/11/04(土) 01:07:14
「サンティン」伝説
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/1274/1114274786/

280 :農NAME:2006/11/05(日) 23:29:40
 ケンペイタイは、常軌を逸するほど、乱暴で残酷でした。・・・・日本人はどうしてこんなことを
するのか、本当に理解に苦しみました。
(H・B・ヤシンさん)

 私が覚えていることは、おそらく、ケンペイタイがあまりに乱暴だったからでしょう、人びとが日
本に協力することを怖れていたことです。それで、自分から進んで日本のために仕事をしようとする
人はいませんでした。当時は、怖がる人のほうが多かったのです。ですから、みんなは日本に協力し
て利を追うよりも、自分の命を大切にしようとしていました。なぜなら、何か間違いを犯したら、日
本の罰則では死刑になると思っていたからです。日本軍が入ってきたときにすでに役所で働いていた
人たちは、そこから移ることができませんでした。ちょっとした過ちでも平手打ちでしたので、みん
なは、とくに体罰を怖れていました。バゲロー[馬鹿野郎]と言って頭を叩くのです。ところが、イ
ンドネシア人にとって、頭は神聖で敬うべきものなのです[それゆえ、頭を手で撫ぜたり、叩いたり
することは慎むべきことである]。私がケンペイタイと聞くと震えあがってしまうのは、私の親友が
彼らの暴力を受けてけがをして、障害者になってしまって以来のことです。
(バルカ・アルガニス・バスウェダンさん)

 日本時代に、ケンペイタイは、もっとも人びとに恐れられていた日本の機関のひとつでした。なぜ
なら、それまでにいくつかの事件が起こっていて、何人かの医師がどこかに連行され、死んでしまっ
て、いまだにどこに葬られたのかわからないままの人もいたからです。
(アリ・アクバル医師)

 電気・ガス局でも、日本人達は乱暴で、下品で、したい放題で、そして、私たちインドネシア人を
見下していました。女性職員に対しても同様でした。
(リリー・ガマル・スタンティオさん)

「しばしば、その時代のケンペイタイの調査官たちの乱暴さは、オランダ時代のPID(諜報局)の同
様の取り調べ方をはるかに越えたものであったと指摘されている。裕福な人びとの住宅地でも、貧
民街でも、さらには役所でも、多くの場所で人びとは日本に対して憎悪の念を示すようになっていた」

(インドネシア国立文書館 編著『ふたつの紅白旗 インドネシア人が語る日本占領時代』)

281 :農NAME:2006/11/05(日) 23:30:16
 ただ、ここで説明しておきたいことは、日本は、(※PETAの訓練において)私たちに闘争心や敵に
立ち向かう勇気を育てるのに成功したいっぽうで、いつか恨みをはらしたいといった復讐の念をも芽
生えさせたということです。当時私たちが受けた扱いは、訓練中の教育方法ということで説明のつく
ようなものではまるでなく、ときには私たちを怒らせるようなものでもありました。インドネシアで
は、権力を持たない私たちと、権力を振るおうとする日本人といった関係になっていました。もちろ
ん、見たところ、ファシスト的な教育でした。厳しくて、口答えはいっさい認められず、不平ひとつ
こぼすことも許されず、私たちは命令に従わなくてはなりませんでした。
 このことは、日本に対して怨みをはらしたいという感情を引き起こしました。さらに私たちも、一
般の人びとに対する日本人の態度が、そのころ、非常に横柄になり始めたことを知っていましたので、
私たちの心のなかでは、ますますそのような感情がかきたてられました。・・・・たとえば[東ジャ
ワの]ブリタルで起こったスプリヤディの反乱や、西ジャワで起こった反乱なども、防衛義勇軍が、
そうした日本の残酷さに対して報復しようと思っていたことを物語っています。
(スティアディ・カルトハディクスモさん)

(インドネシア国立文書館 編著『ふたつの紅白旗 インドネシア人が語る日本占領時代』)
(※は引用者注)


282 :農NAME:2006/11/05(日) 23:46:55
http://www.han.org/a/half-moon/hm036.html
イモ兵士の総指揮官であった中曽根氏ですが、同氏は、その当時
「慰安婦」をどのように集めたかについては何も語りませんでした。あるいは
台湾総督府に依頼して「慰安婦」を軍需物資として送ってもらったのかもしれ
ません。そうした実例は日本軍の公文書として残されています(注2)。
  あるいは、手っ取り早く現地女性を「調達」したのかもしれません。中曽
根元首相と似たような境遇にあった、海軍(四南遣艦隊)司令部副官である東
大出身の大島主計大尉が、インドネシアでの「慰安婦」集めについておよそこ
う述べたことが伝えられています(禾晴道「海軍特別警察隊」太平出版社)。
              ・・・・・
  「司令部の方針としては、多少の強制があっても、できるだけ多く集める
こと、そのためには宣撫用の物資も用意する。いまのところ集める場所は、海
軍病院の近くにある元の神学校の校舎を使用する予定でいる。集まってくる女
には、当分の間、うまい食事を腹いっぱい食べさせて共同生活をさせる。その
間に、来てよかったという空気をつくらせてうわさになるようにしていきたい。
そして、ひとりひとりの女性から、慰安婦として働いてもよいという承諾書を
とって、自由意志で集まったようにすることにしています」
  「特警隊なら通訳もいるし、おどしもきくから(女集めを)どうか」




283 :農NAME:2006/11/05(日) 23:49:44
  これに対し、特警隊の禾(のぎ)晴道中尉は「治安維持を任務としている
特警隊の信頼はまったくなくなる」ことを理由に、
 「特警隊は協力することはできます。女性のリストをつくり現地人の警察隊
とか、住民のボスを利用して、反感が直接日本軍にくることを防ぐ必要があり
ます」
と述べて、この任務を逃れました。結局、「慰安婦」集めは民政関係の現地人
警察を指導している政務隊におしつけられ、副官が中心になり、特警隊は協力
し、各警備隊・派遣隊もできるだけ候補者のリストをだして協力することにな
りました。
  そうやって政務隊が「女集め」をしましたが、その後のエピソードを、担
当の司政官が禾中尉に戦後、次のように語りました。

 「あの慰安婦集めには、まったくひどいめに会いましたよ。サパロワ島で、
リストに報告されていた娘を強引に船に乗せようとしたとき、いまでも忘れら
れないが、娘たちの住んでいた部落の住民が、ぞくぞくと港に集まって船に近
づいてきて、娘を返せ! 娘を返せ! と叫んだ声が耳に残っていますよ。
  こぶしをふりあげた住民の集団は恐ろしかったですよ。思わず腰のピスト
ルに手をかけましたよ。敗れた日本で、占領軍に日本の娘があんなことをされ
たんでは、だれでも怒るでしょうよ」

284 :農NAME:2006/11/05(日) 23:52:41
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm011.html
 被害者の側で、自分は元強制従軍慰安婦であると名のり出た人の数を、
NHKのテレビ番組ETV(95年)で紹介していました。その数は次の通り
です。

韓国      164人     北朝鮮  260人
    中国       11人     台湾    32人
    フィリッピン  162人
    マレーシア     8人
    インドネシア 6508人

   この表でインドネシアが多いのが目を引きます。これは日本で「女性の
ためのアジア平和国民基金」が設立された後、インドネシア兵補協会の呼びか
けに応じて名のり出た人が多く、それまでの420人から一挙に6508人に
増えました。さらに、96年3月現在では20、704人にもなっています。

285 :農NAME:2006/11/05(日) 23:56:53
http://www.jititai.com/wadai-dekigoto/usuki-city/East%20Indies%20remenber/est-indians-3-3-2.htm
匿 名
『私たちはレストランで働くんだといわれました』

 日本降伏の直後、連合軍は日本軍によって売春行為を強制されたインドネシア女性の体験調査をしています。
27歳のある女性は、路上で捕えられ、22人の女性たちと一緒に閉じ込められた様子を次のように供述しています。
『2日後に、私たちは直接、港の船に連れて行かれました。私たちはバタビアに送られ、そこに10日間いた後、
ハルマヘイラに送られました。私たちは、レストランで働くことになる、と言われていました。でもハルマヘイラで、
私たちは慰安所で働かなければならないと聞かされたのです。私は断固拒否したため、一部屋に監禁されて
3日3晩、食事も水も与えられませんでした。』
 彼女たちの抵抗もむなしく、売春行為は強要されました。しばらくしてから、
23人は船に乗せられ、戻されました。航海中に船は魚雷を受け、女性7人が命を落としました

286 :農NAME:2006/11/08(水) 23:23:11
日本軍の陣地跡
午後2時50分、出発。午後3時過ぎ、日本軍の残していった、広大な、凡そ800m四方の基地跡に立ち寄る。
何の標識もない。今や、数少ない人のみが知る場所のようだ。
珊瑚礁が隆起しただけあって、地面は、珊瑚の跡で、広い海を見下ろす位置にあり、一面の平地に、12個程の、
中へ入る入り口が見える。広大な地下の要塞となっている。強わもの共の夢の跡である。ここは、日本軍が、
すべて引き上げたようで、遺骨は残っていないらしい。蛇が生息しているぐらいとのこと。近くに77歳の老人がいた。
日本語で数字を数えることが出来る。日本の軍歌を彼は今でも覚えていて歌ってくれた。この近くの村は、
オエサパOesapaとのこと。
4時午後、日本軍基地跡を後にする。午後4時、ラシアナLasiana海岸に立ち寄る。綺麗な海岸である。沖には、
バガンBagan(魚を仕掛ける台)が数多く見える。クラパKelapa(椰子の実の果汁)を飲みながら縁台に座って、
美しい海をみながらゆったりと時間のたつのを忘れて過ごす。午後4時半、海岸を出発。その後、
クパンのホテルに向かった。例のクリスタル・ホテルである。ホテルのレストランで夕食を取り、三人で、
旅を振り返り談笑しながら静かな夜を過ごした。
http://homepage2.nifty.com/infinite_peace/alor.html


287 :農NAME:2006/11/10(金) 00:00:40
 日本軍政は私の学校も含めてすべての英語学校を閉鎖した。が、マレー社会で英語学校に通っていた人たちの数は限られ、
大半の人には何の影響もなかった。代わりに日本語学校が開かれて、私たちは突然日本語を学ぶはめになったのである。
 日本の占領期間中、私も一年間ほど日本語学校に通った。校長先生は英国人と結婚していた日本女性で非常に
優しい人だった。「奥さん」と呼ばれていた。私は「い」組の組長に選ばれたけれども、日本側は真剣に日本語を
教えようとの姿勢が感じられず、まもなく学校へいかなくなった。
 家族は生活に困り、私は友人と小さなコーヒー屋台を開いた。場所は憲兵隊司令部や拘置所が入っていた
行政庁の建物の前である。商売は比較的うまくいったが、まもなく日本軍から立ち退きを命じられた。
 私は、アロースターで人々の尊敬を集めていた中国人内科医で現地の中国人社会のリーダーの一人だった
チェ・トン・ロさんが拘禁され、中で体操をしているのを目撃したことがある。建物の中には弾薬庫や武器庫も
あったらしい。立ち退きの理由は多分そこから建物の中が見えたからだろう。
 私は、今度は地元の人が買い物をするペカン・ラブで果物を売り始めた。日本軍もよく買いに来たけれど、
バナナの良しあしが分からないことには私もいささか戸惑った。しかし、兵隊達はお金はいつもきちんと
払ってくれて、不愉快なことは記憶していない。私が日本人とじかに接触したのはこの時が初めてである。         
(マレーシア首相) 1995年11月 日本経済新聞掲載
http://ocr-ocr.seesaa.net/article/18999757.html

288 :農NAME:2006/11/10(金) 22:55:27
ペナンはマレーシアの(イスラム国家)の一州都として栄えた所です 第2次大戦時日本軍が統治し日本軍の
司令部も置かれた所です
日本軍は現地人に対して大変親切に対応したと聞きます その縁で現在もペナンでは日本人が現地の人から好意を
寄せられていると聞きます
http://www2.ocn.ne.jp/~kawaks14/sub4.html

289 :農NAME:2006/11/18(土) 11:42:53
日本軍は行く先々で市民を虐殺し、捕虜を拷問にかけ、若 い女性をレイプしたのである。

290 :農NAME:2006/11/18(土) 12:27:31
・・・金で演出した「やらせタウンミーティング」で「民意」を演出するこの国の政府が、国民に対して
改悪した教育基本法を押しつけようとしている。



291 :農NAME:2006/11/19(日) 00:59:08
「太平洋戦争の時、日本軍は言葉でとても言い表せない蛮行をアジア全土で犯した。この罪は消して
風化してはいけないモノであり、日本人は子々孫々にわたってこれを償うべきである。
 この意見は絶対唯一の普遍的な思想であり、これに異を唱えるモノは全て右翼であり、討伐すべき対象に他ならない。
 故に、俺がこのブログに於いて日本軍の過去の悪行を暴き、右翼的思想を糾弾し、論破する」



292 :農NAME:2006/11/19(日) 18:47:35
現在の秋田県において人肉食・臓器商売目的の大量殺人犯罪が横行しているとする14の根拠・背景】
http://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=history&vi=1161528338&rm=100
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1141826082/l50
1.パプアニューギニアの人喰い風習を通して発見された経緯がある
  プリオン病の発生率が秋田県が全国で最も高い。原因は現在でも「不明」とされている。
2.秋田県において葬儀業者と「焼肉屋(若しくは肉屋)あるいは有機肥料販売業者」とが
  セット(隣同士)になって運営されているケースが、秋田県沿岸地域の調査した狭い区域だけで4例ある。
  その中には他に全く小売業者がない過疎った国道沿いに葬儀業者と肉屋だけが隣同士でポツンと
  存在していた不可解なケースもある。肉屋の立地条件としては、こういった偶然性は西日本では見た事がない。
3.秋田県の葬儀屋の隣の肉屋で売られていた肉を、視覚検査したところ外見上、
  ウシ、豚、馬、鶏の肉の形態を示していないケースが複数、確認できた。
  若干の食味試験においても不可解な傾向を示している事が確認できた。
4.秋田県のみ通夜の前に遺体を葬儀業者が引き取る風習があり、遺体の鮮度が他県とは2晩分は異なる。
5.現代でも秋田県では人が亡くなりそうな家では、なぜか「味噌炊き」の準備が始められるので、味噌のにおいがすると
  その家では死者が出るとさえ言われている地域風習が地域の書籍に明文化されている

293 :農NAME:2006/11/19(日) 18:48:36
6.秋田県における各種死亡率が自然発生では起こりえない傾向を示しており、自然死・自殺・自然死を装った組織殺人
   が一般化していないとその統計の不自然性が説明しにくい。
7.秋田県は11年連続自殺率が一位であるが、この一部は殺人偽装であるとしか思えない統計傾向がある。
8.秋田県は東北またぎ集落が多数あり、太古からの狩猟文化の伝統がある。
9.東北またぎは動物の糞(糞食)を含むあらゆるものを食べる技術と習慣を持つとする資料が確認できる。
10.食糧不足の際には、子供を殺して食べたといった資料も確認できる。
11.秋田県が豊かになったのは稲の品種改良に成功した戦後であり、それまでは非常に貧しい生活を
  強いられ絶えず食糧不足に悩まされていた。
12.腎臓一体300万円が相場であり、年間1万体の遺体が出る秋田県にて、
   人肉市場、肥料市場も含めて年100億円以上の市場規模を持っている可能性が
   否定できない。また秋田のような極度の村社会における、こういった一連の組織犯罪は
   役所や警察が共犯でないと起こりえないので、警察に届け出た段階で逆に消される可能性
   が否定できない。恐らく役所及び警察の「裏金」になっているものと推測できる。
13.秋田県で毎年理不尽に殺されているのは赤ん坊から老人にまで至っていると見られ
   人数的には年1000人以上と統計的に推察できる。この殺害対象者を選択するために、
   県内の全住民の自宅に対する盗聴犯罪システムが完備していると見られ、片っ端から
   殺されているためもあり、人口減少率が全国一高いと見られる。
14.秋田県では殺人は犯罪と認識されていないと推察でき、役所、法人、学校、町内会
   などが非常に簡単に殺人を繰り返している犯罪状況にあると推察できる

294 :農NAME:2006/11/20(月) 23:25:02
 日本軍や日本政府は米軍の残虐性を強調するなどのプロパガンダで意図的に極限状態を作り出し、兵士には
死ぬことを強制し、同じことを住民にも求めた。近代国家の軍隊としては考えられない日本軍の特異性だ。
 例えば、慶良間の戦闘でも普通の国の軍隊であれば、軍隊は足手まといになる住民を置いて山にたてこもるだろう。
しかし住民が米軍に保護されることさえも認めない日本軍は、住民を殺されるか、餓死するしかないような、逃げ場のない
状態に追い込んでいった。
 集団自決や住民虐殺は、南洋のサイパンやテニアンでの戦闘から見られる。自国民でも投降しようとすると処刑したり、
泣き声が聞こえるといって子供も殺したりした。そのようなことが日本軍が住民をかかえて戦ったところではあちこちで起きた。
日本軍がいた場所では、どこでも同じ状況にあったことを示している。
 また、沖縄戦では、中国から移動してきた兵士が、中国の人々に対しておこなった残虐な行為を自慢げに
話していた。沖縄の住民にとっては、「鬼畜米英」の捕虜になれば必ずひどい目にあう、という意識が刷り込まれていた。
皇民化教育にくわえて、捕まるとひどい目にあうという、教育と脅迫の両方が行われていた。集団自決が起きた理由は、
戦争だからという一般論では説明できない。以上のような日本軍と当時の日本社会によって
作り出された特異な状況が生み出したと見るべきだろう。

295 :農NAME:2006/11/22(水) 23:46:01
日米安保の容認、自衛隊容認の「革新」候補が敗退するのは自明の理。

ナイチャーの東京中心史観は保守も左翼も変わらない。沖縄の状況が正
確に理解されていないのに、「革新統一は素晴らしい、反自公で統一し
よう」という野合のみが先行。指令は内地から。反権力を唱える活動家
も東京からの視点でしか見ていない。

琉球独立党は「400年に及ぶ外国の軍事支配を許さない、アメリ
カ軍も日本軍も琉球の地からすべて撤退するのが原則である」との政策
に基づき、糸数候補陣営を公式に批判した。

「日の丸」を翻らせて教え子を「本土『復帰』万歳」と扇動した「沖縄
革新」の醜悪さと、「沖縄を返せ」という恥知らずな歌を大合唱しなが
ら運動した本土の新旧左翼陣営。一言の自己批判すらないまま今回も
「保革対決」という「絵になる」お決まりの構図を愚かにも繰り返し、
植民地であることを意図的に隠蔽するグロテスクさは、本土からのヒモ
付きの金の分け前に必死でありつこうとする「沖縄保守」とたいした違
いなどない。

296 :農NAME:2006/11/22(水) 23:49:01
「ナカイマは最悪だからイトカズに与した」のはいっこうに構わない。
しかし自衛隊の海外派兵も日米安保も「現実路線」として容認する候補
を応援したことは大きな過ちではなかったか? マスコミも左翼党派も
完全無視を決め込んだが、「革新」候補の大裏切りに苦言を呈した新旧
左翼党派は一党でもあっただろうか? 恥を知りなさい。

今回の沖縄知事選に擁立した琉球独立党の候補者の獲得票で、日本共産
党の支持者によるものが一番多かった。これは「革新」候補の「反戦・
反基地運動の原則」を逸脱したことへの批判票であると考えるべきでは
ないだろうか?

本文読者諸氏からの忌憚なき意見を頂戴したい。選挙戦が終わったので
素直な感想も述べるべきだ。もう黙殺はできまい。

297 :農NAME:2006/11/25(土) 09:54:53
戦場の女たち
http://www.cine.co.jp/works1/list/80_20.html
戦争の無常

 日本兵は畑から食べ物を奪った。畑は土地の人びとにとって男と女が結ばれる神聖な場だった。軍靴で
ふみにじられたのは畑ばかりではなかった。女は慰みものにされ、村びとは協力者に仕立てられた。
 監督らを案内する「タナカさん」は今でも日本軍が村を救ってくれたと信じ、日本の軍歌を意気揚々とうたう。
彼が映画の最後に「まりと殿様」を浜辺で踊りながらうたうシーンに、寄せては返す波が重なる。戦争の無常さを象徴する場面だ。
 日本兵の子供を産んだ女性も映画に登場する。父親が日本兵であることを今まで胸に秘めていたが、映画の上映で
その男性を探せたらと、意を決しての証言だ。



298 :農NAME:2006/11/25(土) 10:00:05
川沿いの村には文明が奇妙な形で入り込んでいた。ある村では電気も電池もないのに家の神棚にピカピカのステレオが飾ってあったし、
別の村ではナイロン袋を靴がわりにはいている子供もいた。彼らはそれを自慢そうに見せてくれた。僕らの船頭はなぜか僕には
特別に親切だった。彼と話してると「ぶた」という日本語がでた。老人から聞いたらしい。

翌日、小さな村に上陸すると長老が嬉しそうに出てきて「お前どこから来た」と一人ずつに聞いた。僕が「日本だ」と
答えると彼はひどくびっくりして「ありがとう」と日本語で言った。一瞬、何て答えようか戸惑ったが「ありがとう」と
言ってみると彼は顔をしゃわくちゃにして「本当に日本人だ」と言い、村人たちを呼び集め「見ろ、これが日本人だ」と
自慢そうにしゃべっている。なんと僕は戦後初めて会う日本人だという。激戦地だったニューギニアで彼と
日本兵の間にどんなドラマがあったのかは分からないが、
彼には悪い思い出ではなさそうなことが嬉しかった。
http://www.ne.jp/asahi/siesta/tsuboi/chikyu/chikyu_8.htm

299 :農NAME:2006/11/25(土) 10:06:35
「もし日本が戦争に勝ってたら、この国はもっと発展していたのに。」

 パプアニューギニアの半分は一時期日本に占領されていました。また15万人以上の日本兵の方々が
亡くなった地でもあります。もちろん戦時中、様々な目にあったパプアの人々もいたことでしょう。でも上にあげた
言葉はもう幾度となく聞きました。村人からも国の官僚からも。TOYOTAとかSONYが『ジャパンで作られている』と
いうことを彼らは知っているので、『ジャパンはナンバーワンだ』とよく言います。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2030/waki.html



300 :農NAME:2006/11/25(土) 10:08:31
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1163551638/
太平洋戦争中の1942年に日本占領下のパプアニューギニアで、旧日本軍
が英国国教会宣教師ビビアン・レドリッチさん=当時(37)=を殺害したとされ
た事件について、レドリッチさんの地元、英中部リトルボーデンの教会が14日
までに、現地住民による犯行だったことを明らかにした。
 
同教会は、実行犯らの家族など関係者が全員死亡したことを理由に、約64年
ぶりに日本の「名誉回復」を確認。旧日本軍のレドリッチさん殺害を前提に、日本
の教会が送った和解を呼び掛ける教会内の展示物を見直す考えを示した。

 同教会によると、レドリッチさんは他の宣教師11人とともに42年7月、
パプアニューギニアで活動中に殺害された。2002年に現地住民がレドリッチさん
ら2人の殺害について、自分の家族による犯行だったと現地の英国国教会の
司祭に明かした。
 
残りの10人については依然として、旧日本軍が殺害したとされているが
「明確な証拠はない」(同教会)という。

http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006111501000139


301 :農NAME:2006/11/25(土) 10:10:46
地域によるよ
パブアのような場所では食糧を略奪しあうほど欠乏しているようなエリアではない
隣のフローレス島の山間部へ行って村の古老と話した経験から言うけど、
あのあたりでは、日本兵が海岸部から徒歩で魚を運んできて、野菜や米と物々交換していたそうだ
強要されたわけでもない全くフェアなトレードとして


302 :農NAME:2006/11/25(土) 10:19:12
 1944年10月にもなると、安達中将の四個師団は各々一個連隊程度の兵力規模にまで落ち込んでいた。安達中将は第二十師団を
ウェワクとアイタペをつなぐ海岸線の中間に位置するブーツ周辺に展開させ、第四十一師団はトリセリ山脈に、また第二十五及び
第五十一師団は安達中将自身が司令部をおくウェワクに配置した。多くの将兵が糧食と医療品の不足によって、病気になるか
肉体的に弱っていた。かなりの割合で、兵士らは農園作業や漁獲作業に従事しており、三千の基地部隊は郊外に出て食糧を探し回っていた。

日本軍もまた、ニューギニア人を農園作業や労務、運搬作業目的で雇っていたが、同時に彼らとの取引をも行っていた。
住民らは時にこの占領者によって苦しめられたが、一般的に両者の関係は悪くはなかった。多くの日本兵らは、これら地元民が
彼ら自身の生命を助け得る(そして実際にしばしば助けた)事を認識していた。

ニューギニア人らは時に、撃墜された連合軍の航空兵や、日本軍の警戒線に侵入しようとしたコマンド部隊員らを捕獲する事で
日本軍を助けた。おそらく最もよく知られている事件は、1943年9月に発生した、オーストラリア人レン・シフリート(Len Siffleet)軍曹と
オランダ植民地軍の二名のアンボン人兵士、MM.レハリン(M. Reharin)とH.パティウェル(H. Pattiwael)が、アイタペの奥地に
あるワンティピ(Wantipi)周辺で約百名の村人に襲われ、日本軍に引き渡された事件であろう。この三名は、1943年10月24日に処刑された。

連合軍情報局とオーストラリア・ニューギニア行政府からの斥候隊は引き続き日本軍の後方線での情報収集活動を行っており、
特に1944年4月以降はオーストラリアの存在感を回復しようとしていた。いくつかの村では、信頼できる者たちが「哨兵」として
選ばれ、ゲリラ戦の訓練を受けた。しかしながら、日本軍守備隊と密接な関係を持っている住民らは、生存を確保するためにも、
引き続き食料と労働力を提供していた。


303 :農NAME:2006/11/25(土) 10:20:32
 1944年10月にもなると、安達中将の四個師団は各々一個連隊程度の兵力規模にまで落ち込んでいた。
安達中将は第二十師団をウェワクとアイタペをつなぐ海岸線の中間に位置するブーツ周辺に展開させ、
第四十一師団はトリセリ山脈に、また第二十五及び第五十一師団は安達中将自身が司令部を
おくウェワクに配置した。多くの将兵が糧食と医療品の不足によって、病気になるか肉体的に弱っていた。
かなりの割合で、兵士らは農園作業や漁獲作業に従事しており、三千の基地部隊は郊外に出て
食糧を探し回っていた。

日本軍もまた、ニューギニア人を農園作業や労務、運搬作業目的で雇っていたが、同時に彼らとの
取引をも行っていた。住民らは時にこの占領者によって苦しめられたが、一般的に両者の関係は悪くは
なかった。多くの日本兵らは、これら地元民が彼ら自身の生命を助け得る(そして実際にしばしば助けた)事を
認識していた。

ニューギニア人らは時に、撃墜された連合軍の航空兵や、日本軍の警戒線に侵入しようとしたコマンド部
隊員らを捕獲する事で日本軍を助けた。おそらく最もよく知られている事件は、1943年9月に発生した、
オーストラリア人レン・シフリート(Len Siffleet)軍曹とオランダ植民地軍の二名のアンボン人兵士、
MM.レハリン(M. Reharin)とH.パティウェル(H. Pattiwael)が、アイタペの奥地にあるワンティピ(Wantipi)
周辺で約百名の村人に襲われ、日本軍に引き渡された事件であろう。この三名は、
1943年10月24日に処刑された。

連合軍情報局とオーストラリア・ニューギニア行政府からの斥候隊は引き続き日本軍の後方線での
情報収集活動を行っており、特に1944年4月以降はオーストラリアの存在感を回復しようとしていた。
いくつかの村では、信頼できる者たちが「哨兵」として選ばれ、ゲリラ戦の訓練を受けた。しかしながら、
日本軍守備隊と密接な関係を持っている住民らは、生存を確保するためにも、引き続き食料と
労働力を提供していた。
http://ajrp.awm.gov.au/ajrp/remember.nsf/pages/NT00005186?openDocument

304 :農NAME:2006/11/25(土) 11:00:22
10月26日

韓国が前大戦中に「強制動員された朝鮮人軍属」がマーシャル諸島で「反乱の罪をかぶせられ、無差別に銃殺」という
センセーショナルな話を出している。李インシンという自称「生存者」の「証言手記」で「日本軍が朝鮮人の人肉を食べた」
などと、どこかで聞いたような話だ。ところがその中身を具体的に読むと、何のことはない。支給された肉を
朝鮮人他殺体の肉と憶測して「食用として日本軍に殺される」と思い込んだ軍属たちが、正真正銘の「反乱」で
日本人7人を殺害し、鎮圧されたのである。これを「反乱の罪をかぶせられ」たというのか。他殺体は太ももの
あたりの肉の一部を切り取られていたというが、これがもし軍の仕業なら、取れる肉は全部取るだろう。
「肉の一部」というからには単独犯で、恐らく朝鮮人軍属の中の誰かの犯行だろう。この話題が
「日韓翻訳掲示板」に出され、その悪質なアジテーションは悉く論破された。掲示板では先ず「日本は農村を
回って青年を手当たり次第に戦場に連行」という韓国側の主張に話題が集中した。そもそも労働力の徴用は
役所を通じた募集に対する応募によって成されるものだ。現実に当時の朝鮮半島で、募集数を上回る
応募数があった記録に基づく事実が指摘された。ところが韓国人の書き込みは「信じられない」と、
あからさまな「事実に対する拒絶」である。誤ったイメージを「正しい歴史認識」と称して振りかざし、
暴言三昧の韓国人はあまりに醜い。また、マーシャル諸島が1944年に米軍に占領されていた後の、
1945年3月の事件である事にも疑問が出された。それに対して「米軍から隠れていた日本軍もいた筈」と
居直る韓国人。だが、ジャングルや洞窟の中ならまだしも、別の島から海を渡って「重武装で押し寄せる」など
不可能だろう。
http://homepage3.nifty.com/tngari/nik17.htm


305 :農NAME:2006/11/25(土) 19:21:27
カラオ湖畔の学校―柴田中尉とソマレ首相―
 昭和十九年、船舶工兵第九聯隊(上陸用舟艇部隊)の柴田幸雄中尉は、現地住民宣撫の任を帯びてウエワク東方に
あるカウプ(コープ)に赴任し、カウプ一帯の部族を日本軍に協力させるとともに、白人支配からの独立と日本の
通過部隊から村を守るための自治組織(カウト政庁)樹立を指導しました。また、住民への感謝の気持ちと、
将来の独立にそなえた教育を志し、酋長の賛同を得て学校をたて、子供たちに数や初歩の日本語、英語の教育
を行いつつ、植民地からの独立を説きました。その教え子のひとり、当時8歳のマイケル・ソマレ少年は、
後にパプアニューギニア独立運動に身を投じ、1975年(昭和50年)、独立後初代首相に就任した。
キャプテン・シバタの教えによって独立することができたと考えたソマレ首相は大使館を通じて、当時
宇都宮市で飲食店を営んでいた柴田氏を探しあて、昭和60年、念願の再会を果たしました。
http://www.gokoku.gr.jp/jyunpai/doc2.html


306 :農NAME:2006/11/25(土) 19:42:34
雲南ビルマ最前線における慰安婦、死者は語る
http://www.awf.or.jp/program/pdf/p061_088.pdf
 第二次世界大戦の最中1942年、日本軍がビルマ独立義勇軍を引き連れビルマを占領した。
ビルマ独立義勇軍はカレン族をイギリス側につく敵だとみなし、スパイ容疑をかけ、捕らえ、処刑した。日本軍も
当初これを黙認したばかりか、ポーターや空港などの建設工事の強制労働にカレン族を従事させた。映画「戦場に架ける橋」
で有名な泰緬鉄道でも多くのカレン族が連合軍捕虜などと共に強制労働で死亡した。
http://www2.ocn.ne.jp/~jade/notes/karen_new_year.html
 この戦いで日本の第33師団第214連隊の第2大隊(末田大隊)は、インパールの南西17キロの地点にある2926高地
(ロトパチン・ヒル)まで進撃した。ロトパチン村の村民は日本兵が赤い血を流した丘として、ここを「レッド・ヒル」と
呼んでいる。ここには、現地村民が作った日本兵の慰霊塔があり、毎年5月20日に慰霊祭が続けられてきた。
ロトパチン村長は「私たちは日本兵が、インドの解放のため戦ってくれたことをよく知っていました。私たちは食料や
衣料を喜んで提供しました。ところが英軍がそれを知って阻止しました。日本兵は飢餓の中で勇敢に戦い、
この村で壮烈な戦死を遂げていきました。この勇ましい行動は、みんなインド独立のためになりました。私たちはいつまでも
この壮烈な記憶を若い世代に伝えて行こうと思っています。そのため、ここに日本兵へのお礼と供養のため、
慰霊祈念碑を建てて、独立インドのシンボルとしたのです」と語った。現地の人々は、勇敢で、軍規が厳正で、
婦女子に手を出さない日本軍人を尊敬しており、いまでも親日感情が強い。
http://www.eireinikotaerukai.net/E06Link/E060007.html




307 :農NAME:2006/11/25(土) 19:43:05
証言23 日本軍が占領したビルマ(現ミャンマー)北部マンダレー近郊のある村での情景
 村は附近の村落と同様、男も女も大変な興奮状態に陥ちていた。人はバナナやメロン、その他の果実を積み
上げたり頭に米を載せて運び歩いていた。3、4人の修道僧が現れて、人々を2列に並べた。2人の年老いた修道女が
タビバンの枝を一同に配った。ついにビルマは自由になったのだ。年老いた女が3、4人、寺に詣るかのように胸にスカーフを
巻きつけ、顔には一杯に涙をためて、昔の民謡を口ずさみながら、狂気のように舞い回っていた。
  タビバンに冷たい水を与えよう、
  勝利の王冠だ、
  タビバンに冷たい水を掛けましょう。
 一同はビルマが自由になったとの感激で胸がつまる思いであった。この民謡は農村から農村へと波のように伝わって行った。
聞く人は一人として涙なしに聞くものはなかった。
 この様子を理解することは容易であろう。「日本はわれわれの偉大な友人だ」「日本人はビルマ人を熱狂して
迎え入れるだろう」「日本人はビルマの自由のために死ぬだろう」このような噂で、村中は一杯っとなった。「ビルマ王子が
日本軍の指揮官なのだ」村人は、飛行機から、またラジオから、バラ撒かれた、日本軍はビルマを救いにくる、
という言葉を信じた。人々は希望で胸を一杯にした。人々は偉大なる盟友日本軍を迎えるためにと急いだ。
ちょうど正午近く、マンダレイの焼けつくような太陽の下でも、村人たちは暑さを忘れたかのように日本軍を
迎えるために急いだ。(ウー・ヌー「日本占領下のビルマ」)
http://www.xn--x41az7v.jp/k050/gakusyukai/page003-1.html


308 :農NAME:2006/11/25(土) 19:45:28
□タイ・ビルマ−『死の鉄路』泰緬鉄道建設
―ビルマの作家リンヨン・ティッルウィン氏著
「日本兵は私たちを手荒くあつかった。ほんの些細なこ
とで、往復ビンタを食らわせたり、軍靴で蹴りあげる、
眼の上を空手でたたくなどの暴行を加えた。…恐ろしく、
残虐行為にみちみちていたのがジャングル内での作業キャ
ンプだった。重労働、気候条件の悪さ、食料と医薬品の
不足、猖獗(しょうけつ)をきわめる病気、さらに日本
兵の非人間的な残虐行為をただロンジー(腰布)をかたく腰に巻き、腰を折り頭をさげて耐
えることしかしなかった」

『イラスト・クワイ河捕虜収容所』―レオ・ローリングス氏著
「…労務者たちは、帰るにパスポートをもたず、いまだに泰緬鉄道の沿線で、堀っ立て小屋
にうずくまっているのをわたしは知っている。わたし自身、他の泰緬関係者より実状はいち
ばんよく知っていると自負していただけに、その数〔25万人以上〕はひどく応えた」

□インド−日本軍による空爆
「1942年4月6日、日本軍は南インドのアーンドラ地方のベンガル湾に面した都市ヴィサー
カパトナムとコークナーダーへの爆撃を行い、これを皮切りに、同年末から翌年にかけて、
東部インドの重要拠点カルカッタ、チッタゴン、マニプール、南インドのマドラースなどに
つぎつぎと無差別爆撃をかけ、民間人や農民のあいだに多数の死傷者をだした。この爆撃に
対しては、インド国内に激しい抗議行動がおこった」(『世界現代史9 南アジア現代史T』)


309 :農NAME:2006/11/25(土) 19:46:18
□インドネシア−日本は日ましに残虐になった
『わが民族の歴史』―R・モハメッド・アリ氏著
「…学校の生徒たちは『奉仕作業』に狩りだされた。道路掃除、水田労働、衣類の原料集め、
屑鉄集めなどの作業だった。子供たちはまた、日本の歌を歌えなければならず、日本語でしゃ
べれなければならなかった。同様に日本式の服装まで奨励された。あたかもインドネシア人
は日本人に変化しなければいけないかのように。
日本は日ましに残虐になった。ちょっとした失敗もはげしく罰せられた。なぜだろうか。
日本は各地で敗れだしたのだ。たぶん、日本は戦争に敗れるだろう。さらには『ダイ・ニッ
ポン』にわれわれが思い切って反抗しはじめるのではないか、とかれらは恐れだしたにちが
いない。そこで日本は残虐になりだしたのである」
http://www.zengakuren.jp/pdf_files/pdf_files/05pdf/0505pamphlet_tsukurukai_hihan.pdf



310 :農NAME:2006/11/25(土) 19:46:58
 『一九四一年十二月八日に太平洋戦争が勃発し、一九四二年一月一日には、日本軍が北ボルネオの西海岸のラブアン島を占領した。
十九日には、サンダカンに到達し、以後三年間、日本軍が北ボルネオを支配した。
 当時、サンダカンには、多数のオ−ストラリアとイギリスの兵隊が捕虜として抑留されていた。一九四四年には、
米豪軍の反撃が開始され、一九四五年には、日本軍の第一回のサンダカン撤退が始まった。この時、四七〇人の捕虜が、
遠く百五〇マイル彼方のラナウ目指して歩かされた。ラナウまで四週間かかり、疲労のため動けなくなった者、病気に倒れた者は、
容赦なく射殺され、遺棄された。
その結果、日本軍の暴行や虐殺により、かなり減り、三一三人が生き残ってラナウにたどり着いた。
 一九四五年五月十五日、オ−ストラリア軍が南のオランダ領ボルネオ(現在のカリマンタン)に上陸し、サンダカンの街を爆撃し、
徹底的に破壊した。そこで、再び、五三七人の捕虜による、ラナウ迄の死の行進が行われ、ラナウに到着したのはわずか
百八三人であった。
 その後、三回目には、七五人の捕虜が死の行進に旅だったが、一人の生存者もいなかった。結局、サンダカンの捕虜のうち、
二四〇〇人が死亡し、生存者はわずかに六人だった。』
 これが、『サンダカンの死の行進』の物語である。
 この記憶を留めるために、これから向かうクンダサンの村に、戦争記念公園が作られている。しかし、今回の旅には、
この見学は含まれていなかった。
 このように、日本軍も悪いことをしたが、他方では、原住民の教育に努力したり、米の作り方を教えたりした日本兵もいたと言う。
捕虜ばかりでなく、日本兵も多数ボルネオのジャングルで死んでいった。
http://tadaokik.hiho.jp/borneo/22.htm


311 :農NAME:2006/11/25(土) 19:49:02
時折囲碁相手になるTさんの話。
ビルマには6年いた。開戦と同時にタイ国境からビルマに進攻する。補給物資を現地徴発の牛に積み密林を踏破する。
牛に草履を履かすべきであった。足の裏を傷めたて牛が歩けなくなった。仕方なく殺して食った。敗戦末期は食料を探して
泥棒ばかりしていた。避難して無人になったビルマ人の農家に忍び込み米を盗んだ。後方から補給がないから生きるため仕方が
なかった。日本軍は現地住民からの略奪を禁じていた。豚を一頭つれて帰ったことがある。将校が問う。
「カネを払ったのか」
「はい、50銭払いました」
「馬鹿野郎、30銭で十分だ」
これでは略奪と変わりはしない。
http://www.hpmix.com/home/hhhnaka/C7_29.htm
アンチ在日・韓国な人が参考にするホームページの悪意がさらに見えた
http://pknj.seesaa.net/article/3178587.html
http://pknj.seesaa.net/article/3057960.html
マレーシア 日本軍
http://www.edu.nagasaki-u.ac.jp/private/tanigawa/seminar/graduation/2003/kubo/MALAYSIA.pdf
インドネシア人は日本軍をどう感じたか?
http://yorozu.indosite.org/bbs/messages21/8011.html
》西欧諸国やアメリカも過去の過ちを謝罪すべきですが,日本軍が韓国や中国で犯した過ちを謝罪することとは
別の問題です。これって,つかまった泥棒が「なんで俺だけ謝らなければならないんだ。他にもっと悪いやつが
たくさんいるじゃないか。」って言い訳しているのと同じでレベルでは?





312 :農NAME:2006/11/25(土) 19:49:50
慰安婦の総数
http://ueno.cool.ne.jp/angelix/datsgohsen/message081.html
厚生省援護局が1964年に作成したデータによりますと、(桑田悦・前原透「日本の戦争 図解とデータ」原書房,1982)
昭20(1945).8.15時点でのインドネシア周辺における日本軍の現存兵員数は

        陸軍  海軍  総計
ジャワ    40400  9700 50100
スマトラ   59500  100 59600
小スンダ   17500  3000 20500
ボルネオ   18600 10900 29500
セレベス   17700  8800 26500
モルッカ   51900 19400 71300
ニューギニア 30200  3600 33800

であり、少なくともこの時点ではジャワ島に五万、それ以外の島に二十四万の日本軍が駐留していたという事
になります。これら全域が現インドネシア領というわけではないので、実数は若干少なくなると考えられるものの、
それを差し引いても藤岡氏の二万という数字とは差がありすぎますし、わざわざ地域を
ジャワ島に限定した理由も不明確です。



313 :農NAME:2006/11/25(土) 19:51:39
戦没者
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/sennbotusyasuu.htm
スマトラ 3,200人
ジャワ 6,500人
ボルネオ 18,000人
セレベス 5,500人
モルッカ 4,400人
小スンダ・西部ニューギニア 82,600人

http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM
スマトラ・ジャワ・セレベス・小スンダ   25,400
ボ ル ネ オ       18,000
モルッカ・西部ニューギニア      53,000
日本人戦没者概数〔人〕、厚生労働省調べ


スマトラ 3200
ジャワ 6500
ボルネオ 18000
セレベス 5500
モルッカ 4400
小スンダ 10200
西部ニューギニア 48600〜72400
(戦没者)



314 :農NAME:2006/11/26(日) 19:11:46
  スピーチのあと、大江氏と学生たちの質疑応答が始まった。清華大学の韓国人留学生から従軍慰安婦問題について
質問が出た時、大江氏は沈痛な面持ちで答えた。
 ――南京大虐殺、慰安婦の問題は人類の悲劇であり、いかなる金銭を持ってもそれを補うことはできない。しかしそれは
賠償が不要だということではない。その反対に、賠償という形式によって人類は、特に日本人は歴史の教訓を心に刻み、
二度とこの悲劇を繰り返さないことだろう。そして、この形式によって中国人を含むアジアの人々に、心からの悔恨を示し、
人々の許しを得ることができるだろう……。答える間、善良で正直な作家は、
憂いの表情を隠さなかった。翌日、

315 :農NAME:2006/11/26(日) 23:10:41
◆工場現場は椰子畑、椰子の木を伐採し、
地均し後 水牛の頭を埋めて地鎮祭、祭りは
2日間続きました。夜が本番の祝賀です。

◆村のエライサン達は皆日本兵の下で働いた
人達です。宴会が賑わって来て私がその中に
入ると必ず、日本の歌を歌えといわれる
(Lagu=歌、 Nyani=歌う)。

日本の歌と言うのは軍歌の事です。
http://blog.kansai.com/global+category+41
マカッサル インドネシア

316 :農NAME:2006/11/27(月) 22:29:23
原住民のロングハウス(竹作りの長屋)を模したNational museum(国立博物館)の赤い屋根が枇榔樹の間に見えてきた。
博物館に隣接してボルネオ各地の原住民の水上ハウスを集めたHeritage Village(先住民村)があり、
マングローブの硬い丸太を水中に何本も差込み、竹で屋根と床を作り、茅を葺いた粗末なバンブーハウスで、その一つに
靴を脱いで入ると体重で家が軋み、床が抜けて下の葦の水辺に落ちそうだった。釜戸もあって、土を盛って火事に
ならないようにしてあり、荷物は棚に置いて血縁の何家族もが半裸で生活している様子が窺えた。土の上に茅葺きの
小屋があり、米を貯える木桶が置かれ、天井の桟には驚いたことには頭蓋骨が幾つか置かれ、他の部族から
取った生首が置いてあったとのことで、大事なお米を盗むと病気になって死ぬと言う魔除けであった。
東ボルネオのサバ州には10近くの部族がいたようで、住居はジャングルやマングローブなど生活環境に
合わせて工夫され、今は日本人よりリッチになったブルネイ族は立派な木造ハウスだった。そこに老人がおり、
娘さんらしい女性も生活しているようで、老人はイギリス人を追い出してボルネオを占領した日本軍に協力したが、
日本人は親切だったことを誇らしげにダニーさんを通じて話してくれた。博物館は立派なコンクリート造りで、
各種族の結婚式や王族の生活が蝋人形でリアルに演出され、長女がよく見ようと近づくと「ギャー」と
鼻を大きなガラスにぶつけていた。
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%8D%
E3%82%AA%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D%E3%80%80%E5%AD%A6%E6%A0%A1&tid=top_v2&ei=UTF-8&search_x=1&fr
=top_v2&u=www.okinawa.med.or.jp/old/kaihou/k0202/p43.htm&w=
%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%AA+%22%E6%97%A5%E6%9C%AC+%E8%BB%8D%22+%E5%AD%A6%E6%A0%A1&d
=YD-15pIFNg0G&icp=1&.intl=jp

317 :農NAME:2006/11/27(月) 22:33:54
「日本軍が戦時中に犯した軌跡をたどる」
図書館でこの本を借りたのですが、発行後10年経過しているのにもかかわらず、手垢が付いていませんでした。
ほとんど読まれた形跡がなく、いかに日本人が過去の戦争に目を向けようとしないでいるかを感じました。著者が
東南アジア・中国・韓国・米国を訪問し、60年前に日本軍が行動した場所を訪ねたり、日本人が拘留された場所を
訪問しています。この中で印象深いのは、東南アジアや中国での日本軍の行動です。「あの村には日本軍に
対し敵対行為をする人がいる」という噂を聞きつけただけで、「これから村人に対し健康診断を実地するから
全員集合して欲しい」と村人全員を集めて、その場で全員を殺してしまうのです。赤ん坊などは、
殺しそこなわないように、一度上にほうり上げて、落ちてくるところを、剣で櫛刺しにして殺したのです。
この方法で、日本軍は各地で村人全員を殺したようです。もし、戦争末期に米国軍が日本本土に上陸して、
日本人に対して同様な行為をしたら、日本人は米国人に対し一生恨みを持つでしょう。同様に、
中国人や朝鮮人が我々日本人に対して恨みをもつのは人間として当然かもしれません
http://members.jcom.home.ne.jp/yamagtx10/C2_1.htm

318 :農NAME:2006/11/27(月) 22:40:49
ロームシャについて
p251-255:日本軍は、インドネシアの外の占領地域における彼らの事業計画に、労務者を必要としていた。
「労務者」とは、軍が路上や村々から手当たり次第に借り集めた、男の労働者のことであった。16歳から60歳までの
男が、一人もいなくなってしまった多くの地区では、女が耕したり、土を掘ったり、その他の重労働をしたものだ。
何万人という人間を強制重用することは、大規模な反抗を引き起こすことになるであろうから、日本軍は誘いの
報酬を約束したり、「労働英雄」というタイトルで、労務者を誘惑する方法をとった。しかし、現実には彼らは
奴隷であった。しかも彼らを徴募する任務をとっていたのが私であった。何千もの人々は二度と帰らなかった。
彼らは異郷で死んでいった。しばしば彼らは、戦争捕虜と同じように非人間的に扱われ、彼らと一緒に有名な
ビルマ道路を建設するために、じゅずつなぎに足かせをかけられたりした。私は知っていた。ええ、知っていましたとも。
彼らが息苦しい貨車にいちどきに何千とつめこまれて、運ばれて行ったのを。彼らが皮と骨にやせさらばえていたのを。
・・・「私の任務は日本軍を、私が彼らの目的のために大衆を指導しているのだと信じ込ませることなんだよ」

「この占領全体が精神の戦争なんだよ。諸君たち学生の一件では、私の協力を増すことがその代償だった。
『労務者』の一件では、私の便宜がふえたことだ。独立のための強制労働だよ。それが取引だ。われわれはすべての
集会において、われわれの国家『偉大なインドネシア』を歌ってもよい許可を得たばかりだ。われわれは日本の旗と
並べて、われわれの神聖な旗『メラ・プティ』を揚げてもよい許可を得たばかりだ。それに、われわれは日本の
軍政に助言者として行為する、インドネシア文官団『中央参議院』を形成する許可を与えられたばかりなのだ」
http://ime.st/d.hatena.ne.jp/mbakecil/20051016
スカルノ自伝―シンディ・アダムスに口述
1969
黒田晴海訳
角川書店

319 :農NAME:2006/11/27(月) 22:41:38
「私達ラバウルの者は、日本からのお客さん達が来たことをとてもうれしく思っています。私達は日本の
人が好きです。よく来てくれましたね。あの大きな船で来たんですね。」レイチェルが英語で私に伝えてくれる。
お客さんに内容を伝えると、皆うれしそうな顔をして頷いた。すると、あの私が苦手としているおじさんが、
また突然発言した。「戦争の時のこと、覚えてるの?その時何をしていたの?」レイチェルにまた聞いてもらった。
「庭を造ったり、穴を掘ったり、畑で芋を作ったりして忙しかった。よーく穴を掘ったんだ」とおじいさんはゆっくり答えた。
「歌も一緒に歌った。」 そして片手を振ってリズムを取りながら、いきなり歌い始めた。「も〜しも〜しかめよ〜か〜めさんよ!」

驚いた。また、“もしもしかめよ”だ。しかも完璧な日本語の発音だった。一瞬お客さん達も唖然としていたが、
すぐにうれしそうな顔をして、おじいさんと一緒に歌いだした。私も思わず一緒に歌った。静かなココポ博物館の庭に、
“もしもしかめよ”の大合唱が響く。歌っているおじいさんの顔は、とても楽しそうだ。「他にもたくさん子守歌のような歌を
習ったけれど、もう全部忘れてしまいました。この歌は、私の家の庭で一緒に芋を作っていた若い兵隊が
よく歌っていました」 歌い終わったおじいさんは、穏やかな顔でそう言った。私がお客さん達に、
レイチェルのご両親のエピソードも伝えると、みんな驚いた顔をしている。一人の中年の女性が、「なんだか、
そんな話もあったのね」としんみり言った。
http://homepage.mac.com/rumineko/diary/pb.html
ラバウル 日本軍


320 :農NAME:2006/11/27(月) 22:42:45
アジア各地で行われた戦犯裁判はもっと酷かったそうです。
 罪状をデッチ上げる、弁護人はおろか通訳すら居ない状況で反論も出来ない、拷問で自白を強要させる、また、
オ−ストラリアが管轄したラバウル裁判では、調べても何の罪状も出ない、住民も親日、と言う事で、
インドネシアから来ていた出稼ぎ労働者を買収して証言させた事実もあるそうです。

 処刑されたある日本兵の裁判における言葉があります。
 「貴方達は一体どこの軍隊の話をしているのですか? 日本の軍隊において命令は絶対なのです。
選択の余地なんて無いんです。」
http://www.dewa.or.jp/ronpower/ron_log/free0109.htm


321 :農NAME:2006/11/27(月) 22:43:33
まず、ご説明の前に、私の文が少々あいまいだったことと、厳密な統計資料をもとにして
いるわけではないことを、お断りしておきます。
ただ、日本人「慰安婦」より朝鮮人「慰安婦」の方が絶対多数であり、さらに職業的「娼
婦」を除く、狭義の「強制連行」に限れば、日本人女性はほとんどいなかったと考えるの
は、特に無理な推論ではないと考えます。

#根拠1:1925年に日本が批准した「婦女子売買禁止国際条約」において、日本政府
     は植民地を摘要除外していた。
#根拠2:1938年に上海郊外の「陸軍娯楽所」の「慰安婦」を検診した麻生徹男軍医
     の報告書によれば、朝鮮人が80人、日本人が20余人だった。
#根拠3:「慰安婦」制度の主要目的である「性病対策」上、性病罹患率の高い「娼婦」
     より「一般女性」のほうが望ましい。
#根拠4:だが、兵士の姉妹である日本人「一般女性」の徴集は、兵士の士気に影響を与
     え、社会問題になりかねない。また、将来の兵力を産み育てる「担い手」を失
     うことになる。
     *参考;1938年の軍人相手の売春婦の渡航に関する内務省通達「日本国内
     で売春目的の女性の募集・周旋の取締を適正に行われないと憂慮される事態は、
     1)帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なう。2)銃後の国民、特に出征兵
     士遺家族に悪い影響を与える。3)婦女売買に関する国際条約に反する」
#根拠5:「朝鮮人『慰安婦』は兵士用、日本人『慰安婦』は将校用」との戦争体験記・
     証言が、場所を問わず多数ある。
#根拠6:日本人「慰安婦」の強制的徴集について、被害者・加害者双方ともに、証言者
     がいない。


322 :農NAME:2006/11/27(月) 22:44:25
1.イアンフ問題は、軍事暴力、性的奴隷制、女性に対する極限の暴力、という三つの側面をもつ人道に対する
暴虐として記されるべき問題である。
2.日本帝国主義を歴史的に支えた日本軍は一種の奴隷制組織であって、インドネシアにおいては、その底辺に
位置づけられたのが、イアンフでありロームシャと名づけられた奴隷であったが故に、奴隷になることを強いられた人々の
涙をフィルターとして軍事犯罪を歴史的に解明される必要がある。
3.責任者としての日本政府は、被害者に対する謝罪や補償などを含めた全的責任の存在を拒否しており、
ここに、人道に対する第二の犯罪が行われている事実を認識する必要がある。
4.記述形態について: イアンフに対するインドネシア社会の意識変革をもたらすような記述とし、彼女たちの苦難の
物語をインドネシアの独立闘争史の中に位置づけ、インドネシア軍による軍事犯罪も含めて同じ失敗を繰り返さない
ことに重点を置くこと。
付帯意見として:
1.イアンフ問題の歴史的研究をインドネシアと日本の両者で行うこと。
2.日本側にある資料のインドネシア語への翻訳、および、イアンフ問題の歴史研究においては被害者の証言が
第一級の史料として扱われるべきこと。
http://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/2002-2-27/indnesia.html


323 :農NAME:2006/11/27(月) 23:09:16
ただ、あのビルマ、ミャンマーは非常に今親日的なんです。ここは19万と書いてありますけども、
向こうへ行くと「日本人23万の命のおかげで自分たちは独立できたんだ」と非常に親日的で、ちょっとこの
ダイジェスト版では出てきませんでしたけども、番組ではお墓が出てきますけども、あそこの墓守
をしてくれているおばさんがいるんです。これはボランティアか何か知らないんですけど、そういったことで
日本人の死というものを非常に悼んでくれているというビルマ、ミャンマーの人たちの心情もあるし、
それに対して日本政府は今スーチーさんを拘束しているということと軍事政権だということで、あそこに対して
一切援助を行ってないんですけどもね。
http://www.ytv.co.jp/mon/04_hanashiatta/bn/04pro-475.html

324 :農NAME:2006/11/28(火) 22:25:09
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/kak2/1208231.htm
 先の大戦でインドネシアに二年ほど、航空機の整備兵として参戦
したAさん(78)(津市在住)のお話を聞く機会が最近あった。いろ
んなお話が出たが、終戦後も残留していたジャワ島で、日本軍兵士
が退屈しのぎに演芸大会を行って、現地の人たちと一緒になって楽
しみましたよ、という話を伺ってエッと思った。

 日本が負けたと分かった後、外国(植民地)にいた日本人は軍人
であれ、民間人であれ地獄のような目にあったと聞かされていた。

 Aさんは「日本に帰る日、山から降りてトラックに乗ったら、子
どもたちが駆け寄ってきてさよならをいってくれました。港に向か
う列車では、現地の婦人らがコーヒーを水筒に入れてくれたり、列
車のトイレには竹を切った一輪挿しがあって感激しました」という。


325 :農NAME:2006/11/28(火) 22:34:22
インドネシア人は本当に懐の広い国民なのでやってはいけないことというのはあまりな
いのですが、それでも幾つかはありました。

まずは、相手に対して「ばかやろう!」と言うことです。
相手は日本語は分からないだろうとあなどってこれを使うと大変なことになると言うこと
でした。日本軍が軍政を敷いていた3年間余りのうちにどれだけ軍人がこの言葉を使っ
たのかしれませんが、庶民の間ではこの言葉は脳裏に刻みつけられてしまったようで
す。私はこの言葉を使いはしなかったのですが、どの程度知られているか確かめようと
聞いてみると、若い人も含めて結構みな知ってましたね。
一番ポピュラーな日本語かもしれません。しかし、インドネシア人にとっては最大の侮辱
を意味する言葉です。

それから腕組みするのもまずいということでした。尊大に見えるということのようです。
私は尊大になるとかは考えず、考え込んだりする時に無意識に腕組みしていたといった
ことはあったのですが、意識してインドネシア人の前では腕組はしないようにしました。

また、ちょっと人を呼びつけたりする時に右腕を上げてコイコイの動作をしますが、これ
もやってはいけない動作の1つでした。やはり尊大に見えるとのことです。
こうやってみていくと、皆、軍政時代の兵士の不愉快な態度の思い出に繋がるわけで
す。インドネシアでは日本の軍政はオランダの植民地支配から解放してくれたという意
味もあり、美談も多くあるのですが、末端の兵士はろくなことはやっていなかったという
ことであろうと思います。「おい、おまえ!」とか「こらこら!」と呼びつけて活を入れたり、
「ばかやろう!」と怒鳴ったり、なじったり、蹴ったりするのは当たり前だったのではない
かと思います。それを上官は腕を組んでじっとみているとか、結構ありそうな風景です。
http://homepage1.nifty.com/yukoike/travel/indonesia/1981stay/taboo.htm

326 :農NAME:2006/11/28(火) 23:23:52
Mamaはカリマンタン島と呼ばれるボルネオと
ブルネイがあるところの生まれ。そこに日本軍が
やってきた時に、村の頭がいい人(医者や弁護士、教師
など)だけを選んでトラックに乗せて連れて行って
殺してしまったらしい。Mamaのおじさんはそのトラック
の運転手で、一緒に帰らぬ人になったという話を目に
涙を浮かべながらしてくれた。

学校の授業では、こういうことは習わなかった。

「It's true story」と最後に言ったMamaは続けて
こういった。

「ほんとのことを知るのも重要、そしてこれからお互いが
どう協力していけるかを考えるのも大事よね。」
http://blog.goo.ne.jp/reiko0103mango

327 :農NAME:2006/11/29(水) 23:12:41
 世界広しといえども、慰安婦たちを連れて行軍した軍隊なんて、ほかにきかないんじゃないか。
兵隊たちの駐留している街に娼家が店を開くことはあっても、女たちを丸がかえで連れて歩きながら
「侵略」していった軍隊。しかも女たちは「現地調達」。
何の話もきかされず徴用されたり、脅されたりさらわれてきた少女たちだった。そしてそれを管理し奨励
していたのは民間業者でも何でもなく、「国家」の名のもとであった・・・・・。
 戦争だったからみんながたいへんだった−−−なんて慰めが通じるのは日本の国の中だけである。
国がこの事実を認めるまでに五十年もかかった。証言者たちがいなくなるまでしらっとぼけていれば、
ごまかしきれるとでも思っていたのだろうか。 

328 :農NAME:2006/11/30(木) 22:16:39
日本軍は人肉食いの軍団
何百年前じゃなくて、ほんの60年ちょっと前。 有り得ないよね。
ニューギニアの日本兵の主食はオーストラリア兵でした。たまに米兵も食べていた。
白豚(白人)はまずくて黒豚(黒人)はうまいらしいです。
白豚や黒豚が手に入らない時は、仲間の死体を食ったとか。
死体ならまだしも、部下を殺して食ったりしたらしい。
日本軍は人間ではありません。
親戚や先祖に日本軍の人がいたら、思いきり罵倒してあげましょう。
うちにも86歳のジジイがいるのですが、今日の夕食に豚の生肉を与えました。
『人間の肉食えるんだから、畜生の肉なんでご馳走だろ』と説教したら
涙を流して震えていましたwwwwwwww

329 :農NAME:2006/12/02(土) 22:01:17
隠蔽工作があったなら、責任者を
処罰するのが大臣の責任であって、政府の過ちを糊塗するのはいけない。

330 :農NAME:2006/12/02(土) 23:39:19
、いじめを苦にした子供の自殺が日本人に衝撃を与えている。実に痛ましい話である。しかし、
先の高市発言に示されるように、政治家こそが国ぐるみのいじめをして、それを恥じないというのが現状ではないか。
政府が提出した教育基本法改正案では、郷土と国を愛する態度を養うと書かれているが、これなど
悪い冗談でしかない。沖縄の人々の郷土を愛する心は無視され、同じ日本でありながら
沖縄だけに米軍基地を集中して、迷惑をわびることもない。本来の愛国心は、主権者としての政治的覚醒と
結びつくはずである。日本人が国の行く末に関心を持つならば、米軍再編という問題にももっと関心が高まり、
沖縄だけに矛盾を押し付けて知らん振りという態度は糾弾されるはずである。形だけの愛国心が
子供たちに注入されれば、政治家が定義する国益に疑いをさしはさまない従順な人間が増えるだろう。
政策による不利益に対して、自らの尊厳や権利を主張できない無力な人間があふれるというのが、
格差社会の行き着く果てである。


331 :農NAME:2006/12/04(月) 22:55:29
■「拉致を非難する日本、強制徴用の話はどうしてしないのか?」

「いま日本で、北朝鮮批判は誰でもできる。幼稚園児でもできる批判を私までする必要があるか? 北朝鮮
核問題や拉致問題を取り上げて無条件に北朝鮮を批判している世論を変えねばならない。在日同胞たちが
過去に日本に連れて来られたことに対しては何も言わないで、冷戦時代の拉致ばかり話すというのは矛盾
したことだ。」

「しかし、最近の客観的状況が良くなっているとはいえ、全体的な状況は相変らず良くない。すぐに第2の朝
鮮戦争が起きると言ってもおかしくない状況であり、このような状況は2・3年前から続いている。それなら私
たちのように世界の中で暮らしている韓民族・韓人たちはどうなるか?」

すなわち姜教授は、こうした客観的状況を一層発展させてゆくために何より重要なことこそ、日本国内に暮ら
している在日同胞、ニューカマーの意識改革だと力説したのだ。戦争ではなく平和、それも我々韓民族だけ
の平和ではなく「東北アジア共同の平和」だ。もちろんこれは、姜教授の長年のテーマでもある。<中略>

「いま日本は、全国民が拉致を取り上げて北朝鮮を非難している。しかし私は、たとえ横田夫婦がこの場に
いても言える。『冷戦時代の産物が拉致なら、過去の帝国主義の産物だった何倍も多い朝鮮人強制連行・
徴用のことはどうして考えないのか』、と。」

「私は、日本の言論・世論が一方向に突き進んでいる今日の偏向性を乗り越えるために、この世論を変え
ねならないとずっと思ってきたし、実践してきた。今までもそうだったし、今後もそうだろう。米国の外交路線
の変化によって日本の外交はたぶん変わるが、日本国内の世論を変化させるためには、まさにあなたと私、
私たちが努力しなくてはならないのです。」<後略>

http://www.ohmynews.com/articleview/article_view.asp?at_code=377183

332 :農NAME:2006/12/06(水) 23:38:35
安倍が内閣官房長官の時に内閣府が何回もやった
「やらせ」の「教育改革のタウンミーティング」。
1回に2400万円もかけ、その費用の中には
歩いてわずか5分の距離を移動するのに、
わざわざ東京からハイヤー・伴奏車を21台も借り
57万円も支出するとか、エレベーターのボタンを
押すだけで1万5千円も支出するという、
常識では考えられないような支出もある。
これは「詐取」、「公金不正処理」、「公金横領」に他ならない。
彼らは国を食い物にしているのである。
(本来なら問題が明らかになった時点で、安倍は免職である。)

「やらせ」をやり、国を食い物にしている汚れに満ちた安倍が、
何ら責任も取らないどころか、「教育基本法」を「改正」し、
子どもたちに(否、日本社会の全員に)、
「道徳」や「愛国心」を強制するという。
このようなことは、決して許されることではない。

みんなの力で、教育基本法改悪法案を廃案に追い込み、
「やらせ」と「公金横領」の安倍政権を打倒しましょう。



333 :農NAME:2006/12/10(日) 00:15:56
☆教育基本法十条の骨抜きや「愛国心」は、ますます学校を「ラーゲリ」(収容所)に。
 教育基本法に「愛国心」を盛り込むことは、教育現場の悲惨な状態を一層強めま
す。
 
 周知のように、戦前「愛国心」は、労働者や市民を中国や東南アジアに対する侵略戦争に
動員するための手段、軍国主義の重要な道具でした。そして今回、文科省
や自民党がこれを教育基本法に盛り込もうと躍起になっているのも、憲法9条を改悪
して日本を「戦争のできる国家」にしようとの危険な動きの一環です。
 つまり自民党や文科省は、「愛国心」を教育基本法に盛り込めば、これまで以上
に、「日の丸」・「君が代」を強制することも、「つくる会」の教科書などを活用
して、侵略戦争や軍国主義を讃美する歪んだ愛国心教育を進めることも、一層や
りやすくなると踏んでいるのです。

 十条を骨抜きにしたら、いまでも都教委が土屋、古賀、田代都議らと結託して
進めている「日の丸」・「君が代」強制や平和教育つぶし、増田都子さんへの不当な
分限免職処分など、違法・不正な教育への介入はますます強まるばかりです。
 その行き着くところは、教員が校長や教育委員会の従順な下僕、物言わぬ羊と
なる「収容所」(ラーゲリ)のような学校現場であり、教え子を再び戦場に送ること
にほかなりません。


334 :農NAME:2006/12/10(日) 00:16:52
☆「法令違反」「不道徳」な都教委や石原都知事に、教育を語る資格はない。
 都教委は、増田さんの裁判の判決では、個人情報保護条例「違反」と指摘されてい
ますし、9.21「日の丸」・「君が代」判決では、教育基本法、憲法違反と、糾弾
されています。

 石原都知事は、海外主張で2億5000万円もの血税を湯水のように浪費したり、
自分の四男に公費で主張させたり、不道徳きわなりない、公務員にあるまじき姿
をさらして、恥じるところがありません。

 こんな人たちのどこに「教育」や「道徳」を語る資格があるのでしょうか。こんな
人たちに、どうして教員を管理したり、処分したりする資格があるというのでしょう
か。

335 :農NAME:2006/12/10(日) 01:38:07

スハルティは自分の苦い人生体験を子供に隠さない。子供たちは母親のことを勿論知っている。
「子供たちには徐々に徐々に話しました。これがお母さんの物語り。わたしが行かなかったら、
家族の全員がもういなく なっていたでしょう。」
子供たちが大きくなるにつれ、出発のプロセスを全部語って聞かせた。1970年に夫に先立たれたスハルティは、
夫 の年金が下りるまでハードワークで子供を育てた。
「当時の状況を子供たちに話しました。わたしたちの誰もが虐待や圧制から逃れられなかったことを。
若い男は兵補 に、年寄りは労務者に、そして若い女は従軍慰安婦に強制されたのよ、って。」
「子供たちの反応は?」
「そのころ生まれていたら、自分たちも同じ目にあっただろうと言いました。」
素朴な答えだ。しかしスハルティの子供たちは正義を求め続けるよう母に大きな励ましを与えた。
「当時の日本の残虐さを証言するために、国際フォーラムに出ても良いんですよ。でも子供たちは
ンバユ・マルディエ ムが一緒にいてくれるようにって頼むんです。おばさんがわたしを守ってくれるって
信じてるから。」カリマンタンで働く 子供たちのところに二ヶ月間行っていたスハルティはそう語る。

かの女はとても穏やかに見えるが、話しの中のところどころでは感情を抑えきれず、また他のところ
では目をうるませ た。
「インタビューで泣かなかったのはこれがはじめて。記者の質問はたいていすごく細かくて答えるのに
プレッシャーを 感じるの。」
スハルティとマルディエムは大東亜戦争における強姦、虐待、セックス奴隷などの事件の生き残り被害者
数百人のう ちのふたり。もう数十人の被害者たちは苦悩や貧困、忍従と汚辱の中で世を去っている。
わたしたちの母や祖母であるかの女たちの人生は、正義とヒューマニズムを護持するために、そして
日本の戦争犯罪 を証明するために大切なものだ。同じように、これまで慈善家的姿勢ばかりを
示してきたもうひとつ別の仮面に対して も。
かの女たちの犠牲のおかげで、今のわたしたちがあるのだ。
http://yorozu.indosite.org/jendela/wd200202.html


336 :農NAME:2006/12/10(日) 22:09:58
奥田はいじめを批判しながら、いじめのレトリックを弄ぶ卑劣漢である。どこかの首相を批判しつつ、
その態度は某首相とまったく同じ。奥田は、いじめ問題を解決するどころか、いじめの論理構造を補強している。
日本の政治をよくするどころか、日本の政治のダメな部分を自ら援用する始末。日本をダメにしているのは
サムライ気取りのこいつだ。奥田は非国民である。日本男児の恥であるから、さっさと自決せよ。それが日本のためになる。

それにしても「サムライ」とか「日本男児」とか「非国民」とかいざ使ってみると便利な言葉だな。こりゃあ、
クセになるのもわかる。



337 :農NAME:2006/12/10(日) 22:53:55
 朝鮮学校に通う児童、生徒らに対する嫌がらせや暴力などの実態をまとめた調査資料『在日朝鮮人への人権侵害について
(2006年7月以降)』が、このほど発行された。在日朝鮮人・人権セミナー(実行委員長・床井茂弁護士)の編集・発行。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が7月にミサイルの発射実験を行って以降の日本社会の、
あまり報道されない無惨が露わにされている。

ここまで醜悪(しゅうあく)な社会が、仮にも人間の世にあってよいものだろうか。
在日朝鮮人への人権侵害を止めろと言っただけで罵倒や嘲笑の嵐を浴びるに違いないこの国の日本の現実を承知の上で、
あえて強調しないではいられない。恥を知ろう。金正日が憎ければ、どんな手段を用いても、彼本人を殺しに行けば
よいではないか。どうして何の関係もない、しかも子どもや女性を襲うのだ。


338 :農NAME:2006/12/11(月) 23:00:22
 戦争という極限状況において、人間は「生き延びる」という本能のためには何でもしてしまうようである。
殺戮は当然のように行われ、あげくは空腹のあまりにその遺体まで食べてしまいかねない。平和時の猟奇的殺人
に眉をひそめる一般市民的な感情も、それと同じようなことを戦時中の日本人が目撃し、そして体験したことは
タブーになっている。それは誰が誰に対してそんなことをしたか?という個人レベルでの責任追及は意味をなさない、
戦争という大きな潮流においての原罪がみんなに問われているのだ。
辺見庸著『もの食う人々』45〜55頁「ミンダナオ島の食の悲劇」にも戦時における日本兵の人肉食に
ついて書かれてある。
「村人たちは口々に言ったのだ。『母も妹も食われました』『私の祖父も日本兵に食われてしまいました』『棒に豚の
ようにくくりつけられて連れていかれ、食べられてしまいました』・・・『食われた』この受け身の動詞が、
私のメモ帳にたちまち10個も並んだ。村人たちは泣き叫んではいない。声を荒げてもいない。
押し殺した静かな声だった。なのにメモ帳が『食われた』という激しい言葉で黒く埋まっていくのが不思議だった。
老人は、戸惑う私を無言でじっと見つめていた。(中略)この村と周辺だけで38人が残留日本兵に殺され、
その多くが食べられた。頭部などの残骸や食事現場の目撃証言で事実は明白になっている。しかし日本側は
一度として調査団を派遣してきたこともない。(中略)現代史ではきわめてまれな兵士による『組織的食人行為』として、
連合軍司法関係者を仰天させたこの事件の全貌は、日本ではほとんど明らかにされていない。なぜだろう、
と私は思う。事実を秘匿する力がどこかで動いたのだろうか。そうだとしたら、この事件がとても説明がつかない
ほど深く『食のタブー』を犯していることへの、名状しがたい嫌悪が下地になっていたのではないか。
戦争を背景にした一つの過誤として、もう忘れた方がいい。そんな意識もどこかで働いていたためかも
知れない。だが、私のすぐ目の前には、肉親が『食われた』ことを昨日のことのように語る遺族たちがいる。
『食った』歴史さえ知らず、あるいはひたすら忘れたがっている日本との、気の遠くなるような距離、
私はただ沈黙するしかなかった」


339 :農NAME:2006/12/11(月) 23:03:48
612】全く同感です
2002/3/6(水)18:28 - KY

 WEBウオッチャーさんの言われる事に同感です。第一、「元慰安婦」と称する人の証言の「裏」は取ったのですか?
これも何回言ったことか。参考までに申し上げますと、戦後インドネシアで開かれた戦犯裁判で、慰安婦に関する
軍事法廷「バダビア法廷」で、旧日本軍将校12名が死刑を筆頭に有罪判決を受けております。もし同じことが
東チモールであれば、当然報復裁判が開かれるでしょう。
それに関係ない、と言われるかもしれませんが、このあたりではインドネシアの元慰安婦2万2千人カミングアウト、
ロームシャの穴、ニューギニアでは旧日本軍による人肉食、といった後から嘘であることがが発覚した「旧日本軍の蛮行」が
捏造されています。今回だってやはりまたか、と疑わざるを得ないでしょう。
 また、「被害者を傷つける」とおっしゃる方が出てくることでしょう。しかし私には、でっち上げ、もしくは真偽定かならず事で
旧日本軍を、強いては先人を貶めて、そして自衛隊批判(というより中傷)に持っていこうとする人たちの心情が解りません
(不審船のときもそう。銃撃され、命の危険にさらされて任務を遂行した人たちを殺人者呼ばわりするなんて!)。
唯一考えられることは、そういう人たちの心中には度し難い差別感情があるとしか思えません。ともあれ、「市民団体」の
人数が20人というのは少なすぎますね。もし戦時中そういうことがあったなら、抗議する「市民団体」の人数は
少なくともその10倍にはなるはずですが。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mmr/mini/bbs2.cgi?log=log596-645

340 :農NAME:2006/12/11(月) 23:07:37
太平洋戦争中、S19年以降、補給の途絶えた南太平洋の島々二ューギ二ア、メレヨン
クェゼリン、ミレー、ガダルカナル、ヤップ、ベララベラ、ウォッゼ、アドミラルティ
ビアク島などのソロモン、マーシャル諸島、後フィリピン、小笠原諸島、父島、母島、
などで日本兵は人肉を盛んに食べたと文献にある。南方のB、C級裁判の記録にもある。
 栄養失調や飢餓で人肉を食べなかった兵隊は100%死んだ。一部で自給自足で飢えをし
のいだ者もいたが、何千人もがジャングルで身を隠して、捕虜になった者以外は終戦まで
モグラのような生活を余儀なくされたわけで・・・・。有名な話ではミンダナオ島のブキ
ノドンでの人肉事件、二ューギニアのウェワク残留隊が白豚黒豚といって米兵、豪兵、現
地の土人を食したことは奥崎謙三の“ゆきゆきて神軍"でかたられている。
 南方から帰国できた日本兵の80%は人肉を何らかのかたちで食したといえる。
元日本兵の証言では「塩もなんにもないから水炊きにしたが油ぎっていてたべにくかった。
脳みそ、肝はおいしかった。最初は抵抗あったが一度食べるとやめられんかった。主に死ん
だ戦友のを食べたが、最後の方は階級の低い兵隊を殺して食べた」と語っている。極限状態
では人間はクレージーになって本能のみで行動するということ。
http://food6.2ch.net/test/read.cgi/food/1085031201/410-509

341 :農NAME:2006/12/11(月) 23:46:21
 十年前後もの長い期間、厳しい抑留生活を余儀なくされた人も多い。ソ連への憎悪を持っていることに、
反論の余地はない。一方、日本軍が侵した残虐な行為に、今だに許さないという感情を持っているアジア諸国の
人々も数多い。戦争は勝者も、敗者もない。罪のない一般市民が、不幸のどん底に追いやられる。憎むべきは
「戦争」そのものなのだ。


342 :農NAME:2006/12/12(火) 22:58:07
http://podman.com/blog/archives/000320.html
簡単に説明すると日本の約2倍の面積を有した熱帯の国ニューギニアに、のべ約18万人の旧日本陸軍が上陸し、
米軍の攻撃によって補給を絶たれ、マラリア等による高熱、飢餓、昆虫などあらゆるものを捕食し、ついには黒豚白豚と
呼んで一部で行われていたという人肉食など、悲惨壮絶なる終戦までの3年間のことである。だがこれらは
生き残ったからといっての美談ではないだろうと思う。
「死の島」ニューギニア 〜極限の中の人間〜 尾川 正二。

今でいうPTSDになってもおかしくはないのではないだろうか?もちろんノンフィクションである。

・兵器の手入れも並大抵ではない。朝、ベたべたに油を引いても夕方には薄っすら錆が浮く。
・鉄製の行李に入れてあった軍服は折り目から腐る。
・地面はじめじめとしていて、3日たっても4日たってもタオルが乾く時がない。
・大小黒茶白黒まだら、あらゆる種類の蚊
・病兵の体を温床としていたシラミが、息を引き取った瞬間に、うじゃうじゃと真っ白になるほど這い出してくるのは、
身震いするほどの情景である。
・飛ぶ虫、這う虫、枯れ木に巣くう虫、手当たりしだい食膳にした。人間の生活ではありえなくなった。
(本書からの抜粋)

たぶん通常の想像力を持ち合わせているのなら、この本を読んだ後にすべての環境と食べ物に感謝するだろうと思う。
地獄や煉獄という言葉以外に適切な言葉が見つからないほどひどい状態だったようだ。



343 :農NAME:2006/12/12(火) 23:00:19
Leilanさん、こんばんは。今『ゆきゆきて神軍』を観ています。私が大学生の頃にかなり話題になった
ドキュメンタリー映画です。第2次世界大戦末期の飢餓に苦しんだニューギニア戦線の日本軍第36連隊の生き残りの
「奥崎神軍平等兵」こと奥崎兼三が、最後の食料として敵軍の兵士(ニューギニア原住民=「黒豚」、白人兵士=「白豚」)を
食べ尽くした後、食料として唯一手に入るものであった人肉を食うために、旧日本軍の軍隊内の階級の下の方から
終戦後3週間してから銃殺(当然法律的には時効です)して、その肉を生き延びるために食べたという事件の真相
を突き止めるために、全国の関係者を逐一尋ねて歩いて、執拗に追跡して、答えを濁す元上司を馬乗りになって
殴りつけ、問いつめていく様子がドキュメンタリー形式で追いかけていきます。武田泰淳の短編「ひかりごけ」を
思い出しました。ニューギニア戦線でのカニバリズムは聞いたことがありますが、ここまでとは思いませんでした。
「神の掟」を最優先し、現世の法律を公然と無視する奥崎神軍平等兵の追求は鬼気迫るもがありました。


344 :農NAME:2006/12/12(火) 23:05:03
これを食べないから戦争に負けるのだといわれ
勇気を出して食べると思いがけず美味しく栄養価が高いのを知り
それ以降は日本兵がその虫を食べることに奪い合いになる。

忘れてはいけないのが日本兵のみならず現地のニューギニアの人も4万人も死んでいる。
日本兵に強制徴収されて荷物運びをやらされたり歩兵やゲリラとして戦わせていた。
日本兵と同様、空から銃爆撃にさらされ、巻きぞいをくったのだ。
一見、テレビでは平和そうで大自然があって、裸で踊るような
部族のいる島ですが(今は服着てるみたいです)
嬉しいことやお祝いなどある時には、体に絵の具を塗って踊っている部族

当時、何の保証もなく報酬も0なのに食料も持たない無一文の衰弱しきった
日本兵を助けた現地の人は、本来すんごい優しい人種なのでしょう。
犠牲になった人は沢山いるのに、日本兵の手伝いをしハウスを作ったり
協力的に加勢をしている。

日本兵と現地の人と親しく交流した内容も残っているようだ。

日焼けした日本兵の顔を叩いて、シキン ミーフラ オルセム(皮膚の色が同じ)といって
笑う現地人や、生まれて初めて日本の兵隊と食事した(ワンタイム カイカイ)と
大喜びする子供もいたという。色々と助けてくれた現地の人に対し
日本に帰ったら宝の船を仕立ててお礼にくるといった
何人もの日本兵も現地で死んでしまっている。

そういう交流もあったのに「ほんとに一部」の心無い兵隊が
現地の女性に手をかけたこともあったようである。

ニューギニアでは慰安婦など不在であった。それが正常である。
居る国の方がおかしいとさえ私は思う。
http://blogs.yahoo.co.jp/mimi12wondergirl/folder/1083771.html

345 :農NAME:2006/12/14(木) 00:19:01
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=3571;id=sikousakugo#3571
なんでも、70年前の満州では、特務機関は軍費や秘密資金を現地調達するのが主要任務。

したがって、賭博、売春、麻薬、そうして拉致はお手の物、日常茶飯事。

げんざい、朝鮮半島で金某独裁者がやっていることを、60年前まで我が日本国もやっていたということ。
そう、とんでもない国だったのです。「先軍政治」「国際孤立」の兄貴分として。

あんまり偉そうにはできないということを、知ってて金某を批判するのと、知らないで批判するのとではだいぶ違いがありますね。

われらが代表、晋三君は知ってて非難してるんでしょうか、知らないで非難してるんでしょうか?


目撃者が語る昭和史
第3巻満州事変
・秘められた満州事変の導火線
・リットン調査団を欺く関東軍
・特務機関員・ヴェスパの満州脱出


346 :農NAME:2006/12/15(金) 22:35:57
華北・台湾・南洋諸島・マラヤ、シンガポール・インドネシア・フィリピン・ビルマ各国の占領下での日本語教育事情。
http://d.hatena.ne.jp/konton/20060808

347 :農NAME:2006/12/16(土) 22:33:50
http://homepage2.nifty.com/infinite_peace/toba.html
ゴムのプランテーションも多く見られる。ゴムは、向日性で日の出る方向にゴムの林全体が傾いている。面白い。このことは始めて知った。
果物の王様ドリアンdurianも多く栽培されている。この辺りは、毒蛇、サソリが多く生息するとのこと。
ネルソンの話では、太平洋戦争中、日本軍が、柿、南瓜か冬瓜?(Labu japan)、胡瓜の一種Hayato-uri)、蕨が、
今でも栽培されているという。又、日本軍は、鮒をもってきたので、トバ湖では鮒が生息しているという。





348 :農NAME:2006/12/16(土) 22:37:12
カリマンタン西部を旅していると自分の祖父は日本兵に殺されたという人に会ったり、戦時中日本軍に従軍していたので、
片言の日本語を話せる老人に会ったり、終戦後この地から帰れなくなり、この地で暮らし続けている日本人に会ったりと、
何かと戦争がまとわりついてきました。そして、よく老人に言われたのが、「お前はなぜそんなに背が高い」でした。
私の身長は170センチ。今の日本ではごく平均的な身長です。しかし、ここの人達は日本人の実物は日本兵しか
見たことがなく、日本人は背が低く、150cmぐらいしかないものだと、今でも思っているようです。
50年前にタイムスリップした気分になりました。 (2000年7月訪門)
http://user.komazawa.com/~tawara/iseki/ajia2/isk02_14.htm

349 :農NAME:2006/12/16(土) 22:43:56
 真っ暗な中、ボロブドゥールに到着。天気を心配しながら夜明けを待つ。残念ながら、日の出は厚い雲で
見ることができなかった。残念・・・。その後、日本語のガイドさんに遺跡を案内してもらう。とても、日本語がうまくて、
楽しい。彼の日本語の先生は、戦争で日本語を覚えたとのこと。日本軍はこんなところまで、来ていたのだなー。
軍隊の点呼のようにきびきびと数を数えて厳しい先生とのこと。
 この旅で、失敗したと思ったことの一つはビデオカメラを持ってこなかったこと。バリの踊りなど撮り尽くしたと思って、
今回は置いてきてしまっていた。でも、ジャワはバリとはまるで違っていた。
ボロブドゥールも思ったよりもすごい遺跡でその彫刻は写真ではとりきれない。ガイドさんの解説もぜひ、ビデオに
収めておきたかった。それは、午後に訪れたプランバナン寺院も同じだった。それに夕方聞こえてくるコーランも
収めることができたのに・・・。
http://www.magellanresorts.co.jp/t-report/data/1049430488.html


350 :農NAME:2006/12/16(土) 22:47:19
サレ・ジャハ(Saleh Djaha)さん(79歳)と第二夫人のオミ・ジャハ・タンさんは、1957年に結婚した。
二人の間には12人の子供が。これで驚いてはいけない。サレさん、実はこれまでに3人と結婚し、
合わせて24人の子持ち。第一夫人の故ハリマ・ジャハ・マイルとの間に4人の子供、そして第三夫人の
故マシタ・ジャハ・ウマールさんとの間に8人。しかし、24人中7人は、すでに他界。また孫は総勢で36人だが、
その内7人はすでに亡くなったという。トップバン村出身で、現在は県都カラバイに暮らすサレさんは、
日本軍の占領を経験している。「オランダ植民地時代に小学校へ通っていたが、日本軍がやってきたため、
学校はやめてしまった」そうだ。1955-1988年、県政府の公共事業局に勤務。人生のモットーは?
「今の状況を最高のものとして楽しみなさい。多くの人が持っているからといって、自分もそういった物を持ちたいと
思ってはいけない。全ての人を敬いなさい。そして神を畏れよ。この世に生きている人間にとって、最も大切な薬は、恥と畏れ」
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200611/article_5.html

11月20日、僕はバリ島の英雄墓地マルガラナで毎年催されている
独立戦争犠牲者慰霊祭(Hari Puputan Marrgarana)へ日本バリ会の
代表と一緒に参加した。この慰霊祭は昭和21年11月20日、インド
ネシア独立軍(司令官グラ・ライ中佐)が、オランダ軍の激しい攻撃に
あい、百数十人の部下と共に粛々とププタン(玉砕)した日を記念して
行われるもので今年で60回目を数える。

このププタンには、敗戦後日本の海軍第3警備隊を離脱してインドネ
シア独立軍に参加した荒木武友・上等兵曹(現地名 Made Sukri)=
長崎県=と松井久年・兵曹長(Wayan Sukura)の二人が参加しており、
英雄墓地の一角にバリの人たちと一緒にあつく葬られている。

僕が参加した日は、早朝から南の太陽が照りつけ暑かったが、旧都
シンガラジャに通ずる街道に面したマルガラナの会場は、全島から集
まった遺族、戦友など関係者など三千人で埋め尽くし、日本からも岩田
義正デンパサール総領事ほかかって収容所で松井兵曹長と一緒だった
稲川義郎氏(80)らも列席した。
http://blog.goo.ne.jp/bagus_2006/m/200611

351 :農NAME:2006/12/16(土) 22:57:36
1974年ごろのハナシ。

バリに唯一の外人用ホテル〔バリビーチホテル〕に
泊まった。

現地の青年が話しかけてきた。カタコトの日本語で。

日本軍は親切だった。オランダ軍は残酷でインドネシヤ
の軍隊も警察もバリの人々に手荒く接する。
日本時代が懐かしい。

ワタシは師範学校の生徒でした。

いろんな日本の歌を歌ってくれた。
それがボクを歓迎するカレの心だった。

なぜ朝日を代表とするマスコミは、日本がアジア各地
で嫌われているかのニュースばかり流すのだろう。
http://relog.jp/papageno/day_2006_8_31.html

マレーシアは8月31日です。ここサラワクも日本兵が来ていました。日本軍が作った小さな空港は
私たちがビンツルにいた2002年まで使われていました。日本軍は白人支配から開放してくれた、といい解釈をしてくれる人も多いのですが、
日本の軍国主義で犠牲になった方も多いと思います。歴史というのは深いですね。いい記事をありがとうございました。
http://blogs.yahoo.co.jp/michael_resort_wedding_bali/MYBLOG/yblog.html?fid=0&m=lc&sv=%C0%EF%C1%E8&sk=1

352 :農NAME:2006/12/16(土) 23:11:24
バリ島に来て、過去に違う場面で違う目上の男性たちと、戦争の話、日本軍の話に及ぶと、私がそれまで思っていた
気持ちとは裏腹に、「日本に感謝している」と言われたことが何回かあります。勿論、そうではない苦々しい思いの人
も沢山いるでしょうし、現在は私はお金を落としてくれるお客様なので、そう言ってくれるのかもしれません。でも、
本当に感謝して、親しみを感じてくれている人もいるんだというのが私の感触です。

「兵隊さんに教わったんだよ、この歌知ってる?」と嬉しそうにニコニコしながら軍歌を歌ってくれたお弁当配達のおじさん。
「規律を教えてくれて、武器の使い方を教えてくれた、そして独立出来た。日本は先生みたいなもんだ、
感謝している」といった知り合いのお父さん。

何と返事をするのが良いものか判らず、「それでも困難な生活には違いなかったし、申し訳ないと
思う気持ちもある」と言うと、

「戦争というものはそういうもの。もちろん人によっては良い思いを持っていないのは当然だけれど、日本
だってその後原爆を落とされたでしょう?やって、やられて、やってやられて・・・でも過去は過去に置いて
おかなければ。僕はインドネシアも日本も大好きだ。あなたは日本が嫌いなの?」と言われたこともありました。
http://korebali.exblog.jp/m2006-07-01/

353 :農NAME:2006/12/16(土) 23:19:00
立ち上がろうとするわたしに向かって、バポが歌を唄いだした。
「オーティティー、ツーナィドュェー、ノーミチェオー、ユーケィヴァー、ミューンナ、ワーワァイ、コートュリニ、ナッツェ、
ウータフォウータヘバ、クチュガーナル」
歌詞はところどころ妙だが、童謡 [靴がなる] だということはわかる。インドネシアが日本軍に占領されていた頃、
小学校で覚えさせられた日本の歌だ。知ってる知ってると相槌を打つと、嬉しそうに唄い続ける。学校が嫌いであまり
出席しなかったが、日本の歌は覚えていると、昔を懐かしむように話し出す。そんな話を聞いて、日本人のわたしは、
単純に喜んでよいものか複雑な心境になる。
http://www.apa-info.com/hounou5.html
戦時中、フィリピンで、日本軍が食べ物が底をつき、現地の村を襲い、人を殺して食べた。
その後、食料は確保されたものの、依然として日本軍は現地の村を襲い、人を殺して食べた。
何故なら、おいしかったからだそうだ・・・。この現実をどうとらえればいいのだろう。(石川浩司)
http://members.at.infoseek.co.jp/ukyup/o4.html


354 :農NAME:2006/12/17(日) 00:38:37
 日本軍は、オランダ植民地「東インド」に42年2月に侵攻し、2週間で占領。同年7月に、戦前からの独立運動指導者で
オランダによって投獄されていたスカルノをジャカルタに迎え、日本軍への協力と引き換えに活動の自由を与えた。スカルノらの
指導で隣組や婦人会、青年会など各種団体が作られ、軍事訓練や労働奉仕に参加した。
 スカルノは日本軍に協力する一方で、国民意識を育てる政治演説も行った。日本は戦局悪化に伴い小磯声明(45年3月)で
インドネシア独立を約束するなど、懐柔に努めた。
 シャムシルさんらの青年団体には独立を目指す若者が集まり、スカルノらを講師に迎えて政治の勉強をした。また、
日本軍が禁じていたラジオを事務所外に隠し持ち、海外放送をチェックして日本軍の苦戦を把握していた。
シャムシルさんによると、日本降伏の日、ジャカルタの日本軍は何も発表しなかったが、ラジオ放送を聞いた仲間がいち
早く情報を知り、仲間に伝えたという。

 降伏の報を聞くと、シャムシルさんの友人が1人で自転車に乗って町に飛び出した。「日本が降伏した!」と家々に叫んで
回り、町の様子を観察して事務所に戻った。かつては住民が日本兵と出会った場合、おじぎをしなければ、「ばかやろう!」と
怒鳴られ、ほおをたたかれることもあった。しかし、友人によると、この日は兵士らが住民をとがめずに歩いていた。
 同日午後、シャムシルさんらの指導者は他の青年団体の指導者と一緒に夕方近くまで会議を開き、夜になってスカルノ邸
に出向いた。指導者らはその道中で日本軍幹部に会ったので降伏についてたずねると、「町の治安に気を配り、
われわれの指示に従ってほしい」と答えるのみだった。
http://www.rikuryo.or.jp/worldeye/indonesia/episode07.html

355 :農NAME:2006/12/17(日) 00:40:53
 インドネシア側のODA窓口になる国家開発計画庁で現在、円借款による道路建設など地域開発事業に携わっている
エディ・プラモノさん(46)の父は大戦中、ジャワ島中部に住んでいたが、日本軍が反抗的な住民の手首をしばり、
水も与えずに炎天下に終日座らせるという仕打ちを繰り返し、中には死んだ人もいたという。また、
住民を「労務者」として強制労働に従事させ、農作物も収奪した。プラモノさんはこうした話を父から
聞いて日本をうらんでいたが、「ODA事業に携わって、日本がインドネシアと良好な関係を築こうと
努力していることが分かり、日本への見方が変わった」と日本のODAを評価する。
http://www.rikuryo.or.jp/worldeye/indonesia/episode08.html

356 :農NAME:2006/12/17(日) 12:25:27
戦争の中の平和
 僕はよく死なないで、生きていたと思う。非常に運がいいんですね。沈まないでとにかく行って、1年いて、
ちゃんと帰ってきた。そして[日本]映画学校へいって、そこを出てから兵隊に取られたのです。兵隊も最後の
1年だから海外に行かなかった。戦友は、中国へ行って全部死んでいますよ。殺されに行ったようなものです。
僕は東京の吉祥寺の、陸軍公報本部気象班の兵隊になりましたが、戦争が終わって1週間くらいで帰ってきました。
 ジャワでは雨期になると、食事が終わって夕方ごろによく雷が鳴ったものです。みんな兵隊経験者ですが、僕は
実戦の経験は全然ないわけですよ。音がすると一斉にわっと驚く。「雷でしょう」と僕が言うと、「そうだよな」と。
やはりそういう神経質な部分はみな持っていました。それでも暢気なもので、敵が反攻してくるという感覚は薄かったですね。
そういう点では、ジャワは東南アジアの中ではかなり良かったのではないでしょうか。僕などは撮影所の小さなラボに閉じこもって、
毎日のんびり平和な生活をしていました。楽しかったですね。夕方になるとベチャ(三輪車タクシー)を借りにいってね。
 インドネシアには、それから2回も行っているんです。あの撮影所(戦後はインドネシア国立映画製作所)にも行きました。
宿舎でメイドをやっていた女の子のところまで訪ねていったりして。インドネシアの町にはカンポンという路地があるのですが、
みんなそこに屋台を持っている。小さな屋台です。何を並べていたか忘れたけれども、会うと名前をそれぞれ
言い合って懐かしがった。戦争だからくだらないことや恥ずかしいこともあったけど、撮影所の生活には、
そういうレベルではない、いい雰囲気があった。そういう意味では、あの時代、僕はいちばん幸せだった。
それは石本さんという人間的な柱があったからだと思います。
(2002年、菊地周氏追悼文集「菊地周の記録」に掲載、カッコ内の註は構成者による)
http://users.ejnet.ne.jp/~manuke/zatsu/eiga/kikuchi.html


357 :農NAME:2006/12/17(日) 15:08:36
 一般的に市民は高齢者と外国人に親切である。挨拶なら日本語で話せるマレーシア人は多い。
「オハヨーゴザイマス」と言ってくれる人もいる。こちらはマレー語で相手は日本語。奇妙だがこの国らしい
といえばそのとうりである。日本軍の統治下にあった3年半。その後もSOGO、YAOHAN、JUSCO、
ISETAN、TOYOTA、TO'RAY、HITACHI、SHARPなど、マレーシアへの貢献と協力を果たしている
日本企業の進出で、ここには日本人がたくさん暮らしてきた。彼らには土地に受け入れられ溶け込んで
きた努力と苦労があるのだろう。
 時々、我われ夫婦に声をかけてくれる年配者もいる。日本軍がいた頃の子供時代を語る。最後は必ず
日本の「国歌」と「さくらさくら」を歌ってくれるというパターンが多い。その時代を思うと少し哀しい気もするが、
中には「日本人は親切だった」「学校を作ってくれて感謝している」という人もいてちょっと驚いた。
http://www.geocities.jp/tomwatson1949/shortcolumnp17.html


358 :農NAME:2006/12/17(日) 15:09:26
809 名前:右翼討伐人 ◆kvN8/L8DR2 [] 投稿日:2006/04/02(日) 23:11:10 ID:icCN9GHs
まだ右翼は●万人を殺せるだけの銃弾や弾は日本軍にはないと言っているのか?
軍隊である以上、都市を殲滅させるだけの力はもっているし、
南京の住民100万人を皆殺しにだって、組織的にやれば可能だ。
南京の蛮行は中央の命令による組織的な蛮行とは言いがたい。むしろ、
統制が取れなかったことにより、大日本帝国史上の歴史のなかで一都市で起こった
最悪の悲劇が起こった。部隊や兵士個人が狂乱し、無秩序に市民や捕虜に襲い掛かった
ことによる。秩序だった虐殺としては便衣兵狩りと称する抗日分子狩りと捕虜の管理ができない
ために大量の捕虜を組織だって虐殺(幕府山事件)だな。
日本軍はいざとならなくても、抗日という疑い(もちろん、検証もなくあやふなな情報であっても、
自身の妄想による決めつけであっても)というだけで女や子供も関係なく皆殺しにするという
非人道的体質がある。幾多もの虐殺事件がアジア各地で起こしている。
もちろん、日中戦争、アジア太平洋戦争に限らずに、日清戦争のころや台湾征伐、
シベリア出兵のころも三光作戦のようなことをたくさんやっている。
ただ、大規模な都市部に限っていえば陥落前から無秩序に日本兵が市街を荒らしまわり、
民衆に乱交を行った大規模な狂態は南京のみだ。それだけに南京というのは重要な重みをもつ。
南京大虐殺というのは日本軍の残虐性・非人道性が最大限に発揮された場所であるといえよう。
それが都市部だったからたったの数週間ほどで何十万人の被害者・犠牲者を出すに至ったというわけだ。

359 :農NAME:2006/12/17(日) 15:10:38
[ 第24回 かの女たちの犠牲の上にわたしたちがいる ]
時はめぐり、ひとの一生は歩みを続ける。だが過去の苦い経験は、簡単に記 憶から消せるものではない。ましてや、
その経験がその後の人生を通じて抱え続けねばならない肉体上の障害や精 神的な傷、そして汚辱をもたらすものであったなら。
それがブ・マルディエムをはじめとする5百人以上のインドネシア女性が直面している状況なのだ。1942年から1945 年に
いたる日本占領時代にインドネシアで従軍慰安婦とされた女性たちの・・・。


皮肉なことに、かの女たちの正義を求める努力に対して世間はあまり支持を与えようとしていない。それどころか、
日 本の軍と民間人が行ったセックス奴隷制度の話しは、従軍慰安婦にとって当たり前の個人的秘密だと世間は見てい る。
「秘密を国際的なフォーラムにさらけだして、まあ恥を知らないこと・・・。」1993年以来、日本、オーストラリア、
その他 の国で開かれたさまざまなフォーラムから帰国した後、知識学識を持つ有能な人たちが述べたコメントを、
71歳のブ・ マルディエムは真似てみせる。
日本のセックス奴隷にされた女性たちは去る9月19日台北に集まり、きたる12月に予定されている人民裁判で
日本 政府に要求するべき内容を協議した。

ジョクジャのガンピランの近くに住むブ・マルディエムはマッ・イヌンの通り名で知られている。かの女はジョクジャ
法律 援護財団の後押しで1992年にその人生の黒いカーテンを取り払った最初の元従軍慰安婦だ。
「50年間自分の中に隠してきた秘密の重荷から解放されたかっただけ。わたしの苦しみはあまりにも重く、自分
ひとり ではもちこたえられないと感じることがよくあるのよ。」
しばらく前、この問題に関して正義とデモクラシーのための全国女性連合がジャカルタで開いた公開討論で会った
ブ・マルディエムはとつとつとそのように語った。
http://www.yorozu.indosite.org/jendela/wd200202.html


360 :農NAME:2006/12/17(日) 15:12:09
ニューギニアで旧日本兵が行った残虐
http://tmp.2ch.net/asia/kako/1012/10120/1012019964.html
日本は韓国に学ばなければならない
http://www.ne.jp/asahi/kyowakoku/agura-kaichi/zuiso2.htm
韓国社会の民主化と「過去史清算」
http://www.kin-ikyo.or.jp/headquarter/tokusyuu/kankokusykai/kakoshiseisan.htm
45.ミエさんの戦争   長洋弘・写真と文

インドネシアに日本語学校ミエ学園をつくった小倉ミエは、戦時中ジャワ島スラバヤにある海軍休養施設で働いていた。
その体験が彼女とインドネシアをつよく結びつけることになった。

ISBN4-87648-136-9   定価:本体2200円+税  菊5判上製 136頁
http://www11.ocn.ne.jp/~kusanone/4ki.html




361 :農NAME:2006/12/17(日) 15:13:34
第7面のコラム『「風」ヤンゴン(ラングーン)から』では、アジア総局長・宇佐波氏が
「30人志士が残した課題」というコラムを寄せています。
イギリスの植民地であったビルマに、ビルマ人の軍隊を作り、イギリスを追い出そうと、
日本軍が援助協力して30人の若きビルマ人を軍事訓練し、ビルマ独立義勇軍へと発展
していくのですが、この30人のうち現存するのは4人だけとなったようです。
「最初日本軍は全員に日本語を学ばせようとした。でも志士らは日本の傭兵ではないと
拒否した」
1943年に日本軍とビルマ独立義勇軍によってイギリスは追い出され、
ビルマは独立を宣言しますが、日本がイギリスに代わる新支配者であったようです。
ビルマ独立とは名ばかり、日本軍の支配と横暴に、ビルマ独立義勇軍はとうとう
日本に反旗をひるがえします。
30名のビルマの若き志士たちの目的は、ビルマの独立、ビルマ人の国、でした。
日本軍は純粋なビルマ人たちの心を踏みにじり、ビルマを支配したのです。
大東亜共栄圏・・・とは、いったい何だったのでしょう・・・
ビルマでの日本軍(東条内閣)の行為は、大日本帝国構築でしかなかったような
気がします。
ビルマを旅するとよく観光地などで日本の軍票が売られています。
終戦まで、ビルマは独自の紙幣を持つことなく、日本の軍票が唯一の通貨でした。
田邊様の「日本の立場を美化しすぎ」というご発言には、納得がいく気がします。
かといって、ビルマ30人志士を養成した日本軍の南機関関係者(8名?)は、
1970(?)年代に入ってビルマの勲章を授与されていますから、
ビルマ独立の布石として、日本軍の存在は無くてはならないものだったのかもしれません。
もっとも、戦後から30年ちかく鎖国状態に陥ったビルマが、日本の援助を期待し、
友好関係を強化しようと(30人志士のひとりのネウィン大統領が)企んだのかもしれませんが。
http://member.nifty.ne.jp/biruma/


362 :農NAME:2006/12/17(日) 15:14:13
石井さんの言葉の通り、南方では一人前(対等)の人間として現地の人々と接していたようで、数々のビルマ戦記にも
そのような交流の記述が見られますね。
しかしビルマ人の内心は、欧米帝国主義・植民地主義からの解放を喜ぶと同時に、次は大日本帝国によるビルマ支配
を懸念していたようです。
下級兵士の間ではビルマ人も日本人も同等であったのでしょうが、そして植民地からの解放と共存共栄を願っていたの
でしょうが、軍上層部や日本政府は、日本軍の力でビルマを支配し続けようと企んでいました。
そこでアウンサン将軍が反ファシスト(反日本)を旗印に、ビルマ国軍は途中でイギリス側についてしまった訳で・・・
ビルマでは「日本のおかげでイギリスから独立できた」と考える人もいますが、おおかたのビルマ人は、学校で
の歴史教育の影響もありますが、反ファシスト闘争でイギリスに協力し、戦後に真の独立を果たした経緯により、
日本・日本軍がビルマ独立に果たした役割というものは、たいへん低く評価されています。
残念なことですが。
結局、日本・日本軍がビルマでしたことは、ビルマ人による軍隊を創設し、それを日本軍の隷下に置いたこと、
そして55年を経て現在の軍事政権の横暴を許す結果となったことに、おおかたのビルマ人は失望しているように思えてなりません。


363 :農NAME:2006/12/17(日) 15:15:27
第1回 10月29日(日)15:00〜18:00
 『マレー編』を小野さんと見て語る
小野政美(旧日本軍による性的被害女性を支える会、「日の丸・君が代」の強
制を考える市民ネットワーク、小学校教員)
 明治以来、日本が度々起こしてきた戦争。今も、日本企業による核公害や経済
侵略が行われているマレー半島を舞台に、戦争を必要としているのが誰だったの
か、現在の日本の「繁栄」の影に何があるのかを映画から学びます。


第2回 11月12日(日)15:00〜18:00
『フィリピン編』を杉本さんと見て語る
杉本てるこ(フィリピン情報センター・ナゴヤ運営委員)
 戦前のフィリピンへの日本企業の進出、戦時中の日本軍による虐殺、戦後の日
本の資本による新たな加害の実態などを映画から学びます。そして、コメンテー
ターと共に、明治以来の日本とはなんなのかを


364 :農NAME:2006/12/17(日) 15:16:31
 旧日本軍によって過酷な労働を強制された或るインドネシアの男性の手記には、『日本人を恨んでいない』、
『全てあれは戦争の狂気が行った行為だから』と書かれていた...
 だが作者は、当時の日本軍の残虐な行為をたとえ被害者のだれかが許しても、我々、今生きている日本人は
許してはならないような気がする。それを許すことは、「戦時にはその種の行為も仕方がない」という考え方を自ら
認めるのと同じになると思うからだ。我々が将来どこかで同じ行為を繰り返すことを自ら許すことになる。
 実際の話、もしどこかの国と戦争状態になったら現代の日本人はどんな行動をするのだろうか?そして私個人は
どうだろうか?今回ピース大阪を訪問しての作者の関心事はこれらの点につきる。

 戦争では何でもやって良し、という発想はどこから生まれるのだろう?「戦争は非常時だから、平常時とは違う
常識があってしかるべき」という考え方が支配的になったとしても、平常時だけのヒューマニズムはヒューマニズム
ではないだろう。 質問1:戦闘行為をお国のためでやっていたのなら、民間人の殺りくや暴行もお国のためでしたか? 
質問2:したい筈もないこわい戦闘を、鬼のように恐ろしい上官に、国家に強いられて仕方なくやったから、
暴行はそのお駄賃として許される必要があったのですか? 質問3:日本民族は他よりも優れているという感化
を真に受けて何でもやって良いと感じていましたか?そういう感化政策は実在したにせよ、その政策に
便乗するあさましい気持ちがなかっただろうか?(政策の一人歩き) 質問4:ヒットラーがユダヤ人を虐殺したから、
日本人も同程度のことをしても罰は当たらないという論理ですか? 疑問は尽きない。
http://www.asahi-net.or.jp/~bu7k-ootw/j.miscellania.html


365 :農NAME:2006/12/17(日) 18:44:41 ?2BP(0)
生化学

366 :農NAME:2006/12/17(日) 18:48:14
インドネシア独立記念日
今日は、インドネシアの独立記念日である。日本の終戦を受け、当時のスカルノ(大統領)、ハッタ(副大統領)が、
独立宣言を高らかに読み上げたのが、1945年8月15日の2日後のことであった。ジャカルタ市内・ムルデカ(独立)広場
にあるモナス(独立記念塔)では、録音されたスカルノ初代大統領の肉声を聞くことができる。第2次世界大戦の
日本軍侵攻により、結果的に、インドネシアは、過酷な収奪の歴史であった360年間にわたるオランダ支配から解放された。
日本占領時代の約3年間に、駐留していた日本軍や民間人は、欧州人に比して決して東洋人は劣っていないこと
を証明、インドネシア民族覚醒に一定の役割を果たしたといわれている。反面、規律の希薄な一部の部隊は、
強奪や殺戮を繰り広げたとも言われ、戦時占領による負の面については従軍慰安婦問題などで人々
の心に大きな傷となって残っている。
http://blog. livedoor.jp/edujapan/archives/50004410.html
現在のマーシャル諸島の大衆文化には、20世紀前半から各国の支配を受けていた影響が色濃く出ています。
食事にしても、レストランに足を運べば、刺身があったり、アメリカンなものが数多くあります。第2次世界大戦中には
日本軍が前線基地を置き、日本語教育を行ったことから、今でも日本語を話せるお年寄りもいて、親日派の多い国でもあります。
ココナツの樹液からできるシロップを煮詰めて作るお菓子はマーシャル語で「アメダマ」といったり、野球は「ベースボール」じゃなく、
「ヤキュウ」とよばれ、昔、日本人がいたことを物語るかのように、たくさんの日本語がマーシャル語として残っています。
(マーシャル語情報はこちら)
また、「アミモノ」というマーシャル語になっている伝統工芸品も有名です。
http://www.foejapan.org/old/energy/save_paradise/rmi/culture.html



367 :農NAME:2006/12/17(日) 18:51:12
仕事以外については,シンガポールの屋台は相変わらず美味しかった。またホテルの近くを
散歩しているとリトルインディアン(インド人街)があって大勢のインド人でごった返しており,
お香やスパイスのにおいが充満していた。
 インドネシアのバタム島は漢字で巴淡島と書くらしい。私は何故だかこの漢字にすごく惹かれるものがあった。
実際行ってみると,インドネシア政府による開発政策により,多くの工業団地が島内に
点在しており,観光リゾート地としての開発はなされていないようであった。
 またバタム島の中心的な町を「ナゴヤ」という。この町は日本の名古屋から来ているらしい。聞いた話では,
太平洋戦争中にこの辺りに駐屯していた旧日本軍の師団が名古屋出身だったからとのことだが,
別の書物には「70年代初頭にここにいた日本の大手商社N社の社員が名古屋出身だったから」と
いう説明にも信憑性を感じた。そういえば5年前にジャカルタを訪問したときも,企業のオーナーが日本の歌を歌ったり,
ラジオ体操を実演してくれたのを印象深く覚えている。やはり日本とインドネシアの繋がりは
歴史的にも深いものがありそうだ。
 シンガポールもインドネシアもまだまだ奥が深そうなので,今度はぜひプライベートで行きたいと思った。
http://www.port-of-hakata.or.jp/melma/writer/index18.html



368 :農NAME:2006/12/17(日) 18:57:08
僕が訪れたときは、休日、グループでせっかくだから行こうとなり、きれいな道をトラックに乗っていきました。
植民地時代に引かれたまっすぐな国境線で、そこには国境審査所があります。僕たちはパスポートも持たずに、歩いて
インドネシアに入国しました!!
ちょっとだったら良いよって感じで、パプアもインドネシアもOKでした。インドネシアの国境審査所の建物に入り込みました。
もちろん不法入国です。
同じ島なのに、インドネシア側にいた人は、顔つきがアジア系。それに言葉も違います。まったく違う世界でした。
自然はまったく一緒なのに、まったく違う世界。国境というものの、意味を実感させられました。

それとまさに国境の上には、一人のおじいちゃんがいました。
彼は太平洋戦争当時、駐留していた日本軍に協力していたとのこと。その時の思い出や、「いち・に・さん」「上等」の知っている
日本語を披露してくれました。
「こんにちは」「ありがとう」じゃなくて、それらの言葉を知っているのが、軍隊っぽいです。
http://blogs.dion.ne.jp/blog_yo/archives/cat_42998.html
インドネシア 日本軍 日本語
http://www.path.ne.jp/~t-gaigo/03-2003-10.pdf


369 :農NAME:2006/12/17(日) 18:59:54
ホテルへ一旦戻り、ホテルから約20分所要のIsmantoroさん宅訪問、お母さんと兄さんとの3人暮らし、隣には二番目の姉さん家族4人、
歩いて5分の所に一番目の姉さん家族5人、車で20分の所に妹家族4人(最近Ismantoroさんが購入した家で結婚するまで妹家族に
貸しているそうです)それぞれの家族宅を訪問、紹介され少し戸惑いました。
 
 極めつけは、日本人が来ているのであれば是非会いたいと85才の目の見えないおじいさんに紹介されました。
彼は、日本軍がインドネシアに駐在していた時、軍事訓練を習ったそうで日本語で軍歌を歌い、起立、回れ右、
進軍等の軍隊語を懐かしく話してくれました。小生の知らない戦争談義を約1時間聞き、
後ろ髪引かれる思いでお別れしてきました。
http://members.jcom.home.ne.jp/shira-kiyo/indonesia/batam%20binntan/batam&bintan.htm


370 :農NAME:2006/12/17(日) 19:05:52
ゴバンさんはフィリピンの戦地で日本軍と一緒にアメリカ軍と戦った。
インドネシア人でありながら上等兵まで昇進したようで、その後インドネシアの独立戦争に参戦し、無事に故郷のバタムに戻ったらしい。
今回は入江さんが通訳をして呉れたのでかなりのことが分った。
http://www.30ans.com/room/takeyoshi/?blogid=142&archive=2006-06

371 :農NAME:2006/12/17(日) 19:09:42
3;軍隊の「水脹れ」

 日本陸軍は、日中戦争期に、物凄い勢いで「水脹れ」した。
 1937年7月時点では、日本陸軍は、約25万人だった。これが現役兵の総数だ。
 1937年12月には、日本陸軍は、90万人に増員された。そのうち50万人は中国大陸へ
派遣された。
 急速な増員はムリを伴なっていた。
 2年間の兵役を終えた人は「予備役」登録をされていた。彼らが召集された。
 当時、20歳になると全員が徴兵されるわけではなかった。約半数は体格の不足、
体質の虚弱などを理由に徴兵されなかった。急速な増員は、この虚弱な人々を
「補充兵」として徴兵し、即席で訓練することで賄った。

 中国大陸での戦争には、どれだけ兵士がいても足りなかった。占領地が増えれば
占領地に兵士を駐屯させる必要があるからだ。

 1945年には、日本陸軍は、600万人に増員していた。1945年当時動ける人は皆、
兵士として戦場へ送られた。兵士には本来厳格な訓練が必要だ。体力的に劣り、
訓練が充分ではない人をムリヤリ兵士として仕立てても、軍隊としてマトモには機能しない。

 日清日露では異様にモラルの高かった日本軍は、急速な「水脹れ」により、軍紀が物凄い
勢いで劣化し、匪賊化した。「南京事件」で示した日本軍のモラルの低さは、急速な増員が
一つの原因だった。


372 :農NAME:2006/12/17(日) 19:10:40
4;「刺突」

 日中戦争では、「補充兵」を「訓練」すると称して、捕虜を「刺突」させた。
銃剣刺突訓練は、ふつう、藁人形などを相手に行う。
兵士としての適性の乏しい「補充兵」に、「度胸をつけさせる」ため、生きた捕虜や民間人を
的として、「補充兵」に「刺突」させた。
 もちろんこれは国際条約違反だ。

 日本軍上層部は、当時「いかに英米の枠組を出し抜くか」に意識が集中し、国際条約を
軽蔑する「風潮」が形成されていた。その決定的原因を作った一人は「満州事変」を起こし
「英雄」となった石原莞爾だ。
 また、急速な「水脹れ」は、国際条約への無知も形成した。
 国際条約の遵守義務があるという意識を当時の日本軍は欠いていた。
客観的には、匪賊同然の軽蔑されるべき軍隊に成り下がっていた。滑稽なことに、主観的には
日本軍は最高のモラルである天皇に直属し、世界で最も高いモラルを持っている、という神話を
唱え続けた。何が違法であるかすら教えられていなかった。

 日本軍が捕虜を「刺突」した写真は、当時毎日新聞の従軍記者が撮影し、おそらく戦意昂揚
を目的としてのことだろう、新聞紙面に載せることを考えた。検閲で却下された。
 毎日新聞社にはその写真が、「不許可」のスタンプ入りで、残されている。
 毎日新聞社だけは、戦中の「不許可写真」を今でも持っている。毎日新聞のこれら「不許可写真」
は、戦中を知るための貴重で重要な史料だ。
 他の新聞社は、1945年終戦のとき、内務省命令で全て焼却した。
 特高警察や神祇院、神宮司庁などで形成されていた内務省は、戦後、警察庁、自治省、建設省、
などに解体された。現在は警察庁、総務省、国土交通省がその流れを受け継いでいる。


373 :農NAME:2006/12/17(日) 19:11:32
http://homepage1.nifty.com/yukoike/bahasaindonesia/buku.htm
・インドネシアの人々に対する日本軍の横暴は日常的
・強姦は中隊長が直接の責任者で大隊長、連隊長も処罰。陸軍省にすぐ報告され、中隊長の出世は絶たれる。
・ジャワ島に駐屯した第16軍の作戦主任参謀宮本。全てパンパンで慰安婦は居なかった。
・「慰安婦」の強制連行を示す公文書はバタビア軍事法廷や極東国際軍事裁判の記録文書を除いてなし。
・占領地の中国、フィリピン、インドネシア、マレーシアでは約8割が「連行の際に何らかの強制があった」と話している。
・特別警察隊 vs. 政務隊による慰安婦集め
・未成年の場合は本人が承諾していても、売春を目的に連行することは禁じている。
 (1910Paris:醜行を行はしむる為の婦女売買取締に関する国際条約)
・敗戦時における配備・残留軍人数
 スマトラ陸軍 59,500
      海軍   100
 ボルネオ陸軍 18,600
      海軍 10,900
 セレベズ陸軍 17,700
      海軍  8,800
 モルッカ陸軍 51,900
      海軍 19,400
 ジャワ陸軍   40,400
     海軍    9,700
 小スンダ陸軍 17,500
     海軍   3,000
 ニューギニア陸軍 30,200
         海軍  3,600
*総数 陸軍235,800 海軍55,500 陸海軍291,300


374 :農NAME:2006/12/17(日) 19:13:30
犯す側にとっても、犯される側にとっても、輪姦は「穢れ」なのである。「穢れ」の感覚は種の保存という性の根源を
犯すことのおそ畏れの表出ではないだろうか。輪姦によっても子は生まれることがある。が、子の養育責任は放棄され、
女性の出産機能は破壊される。
慰安所では、日本兵の子どもが少なからず産まれた。中国をはじめ、強姦、輪姦されたアジアの女性も子を産んでいる。
在日の「慰安婦」裁判の原告だった宋神道さんは、数回妊娠し、死産、堕胎を経験し、ふたりの子を中国に残してきた。自分の子が
親を捜しに日本へ来はしまいか、残留孤児が来日する度に宋さんはテレビにしがみついていた。インドネシアのマルデイエム
さんは、麻酔もなしに妊娠五ヵ月で中絶手術を受けた。その痛みの記憶以上に、親が自分の子を殺した罪の重さに慄き、
辛く感じていると語っていた。日本軍が犯した罪を被害者が負い、今日なお、その罪悪感に苛まれているのである。
慰安所で、あるいは、強姦、輪姦した女性に子が産まれていることなど、日本兵は想像もしないだろう。冗談半分に想像
してみても、その子の行く末を心配することなどないだろう。
もっとも、あらゆる破壊行為の、その被害を受けた者の行く末など考えていたら戦争などできはしないという
声がどこからか聞こえてきそうだ。あらゆる破壊行為、人間の生存をおびやかす戦闘行為は犯罪である。
それにしても、男たちはなんと傲慢な性意識を長い歴史を通じて保持してきたことか。公娼制度も慰安所制度も
輪姦を制度化したものだが、自ら輪姦しておいて、輪姦した対象を「身体の汚れた女性」と見なし、蔑んだ。
その伝統は今日なお引き継がれている。
http://www.jca.apc.org/JWRC/center/library/jihyo41-1.htm
東アジア近代史における虐殺の諸相 笠原 十九司
http://www.cgs.c.u-tokyo.ac.jp/pdf/2004_09_05/Kasahara Paper 2004.09.05.pdf


375 :農NAME:2006/12/17(日) 19:14:17
1940年、ソロ(現スラカルタ)生まれの竹笛奏者グサン・マルトハルトノにより作曲される。クロンチョン音楽
と言われる竹笛と胡弓による美しい旋律と、インドネシア独立への想いを込めた歌詞は、当時、オランダの
植民地だったジャワの人々に広く受け入れられ、流行歌となった。
「ブンガワン」とは、ジャワ語で「川」という意味。タイトルであるソロ河は、ジャワ島最長の川である。中部ジャワの
ラウ山に源流があり、古都ソロを通って、ジャワ海へと流れ込んでいる。
42年、ジャワ島を含むオランダ領東インド(現インドネシア)に進攻した日本軍将兵にも、その郷愁を誘う旋律が
受け愛唱された。グサン自身もインドネシア中を回る日本兵の慰問団に加わっていたという。その後、
日本にも持ち帰られたこの歌は、藤山一郎や松田トシが日本語で歌い、アジアから輸入された曲としては
国内最大のヒットとなった。
http://www.shiki.gr.jp/applause/minami/word.html


376 :農NAME:2006/12/17(日) 19:15:25
反右翼法の制定
世界平和、戦争反対、人権擁護、過去への反省の観点から右翼思想を取り締まるべきだと考えます。
ドイツでは過去への反省から反ナチ法という物が存在しており、日本もこれを見習い反右翼法を制定すべきだと考えます。
では右翼と言う思想は具体的にはどういった思想なのでしょうか?広辞苑で調べてみますと「保守派」や「国粋主義」と言った
思想が引っかかる。それらの思想を単純に纏めると以下のようになる。

右翼思想とは個人に対する全体(国家・民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に
総動員する思想および体制であると同じに、もっぱら権威に価値を認める主義。権威に対する自己卑下や盲目的服従、また、
権威をもって他を圧迫する態度や行動で、議会政治の否認、一党独裁、市民的・政治的自由の極度の抑圧、対外的には
侵略政策をとることを特色とし、合理的な思想体系を持たず、もっぱら感情に訴えて国粋的思想を宣伝し自国の
歴史・文化・政治を貫く民族性や国体の優秀性を主張し、民族固有の長所や美質と見なされるものの維持・顕揚を
はかる思潮や運動であり、上からの強権的な国家の編成と対外進出の主張が特徴である超国家主義と結びつきやすい。

これらの事をみれば分る通り、右翼思想とは戦争を肯定し人権を否定する思想である。
そして其れを証明するかのように右翼達の犯罪は後をたたない資料1資料2
故に少し前に、ヨーロッパで右翼政党の党首が暗殺されたこれらの事を鑑みても右翼は国際的にも
認められない思想である事は言うまでも無い
然るにそれらの思想を持っている人に参政権を認めたり、公職に就く事にたいしての制限が無いと
言うことは戦争を行い、 人権を弾圧する余地があるという事である。
然るに世界平和、人権擁護、過去への反省と言った観点から右翼を規制するのは当然である。
然し、我々も右翼を拒絶して排斥するだけではいけない
右翼に良心を呼び起こさせ、健全なる社会生活を送らせる為の施設や制度を制定すべきだと考えています。
右翼思想を持っている人もある意味では被害者なのですから
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2049/seisaku.html


377 :農NAME:2006/12/17(日) 21:51:12 ?2BP(0)
a

378 :農NAME:2006/12/19(火) 23:59:59
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-01-09/08_0301.html
 一九四三年から四五年までニューギニア戦線で生死の境をさまよいました。食料が底を突いた日本軍兵士たちは、
死んだ兵士や現地住民の人肉にまで手を出しました。張さんも一度だけ口にしたことがあります。

 「私がいた部隊で生き残ったのは二人だけだ。自分も死のうと思って何度も銃口をくわえた。戦争は英雄の物語ではない。
どうして日本政府は、また若者を戦場に送りたがるのか」

 張さんとともに立った金成寿さん(77)は、左翼系の独立運動に参加して拘束された実兄を釈放してやると日本警察に
説得されて“志願兵”になり、四四年にビルマ戦線で右腕を失いました。四五年の解放後に北朝鮮に渡った実兄は
すでに亡くなり、家族の消息も途絶えました。戦争と祖国分断の痛みは癒えません。



379 :農NAME:2006/12/20(水) 00:01:37
 日本・フランスの支配に反対し独立をかちとるため、一九四一年に、ベトナム独立同盟(ベトミン)が結成されました。
この機関紙『救国』では、人々が飢えのためバナナの板、木の皮、人肉まで食べていること、日本軍による
強姦や殺人事件が起こっていることが報じられています。ベトミンは民衆の支持をひろげ、日本の敗戦直後の
一九四五年九月に、ベトナム民主共和国の独立を宣言したのです。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper51.htm


380 :農NAME:2006/12/20(水) 23:11:44
日本の軍隊は旅順で、聞くと世間をぞっとさせるような大虐殺を行った。
日本の軍隊は「華人をひとつの場所に縛り、銃を発砲したり、
よく切れる刃物で刻んだり、皮膚をはぎとった」。
当時、2万人ほど殺され、逃れられた人は36人しかいない。
当時、地元駐在の欧米の新聞社報道では、
「日本は文明のマスクを被った野獣だ。
今はもはや文明のマスクを脱ぎ捨て、野蛮な真の顔を見せた。」と書かれた。

ドイツ、イタリア、日本のようなファシスト国家は戦争のほか、
聞くとぞっとするような罪を犯したことが伝え広まっている。
彼らは町や村を崩壊して財物と芸術品を奪った。
そして、占領された国の国民に苦しい労働を強制した。
人々を使い、医学試験や科学試験を行った。たくさんの人々を虐殺して、
民族絶滅政策を実行した。
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003659


381 :農NAME:2006/12/20(水) 23:13:00
植民地での政策:経済面では農業(占領地の農耕地を奪い、道路を造り、空港まで造った。
自分たちの占領地域の外側には、隔離のための深い溝を造り、外部からの侵入や交通などを遮断した)
工業、鉱産物、交通(運送)、金融、にわたり、略奪を行った。
市場価格の半値以下の低価格で農産品を買収。
東北の大豆は10分の1の価格で買収した。

上海では地元の人々に「3年間分の食料を配給する」としたが、
実はその量は、1年分の量にもならない。
北平(北京)の人々に配給された食糧は、豆餅、樹木の皮、草の根の3つを混ぜ合わせた小麦粉だった。

農業においては田畑を略奪した挙げ句、荒れ果てさせた。餓死で亡くなった人々は多い。
工業、鉱産物、交通においては、日本政府は統制事業として、
鉱産物業と鉄鋼業と交通運営業を日本の会社に運営させ、
占領地を日本の工業の原料基地とした。
すべては戦略戦争のためにこのような略奪行為を行った。しかも巨額な利益を得た。

金融においては、日本軍は占領地の銀行を襲い、金、銀、通貨を略奪した。
占領したところは、中国銀行、中央銀行など50社あまり。
4億元ほどが奪われ、その大部分は日本に送金された。
また満州中央銀行と中国連合準備銀行など20社ほどの金融機関を設立し、
8.8億元にも達するほど多くの紙幣を各種、発行した。
しかし、紙幣をむやみに発行したので貨幣価値は急落し、インフレーションが発生した。
人々に強制的に使わせたあと、いろいろな名目で税金を徴収した。
河北省の人々に課せられた税金は100種類。
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003660

382 :農NAME:2006/12/20(水) 23:16:29
 日本の侵略軍は中国の南京で、悲惨極まりない大虐殺を行った。第2次大戦中、ドイツというファシスト国家は毒ガスを放ったり、
銃殺したり、生き埋めにしたりなどいろいろな方法で殺戮を繰り返し、占領国や、その国民に被害をもたらした。
殺害されたポーランド人は530万人。ユダヤ人は570万人にも達した。血腥(ちなまぐさ)い彼らの暴行は非人間的で、
鬼畜にも劣る残虐な行いだった。すべては書きつくせない。(以上2段落は写真7参照)

http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003659

383 :農NAME:2006/12/23(土) 15:03:56
 きょうは前回ブログの続きです。10年前、中京テレビが放映した慰安婦特集番組の不自然な字幕について書いた私は、
さらに事実関係を検証するためにインドネシアに向かいました。

 インドネシアでは、空港からホテルへと向かう際に、早くも華僑の白タクに引っかかって相場の数倍の料金を
とられたりもしましたが、幸運なことに中京テレビの番組で取材協力者と紹介されていた男性通訳、ワヒューさんと接触することができました。

 彼は日本語が堪能で、中京テレビの取材人と20日間にわたって行動をともにしていたそうです。番組は、ジャワ島西部の町、
スカブミに元慰安婦たちが日本からの補償を求めて結集した−というシーンから始まるのですが、ワヒューさんによると、
実態はこうだったそうです。

 「慰安婦集会はテレビ局の要請で特別に集めたもので、交通費もテレビ局が負担した。奥さんたち(元慰安婦と
された女性たち)はこのとき、『集まるのはもう3回目になるのに、まだお金がもらえない。もういやだ』と怒り出しました」

 「それ以前にも2回、同じような集会が開かれましたが、それは日本人のライター(戦後補償実現市民基金代表)らが
『補償問題で日本政府を追及します』と集めたものでした」

 また、首都ジャカルタでニューズ・レターを発行し、現地事情に詳しい元日本兵の石井サトリアさんにも話を
聞くことができました。石井さんは、こう証言しました。

 「インドネシアで慰安婦問題が浮上したきっかけは、3年前にやってきた日本の弁護士。彼らは地元紙に『補償のために
日本から来た。元慰安婦は名乗り出てほしい』という内容の広告を出した。それまでは、インドネシア人の間で
慰安婦について話題になることはなかった」

 当時、元慰安婦女性の登録作業を行うなどの実働部隊を務めていた「元兵補中央協議会」のラハルジョ会長も
訪ねて話を聞きました。兵補とは、日本軍政時代に補助兵として採用されたインドネシア人のことです。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/day/20060709/

384 :農NAME:2006/12/23(土) 15:24:02
http://sea.ap.teacup.com/kairug/302.html
金ビカのパコダに圧倒されながら境内を歩いていたら年配の方から声がかかった。

『日本人でありますか』
「そうであります」

木陰を探して少し話す。同行のナンさんと3人。ビルマ語と英語と日本語の鼎談。理解が深い。彼は少年の頃、
日本軍の荷物運びをしたことがある。世話になった軍人さんの名前も覚えておられた。

『優しくて、勇気のある方でした。何度も助けていただきました』
流暢な日本語。遠くを見られた。

『ごはんは食べましたか』と聞かれる。
ビルマ語での挨拶を日本語に直訳するとこうなる。

「はい、いただきました」とウソをつく。
いえ、まだですと答えると家にきて食べろとなる。今までになんどもあった。今回は、その後することもあったし、
ナンさんも一緒だったので、そう答えた。

小一時間話をして別れる。
『お国の皆さんによろしくお伝え下さい』とおじぎをされた。


385 :農NAME:2006/12/23(土) 21:20:41
私は、たとえ「侵略」の定義が曖昧だろうとも、日本の侵略を美化するつもりも無いし、正当化するつもりも無い。
そんなことをしても私に利益は無いし、一般の中国人、韓国人、その他の人々を含め、日本帝国主義・軍国主義
に嫌悪感を抱き、反省を求められたら、2度とあのような侵略はしませんと云うのは当たり前だと思う。
たとえ、侵略したのは「アジア諸国」ではなく、アジアの欧米の植民地で、日本の侵略を見たアジアの人々が、
黄色人種でも白人に勝てるんだという自信をつけ、その後の独立戦争を戦いぬいたとしても!! 日本の戦争行為で、
傷ついたアジア人がたくさんいるのだろうから。

 そして、日本の軍隊が学校を造ってくれた、と懐かしがるボルネオのおじいさんがいたのも忘れないぞ。
彼らは日本が侵略するまでは奴隷だった。フィンランドのように、地球の裏側の国だったたら、日本の侵略とやらも、
いまだに語り種なのだろうが。 
http://www.geocities.jp/kuki_kei/heigou.htm

386 :農NAME:2006/12/23(土) 21:22:05
http://nindja.exblog.jp/
●活動報告(2006年3月25日)

○マタン・ラダ村でプシジュッ
 24日、スヌドン郡マタン・ラダ村のバライ・プンガジアン(コーラン詠みの練習場)が完成、本日、その
プシジュッ(お清めの儀式)がおこなわれました。ここで「先生」をするトゥンク・イマム・アブドゥラは、なんと日本軍
の兵補だったそうです。「日本の歌も歌える」と笑うので、「
見よ東海の…」がはじまるかと思ってしまいました。
 思わず、数年前、パプアの浜辺で歓迎の儀式として、おじいちゃんたちが「君が代」と「見よ東海の…」と歌って
くれたことを思い出してしまいました。本来ならヨスファン(人びとが踊りながら歌う)が流れる明るく開放的な
パプアの海辺の光景での「君が代」のメロディは、はっきり言ってミスマッチ。シュールでした。

ビッグ・デス ソロモン人が回想する第2次世界大戦
http://www.yashinomi.to/dataroom/book89.html

http://f3.aaa.livedoor.jp/~hatuki/GSKA09221.HTM
 いろいろな歴史本や記念館で戦争写真を見た事は有りますが自分のパソコン上で
見るとより身近な事と感慨深く見させていただきました。私の姉も看護婦として
軍艦に乗り撃沈され帰らぬ身となりました。
 戦後の貧しい状況はさておき、私が仕事で出かけた先で「これが戦争の結果」
と思いを抱いた事がありました。
 1.インドネシア アチェ地区で付近の老人に日本語で声をかけられ(今から
10数年前)、昔日本軍が現地の人たちに取った(押し付けた)施策を話して
くれました。そして”歌も知っているよ”と歌って聞かせてくれました。
老人は優しく話していましたが風化されない日本軍への思いが伝わってきました。
これが日本人の取った行為か?と半分疑問符でしたが「これが戦争の結果」かと
深く恥じる思いを感じました。

387 :農NAME:2006/12/23(土) 21:24:19
軍では軍政は陸軍省の管掌とされ、南方軍指揮下の各軍に軍政部がおかれた。
「南方の軍政の最大の目的は重要資源の獲得のためだったと思う。フィリピン
からはマンガン、クロム、銅、鉄鉱、マニラ麻、コプラの取得を目指していた
んだ。」これはEさんの南方話の一片である。あと裏では阿片の存在だったら
しい。「阿片はさあ、人の心まで支配するんだよね。」

日本が占領するまでアメリカ、イギリスに輸出していたゴム、砂糖、コーヒー
などの産業はことごとく成立できなくなった。そこで働いていた労働者は職を
失った。必要な工業製品は入ってこなくなった。その上、日本軍は現地自活方
針をとって駐留する日本軍に必要な食糧や物資を現地調達したために物不足は
深刻になった。「食べ物がなくなったんだよ。タピオカやさつまいもが一生懸
命作られたんだ。」南方占領は、現地に住む人々だけでなく、日本軍の食料難
をももたらしたらしい。「銃なんか、降ろしてさ、畑仕事に一緒に出ることも
あったさ。」

タピオカとはキャッサバというサトイモによく似た芋から精製したデンプンで
ある。今はタピオカはおしゃれなデザートの材料として使われているが、それ
そのものはけして美味しいものではない。「少尉殿はよく付近の農民が働く畑
に足を運んでいっておられましたよ。」「土や水が良くない、レンガ色に近い
土壌だったからさ、本当に作物を作ることが無理だって、農家出身の俺はわか
って当然だけど、少尉はおぼっちゃん育ちだということ、わかっていたから何
がわかるんだろうって思っていたよ。」
http://blog.mag2.com/m/log/0000084809


388 :農NAME:2006/12/23(土) 21:25:09
寄る年波、立ち話は辛いのか、藁葺屋根の軒下に腰掛ける白い顎鬚のご老人は昔、ここの村長だったという。
このご老人はわたしが日本人だと知るや、日本軍がここにいたことを話し出した。タラ中尉の通訳してくれる。「ここいらへんにも
日本軍が来たなあ。日本軍が来るとオーストラリア軍は逃げちまった。3年ほどいた。あっちの上の方で宿営して自分たちで作物を植えていたよ」。
 日本兵は何名ぐらいいたのだろうか、50〜60人か、100人〜200人か、わたしがたずねると、人数は覚えていない、ともかく大勢だったという。
日本兵が自分たちで作物を植えていたというが、食料を住民から奪うような行為はなかったのかとわたしがきくと、物資や
食べ物を盗むことはしなかったし、住民を殺すこともしなかったといい、日本兵の住民にたいする態度は悪くはなかった、
こう元村長はいう。ここの村民は主に日本兵を助けたのかとくと、ある者は日本兵についたし、ある者はオーストラリア兵に
ついたという。そして、こちとら武器がなかったから殺されないように立ちまわったともいう。
 客人であるわたしが日本人なので気分を害すことなく日本軍のことを悪く言わないように立ちまわっているのでは? 
と勘繰ることもできようが、おそらくこのご老人は正直に記憶をたどっていると思う。まだ尊敬の念を集めている
元FALINTIL司令官が通訳してくれているからだ。
http://www.jomon.ne.jp/~odayu/hakerek/Hakerek11/can%20we%20just_japan.html

日本がアジアを開放に導こうとしたというのであれば、なぜ同盟国が韓国や中国でなく、ドイツとイタリア
だったんだ?第一次大戦の時にはドイツは敵で、逆に、フィリピンを植民地にしていたアメリカが同盟だ。
このことから、簡単に、日本が自分の都合のいいようにやっていたことがわかる。
 私は日本軍によって、軍靴で指を折られ、今でも指が使えない老人をインドネシア当たりで見た。台湾や韓国に、
日本語を押し付け、神社を建て、強制連行で日本に連れて帰り重労働を押し付けた。これのどこがアジアの開放なのだろうか。
http://diarynote.jp/d/70898/20050805



389 :農NAME:2006/12/23(土) 21:26:57
インドネシアと金子智一さんのこと
http://www.n-shingo.com/jijiback/149.html

日本軍ってあんなところまで進出してたのかよ!!
北はアラスカ近く、東はミクロネシア西はインド国境、
そして南はて、東アジア全域に出張っていたのですな。
兵站貧弱、輸送力皆無、商船弱国の日本が。
無理しすぎやろ。


盧溝橋の事件は、義和団事件で認められた1800人の公使館護衛の兵隊を
●勝手に3倍の5800人に増やし、
●駐屯場所を勝手に、産業の中心地;北京の入り口まで移動して、
●中国に無通告で演習をはじめて、
1名の2等兵の行方不明に血がのぼり総攻撃。

演習中に中国共産党が、銃を撃ちかけてきたからとイチャモン付けてもな!
そら中国側にも和平反対勢力があるのは当然のこと。
反対勢力の撃った数発の銃声音を建前に、大佐風情の下っ端が総攻撃する
のが間違い。

総攻撃するなら、総理大臣か天皇陛下の命令の元で行うべき、国家の安全に
かかわる大事件なんだよ。
それを連隊長の大佐クラスの下っ端が総攻撃を命じ、それを処罰するどころか
軍が庇い総理大臣まで引きずられて、全面戦争とはナニオカヤイワン。

しかしここで、和平が成立してたら、国民党と共産党の内戦が再開してたかもね。
旧帝国陸軍は凶暴な北風だけしか送れない単細胞。ブッシュ大統領とソックリだ。
これじゃ中国共産党に負けてしまうのも仕方ない。

390 :農NAME:2006/12/23(土) 21:29:32
「従軍慰安婦」回想記

菊池義邦
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/kikuti_ianhu_kaisou.htm

http://www.netlaputa.ne.jp/~opinel/bordel/bordel.htm
2003年8月9日 昨夜半から台風のせいで外にでられないような風雨です。私は昨日の帰宅途中、それを見越して、
ビデオを借りてきていたのです。明け方、嵐のせいで目が覚めたので、朝からそれを観ていました。映画の題名は「ムルデカ17805」。

http://www.eiga-portal.com/movie/merdeka/01.shtml

2001年に公開されたときは、「侵略戦争を美化するものだ。恥を知れ」などという批判もあった映画です。たしかに
そういう意図も随所に観られます。特に冒頭の字幕による説明はひどいものでした。
出てくるオランダ人も、植民地の抑圧者として恐ろしく残忍な人間ばかりです。私が現地の生き残りの日本人から
聞いた話でさえ、「日本軍はオランダ軍よりまだ悪い、と言われていた」、というものでしたから、この映画の
独りよがりさは納得できませんねぇ。インドネシア人だけじゃなく、オランダ人にだって怒られますよ。

http://www.eiga-kawaraban.com/01/01031603.html

しかし、映画の中では「侵略者」としての日本軍と、そうではなさそうな、個々の人間としての、善意の日本軍人たち
の軋轢が前半部分のテーマの一部となっております。
「インドネシアは大日本帝国の兵站基地でしかない。独立させるなどとんでもない」という、軍部の意向を代弁する上官と、
主人公は真っ向から対立します。この上官の言葉と、映画の冒頭で出てくる字幕は、完全に矛盾しております。
あの戦争の最中だけでなく、この映画を作った人たちの中にも色々な人がいたということらしいです。

391 :農NAME:2006/12/23(土) 21:31:28
つづき(^^;
バリでも・・・前述のヌガラのロスメンに滞在していた際、ロスメンのテラスで一服していたら、庭の草刈り
をしていたおじいさんが「1本貰ってもいいかい?」と一緒に一休みを始めました。おじいさんのインドネシア語
は難しくてカタコトがやっとの私には殆どわからなかったけれど、途中からやってきた従業員の子の英語まじりの
通訳によれば(私は英語もできないのだけど・・(^^;)、おじいさんは戦時中まだ小さくて、バリにやってきた日本軍の
洗濯物を洗ったりしていたそうです。話の最後に当時日本兵から習ったという「ミチユカバ〜♪」という歌詞で始まる
歌を歌ってくれて、「まだなんとか覚えてはいるけど、意味はもうわからないんだ。ミチユカバってどういう意味?」と
言いながら一人くるくる回って陽気に踊ってくれました。
おじいさんは「日本兵は優しかったよ」と陽気に話してくれたけれど、こういう時って笑ったらいいのか、真面目に
応えたらいいのか、私は迷ってしまいます。子供だったおじいさんに本当に優しいだけだったのかもしれないけど、
当時を遠く過ぎてしまった世代の私に避けてくれた話もあるのかもしれません。
インドネシアが独立できたのは日本軍が人材育成して独立を助けてやったなんて奢った考えの日本人の人も
いるそうですが、たった数年の侵略のうちにインドネシアにも従軍慰安婦はあったし、あの広い国にあちこち
残るGoaJepangを見ると考えさせられちゃうんですよね。(−−;
http://sc.gaiax.com/user/sc/h/r/hori52/diary.html

392 :農NAME:2006/12/23(土) 21:32:13
日本人よ、ありがとう』 。数年前、ノン・チック氏が出版した半生記のタイトルは、社交辞令ばかりではなさ そうだ。  

第2次世界大戦。マレーで、不滅の植民地支配者と信じられたイギリスが、自分と 同じアジア人の日本にあっという
間に負かされたことは、ノン・チック少年の民族意 識を刺激せずにはいなかった。

43年6月から、東京と宮崎で学んだノン・チック氏は、戦後東京でマレー独立の ための資金集めを始める。インドネシア
独立義勇軍に参加したのち、57年のマレー シア独立とともに帰国。63年に下院議員に当選、議長、上院議員を経て、83年に 引退。  

マレーシアは多民族国家だ。先住のマレー人と、移民の中国系住民(華人)の比率 は45%対35%。華人は、
経済界の実権を握っている。マレー人の反華人感情は、 根深い。  

戦争中、マラヤは中国への資金援助の中心地。華人を中心にした「マラヤ人民抗日 軍」も、ゲリラ活動を展開していた。  

日本軍は、これらの中国系住民に対する虐殺を繰り返す一方で、マレー人優遇政策 を取った。
http://ugaya.com/private/repo_nanpo2.html 


393 :農NAME:2006/12/23(土) 23:27:46
 日本軍を禽獣の群れと称した記載も、当時を思えば想像する事が出来る。展示資料の中に、全裸の女性写真が数枚有り、
日本軍に強姦され悪性の性病を移された。等の記載がある。これは筆者個人の感覚として、とても見るに耐えない物
である。しかしこの最低の行為を、人間は戦争という極限状況の中で、いとも簡単におかしてしまう物なのだ。これは、
決して禽獣の群れと化した日本軍を擁護し、認める物ではない。
 だが、この行為は事実として、戦争の歴史にはいつも付いてまわっている。悲しい事に人間は、基本的に動物なのだろうか?。
話を逆に中国大陸に渡っていた日本人婦女子に向けると、日本が敗走を始めると同時に、彼女たちは、日本人以外の禽獣の群れに
襲われる事になったのである。戦後日本に引き上げて来た婦女子は、強制的に妊娠検査をされ、妊娠している人は
全て中絶手術をされたのである。その事実を知る者は少ないが、事実として認識しなくてはならない。
 資料館には、日本軍に虐殺された人数を30万としている。この数は、広い南京市内で殺された人の合計で、
その合計の前には地区別の小計が有る。したがって、きちんとした統計の元、根拠の有る数字である事がわかる。
しかしそれら犠牲者の死因までは、分析されてはいない。揚子江に浮かぶ累々たる屍の写真を見るとき、
彼等が戦闘で戦死した者で無いとの想像をする事は出来る。虐殺は1937年12月〜翌年1月位の約2か月に
渡って行われた。実に一月15万人を虐殺したのである。一日平均4838人である。この数字はナチスドイツが、
ユダヤ人を殺人工場で虐殺したペースをはるかに上回る、驚愕にあたいする物なのだ。現在日本人の中には、
その数字に疑問を持つ人がいる。特に数字を得意とする技術系の人に多いようだ。彼等は高性能爆弾や、
重火機を用いたとしても、毎日3000人以上のペースで、人を殺し続ける事は困難だと言う。ただし戦闘状態なら又
別の計算が成り立つと言う。刀と槍の戦いでも、川中島の合戦で武田軍は一日で2万以上の戦死者をだしている。
これが戦わず武田軍が一斉に逃げ出したら、その半分も殺す事は出来ないだろう。
http://www.alles.or.jp/~nhks/ikusa11.html

394 :農NAME:2006/12/24(日) 00:09:56
中国でも直後から見聞記などが(日本軍の)非占領区で発表された(『侵華日軍南京大虐殺史料』(8))。大量虐殺はもとより、
中国人を特に悲しませ、憤慨させ、許し難い思いにさせたのは、多くの犠牲者が禽獣にも及ばない、虫ケラのようになぶられ、
恥ずかしめられて日本軍に殺されて行ったことである。元陸軍歩兵軍曹の日記である『わが南京プラトーン』(9)には、
女性を辱める日本軍、辱めて殺していくことが生々しく記録され、「奇異ではあるが、戦線いたる所で見る風景である」と書いてある。
その中で兵士たちが中国人を弄んで殺していく様子が詳しく記されている:
【どこからか、一人の支那人が引っ張られてきた。戦友たちは、子犬をつかまえた子供のように彼をなぶっていたが、
西本は残酷な一つの提案を出した。
つまり、彼を袋の中へ入れ、自動車のガソリンをかけ火をつけようというのである。泣き叫ぶ支那人は、
郵便袋の中へ入れられ、袋の口はしっかり締められた。彼は袋の中で暴れ、泣き、怒鳴った。袋は
フットボールのように蹴られ、野菜のように小便をかけられた。ぐしゃりとつぶれた自動車の中から、ガソリンを出した
西本は、袋にぶっかけ、袋に長い紐をつけて引きずり廻せるようにした。
心ある者は眉をひそめて、この残酷な処置を見守っている。心なき者は面白がって声援する。
西本は火をつけた。ガソリンは一度に炎えあがった。と思うと、袋の中で言い知れぬ恐怖のわめきがあがって、
渾身の力で袋が飛び上がり、自ら転げた。
戦友のある者達は、この惨虐な火遊びに打ち興じて面白がった。袋は地獄の悲鳴を上げ火玉のように転げまわった。
袋の紐をもっていた西本は 、「 オイ、そんなにあつければ冷たくしてやろうか」と言うと、手榴弾を二発袋の
紐に結びつけて沼の中へ放り込んだ。火が消え袋が沈み、波紋のうねりが静まろうとしている時、
手榴弾が水中で炸裂した。水がごぼっと盛り上がって静まり、遊びが終わった。】
http://www.jca.apc.org/nmnankin/liu02.html



395 :農NAME:2006/12/24(日) 00:31:03
要するに日韓両国政府としては今後、補償を相手国政府に要求しない、解決したことにしましょう・・・という約束でありまして、
「個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させた」ということではありません。
韓国国民が日本政府へ(あるいは日本国民が韓国政府に)、補償を要求することが禁じられたわけではありません。そ
もそも「完全かつ最終的に解決」されているわけでは全然ありません。
もっとも多くの戦後補償裁判では日韓経済協力協定を理由に却下されているのが現状であります。しかし、
植民地時代に働かせた人々に対する賃金の清算を怠っているのは国の恥だと思います。

・・・議事録の公開によって、韓国も戦争被害者への補償をおざなりにして経済発展を重視していたことが、
改めて注目されたようです。私自身認識が甘かったですが、国家というものは往々にして国民を捨てるもの
であることがよく分かりました。



396 :農NAME:2006/12/24(日) 00:33:43
【東京=聯合ニュース】シン・ジホン特派員=11月9日、東京の日本外国特派員協会。 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の
ソ・チュンオン国際局長が日本に駐在する外国人記者との会見を開いた。

「総連系の学校に通う子供達が、チマ・チョゴリを着て通えないほど“イジメ”が横行しています」

ソ局長は北朝鮮の核実験以降、日本社会で“朝鮮総連バッシング”が再燃している状況を憂慮する心情を訴えた。
さらに、“実名”を隠す子供まで出ていると彼は証言した。

彼の証言通り、日本社会はまるで北朝鮮の核実験を待っていたかのように各分野で“朝鮮総連バッシング”に
出ている。 北朝鮮の代わりに、親北団体である朝鮮総連に対して八つ当たりしているのだ。

10月上旬、朝鮮総連系の学校である栃木県朝鮮初中級学校には「子供達の安全を考えれば休校しろ」という
脅迫電話がかかってきた。 山口県朝鮮高等学校の校庭には大量の楽器と紙類が捨てられ、北海道
朝鮮初・中級学校には10件の脅迫電話がかかってきた。

日本の警察は、総連関連の一斉捜査を進めている。 今月5日には総連傘下の兵庫県商工会の元幹部(36)に対して
税理士法違反の容疑で逮捕状が出された一方、この商工会の事務所なども家宅捜索された。

これに先立ち、関連団体所属のある女性がリンガー液をはじめとした医薬品を搬出しようとした事実を摘発、先月27日、
朝鮮総連東京本部を家宅捜索した。 続いて29日には朝鮮総連系の人物が経営する人材派遣会社を労働者派遣法違反
の容疑で電撃的に家宅捜索するなど、朝鮮総連系の企業や個人に対する圧迫を強めた。

このような日本全般の“朝鮮総連バッシング”は、“小泉政権”を経て“安倍政権”以降、さらに急激に保守化し、
いわゆる“国家主義”が噴出している社会の雰囲気と無関係ではないと指摘されている。


397 :農NAME:2006/12/24(日) 00:34:56
敗戦後、タブーのように扱われていた教育基本法改正が進めれらたことは“国家主義”重視の代表的事例としてあげられる。

改正を目前にした教育基本法は、敗戦の産物として“個人の尊厳”という価値を全面に打ち立てた日本教育の憲法
と呼ばれてきた。 平和憲法と共に日本の平和主義を支えた両輪とされた。 しかし、安倍政権は“愛国心”や“
伝統”、“公共”など、個人よりも集団の価値を重視する方向にこの法律を変えようとしている。

敗戦まで日本の教育を支配していた“臣民の忠孝”を国体の精神として規定し、国家・軍国主義の精神的基盤を
強化した明治天皇の“教育勅語”を教育基本法が否定し、民主意識を全面的に反映したことを勘案すれば、
この法律の改正は歴史時計の針をもどす“反動”として憂慮される側面が大きい。

朝日新聞は社説で「愛国心が法律で定められれば教室では国家を愛せと画一的に教えることになるのではないか」
「現行教育基本法の前文は“われらは”で始まる。 戦前の天皇の教育勅語に代わって、国民が教育のあり方に
ついて意思を示す宣言でもあるからだ」と改正案により学校教育がややもすれば戦前に回帰する可能性があると指摘した。

日本弁護士連合会も教育内容に権力の介入が強まりかねないとして改正案に反対するという立場を表明した。

実際に教育基本法が改正され、それによって学校教育法や学習指導要領が次々に変えられれば、教育現場で
君が代(国歌)斉唱や日の丸(国旗)掲揚時の起立を強要するなど過去の軍国主義の基盤になった教育形態が
一般化する可能性があることを、良心的な市民勢力は憂慮している。
http://hamnidak.exblog.jp/4776207

398 :農NAME:2006/12/24(日) 21:53:11
強姦author : jyouhou
性的暴力のこと。個人(主に女性)の性的自由を攻撃し、侵害する行為。被害者となった人物に対し多大な肉体的・精神的苦痛
をもたらすものであるだけでなく、被害者となった女性が自身が望まない妊娠を余儀なくさせられる、
懐妊した子の父性の混乱をもたらす、家庭生活の平和が破壊されるなど深刻な被害が発生する危険性が強いため、
多くの文化圏においては宗教的な貞操観念などとも結びつくことによって、性犯罪の中で最も重い犯罪(強姦罪)として
国家権力による処罰の対象とされている。
http://masanari1975.jugem.jp/?eid=923


399 :農NAME:2006/12/24(日) 22:14:02
〈日本の過去を告発する〉 「慰安婦」として連行された朴永心さん(83)
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/%EF%BD%8A-2005/05/0505j0519-00003.htm
 日本の敗戦から今年で60年を迎える。しかし、日本は朝鮮をはじめとするアジア諸国に犯した罪に対し、
補償はおろか心からの謝罪すらしていない。最近では歴史わい曲の動きとともに「独島領有権」を主張するなど、
軍国主義へ回帰する動きを見せている。朝鮮植民地支配時代、日本は840余万人の青壮年を「徴用」「徴兵」
で強制的に連行したばかりでなく、20万人の女性を「慰安婦」という名の性奴隷にした。光復から60年が過ぎ、
被害者らは日本に対する恨(ハン)を抱いたまま、一人、二人と息を引き取っている。現在生存している被害者らも、
虐待による後遺症により、日常生活に大きな支障をきたしている。日本が犯した罪業について
語るとき、彼らは口を揃えて「日本がひざまずいて補償するまでは、死ぬに死ねない」と話す。
今号から彼らの体験談を紹介していく。




400 :農NAME:2006/12/25(月) 22:02:04

単なる言論や批判の自由ならば、だれも問題にはしない。
60年代の風流夢譚事件以後、右翼の脅迫にマスコミは弱腰になっているので、
右翼はそれにつけこんできている。
背後に暴力をもったようなものが、単なる言論や批判と同列であろうか?

自民党政権は戦前の社会をなつかしむ勢力が作って支えてきた政権だ。労働者、
女性、子ども、障害者、老人、外国人らの権利は押さえつけておこうという財界
の意思を体した政権だ。教育基本法改悪はその典型例。
彼らは、金に任せれば、好きなように宣伝ができるので、最初から公平な言論な
どを心がけない。したがって、力によって、彼らの意見のほうが一般に広まる。
しかも、彼らが自分の手を汚さずにテロ行為(弾圧)を行うのには、右翼集団が
使われる。どこの国でも同じではないか。

ここには、権力者と一般市民の権力関係の非対称性がある。したがって、お互い
様です、どっちもどっちなどとは言えない。
ウヨの毎度繰り返す「お人よしの勧め」はもういい加減にしろ。

PTAがドリフを襲撃すると言っただろうか?

401 :農NAME:2006/12/25(月) 22:48:09
この通りのセラングーンロード側の入り口付近に、スパイスをひいているお店があります。機械があって、
おじさんがいるだけのところで、特に何を売っているわけではないのですが、強烈なにおいに誘われて、このお店の
前でじっと中をのぞいていたら、70歳くらいのおじいさんが手招きして、中に入れといってくれました。話し始めると、
日本人かというので、そうだと答えたら、おれは日本語を少し知ってるぞというのです。簡単なあいさつ言葉などを
聞いたりしていたら、今度は日本の歌も知っているというのです。で、おじいさんが歌い始めた歌が、何と軍歌。
聞くと、戦争中に日本軍の兵隊が教えてくれたそうです。何とも複雑な気持ちになってしまいました。
白髪の老人ですが、運がいいと話す機会もあるかもしれませんね。
http://www.asahi-net.or.jp/~PP7J-TZK/littleindia/india1.htm



402 :農NAME:2006/12/26(火) 22:41:54
[*△*] とにかく、奥崎と殺人事件は、同じ部隊で起こったという点以外に全く関係がないのに、首を突っ込んで、
気のすむまで殴って蹴って、自分の意に沿う言質を強要し、「オレって正義」と満足する。殴られた人は次々と「奴もやった」
「上官も関係した」と自白し、奥崎は嬉々として次のヤツを殴りに行くんだ。最初の夢の話と似てるだろ?
[+皿+] アカ狩りみたいだな
[*△*] こういう人達は、結局自分たちが毛嫌いする人間とまったく同じ行動を取るというところが、ある種のアイロニーだな
[+皿+] 原一男監督や今村昌平(企画)も狂っていたのかな?
[*△*] いや、結局冷静に奥崎を踊らせていたのは彼らだと思う。奥崎が自分を正義と思っているのと同様に、
スタッフはドキュメンタリーという正義を掲げて、狂った人間を操り、40年前の事を蒸し返し、自己満足に
浸っていた彼らが一番悪いと思う
http://blog.so-net.ne.jp/eiga-robo/archive/200606


403 :農NAME:2006/12/26(火) 23:06:26
生で良し、煮てよしダイコンは優れものの野菜です。
1974年〜1975年(昭和59年〜60年)パプアニューギニア駐在中、旧日本軍の栽培方法が伝授されたらしいダイコンを、
時々スーパーで見かけたので買い占めては駐在員の奥様方にお裾分けしていました(現地人・欧米人は食べ方が分からない)。
http://www.asahi-net.or.jp/~hu2a-kdm/whats/nannohi-2004/nan-no-hi-04-03.html


404 :農NAME:2006/12/26(火) 23:55:42
ウヨ太
でもこれだったら、謝罪なんて無意味だよね? いっそ、謝罪なんてしない方が良かったとは思わない?


あずさ
あなた、頭は大丈夫なの? けっして、許されない質問してる。
謝罪って、被害者に苦痛を強いたのを反省することで自分の道義的な成長を示し、
周囲からふたたび受け容れてもらうためにするのよ。
戦争に負けたから仕方なく謝罪したと思ってる? だとしたら、精神構造に欠陥ありね。
それと、謝罪が十分かは被害者側の決めることで、口先ばかりで後悔する様子がなく、また悪さするかもしれないと感じれば、
怒られて当然だわ。
謝罪は意味がなかったとか、謝罪しないほうがよかったとか、謝罪する側が口にできることじゃないでしょ。
まったく、たいへんな勘違い野郎なのね。

ttp://bbs2.fc2.com/php/e.php/19522/

405 :農NAME:2006/12/27(水) 23:51:27
[ パプアニューギニア南十字星の下で ] 一般公開にあたって
 先の第二次世界大戦で戦争が終わり半世紀以上も経ち、日本では平和な二十一世紀を迎えました。この大戦では多くの尊い生命
が失われ、一方生還された方々は更に経済復興の為に尽力を惜しまれませんでした。今の豊かな日本社会はこれらの方々の
お陰であると言っても過言ではないと信じます。ここに戦争犠牲者を始めご遺族の方々そして無事帰還された方々に若い世代の
者達は敬意を惜しみません。
http://my.internetacademy.jp/~a01050035/jujisei/frame/juji000f.htm



406 :農NAME:2006/12/29(金) 23:38:36
さて、ここで問題になるのは、強制連行と非人道的な扱いだ。慰安婦は日本兵に強制的に連行され、
集団レイプされた性奴隷である。つまり日本兵はアジアの女性たちを地獄に突き落とした極悪非道な悪魔なのだ。
日本軍は鬼畜の名に恥じない傍若無人ぶりである!


407 :農NAME:2006/12/29(金) 23:41:50
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/data/2004_17.pdf
(1) 平時(武力紛争下ではないとき)であれば,1人の女性が1人の男性に1回強姦さ
れただけで,女性の尊厳を犯す重大犯罪として大騒ぎになるのに,いったん武力紛争
下となると,なぜ,多数の女性が複数の男性に多数回強姦されても,「武力紛争下で
はありがちなこと」,「戦争に強姦はつきもの」との俗説が,特に検証されることも
なく通用し続けて,加害者は処罰や賠償の責任を免れ,被害女性は泣き寝入りをせざ
るを得ないことが,これまで多かったのか。
また,平時であっても,多くの場合性暴力の被害女性には何の落ち度もないにもか
かわらず,被害者であるはずのその女性が,「私は意に反する性行為を強要されまし
た」とカミングアウトするだけのことが,なぜこれほどまでに困難であり(例えば,
被害を受けてからカミングアウトするという,単にそれだけのことができるようにな
るまでにも,従前刑法上の強姦罪の告訴期間として設定されていた6カ月などより,
はるかに長い時間がかかる例があまりにも多いことを,性暴力被害者から刑事告訴の
代理なり,加害者への損害賠償請求の代理などの案件を受任したことが一度でもある
弁護士なら,知っているはずである),また,ようやくありったけの勇気を振り絞っ
てカミングアウトしてみても,加害者が刑事被告人として,起訴され処罰を受けたり,
被害女性に対する損害賠償を裁判所から命じられるまでに,どうして以下で述べるよ
うな多大なる困難が伴うのか。

408 :農NAME:2006/12/29(金) 23:43:27
武力紛争下の性暴力が,一般的に平時の性暴力よりも一層残虐で
被害が甚大であることが多いにもかかわらず,なぜ見過ごされがちなのかについては,
これまでも,1994年には国連・差別防止・少数者保護小委員会がリンダ・チャベ
ス委員を「戦時奴隷制」特別報告者に,1996年にはラディカ・クマラスワミ委員
が「女性に対する暴力」特別報告者に,1997年にはゲイ・マクドゥーガル委員を
「武力紛争下の組織的強姦,性奴隷制および奴隷制類似慣行」に関する特別報告者に,
それぞれ指名して調査を委託し,彼女たちはいずれも,国連人権委員会に対して,最
終報告書を作成・提出してきた。
それらの過程で次第に明らかになってきたことは,例えば,マクドゥーガル最終報
告書のパラグラフ89に,「武力紛争下の性奴隷制,強姦その他の性暴力が処罰され
ず,誰も責任を問われない現状を克服するには,効果的救済を受ける権利を実現する
ことが明らかに最重要である。残虐行為の被害者の権利を確保し,補償救済が実行さ
れなくてはならない。権利侵害に対する補償救済を実行するための機関や仕組みが作
れなければ,それは明らかに,国際的規範と責務をさらに侵害することになる。それ
は補償救済を受ける権利を実現しようとする女性に対する差別も同様である。」とあ
るように,武力紛争下で起きたことだからだという,ただそれだけの理由で,加害者
への民事上・刑事上の責任追及が実効的に行われないことが歴史上長きにわたり続い
てきたことが,新たな武力紛争が発生した際に,性暴力加害者予備軍が人道に反する
不法行為たる戦時強姦を実行に移すことを思いとどまらせないことにつながった(い
わゆる「不処罰の連鎖」)ということである。

409 :農NAME:2006/12/31(日) 00:45:20
日本軍に連れ去られた兄      張紹番さん(マレ−シア)

--------------------------------------------------------------------------------

 
  私たち家族12人は、セランゴン州パタリンジャヤに住んでいました。私が、
 15,6歳の時、日本軍が村に入ってきて全員を広場に集め抵抗しないように
 徹底されました。
  しかし、夜になってある兄弟がつかまり吊り下げられて殴られるという拷問を
 数日つづけられ、兄は数日後自殺したそうです。私の兄も外出したまま、行方
 不明になってしまいました。日本軍に連れて行かれ殺されたようです。また、村
 の女性が日本兵に強姦されたこともありました。私は、恐くて兄を捜しに行くこと
 ができませんでした。

  また、ブランコ村では、日本兵が入ってきて、村の人たちを男女を問わず全員  
集めました。そして、銃で全員を射殺しました。
また、子供を捕まえて放り投げ、  銃剣で刺し殺したと言う話も聞いています。

 広島に原爆が投下されたので、戦争が終わったという実感が有ります。
 このような歴史は二度と繰り返してはいけないと思います。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3521/maresakusen.htm

410 :農NAME:2006/12/31(日) 00:48:48
1941年12月の開戦以降、南方戦線での強姦事件の発生が公文書から窺われます。


富集団において、敵前逃亡112,強姦3、略奪3の事例あり。(中略)
比島方面でも相当強姦(14名)あり、下士官の婦人傷害事例もありたり。
(1942.2.12 陸軍省課長会報より)


法務局長:25軍の独立速射砲第一連隊の現役大尉がクアラルンプールにおいてマレー人の妻女を強姦、その時計5〜6個を略奪し、
更らにジョホールの第三王女をだまし、写真機を搾取し、強姦、掠奪、詐取の犯罪を犯かせるものあり。

兵務局長:25軍はクアラルンプールに来る迄は兎角の評判ありしも、この事件を契機にして爾后面目を一新せり。

法務局長:比島方面においても強姦多かりしが、厳重なる取締をなしたる結果、犯罪激減せり。


兵務局長:比島は他の地域に比し比較的多かった。
しかし支那事変に比すれば少ないと言える。
(1942.5.2 陸軍省局長会報より)
http://daikichi1966.cocolog-nifty.com/blog/

411 :農NAME:2006/12/31(日) 00:55:00
http://www.saitama-np.co.jp/news12/09/03l.htm
★“戦争の実態”を後世に 元日本兵、軍の性犯罪を証言

・「わらを切るカッターに首を押さえ付け、こうやって中国人の首を切ったんです。
 うそも隠しもしない。何人首を切ったか毎日のように競った。これが事実です」。
 元関東軍の兵士、金子安次さん(82)が六日、戸田市文化会館で日本軍の
 残虐ぶりを生々しく語った。

 金子さんは元関東軍五九師団四四大隊機関銃中隊伍長。一九四○年に
 二十歳で中国山東省に渡り、シベリア抑留などを経て、帰国したのは
 一九五六年だった。

 「廊下を毛布で仕切り、間に布団をひいた。一回一円五十銭。一人五分で
 立ったままことを済ませた」
 慰安所はあっても強姦は日常的だった。ほとんどの日本兵がかかわったと言う。
 「上官から中国の女は子どもを産むから殺せ、子どもは大きくなったら軍に抵抗
 するから殺せ、と命令された。どうせ殺すなら強姦してしまえ、という気持ち。
 中国人蔑視の考えも根底にあった」と吐露した。
 「きょう死ぬか、あす死ぬか分からない。ならば男子としてやることをやって
 おかなければ損、と当時は心の痛みはなかった」という。
 金子さんは二年前の女性国際戦犯法廷でも証言。戦争の実態を後世に伝える
 ため、あえて性犯罪についても触れてきた。

 金子さんの証言を聞く集いは、有事法制など再び戦時体制に向かう国の動きが
 ある中、直接戦争体験者から加害の事実を聞こうと地元の戸田市民が企画。
 会場には県内外から約百五十人集まり、入りきれないほど。
 北朝鮮拉致問題についてもふれた。「戦争で労働力が足りないから、私の師団
 にも十五歳以上の農民を捕まえろ、と指示があった。片っ端からトラックに押し
 込み日本に送った。そういう事実を忘れないでほしい」と語った。(一部略)


412 :農NAME:2006/12/31(日) 18:45:32
この老人は、「待機していた自動車がそれを積んでどこかへ運んで行き、
翌日になると油が入ったドラム缶を積んで来た。それは人間の油だった。
やつらはそれを航空燃料に混ぜて戦争に利用した」と主張した。

>自動車?1940年代に人間の脂で飛行機が飛べる?北朝鮮の技術なのでしょうか?
>石鹸で戦闘機が飛ぶ感じですか。人の脂はアブラでもねぇ。ラー油とかでも飛びますかね?

労働新聞はこれに加えて、
日帝が太平洋戦争末期に南方戦線で食糧補給が途絶すると「食人作戦」まで敢行し
当時少なからぬ日本軍慰安婦たちが犠牲になったと指摘した。
「日帝侵略軍の野獣どもは、朝鮮人慰安婦を銃剣で刺し殺して日本刀で切り身にして食べるという
想像を絶した身の毛がよだつ蛮行をやらかしたのだ。」
<後略>

>大戦末期(1944サイパン−45沖縄)にはニューギニアのような南方戦線はないです。
>(カロリン・ソロモン・ガダルカナルで)1942−43年に退却しています。
>朝鮮人慰安婦がニューギニア戦線に投入された話を朝鮮人皇軍兵士の話に聞きません。
>オーストラリアの日本人教授と現地カトリックの被害者救済の話ですと
>現地女性を妻や売春婦に持ち、豚を工面できないと言いがかりで人食いを行ったとあります。
>オーストラリア兵が食われたのでオーストラリアは控訴したいと申し出たが
>アメリカが東京裁判で取り上げませんでした。
>現地人がアメリカ兵の日本兵をドラム缶に入れて煮殺したり日本兵の骨で小物を作った話が
>連鎖して出てくるのを恐れたからだそうです。アメリカ兵も人肉食をしました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/598/1120820561/367-368

413 :農NAME:2007/01/01(月) 00:39:46
http://www.fsinet.or.jp/~oak-wood/miura11.html

 戦後のインドネシア独立運動時と比べたら、開戦から終戦までの日本軍が進駐していた間に殆ど戦闘は有りませんでした。
オーストラリア軍の偵察機や爆撃機が侵入して来た際に、海軍機の迎撃する姿を見かけたり高射砲の轟音しか耳にしなかった
のです。このような情況下に置かれていた陸軍部隊は、市内の巡察以外にすることは無く、いかに暇をつぶすかに腐心する
しかなかったようです。

 バリ島民の生活はそれなりに豊かで信仰心は強く、島内に乞食と売春婦はいませんでした。にもかかわらず
慰安婦を要求することがあり、バリ舞踊の踊り子たちをそれに代えようとしました。それに対してバリの宗教と文化を
説明して、踊り子は神に仕える巫女のようなものであり仏に仕える尼僧のようなものであると納得させました。そして、
是非と言うなら還俗させなければならないし、それには日数がかかるからと諦めさせました。不幸にして
将校宿舎の下働きとして雇い入れると騙され、被害にあった女性を孤児院の寮母として"居場所"を与えました。



414 :農NAME:2007/01/01(月) 00:44:15
2003年 1月12日 「君が代とノルウェー人」

 朝10時起床。朝食後、オーナの祖父と雑談。おじいが、君が代を歌ってくれた。戦時中、
 日本軍兵士から教えてもらったらしい。おじいに、私たちの先人がとても親切にしてくれたそうな。
 ロンプラで、調べて見ると日本軍はサヌールに駐屯しててあとデンパサールとシガラジャに司令部が
 あったそうだ。日本軍は、地元バリ人の経済を潤していて、日本軍が去ってから大変だったらしい。
 いやあ、なかなか貴重な話を聞かせてもらった。あと、おじいは、日本のゲートボールみたいな
 ものが好きらしい。バリでは、ご老体には人気スポーツらしい。天気がいいので散歩する。
 ランドリーにズボンを頼む。1750RS。地元の人たちが、マンディをする川まで歩く。どこからか
 ガムランが聞こえる。しばしタバコに火を付けてストーン。暑かったので、屋台でアイスをゲット。
 1000RS。16時から路上ライブ。途中、雨で休憩して19時過ぎまでやる。帰る途中、外国人に
 呼ばれて一緒にビールを飲む。彼の名は、ヘンニン。ノルウェー人。MUSICIAN。
 ノルウェーでは、プロモーターをやっているそうな。ウブドでも、バンドを組んでJAMってる
 らしい。今度遊びに行こう。夕食は、ナシチャンプル。
 その後、Buddy.サンタナでストーン。深夜0時 野良犬と一緒に戻る
http://homepage2.nifty.com/kouta_idx/Togo_Bali.htm


415 :農NAME:2007/01/01(月) 00:49:57
作業については、前任のパキスタン部隊の仕事を引継ぎ、改めて日本式の測量を行った上で作業に取り掛かるとのこと。
さらに車両の操作は隊員が行うが、土運び等の単純作業については、UNTAETを通して現地人を雇うとのことであった。
ひとつ興味深かったエピソードは、第2次大戦中の日本軍から習ったと思われる日本語を覚えている老婆が現れ、
「タイチョウサン、ニワトリアゲル」とニワトリを置いていったとのことである。しかし私にとってより印象的だったことは、
今回自衛隊が旧日本軍の戦闘を行った地域に始めて派遣されているにも関わらず、それに対する感慨等がほとんど
無いように感じられたことであり(敢えてそう振舞ったとはどうも思われない)、旧軍と自衛隊がまったくと言ってよい
別組織であることを改めて痛感した。帰りはPKO司令部に戻る三佐に車で送ってもらったが、
そのクッションの柔らかいことと、運転の丁寧なことに驚き、東ティモール人の運転の荒っぽさに始めて気がついたのであった。
http://www.interband.org/easttimor/2002orii.html


416 :農NAME:2007/01/01(月) 00:53:12
いつも後ろ向きばかりなので....

今朝は、このでっかい「ナンカ」と
いう果物を借りて半分おはよ^^

日本兵が、このでっかいのは
「なんか?」っと聞いたことから

「ナンカ」という名前がついたのだ
と聞きました。


めずらしく昔バリ島で買った朱色の
ブラウスを着てうれしそう〜な♪顔
ですねえ^^

前からずっとほしかった十字架の
ペンダントはね〜

クリスチャンになりたい願望★
http://www13.ocn.ne.jp/~yumebali/2006.8nikki.html


417 :農NAME:2007/01/01(月) 00:59:18
<日本軍>

太平洋戦争時、日本軍は大東亜共栄圏の名のもと東南アジア各国を占領した。

インドネシア、ロンボク島も例外では無い。

ローカルに聞いた話。

当時、かなりの日本兵が現地にいたらしい。

日本軍との間で闘争は無かった。

当時のローカルは、車を始めて見たらしい。

怖くて近寄れなかった。

ロンボクの主要道路は、殆んどが戦争当時に日本兵が作ったもの。

マタラム空港〜クタへの道路も日本軍による

日本兵とローカルの間で争いは無かったらしい
http://homepage2.nifty.com/SURFIN_LIFE_HOKKAIDO/trip/2005_lom/2005lom_02.htm

418 :農NAME:2007/01/01(月) 01:03:44
気持ちいい〜!!みんなありがとう!!はじめオランダでpeace walkをやろうと決めたときはただただpeace flagを
広めるためにって考えていたけど、今の自分はBaliの人達のために何かできたら、できることは歩くこと、
Baliの人達がすごく好きになっていた。少しだけ雨がぱらぱらと落ちてきたそれも気持いい。宿で
降ろしてもらい出てきた女の子に紹介文を渡す。タクシーにお金を払おうとしたらいらないって、
けどそこまで甘えられない、バックからマルボロをだしてすすめた。「テレマカシー」彼は手を
振りながら夜の街に消えていった。大きな宿だ看板をみると偶然ウブドの知り合いが教えてくれていた宿
だった。「Ramayana Loji/ラーマヤナ ロッジ」しばらく宿の中庭にあるレストランで主人が来るまで
待たされた。あぁ月が出てきたな、もうすぐ満月なのかもしれない。東の山並の上にポッカリ光の穴
が空いている。タバコをすいながらじっとそれを見つめていた。そして主人が来た。机をはさんでまるで
面接かのように主人は淡々と昔の日本軍のしてきた行為を話す。年の頃は70近いだろう、長身で
ほっそりしていて、Bali人というより華僑の人みたいだ。「私が1番嫌だったことは同じ年の子供達に
日本兵はキャンディを配り、やりたくもない相撲をとらされたんだ、それを眺めて楽しんでいる日本兵
の顔は今でも覚えている」「そうなんだ、日本軍ってそんなことやっていたんだ・・・」「彼等の前で
インドネシア語で喋っていたらそれだけでひっぱたられたんだ」「この歌、知ってるか」というと昔の
童謡を歌いだした。その歌声には怒りと憎しみに満ちていた。それを聞きながら昼間歩きながら
思ったことを思い出していた。〜おいらほんとにこの地で悪いことしていたのかもしれない・・・
そのキャンディをわたしていたのは昔のおいらかもしれない、だから今それの償いのためにも
歩いているのかもしれない・・・
http://www.medialabo.co.jp/moon/diary5.htm

419 :農NAME:2007/01/01(月) 12:23:40
『反日ブログ監視所(旧館)』がサイト凍結か!? 自業自得だ、ざまあみろ!(笑
http://komichin.blog80.fc2.com/blog-entry-41.html

420 :農NAME:2007/01/01(月) 12:32:35
 まず,最初に事実を確認しよう。この「竹島領有問題」について,最も過激に活動していた「衆議院国会議員」は,
大阪17区・堺市出身の 元弁護士・西村真悟被告 という犯罪者であることだ。犯罪者になってもなお,
国会議員を辞職しない西村氏の態度には許し難いものがあるが,それ以上に他国の領土を踏みにじってまで
自らの政治イデオロギーを貫き通す所は,まさに「狂人」ならぬ「凶刃」という以外に形容のしようがない。
民主党もこんな人物をかつて党員に入れていたことを大いに反省せねばならないし,前原代表の中国脅威論など
論外で,早急に辞職させるべきである。

 逆に言うと,独島の領有権を主張している日本人はすべて,西村真悟と同様の犯罪者であると言い切って
良いのではないだろうか! なぜならば,金正浩が 1861年に製作した『大東輿地図』 には,ちゃんと
独島が記述してある。このリンクの参考資料は東京外国語大学のサーバにあるので,ウソだと思ったら,
自ら調べてみるが良い。(現物は金正浩がスパイ容疑で失われたため,
写本が誠心女子大博物館に保存されています)
http://blog.goo.ne.jp/kaetzchen/e/21d60fd3dfb712089f6f2c4185c90fd8

421 :農NAME:2007/01/01(月) 20:06:01
 さて、同じ頃、小さな記事でしたが、蘭日修好400周年を記念して予定されている5月の天皇皇后両陛下の
オランダ公式訪問に先立ち、オランダ政府は日本政府に対して大戦中の旧蘭領インドでの日本軍による
オランダ人に対する残虐行為について『正式な謝罪』を要求している、との報道がありました。元高等外交官
を日本に派遣し、日本政府の配慮を要請している、とのことです。これまた日本は『遺憾』表明はすでにしているが、
『謝罪』はしていないのだそうです。

 オランダの女王様と日本の天皇の立場は制度的には非常に似ています。いずれも象徴であり、公的な発言に関して
は内閣が責任を持っています。しかしオランダでは内閣は飽くまでも国民の代弁者です。国民一人一人にとって
『社会』は自らが一部を成しているものであり、したがってその代表者の発言は自らが加わっている社会の総意を
現すものでなければならない、ということです。たしか日本の民主主義制度も中学校の『公民』などで習ったところでは、
全く同じだったと思うのですが。問題はそういう制度の内実として、私自身をも含め、現在の日本人に本当に自分が
社会の一部でありその決断に主体的にかかわるということへの信頼や意欲があるのだろうか、ということです。
タテマエとホンネが分離し、「公」とは私の総意ではなく、個人から切り離された何処か上のほうの『政治屋さん』に
任せていればよいものだ、というのが一般的な日本庶民の感覚ではないでしょうか。おそらく、日本では、女王の
スピーチもコック首相の発言も日本の天皇や首相の発言と同じレベルで「どうせ彼らはタテマエを言っているだけだ」
という風に理解されてしまうのではないか、と思います。
http://home.planet.nl/~naokonet/oranda/sengo/sengo.htm


422 :農NAME:2007/01/01(月) 20:06:53
インドネシアが一時期日本に支配されていたこと、そしてその後の独立戦争の際、多くの日本人が
インドネシアを助け、そのお陰もあってインドネシアが独立できたことは何となく聞いて知っていた。
が、その生き証人から話を聞くのは初めてだった。
それに、もしこの手の話を聞くとしたら何かきちんとした講演会のような場で聞くものだというイメージを
持っていたが、こんなゴルフ場の雨宿りの小屋でいきなり戦争中の話が飛び出したものだから、さすがの
私も少し面食らったが、それでもせっかくのこの機会を逃してはなるまいと、二人の老人の話を食い入るように聞いた。

背の高い方の老人は日本の歌をよく覚えていて、軍歌や「ウミユカバ」「キミガヨ」の歌がポンポン飛び出した。
また恐らく日本軍から聞いたのであろう号令のような言葉もいくつも覚えていて、その記憶力には驚かされた。
もう一人の、小柄で少しビッコをひいている方の老人は、親族に日本人がいるらしく、日本にも2度行ったことがあり、
「おはよう」、「こんにちは」などの簡単な日本語を知っていた。

昔日本に占領されていたなどというとインドネシア人は日本に悪いイメージを持っているのではないかと心配になるが、
インドネシアでは「オランダより良かった、独立を助けてくれた」ということで日本には好印象を持ってくれている人が多いようだ。
この二人の老人も戦争中の話なのに昔の楽しい思い出話をしているかのように、笑いながら元気良く話を聞かせてくれた。
http://diary8.cgiboy.com/0/sophiark/index.cgi?y=2005&m=12


423 :農NAME:2007/01/01(月) 20:08:17
http://secure.amnesty.or.jp/stopvaw/comfortwomen.html
日本政府は、ジュネーブ第四条約が結ばれた1949年までは、強かんは戦争犯罪ではないとの
主張を続けてきた。しかし、アムネスティはこの報告書で、日本政府が性奴隷制を維持してきた
期間を通じて、武力紛争下で起きた強かんを国際慣習法上の戦争犯罪であるとしていた証拠が数多くあると主張している。

「私は16歳のときに中国に連れていかれました」と、79歳になる韓国人イ・オクスンは語る。彼女は誘拐され、
中国北東部延辺に連行された。そこの「慰安所」で性奴隷となることを強いられた。

「女性の年齢は14歳から17歳で、一日に40人から50人の兵隊を取らされました」という。「そんな大人数を相手
にするのは不可能でしたから、いやだと言ったら殴られました。女性が言うことを聞かないと、彼らは女性を刃物で
切りつけました。なかには刺された人もいます。病気になって死んだ女性もいます。つらい経験でした。食事も
十分ではありませんでしたし、睡眠時間も足りませんでした。自殺することさえできませんでした。本当に
逃げ出したかった。」イ・オクスンは58年間、中国で生活し、やっと韓国に戻ることができた。

「私たちは自分たちの経験が歴史に記録されることを願っています。それによって次世代や他の国の人たち
が私たちに何が起きたのか知ってくれるでしょうし、私たちにとってはそれで正義が得られるのです」。フィリピン人
ロラ・ピラのそのような言葉が報告書に取り上げられている。「日本政府は日本人兵士が何をしたか、認めるべきです。
私たちには、日本政府による謝罪と補償が必要なのです」。



424 :農NAME:2007/01/01(月) 20:09:20
http://ime.st/72.14.203.104/search?q=cache:MdaiU8jG9OsJ:www2u.biglobe.ne.jp/~NKK/zinmin_1994/08/moririronhantai.htm+%E9%81%A0%E8%97%A4%E8%AA%A0%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AB%96&hl=en&ct=clnk&cd=1
 従ってこの「人民戦線の旗のもとに!」の森久論文でありますが、客観的にせよ、太平洋戦争が、
アジア民族の独立に寄与したなどという見方は最も危険な見方であります。判りやすくいいましょう。極論いたします。
「Aという強盗によって不法占拠されているある被害者の家があるとします。そこへ次にBという強盗殺人集団が入り込んだ。
その結果Aという泥棒が追っ払われた。ところがBという後から入ってきた強盗殺人集団まで追っ払われた。その結果
その家は本来の被害者のものになりました。それは後から入り込んだ、Bという強盗殺人集団の功績と認めるわけにはいかない」。
太平洋戦争は今もいったように英、米、仏、蘭という先進的強盗帝国主義対日、独、伊帝国主義という後進的帝国主義間
の相互に植民地分割戦争でありました。アジアの民族独立は結局においてそれ自身、アジア諸国自身の力でかち
とられたものであります。客観的に見ると、と森さんはいっています。しかし客観的に見るにせよ、日本のアジア侵略によって、
結果的にアジア各国の独立が勝ちとれたのだと評価すれば、ただいま現在世界の各地に対してアメリカ帝国主義は
国連の名において軍事侵略をしております。あちらこちらでやっております。そのアメリカ帝国主義の軍事的侵略に対して、
これから日本が自衛隊という名の軍隊を出動させ、侵略者アメリカを追っ払うことによってユ−ゴスラビアの独立が
かちとれるとか、アフリカ諸国の独立がかちとれるとか、などというばかなことを考える人は誰もいないはずです。
それと相通ずるものがこの森論文にあります。

425 :農NAME:2007/01/01(月) 20:10:28
愛国心強制には注意が必要       西条
市   徳永厚良(74)

 ▽教育基本法の改正をめぐって焦点になっていた「愛国心」の表現について「
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」で、与党
が合意した。結構な文言で異議を唱える余地もないように思えるのだが、国旗国
歌法の審議で当時の小渕首相が「強制は考えていない」と答弁していたのに、国
旗を掲げ君が代を斉唱する時、起立しなかった生徒や教師にペナルティーが科さ
れたことを思い出し、国家権力の乱用を恐れるのである。
 ▽戦前・戦時の教育を受けた私たちは「修身」という教科書があり、その成績
は通知簿の最上部に記載された。教科書には道徳律も記述されてはいたが、巻頭
に「神武天皇が賊軍征伐の折、弓の先に止まって天皇の軍を助けたという金色の
トビ」の絵が描かれていたのを見ても分ると通り、天皇制を絶対のものとし、「
忠君愛国」を強要した教科書であったのだ。
 ▽ そもそも、日本人なら自分の生まれた国を愛し、育った郷土をこよなく愛
する心は、自然に抱いているものである。これを法律で強制することは、一歩間
違えば「軍国主義」に豹変する恐れがあることを、国民すべてが察知すべきであ
ろう。    (農業)

426 :農NAME:2007/01/01(月) 20:11:48
 「下品で異常」なのは日本も同じじゃないか。「大量破壊兵器が在った」という開戦口実のウソが白日の下に晒され
撤退国も相次いでいるイラクに、米国に遠慮して未だに派兵に固執している日本。ロクスッポ安全検査もしていないのが
わかっていながら、それでも米国産牛肉の輸入再開を図ろうとしている日本。「米国の為の米軍再編」であるにも関わらず、
沖縄駐留海兵隊の
ハワイ移転に、この財政難の中で7500億円もの日本国民の税金を投入しようとしている日本。その為には辺野古の自然や
岩国住民の生活など平気で犠牲にしようとする日本。米国年次改革要望書の言いなりに、郵政民営化や規制緩和や
医療改悪を推し進める日本。はっきり言って、こっちの方が竹島問題なんかよりよっぽど重要だし、こっちの「亡国ぶり」
の方がよっぽど異常ではないか。

 それに「竹島問題」は、こじれればこじれるほど、実は日本にも火の粉が飛んでくる問題でもある。同じ様な問題を
、日本は中国・台湾との間でも「尖閣諸島の帰属問題」という形で抱えている。竹島は韓国が実効支配しているのに対して、
尖閣諸島は日本が実効支配している。「勝手に実効支配している韓国はケシカラン」という理屈を振り回せば振り回すほど、
今度は日本が中国・台湾から同じ事を言われる破目になる。その自己撞着から抜け出す為には、竹島でも尖閣諸島
でも通用する帰属問題解決のルールを地道に編み出していくしかないだろう。

 もう一つ付け加えれば、竹島問題って何も今に始まった問題ではない筈。昭和20年代の「李承晩ライン」の頃から
ずっと続いてきた問題だろう。韓国軍事政権時代には何も言わず、金大中事件も政治決着でもみ消そうとしてきたくせに、
今頃になって急に「竹島問題」や「韓国ナショナリズム」の問題を言い出し始めたのは、何故?

 竹島問題について言えば、「日韓で対立しているんなら、双方が納得するまで話し合えばそれで済む問題だろう」
「自分の国の属国ぶりや異常性を棚に上げて他国の異常性ばかり論う事のバカらしさ、胡散臭さに、
いい加減に気が付けよ」という事だけ。他にももっと重要な問題があるのに、何でこんな問題に
ばっかり大騒ぎするの? 俺はあんまり興味ないね。


427 :農NAME:2007/01/01(月) 20:12:43
盧武鉉大統領の正論とその前提 − 日韓基本法としての村山談話
http://critic2.exblog.jp/3272584

ミクロネシア:夏島のアイセック市長、木浦・上越市長を表敬訪問 /新潟
 ◇地滑り復旧支援など要請

 トラック環礁で知られる赤道以北のミクロネシア連邦デュブロン島(通称・夏島)のグラッドフィン・アイセック市長が来日し、
10日、上越市の木浦正幸市長を表敬した。アイセック市長は、02年の地滑りの被害の復旧支援や教育の援助を要望した。

 アイセック市長は地元でダイビングショップも経営する実業家で、現在2期目。父親の代から親日家一家で、
今回は同市出身で世界海洋ボランティア協会の吉田宏司代表ととともに市役所を訪れた。

 アイセック市長は、「米国の支援は年々減少しており、主要産業がない島で島民の生活向上を図るのが難しい」と語り、
地滑り被害で損壊したままの道路復旧に向け、重機の提供や環境保護、学生の交流などで支援を求めた。
木浦市長は「上越市も財政的に豊かではないが、市でできることは協力したい」と答えた。

 同環礁は周囲200キロあり、大小約83の島でチューク州を構成し、デュブロン島もその一つ。1914年から44年
まで日本が統治し、旧海軍の拠点として知られる。環礁内には当時、米軍の攻撃で沈没した艦船の残骸も
残っている。最近は野生のイルカに触れられる世界的なダイビングスポットとしてPRしている。【萩原滋樹】
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/niigata/archive/news/2006/04/11/20060411ddlk15010034000c.html



428 :農NAME:2007/01/01(月) 20:14:10
【ソウル25日聯合】
盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は25日、韓日関係に対する特別談話文を発表し
日本が独島に対する権利を主張しているのは帝国主義侵略戦争による占領地
の権利、ひいては過去の植民地領土権を主張するものだと強く批判した。

聯合
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=200604250919541

ビルマでの泡盛造り(玉那覇有義氏談)
nakijinn
2000年2月20日19時40分
昭和18年に行って、翌年3月頃から製造した(日本軍の要請で)。すでにビルマでは「日本ビール」と
清酒「富之寿(とみのやす)」を造っていたが、沈殿物が出来て飲めたものではなかった。泡盛ならビルマの
気候風土に適しているのではないだろうかと考えての要請だったのではないだろうか。玉那覇氏
(当時、瑞穂2代目)は判任官一等、技術職人は軍属の身分で行った。月産5石、終戦まで70〜80石の泡盛をつくった。
http://www.urban.ne.jp/home/ngsek/koyuutopic_031.htm

 天皇信仰の民族、天皇制国家という日本の前近代的体質が、他の侵略国・ヨーロッパ諸国との
決定的相違であり、その思想の強制が原住民の恨みをかった根源だということですね。

【共和制を日本に】
  若槻泰雄 小論文集
http://www13.plala.or.jp/kyowato/



429 :農NAME:2007/01/01(月) 23:13:34
 証拠はまだいくらもある。大陸における日本軍隊の違法行為に手を焼いた陸軍当局は、「戦陣訓」という、
こまごまとした、戦場における教訓集を全陸軍軍人に配布したのだが、そこにも国際法という字はもとより、
国際慣習といった用語さえ全く見られない。逆に戦争体験記には、連隊長や大隊長の命令・訓示の中に、
「虐殺・強奪・放火・強姦・暴行の如き不法行為の禁止」といった注意がしばしば発せられているのだ。

 「万邦無比の神国」(日本は世界で比べることもできない立派な国・神の国)といった、昭和の軍隊教育、
国民教育の結果が、独りよがりの極地に達し、外国や外国人に対する配慮を全く失わせたのである。これは
文部省が編集刊行した『国体の本義』、及びその姉妹編『臣民の道』という、戦争中は『教育勅語』よりも
国民道徳の基本的教科書のような地位にあった書物に、「国家や民族を超越した抽象的世界を排撃する」
と明記されている。ということは、日本国からは、人道とか人類愛は追放されたのであって、国際法無視は
当然の結果というべきであろう。

 略奪は必然  理屈っぽいことはこのくらいにして、次に具体的な事実について述べれば、
農業生産がろくに行なわれていない太平洋の孤島での戦闘だけでなく、中国戦線を含め、日本軍の戦没者のうち、
餓死(これに準ずるものを含む)は50%余、最高70%と推定する人もいる。日本軍は東南アジアから太平洋、
更にはインド洋にわたる広大な海域の諸島、あるいは大陸の戦線に食糧を送る能力に欠け、前線の部隊に
対して、しばしば“現地自活”を命令していたのだが、戦闘しながら広い農地を耕すなどということはできる
はずはないし、食糧も運んでくれないのに、燃料を補給することはありえない。日本兵はそこらの農家に押し入り、
又は畑から穀物はじめ、食べられそうなものは片端から奪って、家屋の柱や屋根を叩きこわし燃料とするより
他はなかったのである。こんな条件の下におかれた軍隊は、戦うためには、まず生きるための略奪から
始めなければならないのは当然過ぎる話である。

430 :農NAME:2007/01/01(月) 23:14:53
日の丸、君が代、愛国心=敵国心→戦争。
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1145886359/

「アジアの中の日本軍」を読んで、この南京大虐殺の特徴がやっとわかった。
日本軍は南京自体を実質的に封鎖し、外部からの連絡を絶ち、占領が3ヶ月も続いた。
その中で、日本軍は、継続的に、非戦闘員の、女性、老女、少女にたいして、その年齢に関係なく、
無差別に強姦、殺人をやってたんだよ(涙)。
戦争中の強姦自体は、これは、米軍も、ソ連軍もやったことで、不思議なことではない。
問題は、日本軍は、強姦したあとで、その女性を殺していた。
その強姦自体も、変態的なセックスだったんだよ。
あまりに恥ずかしいので誰もはっきりとは言ってないが、「変態セックスの強要、強姦、輪姦、のあとで犠牲者の
女性を虐殺する」、これが、南京事件の特徴なわけだ。




431 :農NAME:2007/01/01(月) 23:15:50
 アルジェリアの民族解放戦線が有していた高いモラルとは較べるべくもないが、今回の暴動にも、
一定の節度があるように感じられる。これだけ多くの車や建物が放火されているのに、死者はたった1人だ。
暴動がエスカレートした中で、統制する指導者などいないにもかかわらず、暴動に参加する若者たちには、
「人は殺さない」という最低限の配慮はあるのではないか。彼らは絶望しきっているわけではない。わたしはここに希望を見出したい。
 今回の暴動は、日本にとってもいつまでも対岸の火事ではあり続けないだろう。日本にもすでに少なからぬ外国人
労働者が住んでいるし、政府はFTAによるフィリピン人労働者の新たな受け入れを決めた。
 この事態にわたしたち日本の労働者はどう対処すべきか。資本主義体制を打倒しなければ根本的には解決しないが、
そんな空念仏を唱えていてもはじまらない。ショボくても現実にできることから始めなければならない。
 アジア人民が移民にならずとも自国で充分な収入を得られるよう、フェアトレードなどを通じて支援する。
いっぽうすでに日本で定住している人たちに対しては、少しでも彼らが人間らしい暮らしをおくれるよう、
あたりまえの隣人として受け入れる努力をしなければならない。排外主義的な風潮には、声を大にして反論していこうと思う。
 残念ながらあまり冴えた策は思いつかない。そう簡単には解決しない、重い問題だ。

432 :農NAME:2007/01/01(月) 23:16:40
それは北朝鮮と友好的に拉致問題を解決するつもりが毛頭ないから。
それは拉致問題がアメリカと北朝鮮との戦争の副産物だからと知っているから。
それは日本がやった朝鮮人強制連行を帳消しにする格好の材料として拉致問題を
使いたいから。
それは横田恵を救いたとは思っていないから。
それはイラク戦争をするブッシュ政権の人道犯罪を何とも思っていないから。
いやむしろ死んでしまった娘をだしにして、日米同盟を強化して、日本を戦争の
出来る国にするために。

おぞましい横田夫妻の訪米と、それを大宣伝するNHKは、まさに日本を戦争の
道へといざなうプロパガンダそのものだと思います。
まさに「華氏911」でマイケルムーアが指摘した、恐怖の扇動による民衆支配
の日本版が、
北朝鮮による拉致事件だということだと思います。

このようなプロパガンダを行うNHKに受信料を払う義務などないのです。


433 :農NAME:2007/01/01(月) 23:17:37
 ソ連の満州侵攻で、関東軍兵士のことはどうでもいいが、その家族や民間居留民がどれ程犠牲に
なったことか、このことも高過ぎる代償ではあったが、日本はソ連が日本との間に締結していた
中立条約の一方的破棄という卑劣のみを言い立てている。日本はロシア革命の直後の1918(大正7)年
に革命への干渉を目的にイギリスやアメリカと共謀してシベリアに出兵し、米英などの撤退後も、
今で言う単独行動でシベリアに居座り、その挙句に黒竜江河口の要衝尼港(にこう)で日本守備隊と
居留民がバルチザン軍の攻撃を受けた「尼港事件」と、捕虜となった居留民と将兵130人余がバルチザン軍
の撤退に合わせて殺害された事態を口実としたその後の北樺太の保障占領といった一部始終は、
革命側にいい勉強≠させた忘れられない出来事であり、その勉強がソ連の満州侵攻に反映されて
いなかったとは完全には言い切れまい。歴史は主役を代えて25年後に繰返したのである。

434 :農NAME:2007/01/01(月) 23:18:19
 なぜあのような戦争になったのか。なぜあのような残虐行為ができたのか。虐殺・虐待、人体実験等々――
少なくとも日本人自身が自らが起こした戦争と戦争行為に対して、日本人自らが裁くことはしなかった。
日本人自らが検証することはしなかった。

 東京裁判がなかったなら、果たして戦争責任を追及する日本人自身の手による法廷を設置しただろうか。
戦争を検証するための何らかの機会を設けただろうか。一切設けはしなかっただろう。そのことの証明に、
「歴史家の判断を待つ」、あるいは歴史の問題は後世の学問に委ねると言うばかりである先延ばしを当てることができる。

 ドイツは連合国によるニュルンベルク裁判と被占領地域に於ける各占領国による裁判以外に、ドイツ自らが
各種戦争裁判を設けて、戦争犯罪者を裁き、教育その他を通じて、戦争の検証・総括を行っている。 

 極東軍事裁判を不当とする議論はあっても、そういった議論をする側から、日本人自身の手で検証しよう、
検証すべきだと主張する意見は存在しない。このことは戦争≠検証の対象とはしていないからに他ならない。
対象とはしないと言うことは、間違った戦争ではない見ているからだろう。警察が取調べの対象に犯罪
の容疑がないと見ている人間を除くのと同じ構図である。そこから、『時時刻刻』の見出しにある
「『侵略』には留保も」という認識が出てくる。


435 :農NAME:2007/01/01(月) 23:20:37
 言論の自由に対する過酷な弾圧。生徒が教師を密告し、天皇陛下の「て」という言葉が
聞こえたとたん、直立不動にならなければいけない社会・・・。息子が戦死しても、「靖国の母」として、
人前では泣くことも許されなかったのです。異性と仲良くしても、ジャズを聴いても非国民。もちろん、
戦争に反対することは拷問と死を意味しました。

 そして何より凄まじかったのは、軍隊における異常ないじめと虐待。日本軍はサディズムの世界でした。
何の理由も意味もなく、上官から毎日殴られ蹴られるところでした。実戦の方がまだマシなぐらいで、
いざ戦闘が始まると、敵ではなく上官を撃つ兵士がたくさんいたのです。日本軍兵士がアジア各地で
繰り広げた残虐行為は、そういった日頃のうっぷんを晴らすものでもあったわけです。

 「嘘だ?!」という方は、「真空地帯」や「人間の条件」、「暁に祈る」といった映画を観てみてください。黒澤明の
「我が青春に悔いなし」もオススメです(いずれもビデオかDVDあり)。軍国主義から解放された日本人が、
どんな思いで戦争を振り返ったか。そこには、元兵士の多くが口を閉ざして語らなかった、日本軍内部の
凄まじい実態が描かれていました。

 多くの日本人はようやく知ったのです。「天皇の赤子」「アジアの解放」という美名の下に、何が
行なわれていたか。「あんない辛い思いをしたのに加害者だったなんて・・・・」。この無念さが、
日本人の複雑な精神構造を作り上げました。この点は韓国や中国の人には、なかなか理解できないかもしれませんね。


436 :農NAME:2007/01/01(月) 23:25:27
 全く論外と言うほかない。そもそも,敗戦国である日本が国連安全保障理事会
へ常任理事国入りしようと野望を持つこと事態がおかしい。国連を中国語訳すると「連合国」となる。
つまり,日本・ドイツ・イタリアのファシズム連合国を抹殺することを目的に作られたのが,国連のもともと
の意味なのである。そう考えれば,ドイツやイタリアと異なり,周辺諸国へ正式の謝罪をしていない
日本が国連の中で活動するには,多額の寄付金を国連へ貢ぐ必要がある。日本が国連の
活動資金のかなりの部分を受け持っていても,非常任理事国にしかなれないのは,以上のような
背景があるのだ。つまり,東アジアの島国に過ぎない日本がでかいツラをするのは,国際社会から
見れば余りに図々しい態度に映るのである。


ほんとうに謝るということは、ただ頭を下げることではないのではないでしょうか。
当たり前のことですがたんに言葉で、うわべだけ謝るのではなくて態度で示すことではないでしょうか。
戦後責任を果たすということは、訴えている人たちに対して、少なくとも真摯に応答することなのではないでしょうか。
「毎年、命日に来ては詫を繰り返し、線香の一つもあげてもらいたい」というのよりも、実は同じ過ちを国家として
個人として繰り返さないように実行することがなによりなのではないでしょうか。
加害も被害もあったことをあったこととして理解することは大事だ。
わたしも、庶民の加害体験を受け継ぐことは大事だと思う。

とくにお薦めなのが季刊「中帰連」だ。加害体験を超えて平和思想までも視野に入れている。
右翼がこれを見たら必ず反論してくるだろうが、あえて書くことにする。

437 :農NAME:2007/01/02(火) 00:03:45
実態は極右政治集団の救う会に利用されているとはいえ、拉致問題の平和的解決
を拒否し政治利用に積極的に担がれているわけですから、その責任は重大です。
極右集団に振り回されている現在の国内の政治状況を考えれば、我々一般の市民
が彼らの被害者であるといえます。北朝鮮による犯罪の被害者の家族とはいえ、
主張からはすでに政治集団です。過剰な遠慮は間違いだと思います。

北朝鮮にとっても国家犯罪である拉致問題は重荷であるはず、できることなら清
算をしたいと望んでいるのは、小泉首相の訪朝によって拉致を認め謝罪と帰国を
したことで明らかです。しかし、救う会(現代コリアが主体)と家族会はそれを
阻止しようと激しく批判しました。これまで拉致問題が解決に進んだのは平和的
な交渉の時だけです。救う会と家族会は拉致問題解決に次から次へとハードルを
高くするだけでやっていることは解決とは逆です。拉致問題を北朝鮮の戦争の相
手である米国に渡すことは、北朝鮮が絶対妥協できない相手に渡すことでしょう。
横田さきえさんは、めぐみさんが生きていると信じているのなら、北朝鮮でど
ういう状況で生活しているのか想像できないのでしょうか。

救う会の中心的存在である現代コリアは、南京大虐殺も731部隊も皇軍性奴隷制度
の存在も否定しています。http://ime.st/www.modern-korea.net/column/sonota/sonzai.html
 こういう団体が北朝鮮に対して「人権批判」するなどとは笑わせます。北朝鮮
に一番近い人物、集団こそ拉致問題に群がっている連中でしょう。

「ふざけるな!拉致議連、救う会、家族会」
http://ime.st/messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835563&tid=
a4ua46a41a4ka4ja1aaygcw5doa2a1a25dfa4a62qa1a22hb22q&sid=1835563&mid=1&type=date&first=1

438 :農NAME:2007/01/02(火) 00:04:37
日本の疲弊した農村や都市部から集められ、戦線に送られた多くの兵士たちは、中国の戦野で人を殺したり、
殺されたりすることを余儀なくされ、「露営」という言葉どおり、厳寒の野原や、ぬかるんだ沼地に軍服のまま時
にはテントも寝袋もなく寝て、まるで虫のように死んでいったのだろう。

戦線の兵たちの姿を映し出したモノクロのフィルムと、「露営の歌」の歌詞とメロディに触れたとき、ぼくは自分
のなかに沸きあがってくる熱い感情があるのを、認めざるをえなかった。

あの戦争が正しかろうと間違っていようと、この人たち(男たち)はここで戦って死んでいったのであり、そこにある
「真実」はいかなる倫理によっても否定されることはない。たとえそれが、「虫」のような生と死であっても。

いや、この兵士たちは「虫」なのだ。虫であるからこそ、この死者たちが担わされている「国のために」という思想は強い。

それは、彼らの生と死を利用しようとする、国家やテーマパーク(資本、外資)の思想より、はるかに強いだろう。



だが、この時代に「虫」のように死んでいったのは、この兵士たちばかりではないはずだ。

東北の農村で死んでいった多くの餓死者の死や、不況下でスラムや地方の飯場に送られて命を落とした貧しい人たち、
また東京大空襲や沖縄戦で死んだ一般市民たちの死を、靖国や遊就館は弔えない。まして、日本の植民地統治下で
死んでいった朝鮮の農民たちや、戦時中徴用や連行で日本に来て過酷な労働を強いられ、今も日本中の土のなか
に埋められたままになっている朝鮮人たちの死を、弔いはしないのである。

靖国や遊就館が行っているのは、結局のところ、無数の無名の死を区分し選別し、利用可能なものだけを現在の国
や支配体制の論理にあわせて都合よく価値付け(加工)して用いている、ということだろう。戦場で死んでいった多くの
無名の人々の死も、そこでは権力にとって利用可能なものとしてしか扱われない。

439 :農NAME:2007/01/02(火) 00:05:12
 どれほど多くの人々が日本という異国の地で、肉親や兄弟、姉妹のことを思い、望郷の念にかき乱されながら、
死んでいったことだろうか、その遺族の苦しみに思いを馳せるとき、Sさんは、「第二次世界大戦はいまだ終わって
いません。38度線は今も続いています。日本が世界の人々から真に友人として認められようとするなら、
歴史に頬かむりをしてはいけない。現実に起こったことをありのままに認め、謝罪しなければならない。
アジアの20億の民衆を傲慢に睥睨し続けるかぎり、アジアは絶対に日本を許さないでしょう。戦争はまだ続いているのです」と話した。

 私が長い間抱えてきた疑問は、「アイゴーチョゴッタ」の意をようやく理解できたことで解決した反面、「苦しい、
死ぬ」と叫びながら日本人に鞭打たれていた隣国の方々を思うと、さらに重苦しい記憶として蘇った。

 私は、アジアの同志に訴えたい。第二次世界大戦中の、隣国に対する蛮行を、真摯に反省、謝罪しない
日本国に住み暮らすかぎり、私の中でもあの戦争は未解決のままだ。

 現在、川辺川ダム反対運動に奔走する毎日だが、この運動に深く関われば関わるほどに、日本という国が、
いかに簡単に個人の生命、権利を蹂躙する国家であるかを、60年前の記憶とダブらせて、考えずにはいられない。

 60年前の、この国の仕打ちを目の当たりにした、あの記憶を新たに、これ以上、この国の愚かな指導者の
エゴによって、人の命、権利、また、かけがえのない環境というものを、脅かされることのないよう、終生、
川辺川ダム建設を阻止するための決意を深くしている。

440 :農NAME:2007/01/02(火) 00:05:59
日本の敗戦は、朝鮮の人々にとって「解放」を意味していました。1910年以来3
6年の日本の植民地支配から、ようやく朝鮮の民衆は自由と独立をつかむときがきたは
ずでした。日本の支配層と民衆は、その侵略の被害者であるアジアの民衆によって裁か
れ、根底的な自己批判を行う契機を与えられたはずでした。しかしそれをアメリカも、
日本政府も、ソ連すらも許さず、日本の民衆の朝鮮人蔑視は、そのまま天皇制とともに
日本の民衆を支配する道具として利用されたのでした。


日本と朝鮮の「国交正常化」の最大のテーマは、第一に日本の植民地支配責任の追求
であり、朝鮮戦争への加担の責任です。戦争は終わったといわれていますが、日本が本
当の戦争責任を果たすまでは、日本と朝鮮の間の戦争はいまだ終わっていません。すな
わち日本が強制連行、戦争動員、軍隊慰安婦の責任に対する真相究明、国家謝罪、国家
補償、責任者処罰、事実の教育への反映させるまで、いや朝鮮民衆が主体的な統一国家
を樹立するまで、戦争は終わっていないのです。しかし日本政府はこの責任を果たすこ
とを拒否し、アメリカと同盟を組んで南北分断に竿を差し、北朝鮮への軍事的圧力をか
。。、けてきましたむしろ南北分断体制こそが日本の戦後発展の条件だったのですだから
北朝鮮との国交がなかったのです。

441 :農NAME:2007/01/02(火) 00:07:34
「中国を侵略したのは日本だけでなく西洋列強も同様のはずだ。中国人は西洋諸国の侵略は責めないのに
日本の侵略だけは厳しく非難するが、これは不公平な態度ではないか」と主張する人が時々いますが、
私に言わせれば何もわかっていないか、もしくはわかっていないふりをしているだけだと思います。もちろん
露、仏、英国等も中国を侵略したのは事実ですが、それら西洋列強諸国と旧日本軍との決定的な違いは…殺し、
の違いです。旧日本軍は民間人も含めた無茶苦茶な虐殺を無数に繰り返したために、その負の記憶が今も
中国人の心に深く刻まれているのです。上記の日本の老人と同年輩の中国人の多くは、旧日本軍によって
自身や身近な人が酷い目に遭わされた経験を味わっています。人の感情として、
そのような最悪の経験を忘れられるはずがないではありませんか。


アジアの人々は言った

日本の兵隊たちが私たちの父や母に残した印象は決してよくはありません。
怖い、恐ろしい野蛮な人とうつりました。いまでもその時代を経験したチンの人たちは
日本人を恐れています。そうした気持ちは私たちの世代にも受け継がれています。



442 :農NAME:2007/01/02(火) 00:08:19
さて、こうして日本の支配下となったマリアナ諸島は、製糖業の一大拠点として「開発」され「発展」していく。
労働力は、沖縄人や日本の没落農民を中心とした移民であった。チャモロ人は、その移民の下位の労働力
として従属を余儀なくされる。サイパンやテニアン島の本格的「開拓」も進められた。占領当時、南洋諸島すべて
でも80人ほどだった日本人の人口は、「開発」によってどんどん増えた。サイパン島を例にとれば、1923年に
原住民3,398人に対して日本人3,764人だったが、移住ピーク時の1940年には原住民3,765人に対して
日本人25,309人となっている。日本の帝国主義的南進政策に便乗して砂糖工場を起こし大儲けをした
政商松江春治は、自身の銅像までぶったてる。それが今でもサイパン公園に立っているそうだが、われわれは見ていない。
 太平洋戦争が始まると、マリアナ諸島は日本にとって重要な戦略拠点となり、住人はひたすら戦争奉仕のため
に労働にかり出される。原住民は、日本軍将兵の食料生産のために強制労働させられるが、日本人民間在住者も
軍にとっては貴重な労働力であった。
 当時、サイパン島を含むマリアナ諸島は、日本の「絶対国防圏」である。つまり、ここを占領されれば、
日本の敗戦が決定的になる。
 北マリアナ戦の結果は、みなさんがご存知のように、戦略と戦術と兵力と武力の欠落した日本軍は、
一般人を大量に巻き込んで大敗。かくして北マリアナ諸島は米国領となり現在に至る。
http://ime.st/sound.jp/tengaku/Essay/Saipan.html
この旅行のあと、サイパンのことを知るために図書館にいったが、
まともな本はないのですね。かわりに、これまで、ぼっーとしか分からなかった太平洋戦争の
本をかなり読みました。当時の日本軍というのは、情けないくらい戦略がなく、戦術の工夫もなく、
いたずらに人命を浪費したことがよく分かりました。現在の日本においても、
どこか根本的な部分で当時と同じ精神性を感じます。


443 :農NAME:2007/01/02(火) 00:08:59
わが国の人権状況を調べるために、日本人が来るという。それぞれの国にはそれぞれの事情がある。
人権についても考え方はさまざまだ。わざわざ外国人が自分勝手な基準をおしつけて
他国の人権についてくちばしをはさむことはおかしい。まして人権、人権と騒いでいる国にその資格はあるのか。
歴史をふりかえってみよ。ほとんどが植民地支配を私宅にではないか。彼らは植民地の人々の
人権を踏みにじったのではないか。いまになってえらそうに人権尊重などと言えた義理か。
 まして、日本。日本が日帝植民地時代にわがくににしたことを思い起こしてみよ。国土を蹂躙し、
人命を奪い、資源を根こそ持ち去ったのではないか。


444 :農NAME:2007/01/02(火) 00:10:02
ガアヤンとその周辺の人たち・・・
 兵隊は厳しく怖かった。マープには岡山の兵隊が多くいた。ルムング島(今でも外国人が勝手に出入りできない島)に
はりっぱな軍医がいた。その人の関係なら、日本人でも島に入れる。日本時代はなつかしい、という気持ちがある。
相撲もしたし歌も歌った。日本は農業と教育を持ってきた。日本時代は社会がきちんとしていた。

ヘンリー ファラン、40歳代・・・
 よく知らない。母や年上の人たちが言うには、日本がヤップを統治していた時は、「残酷」とは言わないが
ヤップ人達に相当厳しい姿勢を取っていた。苦しいつらい時代だったと聞く。兵隊の言うことは何であれ
服従しなければならなかった。とにかく労働し、働かされた。
 ただ、今振り返ると、労働の価値も学んだ。生きることは厳しく、生きるためには働くものだ。自分を含めた
若い世代は、先人達が必死に築いた上にぬくぬくしているだけで、何も貢献せずに生きていけると思っていると責められる。

 自分の村に、「マサモト」という兵士がいた。もう死んだはずだが、彼が村人といい関係を築いた。ヤップ人を
虐待したりせずに食料を作らせ、「ハイキュウ」と交換するやり方をした。「ハイキュウ」にはビスケットがあったりして、
村人は好きだったようだ。ただ、他のほとんどの村はいい関係を保っていなかったはずだ。

 日本兵は食べられるものを知ると、カニでもコプラでも何でも取り尽くした。小さな島だから、次が成長するのも
待たずにあっというまに食べ物がなくなった。島中が食料難に苦しんだ。日本兵はヤップの人たちの食べ物を強奪したり盗んだりした。

 自分の村はそれほど日本人による体験がひどくなかったから幸運だった。少なくとも母は、日本人を憎めと自分に教えなかった。
http://www.ecoclub.org/micronesia/mrep/topic006.html

445 :農NAME:2007/01/02(火) 00:34:01
先に紹介した「ビルマ反乱軍からの脱出」の著者、武田裕さんの体験ですが、
その作品の中から少々抜粋してみます。

◎15年戦争が侵略であるのを知り、私は反戦を固く誓った。
◎大変な被害であるのに、日本軍は全く記録を残していない。
 たかが反乱軍に千人もの兵士を殺戮されたのを恥として隠したのなら、
 敗戦の反省もない傲慢である。
◎昔の仲間に慰霊の旅でビルマへ行こうと誘われたが断った。敵弾によらず
 無意味に非業の死(病死や餓死)を遂げた仲間の怨念が、満ち溢れている
 と思うと怖いのである。

武田さんの戦争体験の根底にあるのは、
◎後方支援(食糧・武器・薬)のなかった皇軍に対する恨み
◎目の前で餓死してゆく仲間たちへ、自分だけ生き延びたという悔悟
◎終戦を3ヶ月後に知らされた無念
など、戦後55年を経てもなお複雑な胸中であることが、その文章から
推察できます。

飢えて死ぬ兵士に倫理観などありません。現地ビルマ人から強奪し、
死にかけた仲間のポケットを探り、白骨化した遺体から靴や服を剥ぎ、
敵味方の別なく殺してその人肉を喰らう者もあったことでしょう。
現実の戦争なんて、我々戦争を知らない世代が空想するような、
甘っちょろいもんじゃあねぇぞ・・・と前述の著作ではあざ笑っている
ように思えてなりません。その文中に確か、「空腹と飢餓は根本的に違う」
と記されていたように記憶しています。そう言われてみると、我々には
空腹感はありますが、飢餓感は体験したことがありません。


446 :農NAME:2007/01/02(火) 00:35:12
高砂義勇隊は「捜査隊」「工作隊」「猛虎挺身隊」など100人ほどの独立部隊とされて、撤退を続ける
日軍を援護して、米豪軍地に潜入して奇襲をかけ、遊撃戦を展開し、敵陣地撃破をなし、一方では食糧以下
全て現地調達となるので現地人の宣撫工作も兼ねた。昭和18年9月には優勢なる米豪連合軍は「蛙飛び作戦」
を開始した。日本からの一切の輸送は止断えた。昭和19年2月、ラバウル基地は壊滅し、13万が戦死した。
第7回高砂義勇隊800人は昭和19年初戦地に着いた。ブヌン族加藤直一は島々を阿転々としてから最後
にニューギニアに送られ、飢餓地獄を味わされた(30)。林えいだい『証言高砂義勇隊』の訪問記録は、
白豚(白人)、紅豚(黄色人種)、黒豚(現地人)、メンチ(日本人)などの人肉を食べるしかない日本兵の
置かれた悲惨さを証言している。昭和20年10月大本営は「捷一号作戦」のフィリピン決戦に賭けたが、
レイテ沖海戦では海軍神風特攻隊が発動した。昭和18年11月に編成された高砂義勇隊500人のうち第一中隊
140人は、薫空挺隊としてレイテ戦に出動して一人の帰還者もなく消え去った。
http://www.japanresearch.org.tw/japan/history-05.htm

まさに鬼畜の所業ですが、残念ながらこのような例は枚挙に暇がありません。嘘だと思うなら見に
来ればいいと思います。『つくる会』などの右翼連中はなぜ中国に来てこの目で確かめようとしないのでしょう。
例えば延辺大学の教授達と公開論争の場を設け、「虐殺の証拠と称するものはあなた達が捏造したのに違いない」
と堂々と反論しないのでしょうか。なぜ日本国内でだけ活動して、朝日新聞や日教組など彼らの呼ぶ
“反日左翼陣営”を攻撃することに汲々としているのでしょう。中国人は朝日新聞など読まないのですがね(苦笑)。
延辺の学生達はこれらの事実について授業で学習するわけですが(これほど直截的ではないでしょうが)、
果たしてそれは“反日”教育なのでしょうか。彼らにとっては自分達の暮らす地域の郷土史であり、
民族史の学習に他なりません。日本の子ども達は原爆の惨状について習わないのでしょうか?

447 :農NAME:2007/01/02(火) 00:36:13
「多くの日本人は私の本を誤解しています。東京裁判には過ちがあり、欠点の多い裁判でしたが、
私は、日本の戦前の政策を免責したり、弁護したりするつもりはない。法的には無罪であっても、
歴史的な責任の問題は残っている。ただし、あのような裁判で裁こうとしたことは間違いだったというのが
私の主張です。どんな文脈で言われているかを理解することが大切です」


・・・・いまの世の中が乱れているせいだろうか、あろうことか、釈尊ゆかりの聖地ジュエダゴンパゴダ
〔ヤンゴンにあるもっとも有名な、また人びとの尊崇の対象である金色のパゴダ。仏髪や仏歯などの
釈迦の遺品がまつられていると信じられている〕にピルー〔鬼、あるいは天の邪鬼〕が住みついた。
鬼は仏の教えにちゃちゃをいれ、参詣に来る善男善女の邪魔をするようになった。
 僧侶や檀家衆がどこかほかの場所へ行ってくれるように説得したが、鬼はいっかなききいれない。
つぎに軍人が出てきた。武器をちらつかせて鬼に退去を迫る。「俺は撃たれたって大丈夫さ、撃つならどうぞ」
鬼は平然として動かない。
 人びとが困りはてているときに、一人の若い少女があらわれた。彼女は鬼に近づき、耳元に
なにごとかささやいた。そのとたん、鬼はあわてふためき、雲を霞と一目散に逃げ出した。
まわりの人は胸を撫で下ろした。それにしてもどうして鬼は逃げたのだろう。
ふしぎに思った人びとが、いったいなんていったのと女性にきいた。
 「別にたいしたことじゃないわよ。私、鬼に教えてあげたの。ここにいると勤労奉仕に連れて行かれるよって」

この小話は、1996年2月のある土曜日に、週末恒例の対話集会で、アウンサンスーチー宅に集まった人びと
の前で、アウンサンスーチーの隣にたったチーマウン国民民主連盟副議長が披露して、大うけにうけたという。


448 :農NAME:2007/01/02(火) 00:38:25
よみがえる利権〜「法律の定めるところにより」という「逃げ口上」  
http://takeyama.jugem.cc/?eid=513

花岡事件は、かつて日本が犯した膨大な人道に対する罪の全体から見ればほんの一断片にしかすぎませんが、
この事件一つとっても、1000人近い人間を拉致・連行し、地獄のような労働収容所でわずか1〜2年の間にその
半数近くを殺してしまったわけです。戦後、米軍が生存者から供述書をとっている間にも、衰弱した被害者たち
が次々に死んでいくという悲惨な有様だったそうです。
 この国では、こうした自分たちによる加害事実は忘れられ、しかしこのわずか一事件にすら満たない北朝鮮による
拉致などの被害は記憶されて、歪んだ被害者意識と憎悪が蓄積されていくのですね。。

[AML 7004] 生きるがために裏切った人々
http://asyura2.com/0601/asia4/msg/383.html

 町村大臣がドイツの戦争責任について「全部ナチスのせいにすることができた、日本はそういうことはできない」
とドイツの戦争責任はナチスに逃げ場があるような発言をしたね、これは戦後ドイツの戦争責任を果たしてきた経緯を
知らないんじゃないの、と反発したくなる。日本だって「あれは戦前の軍国主義の政府のやったこと、
戦争責任者は処刑されている、賠償に代わるお金も出した、もうええやろ」と考えているのと違う?

449 :農NAME:2007/01/02(火) 00:39:26
日本政府の反人権政策の故に貧しい生活を余儀なくされている多くの被害者たちは、国民基金が
日本政府の責任逃亡機関であることを知っています。ある被害女性はわたしに次のように言ったことがあります。
「国民基金はわたし達を飢えた馬のように見ているようだ。目の前にぶら下げられたトウモロコシを腹のすいた
インドネシア被害者たちは喰らいつくに決まっているとでも思っているのでしょう」と。けれども、このような夫人
ばかりではなりません。韓国や台湾の被害者達とは異なって、自国の政府の支援を置けることの出来ない
彼女たちの間には、貧しさの故に、屈辱をしのんでも、「償い金」を欲しいと思うひともいるのです。

この彼女たちのジレンマを理解することが彼女たちのと連帯の出発点でもあります。わたしの知る限りVAWW−NET
Japanはその連帯から出発したのだと思います。「償い金」の出所がどこであれ「償い金」を受けたいと希望するの
を妨害する権利はわたしにもあなたにもありません。だからこの事件は本当に残念な事件であったと思います。
こうして、国民基金はその財力に物を言わせて、被害女性たちの運動に分裂をもたらすのです。
この事件を聞いたわたしの知る良心ある日本人はみな、日本の市民運動の貧しさと弱さを知らされて
打ちのめされ、黙したのです。支援者が自らの口を「封印した」のであって、「被害者の意志が
封印された」のではありません。


450 :農NAME:2007/01/02(火) 00:40:25
 「小学校に入り直せ」というのは、なかなかすごい発言だ。日本の歴史修正主義者の無知を見抜いている。
 東南アジア諸国の独立は日本のおかげだという荒唐無稽な論理が日本ではまかりとおっている。とくにインドネシアに
ついてそう言われることが多い。インドネシアは日本の全面降伏後に、再び侵入してきたオランダなど連合国軍と四年
も戦って独立した。日本の元兵士約二○○○人が参加したが、すべて日本軍からは「脱走兵」として扱われた人たちだ。
日本の軍人軍属は、独立闘争の青年たちには武器を渡さないという誓約をして、安全に帰国することを許された。
日本の「国体」(天皇制)も存続が許されたのだ。
インドネシアの歴史を勉強すれば、分かることだが、一部の漫画家、歴史「研究者」、元日本軍兵士らによる
大うその本や映画しか読まない若者はだまされてしまう。

インドネシアではいま、アチェ州におけるインドネシア国軍の人権侵害をめぐって国軍の退役・現役将軍たちが
国会で尋問され始めた。女性に対する国軍兵士の性暴力には、50余年前の日本軍の性暴力の実態と
奇妙な並行関係がある。B.ムルダニ、S.ハミド、T.ストゥリスノ、ハルトノ、F.タンジュン、ウィラントなど、
かつての国軍のスターたちの地に落ちた姿には痛ましいものがあるが、本人たちは自覚していないようだ。
新政府の高等検察庁はこれらの権力者を裁くことに及び腰だが、民衆の主張は一貫している。
人権活動家ヨピ氏は筆者に次のように語った。「日本軍は如何に戦争するかを教えてくれたが、
その戦争の責任を如何にとるかを教えてくれなかった」。日本の「戦争責任学」の欠如は多くのアジア民衆
を悩ましているが、インドネシア社会と民衆の間には静かながらも新しい息吹が吹き始めている。

451 :農NAME:2007/01/02(火) 12:44:12
日本はアジア民衆を欧米人以下に蔑視していたため、国際法の認識にかかわらずかれらは
残虐行為の対象にされた。また欧米秩序への反発は自由や民主主義、人権、国際法などの価値の否定となり、
捕虜になることは恥ずべきこととされた。天皇のために命を捧げることを最高の名誉と考える思想が徹底して国民
に叩き込まれた。捕虜虐待はそうした意識の反映でもあった。日本軍では特に兵士は人間的な感情を捨てて
殺人マシーンになるよう訓練された。下士官兵の間では上級者によるビンタ、暴行は日常的におこなわれ、
非合理な暴力に耐えることが求められた。新兵は捕まえた現地人を銃剣で刺し殺す儀式を通じて、
兵士として一人前になっていった。非人間化された日本軍兵士の暴力は民衆や捕虜に対してより一層ひどく示された。

独立運動のインド国民軍が東条らに利用され、日本軍のインド侵略で最悪作戦と言われる地獄のインパール戦場で
多くの犠牲者を出した事実もある。

452 :農NAME:2007/01/02(火) 12:45:38
 その朝鮮植民地支配の総括と清算を、日本政府は一貫し怠避している。それだけに『戦ふ朝鮮』は、
出版の意図は別として、侵略戦争史の原点である朝鮮植民地支配の終末状況を記録した歴史資料の一つと言える。
むろん中身は天皇の名代として朝鮮に君臨した朝鮮総督府の支配者の視点に立ったもので、総督府施策の成果を喧伝する
模範現場や提供写真で埋められ、強制連行や従軍慰安婦など朝鮮人の苦難に満ちた日帝支配の実相は伝えていない。しかし、
注意深く見ると、朝鮮総督府が如何に総力あげて朝鮮の人的、物的資源を狩り集め、戦争に投入したか、
根こそぎの植民地収奪の一端を窺い知る事ができる。


 日帝時代最大の抗日民衆蜂起であった三・一独立運動(1919年)86周年の今年3月1日の記念式典演説で、
盧武鉉韓国大統領は日韓関係に触れ、両国関係発展のためには「過去の真実究明への日本政府と日本国民の真摯な
努力と反省、心からの謝罪、必要ならば賠償」が必要であると語った。歴史責任を曖昧にしたままの現在の狎れ合い
日韓関係との訣別の覚悟を秘めた宣言であった。

 この演説を日本政府は「国内向けだろう」と冷評し、マスメディアは社説や解説等で足並みを揃えて不快感を露にした。
読者の判断材料となる演説の全文を掲載した新聞は一紙も無く、盧演説を正面から受け止める姿勢は皆無だった。
歴史認識を欠いたこのような日本側の対応が、その後の島根県議会での「竹島の日」条例制定や歴史教科書検定問題で、
韓国政府・国民の強い反発を呼び、政府間関係緊張の事態を招いた。当然であろう。

 盧韓国大統領の懸念を待つまでもない。現在の日本は、歴史への無知と歪曲、厚顔無恥が公然と罷り通る危険水域に
踏み込んでいる。日の丸・君が代の教育現場での強制と制裁、憲法九条に反し詭弁を弄しての自衛隊のイラク派兵、
靖国神社への首相参拝、閣僚放言の頻発等々。『戦ふ朝鮮』の時代は終わっていない。むしろ、あの時代への回帰志向
が主流をなしてきた観さえある。


453 :農NAME:2007/01/02(火) 12:47:49
特攻隊員は自分の人生を選んでいない。それはもう最後の最後まで「選択」などしていない。「差し出された
選択肢を受け入れるか受け入れないか」と迷うふりをしていただけだ。そもそも大日本帝国海軍が特攻隊員に行ったのは、
奇術でいうところの「フォース」、つまり「相手にこちらの思うとおりのカードを引かせる心理的トリック」であって、
実のところ隊員たちに選択肢など存在していなかったともいえる。若者が強制的にババをひかされる姿がそんなに美しいかと。

・・・この「選択肢の不合理な限定」と「選択の放棄」こそ、おそらくは今もなお青年を自縄自縛に追い込んでいる「病」
じゃないのか。

5/5の埼玉新聞によると、「愛国主義と他国に対する憎しみを助長する偏狭なナショナリズムは異なる」と述べたという。
創氏改名は朝鮮人が望んだとか「他国に対する憎しみを助長する」ようなたわ言を吐いてるのは麻生自身ですが?
馬鹿右翼のの頭の中こそ、「偏狭なナショナリズム」で満ちている。

454 :農NAME:2007/01/02(火) 12:49:30
警視庁幹部に栄転していた、北朝鮮提供の横田めぐみさん遺骨鑑定講師
●米科学雑誌『ネイチャー』が遺骨がニセモノという科学的根拠はないと報道
http://straydog.way-nifty. com/yamaokashunsuke/2005/05/post_30e3.html

日本政府は東アジアの国々との対立を煽って憲法九条を変えるのが狙いかもしれません。
もしかしたらアメリカの命令かもしれませんけど。


【重要】上海領事館員の自殺、人民日報が反論「遺書は怪しい」 (遺書は永田メール並に信憑性なさそう)
http://asyura2.com/0601/asia4/msg/339.html


 「外交青書」は、中国が侵略戦争正当化をやめるよう提起していることについて、「政府としては、個別の分野
での意見の相違が日中関係全体の発展の支障になってはならないとの立場」だとのべています。これは重大です。
「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を謙虚に受けとめ」るといいながら、歴史認識
を数ある外交課題のひとつにわい小化するのでは、侵略戦争の過ちを真摯(しんし)に反省しているとはいえません。

 小泉政権の侵略戦争正当化を批判するのは中国や韓国だけではありません。シンガポールのゴー・チョクトン
上級相は「アジアはすべて日本にはくみしていない」「日本の指導者は靖国神社参拝をやめるべきだ」
とのべています(第四回アジア太平洋円卓会議基調演説)。

 戦後のアジアと世界の国際関係は、日本やドイツの侵略戦争の反省の上に成り立っています。
「外交青書」が国際関係の基盤をくつがえすなどあってはならないことです。

455 :農NAME:2007/01/02(火) 12:51:14
拉致問題といえば、日本は植民地支配当時、どれだけ多くの朝鮮人を拉致、強制労働、殺害してきたのか。
これに対する謝罪と補償を進めるという立場を明確にすべきである。


 それにしても、中国の人々の「過激な表現」には、「国連安保常任理事国入り反対」「歴史教科書の
改ざんに抗議する」の、一貫した、メッセージがある。ふやけた日本とは大違いである。自戒をこめて。
 日本政府がすることは、これら、過去から今につつく恥をきちんと直視し、日本政府のハレンチな行いを
早急に改めることである。間違ってもこれ以上、、石原右翼や軍国蛙を勢いづかせないようにして欲しいものである。
 また、マスコミは、どうか、2チャン蛙に迎合しないように。まだいる、日本の良識的な声を、大きく、とりあげて
ほしいものである。横浜事件に関わる真実を識る人々の声を。
 イラクでも、中国でも、ここ、日本でも、いまや、戦争状況である。
 戦争と平和はこのようにして、現在進行形で続行されるのである。違いは、加害・被害の立場と程度の差であろう。
爆弾の犠牲の数の違いである。


 ニューギニアの戦闘に於ては、食糧、弾薬、塩分の欠亡や、ビタミン不足のマラリヤによる下痢、
身体の衰弱、消化器の障害に依る病死者が最も多く、戦死者はこれに次ぐものであった。
 口に入る物は何でも喰い、しかも栄養失調に成り、過労が重なり、
ことごとく病人の如くに成っていた、行軍中、道端には白骨化した死者が散乱し、
小屋には落伍者が食糧も無く、薬も無く、ただ死を待って居た。
水を呑みに行けば頭を水に突っ込んで死んで死ぬ者の有様は、地獄絵巻その物であった。

456 :農NAME:2007/01/02(火) 12:52:06
 朝鮮半島に対する日本の責任が思わぬところにも残っている。角田房子『悲しみの島サハリン』(新潮文庫)では、
戦後半世紀を経た今もサハリンに残されて故郷の朝鮮半島にも日本にも帰れない人たちの悲しい現状が報告されている。
--------------------------------------------------------------------------------
 「従軍慰安婦問題でペコペコ頭を下げるのは自虐的だ」といった発言を声高にする人々が最近登場してきている。
従軍慰安婦問題だけでなく、過去の戦争を美化しようとする「失言」が一部の政治家などから漏れるたびに政府は謝罪を
繰り返してきた。しかし、最も大事なことは過去の事実をきちんと後世に伝えることである。しかも、これは意識的に
やらねばならない。放っておくと私たちは物事を自分の都合のいいように歪めて理解したり、記憶したりしてしまい、
とんでもない判断ミスをしてしまうからである。


457 :農NAME:2007/01/02(火) 13:24:02
 東京裁判でこれを取り上げれば、証拠書類として彼(ウエッブ裁判長、
オーストラリア)が作成した関係書類が当然提出されることになり、百名を優に越す
犠牲者の名前が明らかとなる。  世界各国から派遣されて東京裁判を傍聴している
ジャーナリストたちがいっせいにこの問題を報道し、オーストラリアのプレスでも
大問題として取り上げられるであろう。 
 日本軍による捕虜の食肉という、オーストラリア国内の犠牲者の近親者へのインパクト、
また戦没者の親族全般の間に呼び起こすであろう死亡状況への深い疑念
、これらは重大な政治問題を引き起こすことは間違いない。
  こうした可能性を考えてウエッブとオーストラリア検察陣は、この問題を
審理リストからはずしてしまったのではなかろうか。
(粟屋憲太郎他「戦争責任・戦後責任」朝日選書)

東京裁判で人肉食が免責された影響を、前掲書で田中氏は次のように述べている。
 「東京裁判でこの問題を取り扱うことが避けられたため、日本軍の軍指導者
たちのオーストラリア兵、インド・パキスタン人捕虜、ニューギニア原住民などの
被害者に対する責任がうやむやにされた。

それだけでなく、彼らが十数万人という数の自国の兵隊をジャングルに置き去りにし、
飢餓に追いやり、『人肉食』という極めて非人道的な行為に走らせ、その多くを餓死
させたという、その重大な事実を日本人自身が国民総体の共通の認識として獲得する
機会を抹殺してしまった」

 「この『人肉食』問題は日本軍指導者たちが日本国民に対して犯した戦争犯
罪と密接に絡んでいる典型的な例の一つである」


458 :農NAME:2007/01/02(火) 18:28:42
なぜ、日本兵は、「人を食べる」という「タブー」を犯したのか。

サレ老人が言う。山には、野豚も野鹿も猿もいて、たんぱく質が欲しかったら、動物だけを捕らえればよかったのではないかと。
この謎に対し、辺見は「戦争とそれに伴う極限状況が人類最大のタブーを破らせた」という一般論では、正確な答えになって
いないのではないかと言う。

「戦争とそれに伴う極限状況が人類最大のタブーを破らせた」。これは、正確な答えではないが、答えの一つにはなっていると思う。
倫理、禁忌、法などは、「極限状況」になったら容易に破られるものだろう。誰によって?もちろん、人間自身によってである。
もちろん、「極限状況」に陥っても、「タブー」を犯さない人たちもいる。それも事実だろう。だが、多くのは人は犯す。過去に、
数え切れない程多くの人が犯してきたし、これからも犯していくだろう。

「多くの人間は、『極限状況』に際し、倫理、禁忌、方などを容易に破る」。この事実に対し、僕達はまだ、有効な手立て
を持ち合わせていない。そして、今日も「タブー」は犯され、人々は死んでいく。
http://sibashoo.cocolog-nifty.com/kaf/2005/05/post_d50f.html
もの食う人びと



459 :農NAME:2007/01/02(火) 18:36:56
 ミンダナオ島の悲劇  

この島に住む老人と語らう。第二次世界大戦の事を
この草とあの肉を一緒に煮とったよ…彼らは(日本兵)
草を強烈な青臭さで臭い消しに使ったのかなあと筆者は思う。
老人が陽気に話す、わしもあれをたべてしまったのだよと。カトリック教徒の彼は許しを請うが間違えて食べたのだから、
罪にはならないと言われたという
投降した日本兵は結構筋肉がついていたと言う。極限状態がタブーを犯すのだろうか
http://www004.upp.so-net.ne.jp/majyo-taku/henmi.htm

460 :農NAME:2007/01/02(火) 18:47:39
ミンダナオ島の残留日本兵の人肉食については、辺見庸が『もの食う人びと』で現地取材をし、書いている。また、
小説では大岡昇平が『野火』で、武田泰淳が『ひかりごけ』でこのテーマを扱い、原一男監督の映画『ゆきゆきて、神軍』でも、
今は亡き奥崎謙三がニューギニアでの人肉食を執拗なまでに追及していた。補給路を断たれた日本兵は、アジア各地で
人肉を食ってきたのである。

『つぐない〜人肉を食った元日本兵の戦後』が興味深かったのは、一人の元軍医が自らの人肉食の体験を生涯過ちとして悔い、
戦後フィリピンで医療奉仕を続けながら、死ぬ直前にミンダナオ島についに足を踏み入れ、その村で謝罪をするまでが
描かれていることだ。現地では、村の長老たちとの間で「和解の儀式」が執り行われるのだが(戦争を表す赤い布の両端を持ち、
これを断ち、さらに平和を表す白い布の両端を持ち、これを断つ。両者は白い布を分かち持つことで、和解をする。
これはその土地の部族間の古いしきたりであるという)、その前に「俺たちの家族はお前たちに食われた。俺もお前を
食いたいぐらいだ」という言葉を投げかけられたりする。相野田氏は泣きながら村人と抱き合って和解し、
同僚から託された幾許かの謝罪金を渡し、その数ヵ月後に日本で息をひきとる。

461 :農NAME:2007/01/02(火) 18:50:38
もの食う人びと
http://caocaos.blog49.fc2.com/blog-entry-300.html
ジャーナリストの著者が何を思ってこの旅に出たのか。
凡人には到底発想の付かないことだ。
が、1992年に日本を発ち、食とその風景と人々を追って旅した足跡と記録は1冊の本に収められ、
「ルポルタージュ」という形で多くの人がそれを目にした。
バングラディシュ、ベトナム、ソマリア、ウクライナ、ポーランド、クロアチア、
ウガンダ、チェルノブイリ、択捉、韓国・・・。
彼が綴っているのは、マクロではなく、ミクロの世界情勢。
生きる為に不可欠な万人共通の「食」という行為。
チェルノブイリで原発周辺に住まう人々の放射能汚染スープ。
ソマリアで、一日一切れのパンさえ口にできず死んでいく魚の眼をした少女達。
ダッカで残飯を食べて生活をする多くの人たち。
ウクライナで、軍用食料の横流しにより餓死する海兵達。
フィリピンで、残留日本兵達が食べていた人肉。
韓国で、かつて従軍慰安婦として連行された老女の心の傷と饅頭の記憶。
「生」と「食」とが表裏一体のものであるからこそ、
「食」を知り、それをともに味わうことが、人々の「生」を知り「過去」を遡ることになる。
ただ、「食べられない」事だけが悲劇なのではない。
「食べる」行為そのものに付随する悲しみが多くあることを、知らされる。


462 :農NAME:2007/01/03(水) 21:32:20
日本軍が他の軍隊に比して際立った非人間性と残虐さを持っていたという点は大きい

463 :農NAME:2007/01/05(金) 22:47:12
<自分史:戦地体験「遺言代わり」出版計画も−若松の元中学教諭・深川さん/福岡>
太平洋戦争中に陸軍士官として赴いたフィリピンで数々の凄惨(せいさん)な体験をした若松区の元中学教諭、
深川竜汰さん(85)が99年に書き始めた「自分史」が間もなく完成する。耳の不自由な長男貫夫(みちお)さん(57)への
「遺言代わりに」と思い立ったのが執筆の動機だが、知人らから「ぜひ読みたい」と声が上がり、出版計画も持ち上がっている。【宮本尚慶】
原稿は完成し現在、パソコンで自ら打ち直して編集・校閲作業中。400字詰め原稿用紙で約2800枚の大作で、
うち約1000枚を戦争体験に割いている。予備士官学校時代に「お前らは戦死要員だ」と告げられた深川さんは
1944年7月、門司港から18隻の船団で出征。潜水艦に襲撃され、深川さんの乗った1隻だけがマニラに
たどり着いた。既に敗色は濃く、絶望感を背負ったままフィリピンでの生活が始まった。現地では地獄を見た。
女性を巡るトラブルで現地住民と徹底的に殺し合った部隊。日本人入植者の女性を妊娠させた上、
発覚して夫妻共々虐殺した中尉。飢えに耐えられず人肉を食べた少尉――。生々しい記憶を包み隠さず
書きとどめた。危険な任務を部下任せにしながら、悪天候で引き返してきた部下を「命が惜しかったのか。
このひきょう者」と殴る中佐など、利己主義に走る軍幹部も痛烈に批判している。「1年の戦場生活で、
一生の間に見るかどうか分からないほどの悪という悪が身近で起こった」と深川さんは振り返る。
敗戦の知らせで兵士たちが混乱する中、深川さんは「これ以上戦えば日本は再起不能になる。負けて良かった」
と現実を肯定。投降して半年間、捕虜生活を送った。帰国後は教壇で、自身の体験を語り継いできた。深川さんは
「軍隊の愚かさや、戦場における人間の異常心理を多くの人に伝えたい」と話している。
〔北九州版〕11月23日朝刊(毎日新聞)11月23日
http://www.164net.com/othernews-200611-ushiro.html

464 :農NAME:2007/01/06(土) 01:11:51
 今は、ビルマではなく、ミャンマーですが、太平洋戦争の末期、兵士で二年いた、といい出したのは、脳梗塞の後遺症で杖
をついて歩いて来た元ジャーナリストでした。

  「敗戦になって僕らも捕虜として収容された。そのとき、ビルマ人に聞いた。イギリス人と日本人とどちらが好きか、と。
というのも、日本が元気で、イギリス人を追っ払った後、ビルマ人に歓迎されていたと思っていたからだが………」

  「答えは?」

 「どちらも嫌いだ、という答えが返ってきた。そこで、なぜか、と聞く。すると、ビルマ人は、日本人が嫌いなのは、
食べ物を盗むからだ。イギリス人が嫌いなのは女を追いかけるからだ、と答えたんだ」

  「あの戦争で戦死二三〇万、内、栄養失調による病死を含む餓死が一四〇万、これは最近の朝日新聞に
出ていたんだが、日本軍は食糧現地調達主義だったからね」

 「イギリス人がビルマ女を追いかけたのは、日本軍と違い、慰安婦が随行してなかった、現地調達主義?
だったからね。日本軍には、必ずといっていいほど、慰安婦がいた。どっちにしても、大きな声でいえる話
ではないが………」
http://www.asahi-net.or.jp/~PV5S-KTHR/kaki.index.html


465 :農NAME:2007/01/08(月) 11:53:32
2.「慰安婦」の挑戦、「大変な性犯罪の国」日本

 現在、「自由主義者」がもっとも強硬に否認するのは従軍「慰安婦」である。彼らは、彼女たちの存在自体も、
日本帝国主義軍隊下で奴隷さながらの境遇も、彼女たちの蒙った苦痛も、さらには彼女たちが日本から謝罪と
補償を当然受けるべきことなども全て否定する。
 彼らにとって、「慰安婦」の話は「わが国の歴史に対する誇り」を増進するわけではないので
無用なものであり、そのような話をする人たちは皆「悪い側」である。基本的に「自由主義者」が否定する
根拠は経験的と言うよりも先験的である。
 彼らはそもそも日本という国家が大規模に「従軍慰安婦」の連行のような犯罪をおかす道理がないと考えるので、
そうした主張は憎むべき捏造であると固く信じているのである。
 したがって、教科書がこのような内容を扱うのは「反日」行為であり、「自虐的」な行為であり、日本を腐らせ、
挫折させ、溶解させ、解体させるに等しいというのである。
 さらに「慰安婦」という間違った歴史を教える学校は、巨大な上九一色村(オウム真理教本部)、すなわち全国民を
反日的イデオロギーに汚染させるマインドコントロールセンターになってしまうというものである。
 藤岡にとって「慰安婦」問題は、「日本を侮辱する政治目的で1990年代に作り出された根拠のないスキャンダル」である。
それは「外国勢力と結託し日本を破壊する巨大な陰謀」である。このようなウソが教科書に載せられれば、日本は
たとえようのないほど淫乱で愚かで狂的な民族にみえてしまう」というのである。
 従軍「慰安婦」という複雑な問題を語るとき、「自由主義史観」学派は戦争史研究でよく知られている歴史学者、
秦郁彦の作業に大部分依存する。秦と藤岡は「慰安婦」は本来公娼であり、日本帝国軍隊の将軍より収入が多く、
客である一般兵士の100倍に達する収入を稼いだと捏造した。
 秦によれば、「慰安婦」の仕事は「危険負担が多いかわり、対価がよかった」というのである。さらに補償請求訴訟を
起こした女性たちは、この機会を「宝くじ当選」の機会のようにとらえ、お金ほしさに訴訟を起こしたというのである。
http://www.shonan.ne.jp/~kuri/aala/aala_3.html

466 :農NAME:2007/01/08(月) 11:55:48
黄色のシャツのおじいさんが、私が日本人だとわかると、いきなり「きーみーがーあーよーおーわー」と歌いだした。
占領下のインドネシアで、教育を受けたという。そのときは一緒に歌ったが、後で、反日感情はないのかと、
在住の日本人にきくと、日本軍は教育をくれたから感謝している部分もあるとのこと。確かにいまだに
経済搾取はひどくされているが、韓国にいったときのような反日感情は感じられなかった。ウブドのバリ人は
気さくで、世話好き、友好的でやさしかった。こどもたちは屈託なく、無邪気で、人々は、みんな子ども好きだった。
それに比べて、今の日本はどうなんだろう?
http://www.hpmix.com/home/nijiiro/A14_4.htm

467 :農NAME:2007/01/08(月) 12:13:37
観光地はクルンクン、ライステラス、タナ・ロット、キンタマーニ。
クルンクンはバリ東部の最大の町。かつてゲルゲル王朝が遷都し、クルンクン王朝を興したこのクルンク
ンで、バリの歴史をあらためて知ることができる。町の中心にそびえるププタン記念塔では、昔の王朝の生活の様子から、
19 世紀からはじまったオランダの侵略と、それに対抗し最後まで戦い続けたクルンクン王朝の様子などを
ジオラマで再現している。また日本軍の蛮行≠解説したコーナーも設けられてい
て少々つらい。
http://www.ohkagakuen-u.ac.jp/fac/kankou/kankou_ensyu/2005_tiri/bari1.pdf

468 :農NAME:2007/01/14(日) 00:09:26
戦争犯罪の被害者・証言者の名誉を守り、歴史の事実を正しく伝えるためにも、この裁判に勝たなくてはなりません。
その為にも一人でも多くの方々に集まっていただきたいのでよろしくお願います。



469 :農NAME:2007/01/16(火) 23:01:15
http://www.yidff.jp/docbox/20/box20-3-2.html
 その結果として、満州映画協会の日本人スタッフが、戦後も居残って
革命中国の人々に技術指導をしたように、日映ジャカルタのスタッフが
独立後のインドネシア映画界に残したものは小さくない。ただそれは
日本という国家ではなく、あくまで映画に携わる個人の集合が残したもの
であることに注意しなければならない。すでに広く知られていることだが、
占領者としての日本軍は強制的に労働者(泰緬鉄道の建設現場で夥しい数
のインドネシア人労働者が命を失っている)や慰安婦を徴発し、また
経済政策の欠如による構造的飢餓をも引き起こしている。1997年の
山形映画祭のカタログを開けば分かるように、今でもインドネシア語には
“ロームシャ”という言葉が残っている。



470 :農NAME:2007/01/16(火) 23:02:59
ところで、筆者は、韓国戦争(朝鮮戦争)で両手や両足などを失い、自動車
の古タイヤの上に身を乗せて物乞いをする人々や、軍隊慰安婦として、
女性でなければ理解し難い苦痛を体験した人々、さらには、強制連行で
耐え難い苦しみを体験し、九死に一生を得て韓国に戻った人々の証言を
通して、戦争などの暴力行為がいかに社会や人間を狂気に追い遣るかを
深く考える機会を得てきた。そうした戦時の非人間的な事実を否定したり、
歪曲したりすることなく、誠実に向き合う努力を積み上げることは不可欠
であるが、それは、二度とそのような非人間的体験を繰り返さないためで
あって、怨嗟や復讐心を掻き立てるためでないことは言うまでもない。
それぞれの人々が人間として培ってきた文化的営みの成果を認識し合い、
敵や味方である前に人間としての普遍性に深く思いを致すこと─それこそが
必要である。政治や経済は国家的価値や企業的価値を個々人の価値観の上に
置きがちである。人間が人間としての心を通じ合うためには、それぞれの
文化的な営みを交流し合うことが極めて重要であり、また、有効でもある。
http://www.u-gakugei.ac.jp/~yi-sk/cherry/life.html



471 :農NAME:2007/01/25(木) 23:20:19
 細川総理大臣が就任後の記者会見で「太平洋戦争は侵略戦争」との発言を行うやいなや、各方面から反発の声があがった。
そうした意見は「戦死者が浮かばれない」という、死者を隠れ蓑にした論調が主なものだった。正々堂々と
「大東亜戦争は聖戦である」と言えないところが、かえって後ろめたさを浮き上がらせる結果となって、戦後48年の現在において、
二重に戦死者を冒頭し、自己弁護に汲々とする醜態が演じられたのだ。
 もう少し、ずる賢い人間は「あれは欧米の植民地支配に対するやむにやまれぬ戦い」とか「欧米もアジアを侵略していた」と主張する。
こうした主張は、ある強盗犯が、他にも強盗犯がいるという事実をもって、己の無罪を主張するがごとき破廉恥なものであるが、それが
戦争で指導的立場にあった人のみならず、世代や党派を越えて唱えられる現状は、誠に憂慮すべきものがある。そもそも、日本人
の戦争に対する認識は、少なくとも日中戦争以降の15年間も連続的に捉えるべきであるとの提言が、過去幾度と.
なくなされ、日中戦争は侵略戦争であったとのコンセンサスはほほできた。しかしそれ以降の認識は、実際は東南アジア・太平洋戦線に
おける米・英軍との聞い、本土空袈、対ソ戦−シベリア抑留、という断片=被害者としての記憶しか、共有できていないのではないか。
http://assert.jp/data/as/asserindex.htm

472 :農NAME:2007/01/31(水) 14:03:10
 小泉内閣を引き継いだ安倍新内閣は、公然と任期内の改憲を掲げ、昨年末には
教育基本法改悪、防衛省昇格と自衛隊の海外派遣を本来任務とする法律を通過さ
せました。
これらの動きは、世界的規模の米軍再編や米ブッシュ政権によるイラク侵略戦
争への無条件支持と追随、そして対北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)強硬策、在
日コリアンへの弾圧や人権侵害などと表裏一体です。
また一歩「戦争のできる国」への道が強まったと言わざるをえません。
 北朝鮮のミサイル演習と核実験発表で、いま安倍政権はここぞとばかりに好戦
的態度を示し、独自制裁まで強行しています。これらは在日コリアンの祖国往来
に障害となるなど人権侵害をもたらしています。さらに政府・公安当局は、こう
した雰囲気に乗じて在日コリアン、とりわけ在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)
と関連団体に対する政治的な弾圧を集中しています。
 日本政府の政策が、日本社会に今なお根深く残る在日コリアンへの差別を再生
産し、朝鮮学校生徒たちに対する嫌がらせ、暴行・暴言、朝鮮総聯施設に対する
テロ的攻撃をも助長していると言わざるをえません。日頃「テロ対策」を声高に
唱える政府やマスコミが、在日コリアンに向けられたテロに対しては沈黙し続け
ているのはなぜでしょうか。


473 :農NAME:2007/02/03(土) 23:26:53
ネット右翼の皆様

以下の記事は、ネット右翼という狂った人格が形成される過程において、必ずしも親の影響を
受けてるわけではないことを示す興味深い記事です。 私としては、ネット右翼(=レイシスト)
の大半は自己愛性人格障害と妄想性人格障害のどちらかを発症している一種の「精神異常」
として捉えていますので、病理学的考察には大変興味あります。

もちろんネット右翼でないという方は無関係の話ですので、私のレスや記事内容に脊椎反射して
噛み付く方は、自分自身=ネット右翼ではないのかという自覚症状を持っておられる方ということに
なります。最近の傾向としては、根っからのレイシストのクセして、自分はネット右翼でないと
言い張るヘンな方がいて、このような方の言説は、陰陽の二重人格的な偏執性を帯びています。
見解が支離滅裂で全般的に整合性がないのですが、ただ一点「ヘイトクライム」という異常性格的
本質は一貫しているという特徴があります。

教育相談〜外国を侮辱する暴言を吐く息子
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/qanda/consul/20061020wn02.htm


474 :農NAME:2007/02/04(日) 20:59:55
柳沢厚生労働大臣の「女性は子どもを産む機械」発言は、感覚的にも耐えられな
いものがありますが、なにゆえこの発言がいけないのかについては、しっかり確
認しておく必要があります。

@ 【子どもを産めない女性が辛い思いをする】という批判はどうでしょう。
「産む機械」を前提として、優秀でない機械と言われるのが気の毒だという批判
ですから、「産む機械」ということについては批判していないことになります。
A 【女性に対する差別である】というのは半分当たっていると思います。
柳沢大臣が、もし「男性だって子どもの種を付ける機械」ですから、と弁明すれ
ば、男女ともに同じ扱いになりますから差別はないということになってしまいま
す。でも、おかしいですよね。

 結局、人間を機械扱いしたことが問題です。人間を道具扱いしたことになりま
す。人間が他人を道具にすることは、人間としての尊厳性を侵害することであっ
て憲法13条(個人の尊厳を謳っています)に違反するものです。

また、柳沢発言及びその後を見ると、機械であり道具だと考えているのは「女性
」だけのようです。したがって、男女平等の原則(憲法14条)にも反します。
    
このような憲法に違反するような発言をしながらも、そのことを厳しく責任追及
せず擁護している安倍首相は、憲法違反を肯定するものであって、同じく憲法に
違反した態度をとり続けていることになります。


475 :農NAME:2007/02/04(日) 21:14:51
柳沢厚生労働大臣の「女性は子どもを産む機械」発言は、感覚的にも耐えられな
いものがありますが、なにゆえこの発言がいけないのかについては、しっかり確
認しておく必要があります。

@ 【子どもを産めない女性が辛い思いをする】という批判はどうでしょう。
「産む機械」を前提として、優秀でない機械と言われるのが気の毒だという批判
ですから、「産む機械」ということについては批判していないことになります。
A 【女性に対する差別である】というのは半分当たっていると思います。
柳沢大臣が、もし「男性だって子どもの種を付ける機械」ですから、と弁明すれ
ば、男女ともに同じ扱いになりますから差別はないということになってしまいま
す。でも、おかしいですよね。

 結局、人間を機械扱いしたことが問題です。人間を道具扱いしたことになりま
す。人間が他人を道具にすることは、人間としての尊厳性を侵害することであっ
て憲法13条(個人の尊厳を謳っています)に違反するものです。

また、柳沢発言及びその後を見ると、機械であり道具だと考えているのは「女性
」だけのようです。したがって、男女平等の原則(憲法14条)にも反します。
    
このような憲法に違反するような発言をしながらも、そのことを厳しく責任追及
せず擁護している安倍首相は、憲法違反を肯定するものであって、同じく憲法に
違反した態度をとり続けていることになります。


476 :農NAME:2007/02/08(木) 23:10:25
慰安婦は「日本政府による軍の強制売春システム」であり、「未曾有の残酷さと規模」に象徴される。


477 :農NAME:2007/02/11(日) 21:43:35
 昨年秋の米中間選挙での共和党の敗北を契機に、日本政府の執拗なロビー工作によって一度は葬り去りかけられた「従軍慰安婦決議案」が一転、米下院通過の可能性が生まれてきた。

▼同決議案は、日本が第2次世界大戦中に「従軍慰安婦に加えた集団強姦と強制堕胎、人権蹂躙は史上類例がない蛮行だった」と指摘。日本政府に対し、歴史的責任を認め
日本首相が公式声明によって謝罪することを求めている。昨年、エバンズ下院議員(病気のために昨秋の選挙には不出馬、政界を引退)が提出した決議案は親日派の
共和党下院議長が全体会議提出を拒否して採択されなかった。

▼エバンズ前議員の意志を引き継いだ民主党のホンダ議員(日系)が、共和党議員ら6人と共に超党派で再度、決議案を提出した。女性として初めて
下院議長に就任したペロシ氏は同決議案を支持しており、全体会議通過の可能性は高いという。


478 :農NAME:2007/02/11(日) 22:56:28
『インドネシア 侵略と独立』(戦争犠牲者を心に刻む会編、東方出版)所収、首藤もと子氏(現・筑波大教授)の「インドネシアへの日本軍の侵略」の最後の部分を引用します。



「日本軍政をどう評価するかといいますと、ある意味ではオランダ時代に無かったような、小さな村々に至るまで政治目的のために大衆を動員するというのは、
たしかに日本軍政の時に行われ、そこから新しい社会的な流動性が生じたわけです。

しかし、結局軍政の最大の目的が日本の戦争遂行に必要なための動員であり組織化だったということは事実であり、それによってインドネシアの社会は、
一方ではたいへんな困難を極め、民衆の蜂起も起きたということです。

「困難」とは、たとえば「ロームシャ」問題です。

前エントリで紹介したナチール氏は「米の生産技術向上」を賞揚していますが、米の生産増強のために水田を新たに作られ、その用水路工事に
「ロームシャ」が徴用されたことは留意すべきでしょう。そして、43年以降は米収穫の30%が日本軍に供出、30%が備蓄用に回され(残りの40%も
強制的に収用される場合が少なくないとされる)、ジャワ島では米が増産されるいっぽうで農民の飢えが広がるという現象が起こっています。

そして、別の「困難」として、マルディエム氏の身に起こった慰安婦の問題があるわけです。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/

479 :農NAME:2007/02/12(月) 18:33:27
インドネシア
 一九四二年初頭、日本軍のジャワ進駐によりオランダ現地政府は降伏し、その後三年間ジャワは日本軍の占領下におかれた。
自由インドネシア独立主義者は日本軍に協力することによって活動の自由を回復し、独立のための全面的闘争を呼びかけた。しかし日本軍による
苛酷な労務者の徴用、農産物の強制供出などに対して抵抗闘争に起ち上がったのは共産党員を中心とする少数の革命的分子にすぎなかった。
このなかに革命的な農民も存在していたであろうことは考えられるが、農民の要求をとりあげて運動化したものはほとんどなかったようである。
一九四四年には東部ジャワのブリタルでインドネシア祖国防衛軍部隊の一部が日本軍に対して武力で抗争し、つづいて西部ジャワの
インドラマユとタシクマラヤでも武装蜂起があったと記録されている。しかしこれらについても、その主体が農民であったか否かは明らかでない。

 一九四五年六月、独立準備委員会が結成され、同年八月日本軍の降伏によって独立へのたたかいは著しい進展をみせた。スカルノとハッタは
独立宣言を発し、上陸してきたイギリス・オランダ両軍に対して独立戦争の火ぶたが切られた。この闘争には多数の農民が積極的に参加し、
ついに勝利と独立をもたらしたのであるが、これを農民運動の範疇で論ずることはできまい。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-267b.html



480 :農NAME:2007/02/12(月) 18:44:03
スマトラの風光明媚な高原の町だ。町の近くに断崖絶壁の断層が走っている。
この断層を利用して戦争中、この町に駐屯していた第25軍軍司令部が防空壕を造った。陣地でもなんでもない。

ところが戦後相当たってから、インドネシア政府がここを再開発し、どう間違ったのか、この穴で日本軍が”ロームシャ"(労務者)3千人を虐殺した、
喧伝した。

そして、日本の有名大学(早稲田、慶応、学習院)の学者がよく調べもせずに自分の本や新聞に書いた。まったく出鱈目の話である。この"日本の穴”
のデマは、われわれ日イ関係者の努力でやっと日本国内では終息しtが、現地では10年にわたって虐殺をほのめかすレリーフが
展示されていたため、今なお虐殺を信じている者がいる。
http://ameblo.jp/kakek/entry-10016813482.html



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